
ススキノの渋い炉端焼き居酒屋で飲んでいたら帰り際にビールをもらった。開店60周年なのだそうだ。店内カウンターの写真をラベルにして貼ってある。クラフトビールメーカーっぽいなと思って裏のラベルを確かめたら、なんとサッポロビールのものだった。大手メーカーがよくこんな細かい仕事をするなと思ったが、よく考えれば地元なのだから、こうした需要は多いのだろう。
お江戸界隈でもこんなサービスをやっているのだろうか。随分と昔だが、金婚式の写真、もちろん夫婦の並んだ姿をラベルにしたワインをもらったことがある。その方が支援していた、今でいう農福連携(農業と福祉)のワイナリーで作られたものだった。そこから連想してあれこれ考えてしまった。
このような記念品需要、つまり極小ロットでの生産になる特需商品は、生産効率を考えればとても間尺にあった商売ではない。大手メーカーは手を出さない分野だろう。だが、確実に需要のある隙間分野でもある。
メーカーの論理として、効率を追うために械化をするのが一番最初の経営努力だ。結果として、大量生産すれば価格も抑えられる。大量生産、大量販売が前提とされるものづくり、これが近代資本主義というものだ。
ただ、人手をかけても喜ばれるものづくりをする、商売をするというのが、大量生産の反対側に存在する。一点もののブランド品のような高付加価値商品で高価なものが典型的だ。
ただし、安くて便利な大量生産品と手作りの高額品、そのどちらとも異なる「手間暇をかけることに意味があるもの」を作り出す第三の道があるのではないか。それは安くもないし大量にもできない製品になる。
例えば宅配便会社の会長が引退した後に始めた、知的障害者を従業員とした製パン業のような事業の形がある。この事業の生み出すものは、一つではない。結果的に美味しいパンを社会に提供するのだが、一番大切なことは障害者に普通の賃金を支払う事業体を生み出したことだ。最大の製品は社会的な雇用の受け皿作りだろう。
社会全体の中で弱者も共に生きる術を生み出していく。はみ出しもの扱いされている者を受け入れる場をビジネス的に成立させる。ボランティアではなくビジネスだからこそ永続させることができる。これまで不遇な扱いを受けてきた社会的弱者に対して、自立のための手段・職を作り出すことを目的とした、第三の事業形態だ。
大量生産で作られ安いか買うでもなく、こだわりの高価な一品を買うでもなく、社会を支えるために買う。近代資本主義の進んだ先に生まれる「共生支援」事業体とでもいうべきか。農福連携はその典型的な形なのだと思う。
人口が減り社会を支える仕組みが急速に変わっていく、この先の日本では必要な考え方のように思う。働き手が減り高齢者の活用などという戯言を言う前に、農福連携のような仕組みづくりを考える政治家(政治屋ではない)はいないものだろうか。
ここまで円安が進めば、日本へ出稼ぎに来る外国人労働者は激減するはずだ。究極の人減らしにつながる多機能ロボットの開発にも、あと20年くらいかかるだろう。アトムは2000年ではなく2050年くらいに生まれるはずだ。「共生事業体」は、その隙間をつなぐことができるのではないだろうか。
一瓶のビールをきっかけに少しマジめなことを考えてしまった。