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カフェ飯

古民家を改造して旅館にしたりカフェにしたりするのは良いことだと思う。昔の蔵など作りがしっかりしているものは、現代建築には存在しない陰影の美みたいなものを感じる。立体造形に知見があるわけではないから、全くの印象でしかないが。
ただ、そのようなオシャレ空間でひと時をすごすのは、なんとなく気恥ずかしい。昼飯を食べるなら、おしゃれな古民家カフェより町の中華料理屋や大衆食堂が良いなと思う。

吹き抜けの作りは贅沢な空間を演出する ファミレスのせせこまさはない

それでもたまにはカフェ飯などという、洒落たものを食べる羽目になる。この時は、カフェの駐車場しか車を止める場所がなく、しばらく車を止めさせてもらったお礼に何か飲み物でもと思ったのだ。

ただ、時間は昼時近くでありながら、店内にいる客は一組だけだった。であれば、食事をしてもすぐ出てくるかなと思い直し、出てくるのが一番早そうなカレーを注文した。

食事は見た目8割 を実感するビジュアルだった

出てきたのは実にオシャレなカフェのカレーだった。小ぶりなサラダがついているのがカフェらしい。そして、出てくるまでの時間は予想より相当に長くかかった。どうやら、カレーは注文が入ってから一つずつ丁寧にこしらえるらしい。学生食堂のカレーのように、大鍋に入ったルーをご飯にかけておしまい、所要時間10秒という世界ではなかった。どうも自分の常識が足りないらしいと反省した。
辛さは控えめだがスパイスの香りがたっぷりするカレーをゆっくりと食べた。これがカフェ時間というものなのだとつくずく感心した。カレーを堪能したところで、いきなり何組も客が入ってきて店内が賑やかになったところで退散した。
やはりカフェに長居をするのは、苦手っぽい。

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和歌山城 登城

和歌山城にはずっと行ってみたいと思っていた。徳川御三家の領地ということもある。徳川政権んお西側防御陣として考えると、大阪城、和歌山城、名古屋城のトライアングルで、西国外様大名への備えをしていたので、やはり和歌山城は見逃せない。
ちなみにお江戸防衛に関しては中山道・甲府ルートでは甲斐国を天領・直轄地にして八王子には将軍家直率の旗本を配置した。松本から八王子まで、かなり長い縦深防御としていた。越後からのルートは、前橋から川越城、奥羽からは宇都宮が防衛ラインとして固められている。太平洋沿いルートは水戸徳川が抑えている。徳川政権の地政学的な支配、軍の戦略配置は構造的で万全の備えだったはずなのだが。
それが戊辰戦争で敗北することになるのは実に不思議だ。想定通り、島津毛利などの西国大名が東進ルートで攻めてきた。それは、徳川政権からすれば基本的で想定通りの進行ルートだったはずだ。そもそも京都周辺での戦闘など大阪城と京都からの挟撃が前提のはずではないか。それに加えて、京都を焼き払う焦土作戦に出ることも幕府軍はできたはずだ。反乱軍はそれをやると大義名分を失うから決してできない。(長州はそれで一度亡国の危機まで追い込まれている)


備えは万全なのに、なぜ負けたか。答えは簡単ではないが、一つ二つ理由を挙げると、まず、大将である将軍が初戦の敗北で逃げた。それも決定的な決戦ではなく、戦争初期の小競り合いで逃げ出した。古来、大将が逃げたら戦争は負けと決まっている。
二点目は、東海道筋に配備した徳川陣営、それも親族を含めた家臣の裏切りだ。本来の想定では東海道を敵軍が進んでくる間に、次々と各所で徳川軍の反撃を受け、箱根付近で大決戦となるはずだった。それが、進軍されると戦いもせず降伏して、あるいは反乱軍に参陣してくる裏切り者続出となった。神君などとたてまつられた家康であれば、味方の裏切りにも対抗策を立てたかもしれないが、所詮滅びる政府にはそれほどの戦略眼も対応策もなかったということだろう。逃げちゃう大将だからなあ。そのおかげか明治政府では公爵様になる。逃げるが勝ちだったのかもしれない。水戸徳川出身だけに理念重視というお家柄だったのか。

