駅弁

かしわめし 

日本のあちこちに駅弁の名作は存在するが、九州といえばまず筆頭に上がるのがこのかしわ飯だろう。旅番組での登場も多いし、ホームでの立ち売りが有名だ。かしわ飯は九州では一般的な炊き込みご飯のようで、駅に限らず弁当屋などでも当たり前のように買える。この駅弁の特殊さは「かしわ飯」にあるのではなく、飯の上に敷き詰められた鶏そぼろでは無いかと思う。おかずはほとんどない。米のうまさだけで食うシンプル弁当だ。だが、それがうまいと思う。錦糸卵はおまけで、そのおまけのおまけが刻み海苔ということだろうか。

東筑軒の弁当は北部九州のあちこちで手に入るらしい。博多駅では山積みだった。

博多駅始発の新幹線に乗る時にはこのかしわ飯が絶対的なお供だと思うが、実はお隣の北九州駅でもかしわ飯は大量販売されていた。見た目は随分と似ている。小倉版は漬物がちょっと多いようだ。これはちょっと食べ比べしてみないといけないか?

などと考えてしまうのは「乗り鉄」の習性かもしれない。

駅弁

週一で食べたい大好物の駅弁

山陰本線に乗って旅をする時の1番の楽しみはこれだ、と確信している。鳥取駅で売っている駅弁の中で有名なのはカニ寿司だが、実はこちらの方がお気に入りだ。駅弁大会などでは決して出現しない現地調達限定品だが、これに匹敵する素晴らしい酒の肴駅弁は、青森県にしかない。「津軽めんこい懐石弁当 ひとくちだらけ」だ。ただ、個人的な思考で言えば、このとっとりの居酒屋が最上級だと思う。
今回も事前に電話予約して確保してもらった。おそらく、当日にふらりと言っても売っていないのではないかと思う。
お値段はそれなりにする。普通のコンビニ弁当と比べると3倍近い。百貨店の地下で売っている高級弁当と変わりないと言えば良いだろうか。ただ、予約しても買う価値がある。(くどいなあ)

これを買って、夕方発の特急に乗り込み、2時間ほどの鉄道旅を楽しむ。合わせて飲む酒は冷たい日本酒が良い。飛行機では味わえない楽しみだ。離着陸の合間で食事をするのは極めて忙しない。機内で酒を楽しむなどほぼ虚しい努力だし……………

新橋にある鳥取県アンテナんショップでこれを販売してくれないものだろうか。鳥取から朝一の特急、新幹線と乗り継いで運ぶと5時間くらいかかるが、昼過ぎには新橋に到着するし、事前予約限定にしてもら絵ば良い。
鳥取県知事、鳥取市長、ぜひご検討ください。お江戸の人にはカニずしを望むものも多いと思いますから,合わせては配送計画をご検討いただければと。せめて、月水金の週三便体制でお願いします。合わせてJR西日本、東海の経営社の方々、新幹線利用の超高速配送ご検討ください。新幹線(こだまクラス)の一両を輸送専用に改造し、荷物の出し入れが簡単なガルウイング式に仕立てれば水産関係者も含め需要は膨大なものになると思いますが。鳥取島根の朝セリにかかった蟹が昼には銀座で食べられる、すごい需要想像だと思いませんかねえ。

駅弁

駅弁の古典的名作

見た目は「桃」だよね

岡山といえば桃太郎と思うか、桃と思うか。それは人それぞれだろうが、個人的には岡山と桃太郎の関係性は大人になるまで(大人になっても)ピンとこなかった。桃太郎伝説に関しては、鬼ヶ島とはどこにあるのだろうとか、鬼とはどんな生物だったのだろうとか、子供の頃には考えもしなかったことが大人になってからあれこれ気になる。昔話を大人になって読み返したりすると、さまざまな「不思議」と「不自然さ」に悩まされることが多い。
金太郎は熊と友達になったはずだが、熊が人語を理解すると思えず金太郎学孫を理解できたのだろうか。それともテレパシーで意思疎通ができたのかとか……………
浦島太郎が竜宮城で過ごした「加速された時間」は相対性原理で説明がつく物理現象であるかとか……………

