書評・映像評

技術要塞戦艦大和 工程管理と標準化

仮想戦記ないでの思考実験

表紙 by amazon

仮想戦記というジャンルの小説がある。1980年代後半から一気にジャンル作品が増えたのは、バブル崩壊時代の「負けた意識」が、同じ負けた時代「第二次世界大戦」でのIFを、もしかした勝てたかもしれないという状況を望んだ読者が多かったということだったのではないか。読者のほとんどが戦争を知らない世代になっていたことも、書き手の制約が外れた要因だったのだろう。

その仮想戦記の中でも、それなりの理屈を立て大日本帝国の継戦能力を高めるという「リアル」派と、未来人が超決戦兵器を授けてくれました的「スーパー」派があった。今ではすっかりスーパー派はいなくなり、リアル派が最低限の歴史改変を行った結果はどうなったかという形での、思考実験が主流だ。その歴史改変を明治期の日露戦争で敗戦した結果として設定したのは故佐藤大輔の「レッドサン・ブラッククロス」だった。著者の主張は、そこまで時代を遡って日本の体制を変えないと日本は先の大戦で勝てない。それくらい戦争をするのに向いていない国だったということなのだが。

それと対照的なのが、この作家の歴史改変手法で、ガダルカナル戦は「もし兵站線の改善ができていれば負けなかった」とか、素材を含む技術体系を変えていれば零戦はもっと強くなっていたので「ミッドウェイ戦は・・・」と言った話を好んで作る。
要素的には継戦能力の改良のため「兵站の重視・確保」「標準化による量産性向上」や、生存性向上のため「レーダーの早期実用化」「陸海軍共同兵器開発」など史実的に起こらなかった、あるいは不十分だったことの改良とその波及効果という話になる。戦艦大和が出てきても、大和強いぞという話にはならず、砲弾の改良により大和の集弾能力を上げさせる。そのために何ができたかとかという話になるから、読む方としては延々と金属の性質と火薬の改良方法を学ぶことになる。それを飽きさせずに書くのが書き手の力量とも言えるが。

この技術要塞戦艦大和という題名をどう読み解くかといえば、国力(造船能力)に欠ける日本は、戦争時に建艦能力不足で負ける。戦線が拡大したときに前線に対する兵站問題(兵器や医療食料品)が解決できない。それも敗戦の原因となる。それらの諸問題をどう解決するべきかという海軍技術者のサラリーマン物語として仕上げている。
そもそも話の出だしからして笑わせられるのだが、大和の建造予算が足りないので、作る予定がない潜水艦を予算化し、その予算を流用して大和を作る企みが全てのきっかけだ。まるで今の日本政府のやり口のようだが、所詮政府のやることは、今も昔も変わらんのよという作者の意図が透けて見える。

そして戦争勃発により、予算が青天井化したため、作るはずのない潜水艦を作ることになる。もともと作る気がなかったので、革新的な、ある意味現実から随分かけ離れた設計思想が採用されていた。それがブロック工法と艦体設計の標準化、溶接による建造工程の簡素化なのだ。現代風に置き換えれば、ワンオフ製品を排除し、パーツやブロックの共有化を行い、過剰なカスタマイズも認めないというところか。

船体の共有化により潜水艦支援艦も空母も巡洋艦も貨物船も同じ設計図を使う。共有化した船体以外はそれぞれ用途に応じて「部品」をつけるというやり方で、戦艦建造に特殊技術が要らなくなる。ここでもう一つのIFが発動するのだが、現代の潜水艦と同様の「水中速力の向上」が盛り込まれる。この時代の潜水艦は、水中速度が極度に遅く「水に潜ることが可能な船」でしかなく、水中で戦闘機動ができる船ではなかった。そこをエンジンの改良というIFを持ち込み、高速水中機動戦ができる潜水艦を完成させた。
こうしてできた潜水艦は、試作オンリーのワンオフだったはずが大量生産され予想もしない戦力になる。

溶接できる高張力鋼がブロック工法には必要なのだが、その高張力鋼のおまけとして、輸送コンテナが発明され、そのコンテナの使用により兵站維持が楽になる。そもそもコンテナの運用が海軍主体ではなく陸軍主体になるというのが、作者の皮肉でもあるのだが。海軍はどんぱちにしか関心がなく、太平洋域の侵攻に巻き込まれた陸軍への補給について関心が薄いという、おバカな海軍という描き方だ。(事実、歴史でもそうだったし、現行の帝国海軍後継者である海上自衛隊もシーレーン確保能力はない。そこは米海軍任せだ。この話はリアルにすると相当きな臭い話になるので割愛)

全編通してダメな組織の典型として、かなり大袈裟に書かれている海軍だが、この組織は現代日本ではどこにでもある会社組織の典型として見ても間違いはない。だから、作者の指摘する海軍の構造改革は、海軍の後継官衙であるところの現日本政府にも当てはまるし、大多数の企業組織にも当てはまるだろう。陸海軍の部門対立は、省庁の対立であり、ワンオフ・カスタマイズ製品の横行は効率論を考えない(自分のお手柄に固執する)管理職の意識問題だろう。

少なくとも「工程の標準化」「パーツ・ブロック化」「カスタマイズ排除」は現代日本の企業文化と相入れないもののような気がするが、そこを起点に組織改善を求めることが、大日本帝国と異なる「負けない未来・組織」を作ることになるのだと理解できないか。

この話が導くこと。仮想戦記とは、実は現代組織論への問題提起なのだな。

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