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水攻めのあとは田んぼだった

秀吉が毛利攻略戦の中で行った有名な水攻めの跡地に行ってみた。当たり前だが、負けた方の城は跡形もない。あたりは田んぼと住宅が広がっているだけだった。自分の中で全く地理的な把握ができていなかったのだが、岡山市西部にある低い山の際にあったようだ。

城の周りを堤防で囲いそこに水を溜めて城を孤立させて降伏を迫る。金と手間はかかるが、人死には起きない。味方には優しい戦争方法だ。課題は、毛利本国から救援部隊が来ると自陣の前後から逆包囲されるということだが、そこは秀吉軍が毛利軍行軍の要所を押さえて対峙したといいうことらしい。

その高松城水攻めの資料館があり、歴史的経緯などを含めお勉強ができる。特にジオラマ的な立体模型で地勢を見ることができるのが素晴らしい。現在であれば、ドローンを使った空撮という手もあるが、所詮は地面の上で平面移動しかできない戦国時代の軍勢には想像し難い見取り図だろう。まあ、同じような光景を近くの山の上から見たはずではあるが。

この高松城の一戦の後、本能寺の変が起こり有名な大返しを行う秀吉軍だが、もし水攻めではなく、通常の攻城戦を行なってたとしたら兵員の損傷もあり、大返しは成立しなかっらだろう。本能寺に秀吉が関与していたという陰謀論が出てくる原因らしい。歴史のIFは、妄想を弄ぶには楽しい。もし、毛利軍が秀吉軍の背後をつくことができたら、築堤は遅れていたはずだ。あるいは、築堤が完了した後で破壊工作が行われて水が漏れたら、これまた秀吉軍の膠着を招いたはずだ。秀吉軍の足止めについて、毛利と明智の連携がうまく行っていたら………などなど、妄想を巡らせるには最適の場所だった。

資料館の前にあるため池のようなものは、冬なので水が枯れていたようだが、梅雨の時期であればたっぷりと水があり、城を囲んだ水面が想像できるのだろうか。なんだか、公園の釣り堀くらいしか思い起こせない気もするのだが。
一度も戦うことなく今でも在りし日の姿が残っている名城と、城攻めに負けて跡形もなくなっている城跡、どちらがより感じるものがあるか。城巡りをしていると、廃城跡の方にロマンを感じるようになる。それは立派な城オタク、戦国オタク誕生の瞬間なのであります。

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高知の至宝 葉牡丹

高知市内にある繁華街からちょっと外れた場所に、高知の誇るべき至宝と言いたい居酒屋がある。この店が高知に来る目的になっても良さそうなくらい、愛してやまない老舗居酒屋だ。
この店に初めて連れてきてもらったのは、15年くらい前のことだった。ビジネスの打ち合わせが終わった後で、取引先の社長が連れてきてくれた。何でも、高校生の頃から通っているという。いまではコンプラを含めあり得ない「悪さ」を許してくれていた時代だ。ただ、高校生でも酒を飲んだくれていたわけではなく、二十四時間営業の便利な食堂として使っていたらしい。
だから、初回に行った時の注文はカツオのたたきなどの高知名物料理はそっちのけで、野菜炒めにオムライス、ナポリタンという、まさに高校生爆食メニューだった。(よくそれで酒を飲んだものだと後になって我ながら感心した)

高知県内でこの店の名は轟いているらしい。高知県で成人するものの通過儀礼として、誰もがこの店での体験をしているようだ。いや、それに異議など全くない。良い店は世代を超えて継承されるべき文化遺産だ。ただ、この店が某ケンミンショーにだけは登場して欲しくないとは思う。今でも十分混雑している店だから、これ以上旅行者(自分を例外として)が押し寄せると店の前に行列ができそうだ。ましてや、インバウンド客が押し寄せる光景など想像もしたくない。
まあ、この店のおばちゃんパワーがあれば、インバウンドのさばきなどお茶のこさいさいみたいな気もするが。

分厚いメニュー本?の中に、和洋中、酒の肴に飯、そばなどなどが混在している。昔のデパート大食堂と、大衆居酒屋のメニューを混ぜ合わせたらこんなメニューになると思う。大人にとってはパラダイス的メニューだ。
今回はこれまで注文したことのないものを頼んでみた。

まずは串揚げ盛り合わせだ。5本セットでソース味。大阪の串揚げに似た気配はある。高知は、というか四国全体が京都・大阪から地理的に近いためか、料理を含めて広い意味で関西文化圏に入っているようだ。
この店には焼き鳥、串焼きも種類豊富なので、焼き鳥盛り合わせと串揚げ盛り合わせを頼んでおけば、とりあえず注文は一旦完了できる。とりあえずビールととりあえず焼き鳥、あるいは串揚げで……………というのは、酒飲みには優しい対応だろう。