まさに和歌山城は、徳川政権滅亡の生き証人みたいなものだと思っていた。大阪城は将軍が守るのを放棄して逃げた。和歌山城と名古屋城は想定された防衛拠点にすらならなかった。和歌山城の天守閣は復元されたものだが、これも戊辰戦争で落城したせいではない。石垣と堀を見れば相当な抗戦力を持った城砦だったことは簡単に理解できる。
天守閣は博物館のようになっているが、それなりに面白いものだった。不思議だったのは、このちょっと小ぶりな天守閣にも外国人観光客が押し寄せていることだ。どこから、何が目的で城を見にきているのだろうと本当に不思議な気分になる。日本に来たのはこれで10回目で見るべきとことは全て見たから、城でも見てみるか……………みたいなことなのだろうか。大阪城は間違いなく日本人より外国人が多かった。

和歌山城の凄さは復元された城郭ではなく、石垣にあると思う。この城壁の積み方は、他で見たことがない。細かく平らな石を積み上げるタイプで、何か意図があるはずなのだが不勉強で理解できていない。残念。

お城の一体は公園になっていて、お城の下に駐車場もある。便利なのだが、駐車場から天守閣に上がるまでの石段は百段を超える。感覚的には10階建てのビルの屋上に階段を使って上がるような感じだ。暑い日には登城するものではないと改めて思った。この日、一番感動したのは、天守閣前にある茶店で食べたかき氷だった。暑い日はかき氷だね。

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高知の夜散歩 突き刺さる言葉

街を歩いていると時々妙に感動的な看板にであう。これは最近見た中で一番感心したものだ。「そこのあなた」と呼び止められ「あじは好きか」」と聞かれる。うーん、あじ推しの店なのかと思えば、なんと魚は色々あるようだし、そもそも「鬼締め」ってなんだ。新しいプロレスの技のような感じもする、不思議な単語がとても気になる。ごちゃごちゃと描きまくっているのに、なぜか足を止めてしっかり読んでしまった。

「素通り禁止」と言われても困る。やはり「鯵推し」らしいが、ど久礼アジとは聞いたことがない。そもそも久礼に友人はたくさんいるし、その中には魚屋の大将もいるのだが、カツオを勧められることはあってもアジを食えと言われた記憶がない。久礼のアジはうまいのか?

まるた商店さま、次回は素通りせずにお店に入ってあれこれ食べていきます。その時に、久礼のアジの秘密を教えてください。

その近くに、これまた懐かしい雰囲気の飲み屋横丁、飲み屋小路があった。ここも店の前を彷徨くことは何度かあったが、実際に店に入ったのはつい最近という手抜きぶりだが……………

これまたなんとも不思議な店を見つけた。うどんとラーメンと焼飯のどれが主役かわからないが「めしや」らしい。そして焼き魚と刺身も食べられるらしい。たしかこの店も夜しか営業していないようなので、次に高知に来た時のノルマになるなあ。しばらく、いつもの葉牡丹はお預けで、高知の迷店巡りをしてみよう。

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今年の夏一番

今年の夏一番美味いもの、というにはまだ早いかもしれない時期だが、もうこれに決めてしまっても良いと思ったのが、和歌山城天守閣前にある茶店で食べたかき氷だ。いちご味でトッピングはなし。ザクザクと食べているうちに、頭がキーンと痛くなってくるのもお約束のかき氷を一気に食べた。
舌が冷たくなって味がわからなくなる頃には、ほぼ氷を食べ切っていた。カップの底に溶けた氷がシロップの赤に染まっている。それを一気に極々と飲み干して終了。ここ10年くらい、そんなことをしていなかったなあ。暑い夏にはかき氷が、正しい日本の過ごし方だ。冷房のよく聞いた部屋でアイスコーヒーなど飲んでいては行かない。アイスラテなどもってのほかだ。

