旅をする

掛川城 街道を抑える拠点

掛川という街には全く馴染みがないが、地図を見れば戦国時代の東西の要衝だったのだろうということはわかる。

大手門とは表の玄関

今川、武田、松平(徳川)が凌ぎを削った陣取り合戦の中心地になる。今の静岡と浜松の間で東西対決、甲府方面から南下勢力という場所だ。
立派な大手門があるが、実はここから本丸まではなぜか民家が連なっている。昔の縄張りは無視されたのだが、おそらく明治期に政府に虐められたのだろう。あちこちに残る復元されたお城でも大手門は立派なものが多い。お城の玄関口であり正面でもあり、それなりに風格が必要というものだ。

門の上の窓からは狙撃手が狙っていた?

大手門から200−300mほど歩くと、お城、天守閣の下にたどり着く。石垣がしっかりしている。

石積が設計の精緻さを表す

そこから階段を上がって丘の頂に天守閣、実に戦国的築城だ。当時の天守閣からの光景はさぞかし見晴らしよく、お殿様の気分を高めたのではないか。

天守閣は居城ではない?

天守閣自体は小ぶりなもので、居城として使われたというよりも戦時の篭城拠点ということだろう。この辺りは浜松城も同じだ。ただ、駿河国を東西に行き来しようとすると、この掛川周辺が要地であり、いくつかの川とともに防衛、侵攻ともに戦略拠点であったと思う。

やはり防衛拠点だろう

切り立った崖が印象的な掛川城だが、この崖下にお殿様の居住と執務の場があったようだ。

こちらからは攻めるのも無理

そのお屋敷に展示されている鉄砲と槍なのだが、当時の男性平均身長は150cmくらいだったはずで、身長の三倍近くある槍を持って行軍するだけで大変だったのだなと思い知る。これがただの木の棒だとしても相当に重いはずだ。鉄砲は10kg近いようだし。これで1日平均40kmちかく徒歩移動したのだと・・・。

槍の長さは5mを超える

鉄砲もこうして近くで見ると、ほぼ銃身でできている、それにわずかに持ち手というか握り手がついているだけという簡易な構造。当時の日本は世界最大の鉄砲保有国だったそうだから、戦国時代の軍備費はさぞがし莫大だったのだろうなどと想像してみた。

鉄砲も持ち手がない重量物。狙いをつけ保持するだけで一大事だ

この鉄砲、現在の量産技術があったとしても一丁5万円くらいはするだろうし、当時だったら、その十倍くらいはしたのではないか。
鉄砲部隊100人として、正面装備の鉄砲で5000万円、その他付帯設備として弾や火薬を揃えると(多分おまけに整備用の職工も付随したはずで)、一編成で人件費除いて1億円くらいか。

いやはや戦国武将は予算のやりくり大変だったろうなあ。