食べ物レポート

Joy of Life ごちそうは素敵だ

パーティーご飯の話を続けるのは、いささか恐縮するのだが。おいしいものはおいしいという話なので、その続きを。セカンド・アントレというべき、豪速球なフィレのステーキ。このあたりでお腹はそろそろ満タン近い。だから肉のポーションは小さめで、フィレを使っているのはソースに合わせたいからなのだろうなとは理解できる。定食屋ではないのでライスはつかないが、これはちょっと白飯と合わせたい気分になった。肉が柔らかくて、ソースがうまいとご飯が欲しくなる。普通のフレンチコースであれば、テーブルの上にはパンがあるので、それを楽しむ手がある。ところが、今回はフレンチと懐石の融合コースなので、この後に正式なご飯が出る。なので、パンが見当たらない。

アメリカに出張に行った時、出張先が中西部だったせいか、ビジネス・ディナーといえばステーキだった。だからヘタをすると三日連続ステーキになることもあった。アメリカ人の客が東京に来たときに、気の利かないビジネス相手だと三日連続で鮨屋のディナーになるようなものだ。だから、アメリカでステーキというと(翌日のステーキ連チャンを想定して)フィレを選んでいた。おかげでよく馬鹿にされた。若い奴はもっとでかい塊肉を食えというのだった。彼らのいう塊肉は1ポンド越え、500g以上の肉だ。フィレだと半ポンド、200g程度だから、自己防衛のためにはフィレ一択だった。日本ではステーキ連チャンなどほぼあり得ないので、サーロインを好んで食べていた。だから、久しぶりに食べたフィレのステーキはゴージャスな味がした。うまい肉料理を食べている実感があった。ご馳走様なのだ。

そして、この後に鯛飯と赤出汁の味噌汁が出て、お腹はほぼ隙間無しになったのにも関わらず、ドーンとデザートプレートが出てきた。なんだか、これはイタリアン的な出し方だなあなどと持っていたら、本当はワゴンで好きなだけ注文できるという仕組みだったのが、コロナのせいでプレートになったとのことだ。

イタリアで食べたデザートプレートはこの3倍くらい乗っていたが、イタリア人は時間をかけて完食していた。日本人的には時間をかけると「甘み」に負けて食べられなくなると、せっせと食べてが結局半分しか食べきれなかった記憶がある。そもそも外食に対する見識というか態度がイタリア人は違うようだ。ディナーは一度家に帰っておめかしして夜8時スタートで、終了は午前3時過ぎらしい。7時間もかければ、相当な量でも食べ切れるのだろうが・・・。そんなことを思い出しながら、のんびり食べていたら食べ切る前にパーティーが終わりそうになった。

しみじみと思ったのだが、ご馳走とは文化だと、そして、コロナはその文化を破壊する悪魔の手先みたいなものだと。誰もが思っているだろうけれど、早くコロナが終わって欲しい。

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