食べ物レポート, 旅をする

探索 島根の酒とは

居酒屋探訪をする旅番組をよく見る。一人飲みが気に入るようになったきっかけだが、最近ではどうも番組内容がワンパターンなので食傷気味にもなってきた。あれは、コロナの外出強制自粛時期だから楽しかったのだろうか。自分が旅をできなかったための代償機制だったようだ。今では実際にあちこち行けるようになったから、テレビ画面で見ているだけより、カウンターに座って飲み食いする方が良いのは当たり前………ということになる。
そのソロ酒の店を選ぶ嗅覚というか眼力というか、これは場数を踏まなければ身につかない。初見の店で、店構えだけで雰囲気の良し悪しを判断するのだから当然だが、入ってから「良い店を選んだ」と自分を褒められることは稀だ。勝率は5割に届かない。2回に一度はハズレを引くというのが実感で、良い店に当たるのは5回に1回くらい。あとは、「普通の居酒屋」で、可もなく不可もなしという結果になっている。
それでも、この店は良さそうだなと思うことが多い。店頭の行燈を見てなんとなく期待感が湧いてきた。

入り口は実に賑やかだが、人気店らしく入り口を潜ったときにはカウンター席が二席だけ空いている繁盛ぶりだった。店頭に立つ女優さんが宣伝しているので、てっきりこの方は島根県出身だと思ったのだが、調べてみるとどうも島根には全く関係ないようで、おまけによくよく見ると推しているのは宮崎県の焼酎だった。店主がこの女優さんのファンなのか、それとも焼酎の営業担当者がとてつもない圧をかけて押しつけだのかもしれない。今回は島根の地酒を飲む気なので、焼酎は関係ないのだが。でも、ちょっと気になる。

イカはいつ食べてもうまい

日本海沿岸ではイカがおすすめメニューになっていることが多い。そういえば函館のイカもこの季節だったような記憶がある。イカはいつ食べても美味いので大歓迎だ。ただ、すでにイカは高級魚扱いなので値段を見るとびっくりする。そこが悲しい。

変わったご当地メニューでもないかと探してみたら、穴子の串揚げというのがあったので注文したら、出てきたのが実に名前の通りの代物だった。味も、全く完全に「アナゴ」味だった。意外だったのは、穴子が天ぷらよりもフライに向いている魚だということだ。ひょっとするとうなぎもフライにすると絶妙かもしれない。しかし、この二串だけというのはちょっと寂しい。串揚げはやはり5本くらい出してほしいものだなあ。

フライト的ねーずは禁断の相性だったはずだが

店長の推しメニューの中で全く島根との関わりに見当がつかないものがあり、恐る恐る頼んでみたのがこれ。たこのフライをマヨネーズソースであえたもの、何ともすごいルックスだ。「タコからネギマヨあえ」という。見た目は文字通りそのまんまだ。
実食した感想として一言、「たべたらうまい」だった。見た目とは裏腹だ。どうも最近、日本中の居酒屋で増殖している「チーズ系ソース」と「アレンジ・タルラルソース」については一度本格的に調査(笑)してみよう。
平成から進化し続けてきたニューフェースだが、これが令和の時代に爆発的な展開をしそうな予感がする。高カロリー排他主義者は、令和の時代に少数民族化してきている感じがする。どうも強烈なダイエット志向も滅びゆく時代のようだし、健康志向と濃厚味嗜好を並立させる時代でもある。令和は昭和・平成が産んだ「いろいろな食べ物があるので、食べすぎる必要がない世代」ではないか。あくまで仮説だが、コロナの強制外出自粛措置と関係があるようにも思う。
濃厚味のタコフライを食べながら、味の嗜好変化について分析的な思索をした、島根の有意義な夜であります。

旅をする

因幡国一宮

因幡国一宮は鳥取市中央部から車で10分ほど離れた山の中にある。というより、古代日本ではこのあたりが因幡国の中心地であり、瀬戸内から中国山地を抜ける主要交易路の拠点だったはずだ。川を使った水運の拠点に、その国を治める国府と権威の象徴である一ノ宮が置かれた、というのが古代日本の行政構造であった理解している。
ただ、時代の流れとともに農地が拡大して、水運での利便性が良い場所が移動する。人の集まる場所が移ってしまう。ところが神社はお引越しをしないので(御神体が山だったり岩だったりすると、そもそも移動不可能だ)、一宮のあたりはひっそりとした場所になっていることが多い。日本海側の一宮配列を見ると今でも賑やかな場所に残っているのは、若狭国一ノ宮(敦賀)くらいではないか。越後から長門にかけて、ともかく一宮は山の中が多い。


因幡国一ノ宮と伯耆国一宮を比べると、隣国でありながらで賑わいというか周辺環境がだいぶ違う。鳥取市が近いだけ、因幡国の方が賑やかに見える。神社の佇まい自体は同じようなものだから、周りにどれだけ「人」「民家」が固まっているかということだ、現在では同じ県内にあるが、古代から中世にかけては色々と事情が異なっていたようだ。

