書評・映像評

降旗監督と名優高倉健 その3

これまた日本海の冬の海が舞台とは 降旗監督は冬の海が好きなのだ

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勝手に名付けた降旗監督 高倉健と美人女優三部作の第3作。

前2作とは、やはり健さん映画だけに共演者もお馴染みの顔ぶれということもあって、似たような印象がある。ただ、今回は妻役の石田あゆみの抑えた演技が良い。役柄として、とても美人に描かれてはいないが、ちょっとした表情に美人さが出てくる。逆に、魔性の女的田中裕子が、まだこの時は開花前というか、この映画以降に出てくる演技の凄みのようなものが抑え気味だったという印象。
が、何より凄いのが「ビートたけし」演ずる、ダメヤクザだった。この頃はすでにコメディアンとしては円熟期を迎えていたたけしの怪演ブリは素晴らしい。のちの、監督作品に通じる「暴力的なダメ男」は、このころ形成されたのだろうか。

ヤクザの特攻から、日本海の漁師への転身が、あまり無理なく描かれている。刃傷沙汰に飽きたのか、妻に惚れ込み静かな暮らしを望んだのか。そこに不協和音として紛れ込んだ、田中裕子とビートたけしが、街をかき乱し、勝手にいなくなるまでの「冬」の嵐。

山があるようでなく、オチがあるようでなく、ちょっと奇妙な後味の残る作品だった。
この後、しばらく健さんは映画に出なくなる。いったん出ても次作までの間隔が開くようになり、2000年以降の後期降旗三部作まで、静かな時期だったように見える。この80年代の作品の抑えた演技ぶりは、ほぼ完成の域にあったと思うが、実はもう少しコミカルな軽い演技をしようと思っていたのではないかとも想像する。東映ヤクザ映画から始まった自分の演技を、どこかで変えようと思っていたのではないかなと。

結局、それは叶わずに最後の作品まで健さんは、健さんだったような、

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名優高倉健と降旗監督 その2

初めてみた健さんの映画だった

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81年 駅Station
83年 居酒屋兆治
85年 夜叉
と続く、前期降旗監督と健さんの美人女優シリーズ第二作。
散策の中では、一番賢さんがコミカルな演技を見せている。「駅」では警察官、本作ではサラリーマン(元函館ドック社員)で現在は居酒屋のオヤジ、「夜叉」では元ヤクザで今は漁師という役がらだから、確かにあまりシリアスな役ではない。
田中邦衛演ずる幼なじみで高校野球のバッテリーを組んでいた二人が、山の中に釣りに行くシーンが秀逸で、全編の中で一番光る絵だった。
逆に、終盤の葬式を草原の中で行うシーンが、遠くから引いた絵で健さんと残された夫をとっているのも、映像的には素晴らしい。
あまり寄らない絵が効果的な場面が多かったように思う。

賢さんと絡む美人女優は大原麗子で、この頃が彼女が一番光っていた時期のように記憶している。甘めのアルトではなす女優は当時でも少なかったが、今ではほとんどいなくなった。いわゆるアニメボイスでハイトーンで早口に喋るのは、三谷幸喜演出作品がヒットした以降、当たり前になったような気がする。最近ではテレビのニュースキャスターも(男でも)ハイトーンなので、いささか鼻につく。
この作品ではハイトーンで喋るのは伊丹演ずるタクシー会社の副社長くらいで、確かに昔の映画なのだ。

大原麗子と健さんの絡みは、たった二場面しかなく、彼女が健さんの居酒屋にふらっと訪ねてくる時。そして、彼女を探しにススキノにきた健さんがようやく発見した時の二場面。お大原麗子としては共演した気がしないのではないか。

「駅」では、ちょっとだけ登場した、離婚した妻役の石田あゆみが「夜叉」では、しっかりとした妻の役だった。「駅」で県さんとしっかり絡んだ倍賞千恵子は、「幸せの黄色いハンカチ」で、健さんを待つ健気な妻役を演じていた。だから、大原麗子はこの次の作品くらいで、もっとしっかり絡んだ役をやるかと期待していたが、そもそも健さんが映画に出なくなってしまった。これが残念。

健さんのようなスタイルの役者は、もうすっかり映画に出てくることがなくなったようだ。そもそも対策と言われる映画が作られなくなって随分経つような気もする。今の日本映画を代表する役者というと、渡辺謙くらいになるのか。三谷幸喜の映画は基本的にコメディーだし、ヒットメーカー不在の日本映画で、大俳優が生まれる余地も少ないのかもしれないななどと、健さん映画を見ると思い知らされるのだ。

書評・映像評

名優高倉健と降旗監督

勝手に命名した降旗監督の「健さんと女優三部作」
81年 駅Station
83年 居酒屋兆治
85年 夜叉
この後10年以上間を開けた後期三部作もあるが、やはりこの頃が健さんの一番脂の乗った時期だったような気がする。

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一年おきに公開された3作だが、その当時の美人女優と健さんの絡みで淡々と語られる男と女の話。
その最初が「駅」で、倉本聰原作のオムニバスストーリー的な物語になっている。

健さん扮する警察官が「銭函駅」「増毛駅」そして陸の孤島「雄冬」・・駅はない町で話が進む。銭函、増毛どちらも北海道でも相当なローカル駅で、両駅ともに冬の雪のシーンが映像の記憶として強く残る。
降旗監督は雪の季節の海の絵が好きらしい。
今見れば、銭函駅で駅弁が売っていたり、陸の孤島であった「雄冬」には、映画で言われている通り国道が通じて孤島ではなくなっていたり、隔世の感がある。古い映画を見返すと、その当時の記憶が蘇るのが楽しみだが、現代の若者には理解できないことも多いのだろうなと感じたりもする。
「探偵はバーにいる」シリーズでも、同じように冬のススキノ(北海道)が描かれているが、その風景が微妙に違っているのは、やはり時代の差なのだなあ。

