街を歩く, 旅をする

会津の街並みに感動した

会津の街で中心部は「お城」と言いたくなるが、お城周りは住宅地が広がる場所で、商業集積地としては市役所の周りになるはずだ。ただ、全国の地方中核都市共通の課題で、市役所の周りはすでに空洞化し商店街は虫食い状態になり、潰れた店の跡地が駐車場になるという、かなり無惨な光景が広がる。
これは、日本全国の県庁所在地で起こっている事態なので、福島県会津若松市だけの問題ではない。街中に繁華街が生き残っているのは、人口が50万人を超える大都市、あるいは政令都市くらいだろう。
北海道では札幌以外すでに全滅。東北でも仙台を除けばやはり全滅。北関東三県はギリギリ生き残り。中部では新潟と静岡、金沢以外の街はやはり厳しい。中国四国では広島、松山、高松はまだ繁華街が残っているが、それ以外の街では似たような寂しさだ。九州では福岡、熊本が別格として、鹿児島がちょっと元気なくらいだろう。
旧城下町は、どこも同じように街の空洞化、郊外化が進みきっている。アメリカでは1950年代に起こったことだが、日本では30年遅れで一気に進んだ。
ところが、そんな寂れた街の中でも元気な店や場所はあるものだ。このビルの名前は、まさに元気の塊みたいな感じがする。どうやら、会津若松市の市役所近くでは、まだまだ威勢の良い人・企業が頑張っているらしいのだ。

街頭にある看板も、なかなか威勢が良いではないか。酒蔵の多い会津地方だけに、まだまだ日本酒製造元の気合いが入っている。ただし、この名文句は間違って記憶していた。「東北に名酒あり」と思っていた。確かにうまい酒なので、脳内での誤変換が起きていたのだろう。思い込みとは怖いものだ。

交差点にある案内板だが、これはずいぶん低い位置にあるのが珍しい。普通に見かけるのは、頭の上の高い位置、道路標識などと同じような高さだから、この低い場所にあるのは、小学生向けかなと思ったが、ふりがななしの漢字だらけだから、そうでもないようだ。雪が多い地域だけに、こんな低い場所で雪に埋もれてしまわないか心配になる。冬の時期にも管理が行き届いているのだろうか。

戊辰戦争の後、会津が生んだ偉人としては、やはりこの方になるのだろうか。お札にもなったし、お医者さんだし、苦労して大成した「偉人」伝の主人公だから、こういう扱いも当然だろう。
しかし、「青春通り」という呼び名はちょっと気恥ずかしくないか。などと、意地悪な感想を持ちはしたが、この青春通りの周りには小体で粋な店が多いようだ。中でも感心したのが、生姜焼き専門店だった。
そもそも生姜焼きの専門店というのがすごい。大都会であるお江戸でも、生姜焼きは町中華屋や大衆食堂の人気メニューではあるが、専門店はほとんど見かけない。うっすらとした記憶で、銀座か神田のハズレのどこかでみたような気がする。生姜焼きが名物という店は多いが、専門店を名乗る店は希少だろう。
その生姜焼き専門店を会津で見つけて喜んでしまったのだが、暖簾の横にある案内に心が持って行かれた。「本日のBGM」とわざわざ書いてある。ジャズ喫茶であれば、こんな書き方もありそうだが、生姜焼きの店なのだ。音楽が主体のサービスではないだろう。
そして、それ以上にすごいのは、フューチャーされているアーティストが「あがた森魚」だということだ。このシンガーソングライターの名前を覚えている人は、もはや限りなく少ないだろう。昭和中期のかなり個性的なアーティストだ。おまけに、全作品がCD化されているのか気になる。自分の所有物をひっくり返してみたら、一枚だけベスト盤があった。おそらく一日中同じCDをかけっぱなしにすることはないだろうから、往年のレコード(LPアルバム)をかけるのだろう。
この店も、いつか必ず行ってみたい。その時の特集アーティストは、誰になるのだろうか。あがた森魚に匹敵するとしたら、下田逸郎や中山ラビ、及川恒平あたりか。元気な音楽であれば、甲斐バンドや世良公則、シャネルズといったバンドが聴けそうだが。
しかし、実に実に会津はすごいなあ。

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