今までに頼んだことのない二つ目、温かい豆腐も注文してみた。これは、思いのほか薄味で出汁も控えめ。何となく意外な味付けだ。ネギの緑が西国に来たことを知らせてくれる。関東の黒い蕎麦つゆに驚く関西人みたいな東西食文化あるあるネタの反対側が、この緑のネギだろう。関東の人間からすると、豆腐には白ネギが定番で緑のネギは余った端っこみたいな気がしてくる。まあ最近では彩として「万能ネギ」が使われることも多いので、その手の違和感がほとんどなくなってはいるが、

忘れていけないのが「親鳥」の焼き物。これは、おそらく香川名物「骨付鳥」のインスパイア品(コピー品)だろう。ただ、味付けは原型の濃い塩胡椒・ニンニク味ではなく、何と焼き鳥のタレを注文できる。塩味もあるが、それは何度か食べているので、今回はタレにしてみた。焼き鳥のタレだから、当然のように甘ジョッパイのだが、それが不思議と親鳥に合う。今度は「ひな」にしてみようかなと思ったが、それではジャンボ焼き鳥ではないかと気がついた。まあ、でも試してみようか。

ああ、きっとまた次に来た時もこの店に寄るのだろうな、という確信がある。ひろめ市場が高知のカオス代表であるならば、葉牡丹は高知の煌めき、とでも言いたい。葉牡丹、お江戸支店を作ってもらえないだろうか。どうです、高知県庁(旧)おもてなし課の皆様。最低でも週一で通いますから。

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高知の日曜市

高知空港に朝一番の便で飛んできた。久しぶりに日曜市を見に行こうと思ったからだ。たまたま空港で気がついたのだが、高知家のイメージキャラは高知市出身の最近、世をお騒がせした女優だったはずだ。いつ、この二人組に変わったのかは覚えていないが、あの騒動の前に変わっていてよかったなあ。と高知県庁の担当者は思っているだろう。
ちなみに高知県の人口は68万人なので、「高知家」とは、それはそれで随分と大きな家族だ。

その高知市内の目抜通り、お城に続く道で毎週日曜に開催される路上バザールというか縁日というか、これが実に楽しい。高知市民がこぞって集まってくるようだが、観光地としてみても一級の価値がある。
露店で売っているものは、弁当、野菜、魚、工芸品など様々だ。日曜市に行って、スーパーなどに出回らない希少野菜を見つけるのが楽しみだ。露店のおばちゃんたちとあれこれ楽しい駆け引きしながら、野菜の知識を仕入れていく。随分とビジネスに使わせていただいた。新商品の原料を手に入れたこともある。
ただ、日曜市で一番楽しみなのは、高知名物田舎寿司を手に入れることだ。田舎寿司といいうのは、魚を使った握り寿司ではなく、魚の代わりに野菜(こんにゃくや筍)を乗せた、かなり酢のきつい酢飯を握ったものだ。これが大好物だ。高知市内の寿司屋でも売っているのかもしれない。スーパーでも惣菜売り場で売っている。高知のカオススポット、ひろめ市場の中でも何軒かで田舎寿司は売っていた。

しかし、断固として言い切るが、日曜市に出ている何軒かの寿司屋?をめぐり物色して買うのが一番楽しいし、一番うまい。ただ、いつでも同じ店(同じ店主)が店を出しているわけでもないようで、行った日によってメニューが違うというか、商品も違っている。まあ、それも楽しいのだが。
日曜市では、色々な具材の寿司をセットにして売っていることが多い。いわゆるミックスパックだ。そのネタ?の組み合わせも箱ごとに違ったりしていると、なおのこと選ぶのが楽しい。ところが、今回見つけた店では単品で販売していた。
これはちょっと困った。色々と種類を食べたいのだが、単品で全部揃えると、とても食べ切れる量ではない。丸一日かけて、田舎寿司を3食食べ続けることになる。それは、流石にちょっと苦しい……………

サバは田舎寿司でも使われることがあるようで、たまに見かけていた。ただ、今回はサバ巻という新種を発見してしまった。高知の料理屋でよく見かけるのが「土佐巻」というカツオの海苔巻きだが、薬味がニンニクで酒の肴によく合う。マグロの鉄火巻きより数段上の食べ物ではないかと思っている。その土佐巻のサバ版のようだ。これは一つ買わなければならない。

田舎寿司ミックスセットは他のお店で入手すれば良いと考え、さば巻を買い込み日曜市ツアーを続けた。

このサバ巻き、ホテルに戻って夜食に食べようと思ったのだが、それは間違った決断だった。サバ巻はどう考えても夜食ではなく酒のつまみだ。これを食べたらほとんど寝るつもりだったが、ついつい我慢しきれず酒を買いに行ってしまった。たまたま、自動販売機のある階に泊まっていたため酒の調達に問題はない。
突然始めてしまった一人酒盛りだったが、本日の日曜市を思い出しながら飲む酒はなかなか楽しい。サバ巻もうまいし、高知は良いところだなあと、幸福感に包まれた夜でありました。