お茶屋の前には、なぜか顔の穴あきの撮影ボードがあり、おまけに忍者だった。和歌山城にいたのは、「何の忍者」だったかなあ。根来衆、雑賀衆は鉄砲軍団だったはずだし。きっと、何か和歌山に謂れがある忍者と女性なのだと思うが、暑さのあまり調べる気もなかった。これがこの夏一番の疑問ですねえ。

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高知 3題

高知県の旅で気がついたことをあれこれ書き連ねてみると、一題目はお弁当の話だ。高知県西部にある四万十町で、弁当・惣菜の店を地元のお母さんたちが運営しているらしい。そこの日替わり弁当というか日替わり惣菜セットがこれだ。一箱ごとに中身はバラバラだとのこと。十種類くらいのおかず・お惣菜が詰め合わされている。これが400円なのだ。
最近の諸物価値上がりの中、この値段を聞いて頭がくらくらした。原価、人件費、あれやこれやを考えると400円で儲かるはずがないとは思うのだが、地域の「惣菜や」をなくさないための経営努力らしい。
地域に一人暮らしの高齢者が増えていることが要因でもあるようだ。商売と公共サービスの中間点みたいなことだと感じいるのだが、最近増えている「こども食堂」ともあい通じる社会の安全ネットみたいなことだと思う。「儲かること」と「地域を支えること」のバランスが400円という値付けになる。
とても考えさせられた。新しいビジネスモデルとして検討すべきだとも思った。付け加えると、このお弁当は、極上のおいしさでありました。

二題目は、これまで何度も見ていた、高知駅改札口階段の風景だ。ふと気がついてしゃがみ込んで見てみた。つまり、子供、特に幼稚園児の視点まで下げてみた。そうするとアン◯ンマンがよく見える。大人の視点から見るとちょっと歪んでいるのだが、子供視点であればしっかりと見える。設計者の意図が初めて分かった気がした。
最近のウル◯ラマンや仮面◯イダーの精神的な屈折ぶりを思うと、このヒーロー「アン◯ンマン」の真っ直ぐさ、実直さは眩しいくらいだが、幼い子供たちにはこれくらいの絶対正義、決して屈折しない正義の具現者が必要だ。
子供が屈折を覚えるのは大人の入り口、厨二になってからで良い。いや、屈折しまくった大人こそアン◯ンマンの素朴さを見習うべきだろうなあ。来年は某国営放送の朝ドラがアン◯ンマン(作者)の話になるそうだ。あんぱん時代が来るといいな。

3題目、土佐弁は自分にとって第三外国語だと思っているが、その検定試験を発見した。正答率は7割以上あったので(よく覚えたものだ)、土佐弁初級検定は合格していると思って良いだろう。中級試験は口頭問題で、ネイティブスピードの会話ヒアリング能力になる。これは、まだ自信がない。
上級試験は、スピーキングだが、これにはあと10年くらいかかりそうだ。こじゃんときばらねばなあ。

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ど・宴会してきた

今年の高知観光ポスターは過去最高の出来でございます、と褒め称えたい。このモノクロ一色のポスターを「看板」として持ちあげ、いくつかの観光シーンをビジュアルで見せつける構成は実に素晴らしい。広告賞を取りそうな出来上がりだと感嘆している。
「どっぷりど級」は、「どっぷり、弩級」ということだろうが、すでに日本人の大半は弩級という字が読めないだろうし意味もわからないだろう。
だから、これは造語と考えるべきなのだが、広告表現としては問題ない。ちなみに弩級とは英国戦艦ドレッドノート級を表したもので、アメリカ合衆国を米国、連合王国をイギリス、英国と表記するような日本的略語だ。弩級は当時の一流戦艦の標準仕様であり、それを超える戦艦を作ろうと海洋国家は競い合った。超弩級という言葉が新聞をにぎわしたはずだ。日本の超弩級戦艦は、長門と陸奥、超超弩級が大和と武蔵だ。(記憶モードです)
だから、極上田舎は日本のあちこちにあるかもしれないが、高知はその中でも抜け出て極上、つまり弩級という意味になるはずだ。コピー全文を読めばなるほどという気がする。確かに高知っぽいことが並べ立てある。