この神社のご祭神は武内宿禰命で、ヤマト政権の東征、つまり統一戦争の中で派遣された軍事司令官だった。死後は神となり征服地の監督をするようにというお達しなのだろうか。
特に、出雲を中心とする日本海側諸国、諸部族の鎮圧制圧、そして支配権確立といった荒事の担当責任者は、死んでなお国のために尽くすという護国鎮守の神様になった。なんということでしょう、さすが神様になられるほどの素晴らしい司令官兼為政者だったのだ。
現代の「政治屋」には見習わせたいものだ。そう言えば因幡国の国会議員もこの国を率いようとした。(今でもその思いはあるのかもしれないが)できることであれば、この神様を見習って良い「政治家」を目指してほしいものだ。
隣県出身の元首相、そのまた隣県の元首相。どちらもステーツマンの矜持はあったのだろうか。ポリティシャンの気配が濃厚な方達だったが。

比較的小ぶりだが端正な御社だった。神社で古代の歴史に想いを馳せるのはいつものことだが、やはり最初期に古代ヤマト朝と熾烈に張り合っていただろう中国地方の神社では余計に考えることが多い。
そもそも、中国、「なかつくに」という言葉こそ、本国と侵攻地の中にあるという意味合いの名前ではないのだろうか。歴史ファンが好きな邪馬台国論争は横に置いても、この中国地方は、ヤマト朝の本拠地と最先端の侵略地の間にあったはずで、そうなると西にある方(つまり九州)が本拠地、今の関西から東海地方が最前線と考えられる。当然、九州北部は大陸と半島の強い影響下にあった。
古代のスーパーステートであった大陸王朝の興亡と、その王朝が滅亡するたびに発生したであろう旧国からの難民が押し寄せる半島国家は、古代東アジアでは影響の大きい国家軍だ。王朝が滅びれば(起これば)、玉突きでその影響を島国である古代ヤマトに及ぼしていたはずだ。帰化人と呼ばれる大陸、半島からの移住者(亡命者)がこの国に先進技術をもたらし、政治にも関与したはずだ。なかつくに、そして東の最前線まで伸びる兵站線とその補給はどうなっていたのかなど興味は尽きない。古代史は戦争の歴史でもあるからだ。


その時期には、正史にはかけないような「暗部」がヤマト朝成立前後にはたくさんあっただろう。それをあれこれと嗅ぎ回るのが、西国神社巡りの楽しみでもある。ただ、それはどう言い繕っても邪推でしかないし、個人的な趣味の範疇だ。批判に耐える学術研究はぜひ専門家にお願いしたい。敗戦から70年も経ったのだし、この国の成立期に関して考察すると、ぶつぶつ文句を言って絡んでくる諸先輩は、すでにみんなお墓の中だ。

武神様のお使いといえば、やはりこの金のおトリ様になるのだろうか。個人的には、これも当時の優秀なサポート役、参謀役が死後に武神の眷属として「おトリ様」になった(させられた?)気もするのだが。その方の名前が鳥っぽかったのかな、などとくだらないことも考えてしまう。
おわします神々には申し訳ないと思うが、神社とは歴史的な妄想を膨らませるのに最適な場所なのであります。

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出雲大社 

出雲大社にお参りに来たのはこれで四度目のようだ。記憶がうっすらとしている。初めて行ったときは晴れていた。2度目と3度目は雨だったような……… 今回も雨模様のぐずついた天気だった。
車で行くと出雲大社の西側にある大駐車場に導かれる。ナビの設定が自動的に駐車場をゴールにしているらしい。そこに文句があるわけではないが、かの有名な大鳥居を見たければ、ちょいとナビの設定をいじる必要がある。

駐車場からの参詣道は土産物屋の並ぶ小路を抜けていく。そこに置かれている一枚の看板がなんとも好ましい。商売っ気はあまり感じられない。歓待の心が素直にでている。さすが、神様たちが集まる場所を守ってきた人たちだ。

よくテレビで見かける太いしめ縄がある拝殿でまずはお参りする。これが本殿と言われても疑う人はいないくらいの立派な建物だが、実は本殿は隣にある。
日本に数々ある壮厳な神社の中でも一際異彩を放つと言って良い。神社として別格、という言葉が脳裏をよぎる。
伊勢神宮と出雲大社の違いはうまく言えないのだが、歴史的に考えれば征服者と被征服者の神だから、本来違っていて当たり前だ。ただ、被征服者でありながら巨大なシンボル、出雲大社の存続を許されたあたりに古代ヤマト朝と出雲王国の力関係が見えてくる。

いつ見てもすごいものだなと思う巨大しめ縄だ。作るのも大変だろうが、吊るすのはもっと大変だ。昔は人力で作業をしたはずだが、今では重機のお世話になるのだろうか。

昔見たときは、しめ縄の中に硬貨がめり込んでいた。下から投げてしめ縄の中に埋もれると幸運になるみたいな話だったと思う。ゼニ投げは他の参拝客に迷惑な話だったから止められたのかもしれない。あるいはパワースポットとして、厳かに拝む場所と再認識されるようになったとか…………神様へのお参りの仕方も時代によって変わると言うことかもしれない。

