書評・映像評

「空の中」 有川浩

元祖ラブコメSFと言うべきか


空の中 by Amason

有川浩の作品は、かなり映画化されている。ヒット作と言えば「図書館戦争」なのだろうし、ほのぼの系といえば「(高知県)県庁おもてなし課」だろう。
有川浩初期の三部作、空の中、海の底、塩の街を抛おりっぱなしにしたまま何年も経ってしまい、ようやく本棚の奥から引っ張り出して読み始めた。

あとがきにも書いていいるがもともとライトノベル出身者だった。ライトノベルが流行り始めたころ、塩の街だけ読んでそれっきり。中身も思い出せないのが、いささか恥ずかしいのだが、確かにラブコメSFと言うジャンルの確立者であると思う。どの話の骨格も、骨太な本格SFであり、なんちゃって話では無い。
この本も、カンブリア時代前の古代生物が人類の前に現れると言う意味では、そしてそれが人類の脅威となると言う意味では、ゴジラと同じ異生物侵略モノであり、売るおtラマンの系譜を引く怪獣ものでもあるだろう。

主人公は二組の男女であり、高校生カップルとヤングアダルト、二十代のカップルだ。どちらのカップルも女性主導で、男はいささか軟弱という格好は、図書館戦争まで続く、著者のスタイルとも言える。この二組のラブコメが縦軸とすれば、横軸は人類の知能レベルを遥かに超えた巨大生物とのコンタクトストーリであり、人語は解するがロジックが人類とは異なる知性との交渉劇だ。そして、巨大でより知性的な生命体に対し、恐怖のあまりいきなり攻撃するという「破壊衝動の歯止めが効かない狂った猿」としての人類が描かれる。おまけにその狂った猿族の中でも、どうしようもない無定見な一族としての日本国、そしてその無定見な政府の政策で大量の被害者が出るパニック状況を淡々と書き出す。これが著者の二作目だということに改めて驚かされる。

エディアカラ生命群の生き残りとして高空での生存に対応した「白鯨」と、ようやくその高空に手をのばした後継生命体としての人類の接触というかなり重たいテーマを、ラブコメ交じりに書き出すのが、力技だったが、物語は破綻なく解決する。二種の知的生命体のその後について読みたい気もするが、そして日本国を脅迫した「某国」のその後についてはもっと興味が尽きないが、二つのカップルの決着こそ物語りの大団円ということだろう。

巻末に載せられた掌編がすべての話のすわりをよくしてくれる。高校生カップルの後見とも言える「宮じい」こそが、この物語りの本当の主人公だったような気さえする。
個人的な感想として、自分の高知の友人の話ぶりを思いながら読んだ、「土佐弁」の会話が実に楽しかった。会話がそのまま高知の友人の声・話ぶりに変換されているのは、またとない快感だった。特に宮じいは、アキさん(元カツオ漁師の友人)か喋っているようだったし、佳江のセリフはみささん(商工会の友人)だった。

高知県に友人がいる人にはとてもおすすめ

書評・映像評

ハンガーゲーム

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日本映画の限界点?

古い映画で公開時には見逃していた。気になってはいたが、ずっと見ていないまま、七年も経ってしまった。
面白い、と言って良い作品だし、映画館で見れば迫力も違ったのだろうといささか後悔した。この手の話は、日本ではつくられないなと思う。主人公が女性で、圧政国家のもとで虐げられる下層階級、弱者の反撃の物語。
この設定が、日本映画ではない、ほぼ完璧に存在しない。日本映画界の面白いことの一つだと思う。せいぜいヤクザ同士の抗争が思考の限界で、その上の規模になるとテロ対策や怪獣出現くらいしか思いつかない。そして対応は政府任せ。政府は正義の味方だという設定だ。たまには悪辣な政治家も出てくるが、それも正義の味方の若手政治家や若手警察官僚に仕留められる。悪逆非道な政府とそれに対抗する市民という絵柄が、映画会社の中ではタブーなのではないか。「バトルロワイヤル」では悪逆な政府が描かれたが、政府を倒すではなく生き残りゲームの話で終わっている。

