街を歩く

渋谷の朝に学ぶこと

渋谷に早朝から出かける用事があり、日中は人でごった返すセンター街も流石に人影まばらな時間だった。その入り口にぶら下がる七夕飾りを見て、ああもう直ぐ夏が終わるのだなあと思った。暑さが続いているせいですっかり出不精になっているが、今年の夏も終わりに近づいている。モノの哀れというか、何やら感じるものがある。どこにも出かけないまま、夏が終わっても良いのかと。
帰り際にJRの駅で見た東北の夏祭りポスターで、背中を押された気になった。やはり夏旅に出かけようと決めた。

早朝の渋谷で見つけた、いかにも今風な告知ポスターだ。移転しますと書いてあるが、移転先の住所はどこにもない。インスタで見てねということらしい。
情弱ジジババは相手にしないという潔さ、というか冷静さを感じる。インスタで探してもらえないような客層は、自分たちの店に来て欲しくない。そういう思い切りが明らかに伝わってくる。あれもある、これもあるけど、自分たちだけの売り物は何もないという「ダメな店」が世の中に溢れているが、そんなダメ店舗を作らない秘訣は「あえて売り物を絞り込む」なのだ。住所情報すら邪魔と考えるところから、情報の断捨離が始まる。すごいなあ。
客が店を選ぶなら、店も客を選ぶ。そういう考えが時代の流れになっていると教えてくれる、一枚のポスターだった。

渋谷から原宿にかけて、街のあちこちに見られる意味不明の落書きだが、一時期はまるで街頭アートのように煽っていたメディも、今ではすっかり声を顰めているようだ。
その「迷惑な落書き」を禁止するポスターの上下に、これまた落書きが書かれている。「落書き禁止」が意味をなしていないではないか。これは、権威に対する挑戦か、あるいは自分たちを抑制しようとする権力、警察に対する嘲弄なのか。
それとも、単純に字が読めない頭の悪い人なのか。あれこれ考えながら笑ってしまった。
おそらく、「落書き禁止」と漢字で書くからダメなのではないか。「らくがき、だめだよ」とか「ラクガキするとつかまります。タイホするー」とか、優しくひらがな、カタカナだけで書く方が効果がありそうな気がする。
これも、落書きをする「わるいひと」がどんな属性を持つのか想定して、それにあった対応をするということなのだが。マーケティングの基本「人の心を読む」ができていないのだから、やはり警察や行政は、商売の基本がわかっていないのだろう。もはや、自分たちの権威がすっかりなくなっていることに気がついていないのか? いや、気がついているけど認めたくないのだろう。
街歩きは、学ぶことが多いなあ。

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