本殿の前で出雲大社独自の参拝法で拝む。二礼四拍手一礼という他ではあまり見られないものだ。ただ、今では一般的な二礼二拍手一礼も確か明治の頃に定められたもので(国家統制みたいなものらしい)、それまでは全国どこでも独自の参拝形式はあったようだ。
明治新政府の国家神道と皇国史観のあれこれについては、そろそろ冷静な分析が可能な時期ではないかと思う。在位期間が最長となった総理大臣の影響下で、またゾロ、明治時代の歴史観を復興させようという勢力が増えていたが、歴史と宗教は別物であるべきだと思う。
過去を振り返り定義するのは、その時代の勝者であるから、歴史はいつも正しく記載されるわけではない。そもそも歴史の正しさとは何かという議論する残っている。歴史書の大多数は、勝利者の宣伝として都合の良いように書かれることが大半だろう。江戸期の政治を明治期の政府が批判したように、明治の政府のやり方も大戦に負けた後では批判の対象になる。戦後にに書かれた史書は当然ながら明治政府を弾劾して当たり前なのだ。それが、明治政府にも良いことがあったのだぞ、などという議論が出てくるのは良いことなのか、それとも「悪いことを良いことと言いくるめる修正主義」なのか。などという議論ができるのが、戦後の世界の良い点だろう。明治政府の批判をして、特別高等警察に捕まることもない。ただ、その批判が抑えられていたのは昭和初期の為政者が平成の手前まで生き残っていたせいだろう。半藤氏の著作のような自由に歴史を批判すること、それが守られているのは大事なことだと思う。
ヤマトに滅びされた?国の代表とも言える出雲王国のその後を参考に、そろそろ明治政府以降の日本をあれこれフラットに考えても良さそうだが。出雲大社の神域で、そんなことを考えた。

拝殿前に大きな赤丸が3個ある。これは出雲大社の紋章か何かかと思っていたら、なんと古代の本殿を支えた柱の実物大基礎跡らしい。かなり太い木を3本束ねたものが柱なのだから、どれだけ巨大の建造物だったのだろう。古代出雲大社の復元予想図を見ると、当時の出雲王国の技術力、経済力がよくわかる。
この復元された大社に匹敵する建物は、奈良平安の仏教時代には生まれていないのではないか。戦国末期に建造された安土城、大阪城(秀吉バージョン)、名古屋城や江戸城(家康シリーズ)まで、超巨大建造物を造営する経済力を持った政権は、この国に存在しなかったということになる。ヤマト朝の治世下で建造されて焼失した巨大建造物があったのかもしれないが、どうもかの時代は古墳、要するに土木工事に熱中していたらしい。

本殿は直接見ることはできないが、本殿を囲む塀越しに屋根を見ることはできる。この屋根部分が10階建てビルの最上階くらいにあると思えば、かつての大社本殿のイメージに近いようだ。いやいや、初めてお参りに来た昔の人はさぞびっくりしただろうなあ

正面の大鳥居をくぐり参道を抜けるルートとは別に、駐車場脇から入って行くルートに建てられている石柱に、現代の参拝法に合わせた柔軟な対応(入り口はこちらからでも良いのだようという心配り)が伺える。長く続く神社を支えるのはこうした参拝者への気配りも含めた運営システムのアップデートなのだ、と現代風に考えてしまった。
伝統を守ることと時代に合わせた進化こそ、政権が滅び権力者が変わっても継続する「体制」として学ぶべきことは多いのではないか。千数百年前に亡国した出雲が1000年以上にわたって出雲大社を存続させてきた。そのノウハウを学ばずに、百年もたたずに潰えた明治政府の体制に希望を求めても無理だとは思うけどね。

食べ物レポート, 旅をする

出雲そば

松江駅で出雲大社風アレンジの猫に出迎えられる。このご当地キャラも業界内では相当有名になっているとは思うのだが、最近のアニメキャラ風イケメン、美少女なキャラが新興勢力として全国各地で増殖中だから、そろそろリニューアルか二代目が出現しそうだなと感じる。
ロングライフキャラとしては、やはりサンリオブランドの猫少女くらいに頑張って欲しいモノだが。などと考えつつ、駅内にある蕎麦屋を目指した。

改築前の松江駅にあった蕎麦屋(確かあったはず)を使った記憶はない。遠い昔に松江城の近くのどこかで蕎麦屋に入ったが、薄ぼんやりとしかおぼてていない。今回は事前に予習をしてきたので、正しい出雲そばの食べ方はわかっている。頼むのは冷たい割子そば、一点張りで決めてきた。
おまけにトッピングだの天ぷらだのは一切注文しないストロングスタイルにする。蕎麦自体を楽しむのだと、ずいぶん気合を入れてきた。

