
本八戸の駅は、街の中心部から徒歩圏にある。というか、元々の城下町の近くに駅を作ったのだろう。八戸駅は、本八戸駅から二駅の距離で、市街地とは言えない離れた場所にある。東北本線を施設する際に、当時の中心部、お城の近くには駅を作らなかった時代の名残だと思う。全国にある旧城下町で駅とお城が近いのは東京駅と姫路駅くらいではないか。それにしても「八戸駅」と「本八戸駅」の距離は一体どういう意味があるのだろうか。

改札を出てあたりを見回していたら、美味しい代物を発見した。これは大好物だ。国鉄からJRになって随分と経つが、こういう上手な広告を見ると、本当に民営化されてよかったなと感じる。良い広告を作るセンス、許すセンスというのは「官」にはないと断言する。元・国営企業でセンスの良いのはJRとDOCOMO。逆にセンスないのがJTとJP日本郵政と常々思っている。旧所管官庁とは関係なさそうだし、民営化後の経営者の資質であるような気がする。

「八戸人らしいよ」と言われても、ちょっと困るかなと思いながら、心情的には「八戸人になれるらしいよ」と読み取っていた。確かに共通語にならないニュアンスというか言葉はあるよね、と心の底から賛同した。
ちなみにもう一つの大好物、某県民事情某暴露番組では、インタビューに答えた県民が「ひょうじゅんごでは・・・」と発言すると、テロップが「共通語では・・・」と書き換えられている。これはスタッフの見識が高いと感心している。
そうなのだ、日本には標準語は存在しない。イギリスのキングズイングリッシュのように、皇室の方が話す日本語が標準というわけでもない。(個人的に、あれは上級日本語会話体だと思う)
強いて言えばNHKアナウンサーの話し方だろうか。あれが今の日本の話し言葉共通語だろう。ただ、イントネーションとか語彙によっては、民放とお作法が違うらしいので、やはりNHK会話体も放送界の一方言(差別語ではないと思うのだが)なのかもしれない。

八戸駅でJRから青い森鉄度に乗り換える。朝の時間帯は高校生のバス待ち行列が伸びていた。微妙に行列の間隔が空いているので、これがコロナ後遺症の一つだろうなと思う。

駅の改札近くにこれまた「南部」的な飾りが展示中だったが、在来線と新幹線が同居しているせいか、どうも駅の中に統一感がない。というかバラバラな感じがする。それともJR対青い森鉄道の、密かな対抗心でもあるのだろうか。
そもそも駅弁を買いたいと思って駅ナカをうろついていたが、駅弁は新幹線駅構内でしか売っていないようだった。それも理解はできるが納得できない困った現象だ。駅弁ファンとして新幹線駅優遇はすごく反対したい。在来線の駅売店でも駅弁打ってほしい。あるいは駅弁買うための無料入場券を発行してほしい。
ちなみに松本駅で駅弁を買う時に入場券を買ったことがある。あれは、心のダメージが大きい。

青い森鉄道の車両はなかなか自分好みで、車両全体が広告になっているラッピング形式より好ましい。特に木をかたどったキャラが良いなあと思う。

青い森鉄道の中間点、野辺地までは一時間くらいだった。