その「ど・高知」の「ど・宴会」の店が、我が尊敬すべき年上の友人、先輩の店だ。今回は、まさにど・宴会を催してくれた。手作り料理がうまいのは間違い無いが、一番のご馳走は店主夫婦の会話にある。遠くからはるばる飲みに訪れる客も多いという。ただし、それをしっかり理解するのは難度が高い。
個人的には土佐弁を第三外国語として理解している。日本語の文法は守っているが、語彙が全く違う異種言語だ。概ねイントネーションも異なる。西国の言葉は京都がルーツであり、京都から離れるほど差異が広がるが、土佐弁は地理的距離の割に京都言葉との乖離が少ないようだ。意外と柔らかい響きを持つ言葉で、女性が使うと耳に優しい。男が喋ると喧しいと感じるのは、性差による「差別」意識なのかもしれない。まあ、反省はしないが。少なくとも高知の男はよく喋る。放っておけばノンストップで10分や20分はしゃべくりまくる知人が多いせいだろう。
これでも土佐弁を学習し始めてから(学習か?)10年以上経つのでそれなりにヒアリング能力は上がっている。それでもネイティブスピードでの会話になると、理解度は良くて8割、おおむね5割程度というところだろうか。それでも、店主ご夫婦の会話が最大の楽しみであることにまちがいはない。

その「ど・宴会」のもう一つの主役がカツオの大盛りだった。ちなみにこれが4人前で、同席した鮮魚店社長のご厚意が満ち溢れている。この大量なカツオが最後には全て消えていた。高知人のカツオ・ラブは凄まじい。この量、おそらく普通に頼めば10人前だろう。

ど宴会とは別の日に食べたランチの2人前刺し盛りがこの量で、カツオ2種と白身(イサキともう一種だが、名前は忘れた)2種だった。これもお友達仕様なので、山盛りてんこ盛りだから、通常の2人前ではない。そこは注意しなければいけない。こちらも普通に頼めば4-5人前なのだと思う。
昼から酒も飲まずに宴会モードでカツオを食いまくるのはなかなかの快感だ。観光ポスターに書いてあることに間違いはない。高知は、「ど」を楽しむ極上な場所だ。ただ、10年以上通い続けているが、今だに観光名所なるところに行ったことがない。これはいかがなものかと反省している。次回は、「はりまや橋」と「桂浜の龍馬像」以外の名所に行ってみようと、こっそり思った。

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成田空港で見つけた不思議

北海道行きの時に使うLCCは成田発で、感覚的には羽田と比べてものすごく遠いのだが、冷静に自宅から空港までかかる時間を比べてみたら30-40分程度の差しかない。おまけに成田空港まで東京駅から直通バスで行けば、移動は明らかに成田までの方が楽ちんなのだ。今の羽田は平日早朝からとてつもない喧騒に包まれている。外国人観光客も過剰だ。

そして彼らは日本人にとっての暗黙のルールを理解していない。つまり歩いたりすれ違ったり荷物の持ち方だったりが、日本人と外国人観光客とでは異なるので、イラっとすることが多い。
一番困るのは騒いで走り回る子供を放置することだ。日本人も放置する親が皆無だとは言わないが、あれほどではないだろう。子供が誘拐されても気が付かないほどの放置ぶりに見える。大丈夫か?と聞きたくなる。今の日本は、犯罪大国化しているし、チンケな金を目当てで誘拐するくらい当たり前になりつつあるぞ………といっても信じないだろうなあ。
そんな空港の光景を見てあれこれ考えていたら、不思議なものを見つけた。飛行機に乗るタラップは、だいたい飛行機を正面から見て右側についている。これまで飛行機には百回以上乗っているはずだが、左側から乗った記憶はない。

