旅をする

名古屋城の片隅に

2017年の記憶 #18 昔に撮ったiPhone写真から引っ張り出してきたあれこれ

名古屋城は先の大戦の空襲で焼け落ち、その後再建された。全国に残る多くの城も、戊辰戦争終了後に廃城となったものが多い。だから外見だけは再現されているが、中身は鉄筋コンクリート建という城の方が多い。それをハリボテというか、文化財の再生というかは「理屈を言ったもの勝ち」のような気がする。あえて言えば、リアルサイズのガンダム製作(ただし歩けない)とか、恐竜化石の実物大再生展示みたいななものだろう。立てた時のまま現存している城、例えば松本城などで場内見学するのと、名古屋城の見学はちょっと意味合いが違う気もする。(どちらも好きだけど)

ただ、名古屋城に関しては城そのものよりも、城の横にある城主の居住館を再現したものの方が、見る楽しみは多いような気がする。安土桃山文化の絢爛豪華さと比較して地味な感じがする江戸期文化だが、江戸初期はやはり煌びやかだったのだなと思う。男性の平均身長が150cm程度だった戦国期としては、この天井はずいぶん高かったはずだ。実用性よりも威圧感を目指した建物だったのだろう。内装も金で虎とくれば、この広間での応接は今流で言うところの圧迫面接だったはずだ。相手を威圧するという目的の豪華さは武家仕様というべきか。
名古屋城は家康存命の時に築城された、徳川サイドの西日本監視施設であり、威圧機関だったのだから、「圧倒的な圧迫感」を与えるべく設計されていたはずだ。おそらく江戸城よりも脅迫感を重視していたのではないか。
お城廻りの裏の楽しみは、こんな風にあれこれと妄想を広げることだ。徳川政権は名古屋城築城とほぼ同じ時期に大阪城決戦、そして大阪城廃城で埋め戻しという膨大な土木工事を連続して行っていた。徳川政権というのは、なかなかに強大であったことがうかがえる。ただし、それも戦国期終了による景気対策だった側面もありそうで、裏読みの楽しみは尽きることがないなあ。

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