3段に重ねられた蕎麦に、薬味を少しずつ入れてい食べる。一段食べたあと、残った蕎麦つゆと薬味を二段目に注ぎ、足りなければつゆを足す。これを三段目にも繰り返す。出雲そばの食べ方だそうだ。そばは腰がありつるっと喉を通っていく。うまいなあ。
全国あちこちの名物蕎麦を食べる機会があったが、個人的な好みで言えばこの出雲で食べる割子蕎麦と出石そばが気に入っている。
岩手のわんこそばは一度だけ挑戦した。あれはあれで楽しいが、いささか気忙しい。目標にしていた50杯に到達してギブアップしたが、蕎麦を食べた満足感より目標枚数を食べ切ったことで達成感を覚えるという変則的な蕎麦ライフだった。
信州そばでは山の中にある一軒家蕎麦屋をたまに使っていた。セイロ蕎麦を注文すると2回に分けて出してくれる。そばが伸びないようにという配慮だ。これが素晴らしい店なのだが、酢当然ながら週末であれば2時間待ちもある混雑ぶりだった。
蕎麦屋はラーメン屋と比べて敷居が高い高級店も多いが、そこは店を選んで使えば良いと思う。カツ丼がセットで出てくる大衆店も、蕎麦切りを楽しみながらノリをつまみにゆったり酒を飲む店も、どちらも楽しい。

食べ終わったら、他の出雲そばの店をもう1軒、2軒いってみたくなった。うまいそばの吸引力はなかなか強力なのだ。

その後、列車移動の待ち時間を使って駅ナカで2軒目の店に入った。そこも出雲そば推しだったが、流石に居酒屋でそば連チャンはきつい。なので、大山ドリの鉄板焼きなるモノを注文した。昼からこんなに肉を食べて良いかと思うほどのボリュームだが、意外とあっさり腹の中に収まってしまった。確かにうまい鳥は、シンプルな料理ほどうまい。塩胡椒で焼いただけという鳥が、あっさりした蕎麦の後にはよくあっていた。
大山は鳥取名物だと思っていたが、地図を見れば島根鳥取の境目あたりにあるから、大山ドリを松江で楽しむのは当たり前なのだ。うまい蕎麦とうまい鳥、良い街だなあ。

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もう一つの 鉄道旅の楽しみ方

高知駅で見つけた、もう一つのアン◯ンマン列車のボディーカラーは黄色だった。善良なる悪役(笑)二人がメインビジュアルで、これは子供向けというより、玄人な大人向け設定なのかもしれない、

個人的にはこちらのカラーリングの方が好みだ。黄色は、やはり子供の色だ。ひまわりにたんぽぽ、菜の花とくれば子供が最初に覚える花の名前ではないか。黄色は、きっと本能に刻み込まれた太陽の色、つまり暖かさと安寧を約束する(はず?)色に違いない。不浄な大人には眩しすぎる。

そんなキャラ電車に乗って高知から岡山を目指す四国北上コースの途中に、大昔の難所である「大歩危」駅に停車する。四国山地の真ん中あたりで急傾斜の崖が続く川沿いにある。川沿いというか山と山の間に開いた深い谷沿いに鉄道と道路が伸びている。
漢字の名前通り歩くと危ない場所だったのだろう。大歩危と小歩危があるのだから、危険度も大小あったと言うことか。
日本海側にある、親知らず子知らずも似たようなネーミングだが、あれは親子二人で旅すると危険だぞ程度の警告。こちらの方は「大量人数」に対する危険度設定みたいな気がする。ここを歩くと、大抵はひどい目に遭うのだよ、と言う名付けだ。平安時代でも高知に行くのは海路だったのは、この危険地帯のせいだったのだなと納得する。それを今や快適な車両に乗り、高みから見物できる時代なのだ。人類の進歩はすごいぞ、と改めて感慨にふける。


この駅の横に、山に張り付くように民家が見える。日本のマチュピチュだなといつも思う。そして、毎日この急斜面を降りたり登ったりしながら暮らすのは本当に大変だろうなと感心してしまう。
日本のあちこちにこのような斜面に家が並び立つ場所はあるのだろうが、やはり民家の密集度が高いと、なぜこんなところにくっついて家を建てたのかとあれこれ想像してしまう。周りに平地がないというのが最大の理由なのだろうが、それ以外にも何か思惑があったりするのだろうか。
例えば、関所があってその周りの村人は関所破りを防ぐように山の上に強制的に住まわされた、みたいな人為的な理由がありそうだ。箱根の関所はそうだったらしい。四国の山奥であれば、平家の落人みたいな話もありそうだ。

山形県を横断する、山形から酒田に抜ける自動車専用道路にも、このような山の斜面にへばりついた集落がある。車を止めてゆっくりとみてみたいと思うのだが、自動車専用道路のため駐停車ができない。おそらく一般道を使って行く経路があるはずだが、わざわざそれを探していくほどの気力もないので、ずっと放りっぱなしになっている。あそこも確かにマチュピチュっぽかった。