飛行機の離陸前準備をぼうっと眺めていたら、左側になんだか見たことのないトラックが乗りつけてきて、コンテナみたいなものを持ち上げていた。飛行機の機体との間に何やら通路のようなものがあるが、何かを出し入れしているようにも見えない。しばらくするとコンテナ状のものが下がってきて、車はどこかにいなくなってしまった。車椅子の乗客を乗せるのかとも思ったが、そういう場合はたしか乗務員・地上係員が何人かで移動を手伝って通常口から乗せるはずだ。
あれこれ考えて、機内食みたいなものを持ち込むのだろうと気がついた。ただ、LCCでは飲み物や食べ物のサービスは有料でほとんど使っている客を見たことがない。長距離便であればそれなりに飲食の需要もあるのだろうが、たかが1時間程度のフライトではなあ………と思った。一体何人前の飲食部を持ち込んだことだろう。出前のオカモチくらいで持ち込める量ではなかったのか。


普段気が付かないようなものが、意外と世の中には転がっているのだなと、空港での学びでありました。それにしても、あのコンテナを持ち上げるトラックは空港の中に何台あるのだろうか。ますます気になって仕方がないことが増えた。

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ひさしぶりの関空

搭乗ゲート前は空いている

関空から飛行機に乗るのは10年ぶりくらいだ。あの頃は、関西国際空港というのも名ばかりのガラガラに空いた空港というイメージしかなかった。週末であってもレストランはガラガラ、どの店も席待ちになることなどなかった。それが今ではどの店も待ち行列ができるほどの混雑ぶりで、おまけに客の大半が外国人観光客という盛況だった。感覚的には、東南アジアの大ハブ空港にいるような騒々しさだった。というより、うるさすぎる。空港ロビーがわーんという騒音で満たされている感じがした。確かに「国際空港」という言葉に似合った賑やかさというか、お祭りの縁日的喧騒でありかしましさだ。

関空は人工島なので、本土と島を結ぶ橋がある。それを見たのは初めてだった。これはなかなか見応えのある景色だと思う。台風の大波で空港が水没したという事件を思い出しだが、確かに海面には近い。海沿いにある空港は多いが、この関空は周りが全部海だから、見栄えは良いのだ。

離陸と同時に窓の外を覗いてみたら、これまた綺麗に奈良盆地が見えた。外をいていて気がついたのだが、一度南向きに離陸した後、270度時計回りに旋回して東を目指す。奈良盆地から伊勢湾、愛知県東部を通過して羽田絵向かうのだが、眼下に見えるチケはまさに地図の見たままだった。これはなかなか感動する。

愛知県から静岡県上空に移ったと思った頃からどうも進路が怪しくなってきた。神奈川県三浦半島を越えて羽田空港に向かうと思い込んでいたら、どうもだいぶ南方に変針するらしい。そろそろ富士山が見えるはずと思っていたら、いきなり雲が広がり始めていた。写真中央部にうっすらと見える小さい出っ張りが、どうやら富士山らしい。
おまけにこの後どういう進路になったかというと、だいぶ南に向かいぐるっと回って千葉県南方沖から一旦北上、その後に千葉市南方あたりから羽田に向かうという、地理感覚が混乱するコースだった。

都知事選で東京都内上空を通るコースが不安すぎるのでコース変更させるぞ、みたいなことを言っていた候補がいたが、千葉県民は羽田に飛んで行く飛行機のほぼ全部を引き受けている。東京都民の不安解消のため、千葉県民は我慢しろということだったのだろう。そんな東京都民ファースト主義(?)では落選しても仕方がないのではないか。地方自治とは基本的に隣県との調和を求めない「傲慢な自己都合」が重視されるようだ。どこぞの県知事も、その傲慢ぶりを発揮したまま引退したが。そういう「連中」に限り、自分は県民から選ばれた、と宣うのだがなあ。関空からのフライトコースが特殊なのかもしれないが、千葉県上空でそんなことを考えていた。

