
居酒屋受難の三年間が終わり、業界では大手を含めた各社が手探りで次世代コンセプトを生み出そうとしている。天狗はその中でも先行グループに入ると思うのだが、都内で展開を始めた新型の大型店を、郊外でも広げる気になったらしい。
居酒屋というより、酒も飲める大衆食堂という仕切りで組み立て直したのが特徴だ。メニューはご馳走ではなく、昔懐かしというか平成に生まれ育った世代には見たことがない「新メニュー」「昭和の絶滅種」みたいなものが並んでいる。
以前にも書いたことがあるが、デミグラソースではなくケチャップがかかったオムライスや、豚骨ベースではないラーメンなどがずらりと並んでいる。
これを見て高齢者は懐かしい、俺たちの青春時代だ、みたいな感激をしたりするのだろうが、それは全く的外れだ。対象者はあくまで平成生まれの若い世代であり、開発者はジジババに期待をしていないはずだ。
この懐かしの昭和的風景は、平成中期に広がったエスニック系料理(タイ飯など)と全く同じ文脈で語られるべきコンセプトだ。つまり、昭和レトロを懐かしむのではなく、まるで異郷に彷徨い込んで異世界を楽しむという感覚だろう。
たまたま「表現されている味」が現代日本に通じる親和性があるという程度で、日本的な「何か」にあたるのではないか。台湾料理が妙に和食に似ている味付けだなと感じることがある。それに近い。

エンタメ界でも某巨匠によって「ゴジラ」「ウルトラマン」「仮面ライダー」など、昭和の名優を使ったリメイク物がヒットしたが、あれも物語のベースを流用したが、今の時代に合わせた解釈で物語を再構成したのが面白かった。
オマージュでありトリビュートなのだが、それを理解できるのはオリジナルをリアルタイムで見てきた高齢者になる。
その過去体験がない世代にとっては、全く新しい魅力的なストーリーであり、そこから遡って原作・オリジナルを見るという、じいさんばあさんとは違う楽しみ方があるように思う。同じように、この「大衆食堂」コンセプトは、リバイバルではなく令和の新解釈として見るべきだ。
そういう意味合いで、このナポリタンは昔とは違うとか、クリームソーダにはさくらんぼが必需品だな、などと文句をつけるジジイ(ババア?)は相手にしても仕方がないのだ。やたら文句をつけたがる前期高齢者には耳を傾けない、それこそがこのコンセプトを成功させる秘訣だと思いますよ。
ちなみに、メニューの大半は「天狗」スタンダードなものを流用しているので、上手な組み立て方だと感心しました。