土讃線は高知駅を出てすぐに山になり、阿波池田の近くでちょっとだけひらけた場所になる以外はともかく山の中を走るし、トンネルだらけなので車窓の変化を楽しむには不向きだ。
まあ、それを言えば四国の鉄道のほとんどが山の中を走っている。瀬戸内海沿いの沿岸部を走っているような路線ですら、大半の行程は山の中なので、四国の鉄道旅で最大の楽しみは寝ることになる。おやまあ的な結論だが、ディーゼル列車の振動に身を委ねて寝るのがおすすめという、大変珍しい路線ばかりなので。

四国運輸局からリンクした四国の鉄道路線図 
海沿いを走っているように見えるが実際は山の中ばかり

四国の鉄道、ほぼ全面制覇した結果の感想であります。

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岩牡蠣 探訪記

北海道 厚岸の岩牡蠣を超えるレベルかも 濃厚だった

隠岐島と聞くと、反乱を起こして負けた天皇が流された場所、くらいしか思い浮かばない。そもそも鳥取県、島根県といった日本海側にある西国にはほとんどご縁がなかった。仕事柄、何度か工場視察に訪れたことがある程度で、名所もよく知らない。出雲大社だけは何度か立ち寄ったことがある程度だ。
水木しげるロードの視察にいった境港で、ここから隠岐島に行くフェリーが出るのかと、初めて気がついたくらいだ。隠岐島に関しての地理的感覚、あるいは関心は極めて薄いものだった。
だが、ある時、これも仕事柄知った情報で隠岐島に関心ができた。隠岐島の牡蠣を拡販するために新型の冷凍設備を大量に使用していると言う話だった。これは特殊な冷凍設備で、磁力を使い牡蠣の中(牡蠣以外の食品でも)にある水の分子の方向を揃えて冷凍すると言うものだ。詳しい理屈は理解できていないが、水分子の方向が揃っていると、解凍するときに味が落ちないらしい。
この最新型設備を大量導入している事例として紹介されていた。生の牡蠣と冷凍牡蠣を食べ比べてもその差がわからないらしい。同じようにケーキなどを冷凍すると、やはり従来の冷凍物とは格段の品質差がある。その話を聞いて隠岐島の牡蠣を試食してみなければなあとおもった。もし本当に優れた冷凍設備であると納得できれば導入してみようと考えたのだが、その冷凍機一台がとてつもなく高い。どうしようかと散々迷った挙句に諦めたのだが、その時食べた牡蠣の味がどうにもすごかった。
冷凍でこのうまさなのであれば、生ではどれほど美味いのか、と言う疑問がずっと解決されないまま、随分と時間が経ってしまった。
長い前置きだが、その隠岐島の生牡蠣をようやく食べることができた。お値段はかなりのものだったが、確かに美味い。記憶の中にある冷凍物の味は、確かに限りなく生の牡蠣に近かったようだ。これで残っている人生の宿題の一つが片付いた。めでたし。


確かに、離島で優れた産物があっても流通の問題は大きい。時間的な制約もあるが、輸送コストの負荷もある。生と変わらない品質を守れる冷凍技術は、確かに福音というべきしろものだ。個人的には、あのときにケチって新型冷凍機の導入を諦めたことを本気で後悔した。まあ、ビジネスというのは失敗の数だけ伸び代がある、などと悟ったようなことを言うつもりもない。正しい教訓は、予算をケチったことによる失敗は取り返しのつかない大きさになる、と言うことだろう。

サッパリ系貝の代表であり好物 角のないサザエみたいなルックスだったはずだ

そんな不甲斐ない昔の自分を思い出しつつ、牡蠣に劣らずうまい白バイ貝の刺身を食べて、我が身を慰めることにした。美味いものを食べてほろ苦い気分になるとは、島根の夜はなかなかに厳しい教訓に満ちていた。

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みやげもの 雑感

因幡の白兎という言葉は、もちろんよく知っている。お話もうろ覚えだが、だいたい覚えている。その有名な昔話をそのまま商品名にしたものが、鳥取県の土産物で王者らしい。あちこちの土産物売り場で、この日本一という黄色い紙を見かけた。ある意味ブランドアイデンティティーが出来上がっている。
フランス製の高級アパレルブランド的なBIがなされているのだ。中身の味はどうあれ、これはすごいことだ。営業職の人たちは、相当頑張って売り場の見栄えを同一にすることにこだわっていると思われる。ご苦労なことだ、頭が下がるなあ。ちなみに因幡の白兎だが、出雲でも売られていた。鳥取と島根は合わせて一つの経済圏?という思想が観光業界にはあるようだ。
いや、ウサギを助けた神様がいるからという関連性なのかもしれない。だとすると、少し目線が上から………いや、優しい神さまの思し召しだろう。