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明日はどうなる

札幌駅前 元・五番館 元・西武百貨店跡地 
10年以上空き地になっていたが、ヨドバシカメラになる予定地で工事が始まったみたいだ

旅をするときいつも夜中に目が覚めて、いつもと違うところに寝ていることに気がつく。あれ、今どこにいるのだっただろうかと。ところが部屋の中が真っ暗だと見当がつけにくい。そこで、いつも窓のカーテンを開け放したまま寝ている。それでも、ビジネスホテルの中には、窓の外が隣のビルの壁などということもあり、朝になったとしても外は暗いこともある。そういう場合は部屋の明かりをあちこちつけたままで寝ることにしている。

ところが歳をとってくるとそういう努力がだんだん無駄になる。というか、部屋の中の気配から自分がどこにいるか思いだすことが難しいのだ。ビジネスホテルの部屋の中がどこも似通っているせいかとも思ったがどうやらそうではないらしい。
夜中に起きた時のベッドと窓の位置関係などは薄ぼんやりとだが記憶しているようなのだが、それがだんだんと思い出せなくなってきた。短期記憶の障害とまでは言わないが、以前は無意識に記憶していたことが、今では相当強く意識しないと覚えきれないようなのだ。今日はどこにいる、明日はどこに行くを寝る前に呪文のように唱えると少しは記憶がマシになる。人間、歳を取ると、ひょんなことからそれを思い知らされる。おそらく、体力の低下と合わせて移動が強いストレスになるのだ。旅好き、移動好きだったが、それもそろそろおしまいにする時期らしい。

だから旅と旅の間には十分な時間をあけておきたいのだが、ここしばらくは仕事がらみで移動が多かった。とりあえず、酷暑の時期は家に篭ろうと日程調整をしている。あれこれと生きていく段取りを変える時期なのだなあ。

高知県久礼のカツオは他では食べられない旨さ

ただ旅をしないと食べられない美味いものもあるのだよねえ。

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西国の最前線

福岡の中心部に広がる広々とした公園は、昔の福岡城の跡地だと知った。昔懐かしい平和台球場もこの中にあったらしい。これまでは公園の池だと思っていた、ハスがいっぱいに広がるところは城のお堀だった。この堀の幅はすごい。江戸城、大阪城は流石に別格だが、現存する城跡のお堀としては屈指の幅広なものだろう。それだけ、防衛拠点として重要な場所だったということだ。

石垣の積み方をみると建造された時代がわかるのだが、この積み方は築城術が発達した戦国後期以降の石積みだろう。ただ、地震で崩れて積み直すこともあるので、最初に建てられたものとは異なることもある。
城跡の面積は相当に広いから領地の多い大名にしか作れなかった巨城のはずだ。ちょっと調べてみれば築城年代などすぐにわかるのだが、今回は放置で良いか。

この場所は古代ヤマト朝の時代から外交防衛拠点として使われていたのだ。そもそも九州にあったヤマト朝が奈良まで移って行ったのは、領地の拡大、東進に合わせてだとは思うが、大陸・半島からの圧力から逃れると言う意味もあったのだろう。転居した奈良を守るべく縦深防御構築を図り、北部九州から瀬戸内海の各地に「古代の城」を築城した。大陸軍の進行経路を想定した大防衛ラインなのだが、国ごと引っ越したのだから、よほど怖かったのだろうなあ。とにかく、福岡は古代から文化レベルの高い大陸に向けた貿易都市であり、また国家防衛の拠点だった。奈良盆地という田舎に引っ込んだヤマト朝が大陸を覗き見る窓でもあった。

この建物の中に、古代の遺跡が残っている。目の前に広がる元野球場、芝生の広場とは奇妙な対比だが、それが歴史のある場所ということなのだ。もう少し九州の歴史をお勉強した方が良さそうな気がする。