やはり暴力革命で作り上げた政府は、いつか悪逆化してまた倒すべき存在になるという考えは、合衆国市民のDNAみたいなものなのかもしれない。基本的に政府を信じない。大きな政府は必ず腐敗する。こういう考えかたが根底にあるから、憲法で守られた権利として銃の所持を認める国なのだろう。銃は身を守る、それも政府から守るための武器という建国以来の伝統なのではないか。

女性で女性で強いは現代アメリカ

かたや150年前に内乱で暴力革命を経験したはずの日本に残ったDNAといえば、お上には従うものという「主と従の関係」的なものなので、お上が下を裏切るということを信じ難い体質になったと言えるのではないか。
そして、暴力革命の血は先の大戦の敗戦ですっかり打ち消されてしまったのだろう。だから、日本では悪い政府に対する反抗というテーマの映画が作られないのだ。
そして、まだまだジェンダー的な差別感も強い。当然、革命の騎士がジャンヌ・ダルクであるような話は映画でも出てこない。女性蔑視の風潮はまだ強いままか。
最近での例外はNHK大河ドラマで描かれた会津藩の女戦士が描かれた『八重の桜」くらいだろう。
倒されても仕方のない、ダメ政府の典型として日本国政府が描かれた作品などあるのだろうか。(まあ、今の政府の実態が喜劇的でバカの集団で、実態の方が映画にするよりおもしろいと言われればそれまでだが)
唯一、アニメとゲームの世界でだけは、この「日本的」な制約が取り払われ、強い女性主人公が革命の闘士であり、日本国政府は悪逆非道で、政治家はクズの塊として描かれる。強い女性は「キューティーハニー」以来のアニメ界の伝統で、ダメ男については「ドラえもん」が教科書みたいなものだ。(ドラえもんに登場する男は、最低限に良い方に見積もってクズ、普通に言ってもダメが三乗くらいのクズだ。

強くて戦うヒロインは、アメリカ映画では多い。「エイリアンシリーズ」や「トゥームレイダー」など数多い。「インディージョーンズ」や「ハンナプトラ」と対抗できる。最近では「ゴーストバスターズ 3」で女性トリオが主人公だった。

ハンガーゲームの主人公は強い女性ではあるが、国家転覆を目指しているわけではない。悪逆な政府に疑問を抱くが、生残りこそが最大の課題であり、他の連中の幸せは、知ったことかという立ち位置でもある。なんとアメリカ人の心の奥底にある「正義」や「政府不信」や「生き残りこそ強者の条件」という、伝統意識がするっと表に出ている。これがキャプテン・アメリカやスーパーマンではない、普通の女性に託された物語であるというのが、この作品の肝なのだろう。
アメリカでは大ヒットしながら、日本ではほぼ不発だったらしいが、このあたりの国民心情の底にあるものの違いが、好き嫌いに現れたのではないか。続編ではいよいよ反政府運動に入っていくらしいので、アメリカ人は大好物な話になるのだろうなあ。悪逆な政府と戦う、戦いに巻き込まれていく若き女性。そして、日本では全く受けない構図かもしれない。

書評・映像評

ナイト&マジック アニメ版

突然ですが、アニメを含めた映像関連の感想文を書き始めることにした。

誰でも見ているような新作ではなく、ちょっと古くても癖のある作品をぼちぼちと取り上げてみたい。画像はアマゾンの注文画面からリンクを貼っているので、興味がある方はそちらを参照いただきたい。なお、アフィリエイトではないので、購入をおすすめしているわけではない。