もう一つ目立っていたのが、この風呂敷で包まれた菓子だった。名前もすごいが、売り方もすごい。大量に山積みにされていてグイグイ視界の中に迫ってくる。
おまけに、この大風呂敷(大)のほかに小サイズもあり、それが相似形のデザインをしている。大風呂敷(小)だなと思いついて、吹き出してしまった。小風呂敷では商品名にならないしなあ。
お土産といえばついつい大型(5個10個と入っている)で販売しがちだが、最近は家族も少人数、あるいは自分一人で生きているソロライフな客も多いのだから、数が多いと言うだけで敬遠される。自分のようなソロ旅をするヘビートラベラーにとっては、箱が大きいというだけで購入の選択肢から外れる。
だから、小サイズ(1ー2個入り)は売れ筋になるはずだが、なぜか土産物メーカー、土産物販売店はバラ売りの手間を嫌うようだ。その点、この大風呂敷(小型版)は実によく考えられている。

ちなみに、山積みの大風呂敷陳列の脇に、風呂敷の中身を見せてくれるサンプルがあった。これも実にわかりやすい。良いなあ、と思って眺めていたら、どこかで見たような記憶がある。思い出したのは甲府の信玄餅だった。
ただし、こちらは黒蜜ではなく「梨みつ」だそうだ。うーん、土産物業界の平行進化とみるべきか、それともインスパイアー系とみるべきか。ちょっと微妙な感じもするが。どちらかが元祖で、どちらかが改良進化版なのだろう。甲府と鳥取、両方を旅しないとわからないことではあるから、まあ、どうでも良いのだが。萩の月と、なんちゃらカスターみたいなものだ。
しかし、この売り方・見せ方は、やはりすごい。全国の土産物メーカー、販売店は鳥取に学ぶべきではないか(ちなみに島根でも似たような景色はある)と思った次第。東京駅や新大阪駅では見られない、豪華一点張りの世界でありました。

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鉄道の旅を楽しむ方法

親世代のあこがれか

高知と岡山を結ぶ路線には「アン◯ンマン」のキャラ電車が走る。それも定時運行される特急だ。いつも高知駅ホームで西行きの特急待ちをする間、この赤い電車が止まっている。お江戸の私鉄でたまに走るコラボ系ラッピング電車とは異なり、こちらはいつでも走っている大定番の人気者だ。
そもそもアン◯ンマンは、エヴァン〇〇オンなどのキャラ界における新参者とは歴史が違う。JR東日本が好んでコラボする歴代人気キャラを見比べても、アンパ◯マンはウルト◯マンに匹敵する古兵で、これに対抗できるのは、青い直立歩行型猫ロボットくらいしかない。
個人的な見解だが(念の為に断っておく)今のアンパ◯マンファンは幼児ではなく、幼児を育てている親世代ではないかと思うほどだ。要は自分が子供だった時の思い出にどっぷりと浸り込む親世代が、自分の子供に対して共感を求めるという、なんとも微妙な構図だ。テレビアニメが開始されてほぼ60年が経ち、アニメ育ちの親世代はすでに三世代目に入っている。
冷静に考えれば、幼児向けキャラビジネスとは親と子の無限ループが続く、超安定ビジネスモデルではないか。もっと早く気がつけば、きっと違う仕事をしていただろうになあ。今更気づいても遅すぎる。(反省だ)
ちなみにこの列車を見て興奮している子供は見かけたことがないが、興奮している親はたくさん見た(笑)
とりあえずキャラ列車を探して旅をするのは、なかなかに楽しい。

最近月に一度のペースで仕事に行く漁師町の駅は、相当に写真写りが良い美人駅だ。赤い自動販売機がちょっと邪魔だが、この自動販売機は日本中のありとあらゆるところで風景写真に映り込んでくる悪者で、例の黒い嫌われ者「G」に匹敵する写真世界の無法ものだ。すでに現代日本の原風景化していると諦めるべきなのかもしれないのだが。

日本各地に伸びるローカル線では、こうした味のある駅がまだまだたくさん残っているが、その歴史的建造物に対してJR各社はリスペクトが足りない。文化遺産として、あるいは観光資源として利用しようという意識も薄い。すでにJR各社は鉄道事業から「旅客囲い込み周辺ビジネス」に軸足を移しているので、本気を出すのは駅構内の商業施設と駅周辺のホテルビジネスくらいだろう。この駅も無人化とともに譲渡対象?らしい。もったいないなと思う。

のり鉄にとっては憧れ?