おまけに、これも大人になって気がついたのだが、どんぶりこと流れてきた桃をおばあさんが切る時に、桃太郎はなぜ桃と一緒に切られず、血まみれもならず無事に誕生?できたのだろう。桃太郎はオカルト的に不死身な肉体を持っていたとか、体表を魔法や超科学技術で保護していたのだろうか。あれこれ想像してみるが、やはり理解できない。岡山の人たちは、そういうあれこれが気にならないのだろうかと心配になった。

閑話休題。さて、その岡山に伝わる桃太郎伝説をモチーフにした有名駅弁がある。岡山名物のバラ寿司を駅弁に仕立てたものだ。容器が桃の形をしているが、これにはなんら必然性があるとは思えない。遊びと片付けてしまうにはお申し訳ないが、桃の形に実用性は全く感じられない。ただ、駅弁とは旅情を楽しませる一大要素でもあり、うまさを味わうとともに「旅をしている」という非日常感をもたらすことも重要だ。
となると、自分の家では絶対使わないであろう桃型容器(洗うのも面倒くさい形状)で提供されることの意味はエンタテイメント性しかない。「お楽しみ感」「ワクワク感」が狙いのはずだ。それは理解できる。良いお仕事をしていると思う。ただ、実際に列車の中で食べようとすると、この形は予想以上に持ちにくい。

ママカリの酢漬けがポイント

しかし、蓋を開けた瞬間、うわーといってしまう。彩り豊かで見た目が豪華だ。おかずと白飯が別々に詰められている幕の内弁当系と比べると、やはりこちらの方こそ見た目の豪華さがある。華やかだ。
ご飯の上に具材が乗っている丼系?の駅弁は数々あるが、この弁当はやはり華やかさで群を抜いている。丼系名作を三つほどあげると。山形の牛肉ど真ん中か、鳥取の蟹飯、秋田のとり飯になるが、そのどれも蓋を開けた時には全面同じ色という点で華やかさに欠ける。(味は抜群にうまいのだが)
その点、この桃太郎寿司は、見た目ゴージャス、味もゴージャス。形までゴージャスだから、日本駅弁界の至宝と言える。これに匹敵する名品は横川の釜飯くらいだろうか。

駅弁はコンビニ弁当などと比べるとコスパが悪いと言われる。鉄道オタク(乗り鉄)も鉄道運賃を捻出するため高価な駅弁は食わない派が多いそうだ。個人的には乗り鉄旅をするのであれば、新幹線に乗るのをやめて、その分を駅弁に注ぎ込んでも良いかなと思うのだが。ただ、残念なことに名物駅弁はすでに新幹線駅でしか買えないほどの絶滅危惧種なので、乗り継ぎのバランスを考えてお楽しみください。

駅弁

かしわの街へ

今回は旅の途中でできるだけ駅の立ち食いそばを食べてみようと思っていた。ところが、今や立ち食いそば、駅そばは滅びゆく業種のようで、そこそこ大きな駅のどこに行っても見当たらない。
ようやく下関駅で見つけたが途方もない混雑ぶりで入るの諦めた。あの混み具合は最盛期の渋谷駅そばに匹敵する。下関市民はそれほど立ち食いそばが好きなのだろうか。
そこで、海峡を渡り巨大駅小倉に辿り着くと、なんとホームの間の通路に「駅うどん」を発見した。やはりうどん文化圏の北部九州らしく、蕎麦はおまけだった。ただ、あいにくと北部九州のコシのないうどんが苦手なので、あえてうどん屋でそばを注文した。
普通にうまい。出汁がカツオではなくアゴ出汁のようだ。食文化の東西さを味わう。ちなみに蕎麦はツルツルと啜るのではなくワシワシと食べていった。
いつもであれば天ぷらそばやきつねそばを注文するところだが、やはり九州に来たのだから、それなりのものにしなければ遠征した甲斐がない。
九州には燦然と輝く「かしわ」トッピングが存在する。九州各地にあるかしわ飯も美味いが、この甘辛く煮た鶏肉トッピングが実にうまい。お江戸でも是非取り入れて欲しいものだ。