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鬼の城は麓まで

いかにもすごい名前ではないかと思う。鬼の城とは、桃太郎伝説に出てくる鬼ヶ島と何か関係があるのか。岡山の温羅(うら)に関わる伝承との繋がりはどうだ? などと考えてしまう。が、ここは古代ヤマト朝が半島国家の百済支援に出兵して大敗したあと、中華帝国の侵略を恐れて築城した古代要塞群の中の一つであるようだ。
確か、対中華帝国防衛線は九州北部海岸沿い、そして熊本の阿蘇近くにも作られていたはずだが、中国地方にも防衛拠点が作られていたとは驚きだ。なかなかの縦深防御線であるが、本拠地である奈良まで攻め寄せられることを想定した、戦略的な施設であった。というか、それほどにビビっていたのだろう。だったら、百済まで出兵などしなければよかったのにと思うのだが。
ある歴史書によると、古代日本は全くの低開発国で、対半島国家との貿易は完全な輸入超過であり、貿易決済のために差し出せるものは「人」しかなかった。具体的に言えば、奴隷の輸出と傭兵の派遣だったそうだ。
だから、中華帝国というアジア世界の中心国家と事を構える羽目になる。おそらく、中華帝国が辺境の争いに本気で出動するはずがないとタカを括っていたのだろう。その能天気な民族性は、1500年近く経っても変わっていない。

古代アジア世界で起きた、世界の端っこの小競り合いだったが、その結果は当然のように小国は負けてビビりまくる。大国と戦争して勝てると思い込む。負けたら、徹底して引きこもり震えるだけ。国家戦略というものがないのだ。
ただ、それと同じことを、またやってしまった。今度は太平洋の反対側にある大国に戦争を仕掛け、それだけではなく、世界中を敵に回して戦争をする。挙げ句の果てにまたもや大敗する。千年経っても何も学んでいない。古代ヤマト朝の末裔とは、とても頭の悪い民族なのだろうか。

そんな哲学的なことを考えさせられる場所なのだが、この場所に辿り着くには車がすれ違うことも難しい細い山道を5kmほど走らなければならない。ハイキングコースの一つらしいのだが、少なくとももうちょっと道路整備はして欲しいものだと岡山県には言いたい。

この鬼の城の入り口から徒歩で10分ほど山に登ると、いわゆる城の構内に入れるようだ。だが、すでにこの時にはすっかり山登りが嫌になっていた。ありがたいことに、駐車場脇には鬼の城を解説する資料館があり、そこには城のジオラマ模型があった。おー、これぞ神の視点ではないかと感動した。
全国にある山城の麓には、ぜひこれと同様の解説施設を作って欲しいものだ。しかし、古代ヤマト朝廷は戦争技術が低かったのではないかという疑いが拭いきれない。防衛施設としてこの場所が有効だったのだろうか。
当時、ヤマト国家の人口は1000万人程度だったらしいので、そもそもあちこちに要塞を建築できるほどの経済力があったとも思えない。瀬戸内全体を縦深の取れた防衛陣地として構築できたようでもない。
属国だった吉備国に負担を押し付けたとも考えられる。まあ、いつの時代も政治屋のやることに変わりはないようだ。

山上まで上がると古代様式の城壁造りが見られるようなのだが、城周りを一周すると、完全にハイキングになるようだ。若い方向けのお城だろうなあ。

桃太郎と対峙した鬼の一族がここにこもっていたという話であれば、なんともファンタジーな世界になるのだが、現実は古代にも存在した無能な権力者のおバカさを思い知るという、苦い体験になるのでありますよ。

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カツオの町でラーメン初体験

高知県とは随分と長い付き合いになった。同じくらい長い付き合いの友人もできた。その友人たちの住む町が、高知県中西部にある。高知市からJRの特急で一時間ほどかかるから、なかなか遠い場所だ。
そこにある観光名所というか市場では、彼らが自慢する通りの「日本一うまい鰹」が食べられる。カツオの産地で知られる高知県だが、高知県で水揚されるカツオは高知県人が食べ切ってしまう。だから、高知あがりの鰹は県外にほとんど出回らないらしい。高知以外にもカツオの産地は太平洋岸にたくさんあるが、カツオの生食文化では高知に敵わない。だから、うまい鰹を食べたければ高知、それも中西部の港町に行くしかない。