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 異世界転生して巨大ロボット(モビルスーツ)を作る話。物理法則ではなく魔法の支配する世界での超科学的展開で王国と騎士と魔獣がいる。かいつまんで言えばこういう話で、遡ればこれの原型は「聖戦士ダンバイン」だろう。
 ノベライズされた「リーンの騎士」では、話が余計ややこしくなり収斂しないという富野的破綻ぶりだった。現世から転生された様々な国の人間が、何らかの力を持ったまま戦争に突入するという、ファンタジー版機動戦士ガンダムだった。出来としては「不作」であったと記憶している。
 富野作品はダイターン3以降ダメになるばかりだったというのが自分なりの評価だ。機動戦士ガンダムで良かったのは、ミノフスキー粒子という仮想物理によるリアルっぽいロボット世界の実装と、シャーという主人公より目立つ副主人公を造形したことだけ。

 転生もので、おまけにロボットの作動原理が魔法なので、当然リアル感はない。スーパーロボット系の展開であり、主人公は気の毒なくらい頭が良いのに人間関係に対する機微はない。そのくせ、国家的な陰謀とか政治的諍いについては妙に推理力が働く。そのため、主人公の周りの登場人物は、ある意味巻き込まれ型で、なし崩しに大型ロボットの開発と運用に携わることになる。
 あまり人が死ぬこともなく明るい調子で話は進むが、後半で登場する悪者の敵キャラは、少年ジャンプ的な改心をすることで味方になることもなく、サクサクと死んでいくところは現代的なアレンジということか。「悪は悪で滅びるが良い」ということなのだろう。
 ストーリー展開上は悪者=改心=いいものとなると新キャラを作らなくて良いので、製作者的には楽なのかもしれないが、悪者が憎々しいキャラであればあるほど、主人公たちへの感情移入が増す。そして、悪者はさっさと滅ぼされてしまい消え去ってしまえと思う、「見るもの」の期待を裏切るのが、悪党改心パターンなのだ。
 そろそろこの少年ジャンプ的な世界観、「結局のところ本当に悪い奴はいないのだから、拳を通して理解できるはず by ルフィ」的なストーリー展開が、古くなってきているということだと思う。悪役ギャラは使い捨ての時代になったということになるか。

 このラノベの世界というものは、活字(原作本)、絵(コミカライズされた別の解釈)、動画(アニメーション化され音や動き情報が付加されたもの)となるとそれぞれが微妙に異なる独立したコンテンツになるわけで、一番表現の自由度が高いのが活字、逆に強い制約を受けるのが動画となる。そのどれを良しとするかは「見るもの」の好みでしかないが、ことロボット物に関してだけは、動画が良い。ロボット物には、主人公の心理描写や敵役の事情説明などはいらないのだ。
 ただただ、人の見ることのできない角度からのロボットの戦闘・格闘が見たいだけなので、宇宙戦艦の艦隊機動戦など登場する必要もない。艦隊機動戦をやりたがる人はガンダムやヤマトの悪影響を受けている。
 その論点(宇宙の格闘戦)からいうと、画期的でメルクマールだったのが、ガンダム1stと、超時空要塞マクロスであり、リアル系(一見物理法則どうりに見える)ロボットアニメだ。物理法則など無視したファンタジーな動きをするのが巨大ロボットが足や背中に背負った噴射装置で空を飛ぶスーパー系で、しばしば合体もする。リアル系もスーパー系も、まあ、好みの問題だ。そして、次第に主人公が人間関係に悩み、社会の矛盾に苦悩し、復讐することの無情さに気付かされるようになると、まあ実につまらない猿芝居になっていく。(どれがそうだとは言わないが、後期富野作品はみんなその傾向にある)

 この話は、ただただ明るい主人公(ロボット作りたいというたった一つの動機)が、悪い奴をやっつけながら、周りの人間を巻き込むという、屈折要素と裏表がない話なので、それはそれは爽快感がある。話のテンポも早いので、ロボット好きな人にはオススメの小品だろう。

今後は、不定期に書評なども合わせてアップ予定