全面的うどん推しの店でそばを頼むのはいささか気が引けたが、周りを見ていると次々とくる客の三人に一人くらいはそばだったので、あまり申し訳ないと思わなくてよさそうだった。

かしわそばを食べてとても満足した後、改札口を出る手前でトラップに引っかかってしまった。あー、これこれ、有名なかしわ飯駅弁ではないか。これを素通りするのは難しい。が、今買ってしまうと荷物になる。在庫がたっぷりあるようであれば、帰りに買いたいところだ。
時間は午後に入っていたが、昼飯のピークは過ぎている。それでも棚には山積みだった。これだけあれば、帰りでも大丈夫だろう。鹿児島本線には、これまた有名なかしわ飯駅弁もあるが、今回はこちら、小倉駅バージョンにしておこう。

ホテルに戻り本日の晩飯になったのがこの駅弁だった。問答無用でうまい。好みだ。日本駅弁における我が個人ランキングで、不動の123は横浜崎陽軒シウマイ弁当、長野県横川の釜飯、山形県の牛飯ど真ん中、これが3トップだが、それに勝るとも劣ることはない。
九州は「鳥料理の王国」だ。だが、その中でも鳥の出汁で炊いた米の旨さは、別格というべきだろう。駅弁界には全国各地に美味い鳥弁がある。こと鳥弁に限定すれば、秋田県大館の鳥弁が筆頭格だと思っていたが、今後は西の横綱、東の横綱と東西の巨頭を呼び替えるようにしなければいかない。もちろん西の横綱は「かしわ飯」だ。

かしわはうまいぞ、の北九州だった。

駅弁

年忘れは駅弁で 釜飯

今年の締めは好物の駅弁の話にしよう。初めてこの釜飯を食べたのは、長野に新幹線が通る前に特急で長野に出張した時のことだったような記憶がある。ホームに降りてこの釜飯を買ったはずだが、あまり定かではない。
その後、ひょんなことからこの会社の創業者一族の方とお話しする機会もあり、色々とビジネスの話も伺ったのだが、これもまた記憶が定かではない。
以来機会があればこの釜飯を賞味しているのだが、何度食べても飽きることがない。駅弁としては究極のバランスが取れている商品なのだろう。

コロナの時期に、釜飯の釜の供給が止まったため、パルプ製の容器に変わっていた時期もあったようだが、今ではまた陶器のものに戻っている。使い捨て容器でも販売されているので、買う方の好みでどちらかが選べる。
自分は野外で遊ぶときに、この土釜で飯を炊くのが好きなので陶器製のものだけ注文している。何度か使うと壊れてしまうという話もあるが、そうそう壊れるものでもないようだ。某調味料メーカーの釜飯の素を使い焚き火の上に釜を並べて炊き上げる自家製釜飯は、家族に人気の料理だった。

一度テレビ番組で釜飯工場の内部が放映されたのを見たが、この土釜で炊き上げているのではないようだった。大きなチューブでニュイーっと炊き上げられた味付き飯が釜の中に押し出されていき、その上にトッピングが順番に乗せられていく。その光景を見て、ヘーっと思ったがよく考えると一つずつ炊き上げていたら、いったいどれだけ長いラインが必要になることか………
でありながら、やはり釜の蓋から吹きこぼれる・・・みたいな絵柄を想像していたので、ちょっと残念な気持ちになった。
Do it myself の精神で、土釜で炊き上げる飯については自作することにしている。焚き火で炊き上げると、土釜の縁から吹きこぼれた出し汁が黒く焦げ付く。それが、まさに炊き上げた感を漂わせるのだ。
ただ、食べたあと焦げついた焼き跡を洗うのは相当に手間がかかるのだが。美味いものを食べる代償は労力で支払わなければならないということだ。
実は、この釜飯についてくる小さな漬物セットが大好物で、自作の釜飯の時にはその漬物セットがないのが実に残念の極みだ。わさび漬けに小梅と野沢菜という組み合わせは至高のサイドアイテムであり、駅弁業界の至宝だろう。
新年になれば新宿の百貨店で恒例の駅弁大会が開かれる。そこでまた釜飯を買い込むことになりそうだ。