駅舎からホームに行くには緩い坂道を登るだけで、階段を上り下りする必要もない。ホームの上から単線が伸びるのがよく見える。JRグループが春、夏、冬の時期に限定発売する青春18きっぷのポスターにはこんな風景が使われる。
日本国中にじわじわと蔓延していく「新幹線駅」では、旅情を誘う風情はならないだろう。東北北海道、上越、長野北陸、東海道、山陽、九州、各新幹線の駅を思い出して見ても、美しい駅と言えるのは金沢駅くらいだ。
それ以外の駅は1号東京駅型(大きすぎてよくわからん)、2号 仙台駅型(箱型駅ビル)の2形態しかない。新大阪、京都、名古屋、博多などは1号型で、広島、熊本、静岡、長野などが2号型といったところだ。今度できる(某退任知事のおかげでいつ出来るか今だにわからん………)新・新幹線はそもそも駅が地上にできるのだろうか。名古屋駅は深・深度地下駅になるはずだし。

撮り鉄 (非車両系)には美味な風景

ただ、ローカル線の旅をやってみるとわかるのだが、実際に車窓から見える光景の大半は山の中で、線路脇に見えるものは、木・木・木、たまに民家。そして、木・木・木・木・木。たまに一瞬だけ海、みたいなものだ。例外的なのは東海道周辺だけで、首都圏でも東京駅から30kmほど離れると(時間にして普通列車で1時間程度)、畑と木と山に囲まれる田園風景になる。
だから、こんな写真の光景を見たいと思えば、意外と簡単に辿り着けるので、わざわざ飛行機に乗って鉄道に揺られて2時間かけてきました………みたいな難航苦行をする必要もない。

ただ、この町には日本一美味しいカツオを食べられるという、おいしいおまけがある。崇高なミッションを持って旅をしたいという鉄旅上級者向けの場所なのだ。いわば美味追求の巡礼地であり、カツオ食いの聖地でもある。乗るだけではない鉄道旅の楽しみ方としてローカル線巡礼旅おすすめであります。

旅をする

国宝の城 文化の極み

日本に残る城は(正確には城跡は)数万とも言われる。廃城になった後、草木が茂り山に帰ったような場所が大半だ。そんな場所でも現地に行くと、堀の跡などが地形に残っていて、ありし日の姿を思い浮かべるというリアル+バーチャルな体験を同時に行うのが、城マニアというオタク界の一角を占める勢力の独自な楽しみだ。
その在りし日の姿を思い浮かべるには多少なりとも専門知識があった方がよい。最低知識として戦国前期から江戸時代初期にかけて、最も先頭的な時代に進化した築城術の理論だ。例えば石垣の石の積み方で、最初はそこいら辺に転がっている石をパス流のように組み合わせて石垣を作っていた。それが時代が降るにつれ、石を整形してより頑丈で、より攻めにくい形に変えていった。
自然の石は凸凹しているので、よじ登る時の手がかり足掛かりが豊富だ。それを整形して平面加工すると、よじ登ろうにも手がかりがない。そんな仕掛けがどんどんと進んでいったのが戦国末期の城で、完成系は戦国時代の学習が最大限に生かされた江戸城だろう。
そして、西国に多く残されている築城された当時そのままの城で、ダントツの美しさを誇るのが松江城天守だろう。勇壮さで言えば松山城だが、城としての景観として評価するのであれば、松江城を推したい。
これに匹敵するのは、長野県の松本城、そして姫路城くらいだ。これ以外の「大きな城」は、ほぼ全てが戦後に復元されたもので鉄筋コンクリートの耐火建築物だ。見栄えは良いが中身は別物よ、ということになる。ハリボテとは言わないが、城の外見をよそおった歴史オマージュとでもいうべきだろう。

松江城の美しさは、広い堀に隔たれた小高い丘の上に立っている城というフォトジェニックな構成にある。そもそも城の目的は、そこに立てこもり防衛戦を行うという純軍事的なものであったが、戦国後期以降は領地拡大で大規模経営に成功した地方の覇者が、領民や配下の武将に対して威圧的効果を持たせることが主眼になった。織田信長の岐阜城から安土城への引っ越しが、その転換を表す好例だろう。松江城も、その例に従って支配者の権威を知らしめるという目的が主だったようだ。

石垣に使用される石も、人の背丈を超えるような巨石を使うことで、「俺の殿様はこんな大きな石を運べるほど、力がある(人を動員できる)のだぞ」と威張ることができた。大阪城や江戸城では高さが3mをこえるような巨石がたくさん使われている。重機のない時代に人力だけで数tを超える巨石を運搬し加工するのだから、それはピラミッド建設みたいな大量動員工事だったのだろう。
ちなみに、大阪城は秀吉が作った巨大城は一度完全に埋められてしまい、その上に徳川家建造の大阪城が上乗せされたので、現在見る巨石も徳川家による大量動員建設だった。ただし、埋められた豊臣製大阪城の方がはるかに大きかったらしいが。

城を見にいっても、ついつい気を取られるのは石垣で、店主の中にはあまり興味がない。ただ、たまに内部に入るとほとんど垂直に立ち上がっている階段というより梯子がしんどい。登るのは良いが下りの時に足を滑らせたら酷い目にあうという恐怖心が、ついつい躊躇いになる。保存状態の良い城ほど中の移動は危ないのだ。暗いし……………。滑るし……………。