北の国からの放映が81年10月からであったことから、この作品も同時期に倉本聰が書いていた脚本なのでろう。テレビと映画の差はありながら、絵柄が似ているのは納得するところだ。

映像的には、当時の風潮、流血シーンが露骨にあったり、逆にベッドシーンが抑えられていたりと、なかなか映画の中の「モラル的な表現方法」の違いが見えるのも面白い。やたらとタバコを吸うシーンが多いのも時代の違いだろう。

この映画の見所は、やはり倍賞千恵子の芝居で、健さんとの関係がもう一息と言うところまで進みながら、結局は破局。警察を辞める決意をしたにもかかわらず、結果的に同僚を撃った殺人犯を射殺してしまう健さんの複雑な思いがそれを彩っている。主役は健さんなのだが、倍賞千恵子が押しのけたような存在感を見せている。「幸せの黄色いハンカチ」で共演した時は出所する夫を待つ抑えた演技だったが、この作品ではその正反対で健さんの抑え気味な芝居を押し除けるくらいの勢いだ。
「樺太まで聞こえるかと思ったぜ」と言う健さんのセリフが象徴的だ。

倉本節と降旗描写が相まって、健さんと美人女優の物語になっていくのだが、個人的にはこの当時の烏丸節子が一番綺麗だったような気がしている。また、一番最初に登場するワンシーンだけだった石田あゆみの泣き笑いの表情が、実は一番印象的だった。
降旗監督作品では、後年の「鉄道員」の広末涼子に匹敵する「女性の綺麗な瞬間」を切り取った名シーンだった。

不倫の上の離婚、殺人犯を兄に持つ女の離郷、昔の男を今の男に殺される女、三者三様の女の別れを描いた物語は不思議な印象を残したまま終わる。
この終わり方は、やはり「網走番外地」的なことなのだろうな。

書評・映像評

野性の証明 40年ぶりに見た

「お父さん、怖いよ・・・・」 このCMを見たことのある人たちはすっかりじじいにいなってしまっただろう。40年前の作品で、薬師丸ひろ子デビュー作で有名だが、実は昭和エンタテイメントの名作だ。

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野性の証明 ・・・もはや古代の話

自分の中ではそんなに前のことと認識していないが、世間的に見るとほぼ過去事象とされることは多い。20年前のことであれば、古いと言われてもしかたがない。2000年前後の映画や本の話は「古い時代」の作品となる。それ以前となるともはや「古代」なのかもしれない。確かに最近、バブルの時代ってなんだったのかと聞かれることが多い。1990年前後に生まれた世代が社会の中堅層になってきたからだろう。となると1978年公開の映画など、超古代ということか。1980年前後といえば、角川映画の全盛期で超大作と言えば角川映画を意味したような時代だった。バブルが進行する前の、日本社会全体が圧倒的な右肩上がりで驀進中という景気の良い時代でもあったから、ハリウッドの大作に匹敵するような日本映画を作るという、挑戦的な意思もあったのだろう。

昭和の時代の自衛隊と暴力描写

お話の中身はいろいろと当時も突っ込みどころはあったのだが、「自衛隊」の当時の扱われ方が色濃く出ている。あの当時は、自衛隊を存在悪的に語ることも多かった。個人的には高校時代、自衛隊にはだいぶお世話になっていたので、悪感情は持っていなかったが、左翼が強い地方都市で生きていたので、一般的には自衛隊に対する風当たりは強かったような記憶がある。
高倉健が演じる自衛隊特殊部隊など、今の時代であればかなり好意的に描かれるような気がするが、あの時代ではやはり「暗く疎ましい」存在としての描写だ。地方都市の悪徳政治家みたいな話も当時は多かったが、現代ではあまり語られないテーマだ。20年あまり続いたバブル崩壊後の経済は地方都市の活力を根底から叩き潰したので、地域の豪腕政治家・地方財閥などという存在はいまや成立しないのだろう。(今でもそんなのいるのかという感じだが・・・いるのかなあ)
昭和映画の特徴でもある、過激な戦闘シーン、殺傷シーンだが、今ではあまり見られない凄さがある。これに類似するリアルさといえば、ゾンビ映画の戦闘シーンくらいか。この映画が作られた以降、急速にCG技術が進化し、CG全盛となった現代では、あまりグロな映像は作られない傾向にある。だから、この映画の戦闘シーンは、東映任侠映画で鍛えられた暴力描写のの到達点と見ても良いのかもしれない。
ラストシーンは、宇宙戦艦ヤマトと同じで特攻なのだが、やはりこの時代の美学は「自己犠牲と滅び」にあったのかと、再確認させられた。実は一番記憶に残っていたのはテーマ曲。映像よりも音の方が記憶に残るものだと改めて思い知らされた。やはり圧巻は、後半に展開されるサバイバルシーンで、戦車とヘリを投入した追跡劇だろう。当然、こんなシーンが国内で撮れるはずもなく合衆国で撮影されたそうだ。「こんな戦車、日本にいたか?」と思って見ていたら、やはり米国陸軍のものだった。当時は自衛隊協力で戦闘シーンは難しかったのだろうなあ。最近では、怪獣退治やらテロ退治やらで、バリバリ自衛隊協力のクレジットが入る映像があるのを見るにつけ、自衛隊を見る目も変わったものだと思う。
全盛期の健さんと薬師丸ひろこを見るだけでも十分価値があると思う角川映画の名作だ。