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鯛めしの駅弁

鯛めしといえば宇和島鯛めしを思い出す。が、瀬戸内海はあちこちで美味しい鯛が獲れるから「たいめし」の名所は多いようだ。瀬戸内の海はひと続きで一緒だから、四国側と中国側で海を挟んで鯛めし推しになることもあるだろう。
そんなことを思いながら、四国サイドの鯛めしを手に入れた。紐で結んだ駅弁は、何やら懐かしい雰囲気がある。今風のボックス・スリーブタイプの駅弁より見た目が好ましい。ノスタルジーを感じてしまう。ちょっと読みずらいが「来島名産」と書いてある。

蓋を開ければ、炊き込みご飯に鯛が混ぜ込んであった。完全調理済みの鯛が入っている。鯛そぼろよりも大ぶりだが、飯と一緒に食べると口の中でほんのりと鯛の味がする。おかずは、まさに添え物的だが、これが良いのだ。主役は鯛めしであり、その箸休め、味のバランス調整として卵焼きやかまぼこが入っている。この組み合わせも実に昔の駅弁風で心が和む。
まさに古典的な名作駅弁だろう。ホクホクしながら完食した。コンビニ弁当ではこれほどの完成度が高い弁当は作れないものなのかと、これまた不思議に思う。最近のコンビニ弁当の値段を考えれば、あと一息高くても納得のうまさみたいな攻め筋はあると思うのだがなあ。

鯛めしの製造元がうどん屋もやっていた。この店では炊き立ての鯛めしが食べられるらしいのだが、今回は時間もなく断念した。もし、また来る機会があれば寄ってみたいと思うが、多分、もうチャンスはなさそうだなあ。残念。

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駅弁 たこめし

瀬戸内海に面する街は蛸の名所が多いようだ。タコ飯といえば明石で買った蛸壺入りの弁当を思い出すが、それ以外にもあちこちで各種さまざまなたこめし弁当がある。そのうちの一つを旅の帰りに調達した。紐で縛ってあるのがなんとも嬉しい、今ではすっかりみかけなくなった包装形態だが、いかにも弁当という感じがする。

しみじみと蓋を眺めていると、あれこれ気がつくことがある。瀬戸内名物たこめしなのだ。そして元祖を名乗っている。元祖珍辨 とあるからうまいに違いない。「辨」が読めないので調べてみたら「べん」という読み方だった。辨天(べんてん)などという使い方もあるので「弁」と同じなのだろう。珍弁と読み替えれば、珍しい弁当の意味になるようだ。 おまけに明治創業とあるから100年越えの老舗になる。期待は高いぞ。

蓋を開ければそこにはタコがいた。大好物のタコだけにテンションが上がる。甘辛く煮あげた蛸は期待吐通りのうまさだった。感動だ。
その上にエビが乗っているが、これはご愛嬌というか、すでにタコを拝んだ後ではおまけみたいなモノだ。なんと言ってもメインはタコ。
卵焼きと椎茸の煮物は華やか系駅弁では名脇役だ。崎陽軒のシウマイ弁当で言えば、たけのこに当たる名バイプレイヤーにあたる。崎陽軒のたけのこは、それだけ買いたいという人もいるくらいの人気者だが、このたこめしの椎茸も負けてはいない。
名脇役は、全面的に肉、全面的にあなごみたいなストロングスタイルの強面駅弁では登場しない。類似形態で言えば、横川の釜飯に乗っている椎茸がこれに近い。(あれも超絶にうまい)
たこめしにおいて、このしいたけの存在は、味に「やわらかさ」や「細かさ」を感じさせる。タケノコも良い味を出していた。蛸だし?で炊き上げたらしい飯をふくめ、全体には薄味の弁当だった。
どうも広島といえば牡蠣飯、あなご飯のような味付けの濃い弁当が記憶にあるせいで、勝手にたこめしも濃い味だと思い込んでいた。実際に食べてみると、蛸壺弁当より上品な味付けと認定するべきだろう。あの蛸壺の底から飯をかき込むのもなかなか趣があるが(スプーンが欲しくなる)、こちらのたこめしは列車旅の途中で、車窓の景色を眺めながら食べるのが似合っていると思った。まさに、駅弁らしい駅弁だ。