あいにくの曇りだったが、やはり日本有数のフォトジェニックな城だ。青空を背景にすればもっとバエルだろう。この美しい城に江戸期有数の茶人領主が住んでいたというのは(厳密には城の中に住んではいないはずだが)、なんとなく理解できる。
この街は現代日本では首都東京から離れた日本海沿岸の地方都市だが、古代から江戸期までは大貿易航路である北方航路を抑える主力都市だった。日本海沿岸に文化都市が多いのはその表れなのだ。京都という文化を消費するだけの街より、その伝播先で経済と文化を融合させた日本海諸都市が時代を率いていた。
戊辰戦争の後、東京という新興都市、成り上がり者の街を偏重する時代が始まったが、それはそろそろ終わりになっても良い気がする。松江からその動きが起きてこないかなあ。

旅をする

高知空港にて

高知空港にはほぼ毎月通っている。高知でのお仕事が定期的にあり、月初には高知にいることが多い。その高知空港で手荷物引き取りのため出口に向かうと、なんだか新作ポスターが貼ってあった。ド派手なポスターだなと思いながら、つらつら眺めてみると、そこにはなんと長いおつきあいになる先輩の姿があるではないか。ああ、びっくりした。この方とは、今回も楽しい夜を過ごさせていただくはずだが、確かに写真の通りに「飲むには良い店」「宴会向きの店」の典型なのだ。
そういえば、高知で飲んで深刻な気分になったことはない。いつでも大口を開けて笑い転げている記憶しかない。ともかく明るいところなのだ、高知は。

その店がある漁師町の有志がクラウドファンディングでカツオ叩き巨大サンプルを作り、手荷物を引き取るターンテーブルに乗せて、カツオの本場高知をアピールすると言い始めた。それは面白いなあと思っていたら、ついに実現していた。
クラファンが目標額に足りなければ、それなりにお手伝いしようかと締め切り一週間前に確認してみたら、なんとすでに目標達成していた。すごいものだ。若さの熱量……みたいな言葉が思い浮かんだ。結局、達成したお祝いにと、気持ち程度の支援をさせてもらったが、あちこちでクラファンによりイベントやらオブジェやらが出来上がるのは現代風の慈善事業?と言うか、「推し活」と言うことなのだろう。ちょっと前の公営放送番組、日曜夜の歴史ドラマで幕末の野心満々なおっちゃん(お札になった人)がやっていたことは、これの大規模版だったのだろう。
かたや税金を湯水のように垂れ流し不評を買った東京オリンピックや、現在進行形で税金の無駄遣いと言われる不人気万博などをみると、官製プロジェクトのダメっぷりが余計に目立つ。そんなにやりたければ、自治体がクラファン募集してクズな博覧会でも国際運動会でもやればいい。ただ、絶対に目標額は集まらないと思うが。

そのクラファンの流れで、空港にある食堂に「カツオの漬け丼」と言う旨いものが導入されたそうで見学に行った。高知で食べるカツオはお江戸で食べるものと、明らかにものが違う。航空券を買って旅をして食べる価値があると、熱を持って友人に話したりするが、いつも鼻で笑われる。「食べてみなければわからない体験」なので押し付けるつもりはないがついつい熱く語ってしまう。高知のかつおLOVEなのだ。
個人的な職業経験から判断するに、高知人のカツオ愛には高知人独特のかなり厳格な指標があり、高知人以外には理解し難いハイレベルな選別が行われているようだ。まあ、だから日本国太平洋岸のどこでも取れる「カツオ」が、高知では特別視されている意味がわかる。まさに当然ながら「食べたらわかる」と言うことだ。高知人以外には、聞いただけではよくわからない難解な愛情表現であることに間違いはない。

高知人のカツオに対する宗教的なものに近い愛情はさておき、基本的に高知人の気質は日本人には珍しいラテンなものらしい。高知の友人に言わせると、どうも大軍を率いる大将になっても、ドンキホーテ的な大将一騎駆けが好きだといことだ。後ろに陣を構えて全体指揮を取ると言うのは、高知人的なスタイルではなく美学には合わないらしい。そして、困ったことに、そうした先頭を走りたがる大将を補佐する二番手も、大将の後に続いて一緒に先頭集団で走りまくるらしい。
ビジネス的にいえば(笑)危機管理が全くできていない。No.1とNo.2が連続して討ち死にしたら、もはや軍の体裁を成さないだろうに。まあ、愛すべき高知人気質というべきなのだろうな。
そんなラテン系の血が騒ぐのが夏の真っ盛りに行われるよさこい祭りだ。ただ、この時期の高知は殺人的な暑さなので、実はこれほど有名なイベントをいまだ見に行ったことはない。
応援する踊り子集団が演ずる群舞を見て興奮してしまい、熱中症になるのは間違いない。だから月例の高知出張も、8月はお休みにしたくらいだ。

そのお祭りの主役ともいうべき鳴子(巨大バージョン)も飾ってあった。その横には空飛ぶリョーマらしき人物のパネルがある。よくみると、なんだか不思議な漢字が書いてあるので、どうもインバウンド対応らしい。ついに高知よさこいがグローバルになる日が来たかと思うと感慨深いが、それでもリアルに見に行く気にはならないのが…………