次はどこでタコ飯を試してみることができるだろう、ちゃんとしらべておかなければ。

駅弁

東海道 各駅停車の旅で駅弁

どうも自分の日常行動範囲内にある場所で駅弁を買う気にならない。いつでも買えると思うこともあるが、駅弁はその味、うまさだけではなく旅の雰囲気(例えば車内で食べるとかお土産にして自宅で楽しむとか)を纏っているからこそのうまさだろう。
弁当単体として考えると、デパ地下で買う高級弁当よりも高いのだから、やはりそこに何某かの旅情的なものを求めてしまう。
だから、横浜のシウマイ弁当など頻繁に買い続ける駅弁は極めて例外で、それは駅弁というより弁当としての完成度、コスパを高く評価しているからだ。東京駅の駅弁を楽しむのは、やはり東京に新幹線でやってきた人たちの特権だと思う。首都圏に住む人間が東京駅で駅弁を買って旅に出るというのは、それとはちょっと違う駅弁の使い方ではないか。(個人的偏見です)
そういう観点で言うと、湘南の有名駅弁は確かにハンディキャンプがある。いつでも買えると思っている点と、知人友人が通勤で使っている路線で販売されている駅弁なのだと想像すると、いかにも日常性が強すぎる点が、駅弁としての評価を辛口にしてしまう。特に、湘南の駅弁は品川駅で買えたりするのだから、旅情というポイントはかけらもない。
それでも、たまにとてつもなく食べたくなるのは、やはり食べ物として高い完成度にあるからだろう。スーパーの惣菜売り場や、テイクアウトの寿司屋で売っている押し寿司とは一線を隠していると思うからだ。

酢で締めた魚の押し寿司を食事として淡々と食べると、すぐに食べ飽きてくるものだ。(これも個人的偏見です) 大阪でよく見かける押し寿司は、その点を克服するべく、具材を色々と変えた組み合わせで販売している。さすが、食文化のレベルが高い「なにわ商人」の感覚だと褒め称えたい。
それと、この大船の有名駅弁を比べるのも失礼な話だと思う。この押し寿司を弁当として考えるとコメの量が多すぎる。具材もアジと小鯛だけだ。ただ、酒の肴として考えると、これはなかなかレベルの高いつまみだ。そして、アジも大小サイズを使い分けているので、同じアジでも食べ比べができる優れものだ。
そのため、この押し寿司を車中で食べることはほとんどない。いつでも持ち帰って、家飲みをする時のつまみになる。普段の駅弁とは使い勝手が違うが、デパ地下でブース販売しているのを見つけると、ついつい買ってしまうのだから、駅弁の進化系というべきだろう。旅的要素を削ぎ落としてもうまいと感じるのは、シウマイ弁当と同じだ。そう考えると、東海道沿線の駅弁は、かなりレベルが高い。ただし、コスパは悪い。そこには目を瞑ることにしている。

しかし、よく考えると相模湾で取れるアジと駿河湾で取れるアジは、同じ味がする物だろうか。そんなことを考えついてしまい、次は駿河湾、つまり静岡県東部でアジを使った駅弁探索をしてみようかと思っている。

駅弁

宇都宮の駅弁

郡山のお祭りキャラらしい

各駅停車の旅を何度か繰り返しているが、今回は日程を間違ったようだ。お盆が終わった後だから旅行をする人間は減っているだろうと思っていたのだが、予想を遥かに超えた大混雑で、各駅停車の旅なのに満席、立ったままの乗客も多い。
どうやら、高齢者のジジババが一斉に移動を開始したようだ。大きな荷物を持った高齢者がやたら目立つ。中には杖をついているのに大きなリュックを背負っている強者もいる。それ以上に混雑の原因だったのが、高校生のスポーツ系合宿と思しき団体だった。ユニフォームを着ての移動は、学校名から名前まで一目でわかるので、この個人情報のやかましい時代に大丈夫かと思うが、男子ばかりだからお目溢しなのだろうか。
今回の移動中、どこにでもわんさか大量発生していたスポーツ男子団体だったが、お盆が過ぎた後で宿泊費が低下したタイミングをねらい、一斉に活動しているようだ。
今までの各停旅経験で言えば、ガラ空きなはずの客席がほぼ満席で、のんびり駅弁で昼飯を楽しもうと思っていたが、車内で弁当を食べられる雰囲気ではない。結局、宇都宮で買った駅弁を郡山まで持ち歩き、駅で食べるハメになった。

全国あちこちに「鳥飯」の駅弁は多い。個人的には秋田県大館の「とりめし」が最高位にあると思っているが、九州折尾名物「かしわめし」も評価が高いようだ。お江戸でもあたりまえのように「とりめし」駅弁は売っている。チキンライス弁当もとり飯の変形版としては捨てがたい。
ただ、宇都宮のとり弁当はずっと気になっていた。宇都宮が駅弁の発祥地であるという歴史的業績に対する期待もある。それ以上に、この宇都宮の駅弁屋さん諸品が実に名品揃いだからだ。

煮卵が圧巻のボリュームだった

蓋を開けてみると、構成は実にシンプルで、他のとりめし弁当と比較しても、オーソドックスと言える。焼いた鶏肉と鶏そぼろ、オボロ卵、この辺りまではだいたいとりめし定番の組み合わせだろう。見て驚いたのは煮卵が入っていることだ。煮卵を取り上げてみると、なんと丸々一個だった。大抵は半分にカットしたものが入っているのだが、この弁当では煮卵が完全体だ。おまけにオボロ卵が入っているのだから、随分と豪勢な卵推しだ。
とり肉ととりそぼろ、どちらも甘さは控えめで、個人的な好みにぴったり合う。鳥の焼いたものが入っている弁当では、焼いた鳥につけるタレが甘すぎるものが多いので、これくらいの控えめさがありがたい。鶏肉の旨みもよく感じられる。
唯一の難点といえば、ご飯の量がちょっと多いかなという程度で、腹ペコの人にとってはちょうど良い量なのかもしれない。完食した上で、個人的なとりめしランキング上位に決定。
これはまた食べてみたい駅弁だった。できれば「すいている各駅停車」の中で、車窓の風景を見ながらのんびり食べたいものだなあ。

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新潟駅の駅弁

新潟駅で駅弁を買い込み昼飯にしようと思ったのだが、なんと8時半を過ぎでも駅弁がお店に来ない。配送時間の遅れなのかもしれないが、前日は同じ次巻に揃っていたはずだと、ちょっと慌ててしまった。それでも8時40分にはようやく到着して、棚に並べる脇から一つ取り出して購入した。
今回は、開戦系にしようと思っていたので、あまり迷うことなく決定した。新潟の駅弁といえば、海老千両という名作があるが、今回はマス、酒、カニで「まさか」と名付けられているいくらの乗ったご飯だ。寿司と書いてあるから酢飯だろうと期待していたが、確かに良い塩梅の酢飯だった。

見た目は綺麗なカラーバリエーションで、味付けは駅弁としては薄めだった。酢飯と鮭がよくあっている。思っていたよりご飯が少なめなので、具とのバランスも良い。押し寿司にありがちな、コメがぎゅうぎゅうもりで、お印程度の薄い魚の切り身が乗っている、コメと魚バランスが悪いものとは違う。
ハジから順番に食べて行ったが、カニを最初に食べて、ますの切り身、鮭のほぐし身、いくらと味の薄い順から食べていくのがよさそうだ。
旅の終わりにしみじみしながら食べるのに向いている、お上品な駅弁だった。各駅停車の旅を駅弁で初めて駅弁で終わるというのは、なかなかよろしいものだ。