次回は夜に来て、ゆっくりと酒を飲んでみたい

そんなカツオの町に長く通い詰めているのだが、実は一度もラーメンを食べたことがなかった。滞在時間が短いせいもある。昼飯に鰹を食べ、夜には宴会で土佐料理のあれこれを食すというパターンが多いので、それ以外の食べ物を口に入れることが難しいこともある。
たまたま、今回は昼時に魚以外のものを食べようということになり、町内に数少ないラーメンを出す店に連れて行ってもらった。
ただ、この店もランチはやっているが、居酒屋が本業らしい。

隣町の鍋焼きラーメンは有名だ。その土鍋でぐつぐつ煮込んだラーメンは、淡麗スープ系、麺は細麺ストレートといったシンプルなものだが、どうもそれに似た系統のラーメンだった。お腹に優しい。おかわりできそうなラーメンだ。
よく考えれば、そもそも高知に来てラーメンを食べた事はほとんどない。唯一の例外が高知駅高架下にある餃子の王将でクイックランチを食べたくらいだが。あれは高知ラーメンとは言わないだろう。10年以上前に、屋台のラーメンを食べたような薄っすらした記憶もあるが……………
そばも記憶にない。うどんは食べたことがあるような、ないような。麺食いとしてちょっと反省した。全国津々浦々でご当地ラーメンを食べまくってきたが、高知のラーメンは全く思い浮かばない。次回は、少し下調べをしてから高知ラーメン実食ツアー開始だ。まずは調査だな。

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はりまや橋で観光

高知県高知市の最重要ランドマークはこれに違いない。路面電車もバスも、ここを中継点としている。全国的にもよく名前の通った場所だ。だが、観光名所というより、すでに地名アイコンと言ったほうが良い場所だとも思える。

歌にも歌われる「はりまや橋」はこれだ。歩くと15秒ほどで渡れる。今ではすっかり都市開発の中で忘れられたように残る小川を跨いでいるが、このすぐ隣から川は暗渠になっているので、橋に関しての実用的な意味合いはまったくない。

気になったので反対側からも写真を撮ってみたが、見た目は同じだ。この後で男性二人組の観光客がこの橋の上で写真を撮っていた。自撮り棒を使っていたので、日本人観光客ではないかもしれない。

ただ、このはりまや橋を起点に帯屋町を中心とした繁華街が広がるので、高知の観光スタート地点としては良い場所だ。まずは、坊さんになった気分で土産物店で珊瑚のかんざしでも覗いてみるのはどうだろうか。

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吉備津彦神社にて

岡山市の西部に吉備津神社と吉備津彦神社が、ごくごく近くにある。社の名前が一文字違いなので間違えやすいのだが、吉備津彦神社は、もともと吉備国の一宮であった吉備津神社から分祠されたものだそうだ。吉備国が備前・備中・備後に三分割されたときに、吉備津彦神社は備前国一宮となった。元の吉備津神社は備中国一宮に落ち着いたようだ。
これも古代ヤマト朝が、強大だった敵国(吉備国)を分割統治した占領政策と考えると面白い。分割した国にヤマト固有の神を持ってこないで、占領国の神を継続して祀った。ただし、その神は国神ではなくヤマトの神なのだぞと偽った上で、改めて分祀したことになる。なかなか細やかな占領政策だろう。
占領後に二・三世代も経てば、祀っている神が自国固有の神だったことを覚えているものもいなくなる。昭和後半の日本も同じようなことになった。占領と支配に関しては、同じテクニックが1000年を超えた過去でも、ほぼ同じように使われていたということだ。支配者と社会の本質は今も昔もあまり変わらないらしい。


北部九州の「独立勢力」と言える神々も同じで、北部九州統合の過程でヤマトとの急激な同化政策を取らず、それぞれの氏族の神を国神として認めた上で、「天照」という大女王神を作り上げたのだろう。
現代史における民主主義国家と共産主義国家の死闘の経過、そして結果を見ると古代ヤマトとでも同じような風景が見えてくる。民主主義国家の拡大と共産国家の没落が、古代ヤマト朝の征服過程と奇妙にダブって見える。古代ヤマト朝の先進的な経済に飲み込まれた、遅れた国々という構図だ。
軍事的な恫喝と経済的な魅力を組み合わせた戦略で、最終的に思想統一を図る。その時の攻略因子は、経済的成功、おそらく稲作の生産性向上作だろう。理念は金に負けるというのは、人類の歴史が証明している。。
共産主義が唱えた、みんなで貧乏を我慢するという理念は、結局、俺だけでも金持ちになりたいという欲望に負けてしまうのだ。おまけに権力者だけが贅沢をする、そして残りの国民は全員貧乏人だという社会は王政よりなお悪い。

やはり、人というものはたかが1000年や2000年では変われないものらしい。古代ヤマト朝の西国統合は、出雲国と吉備国の二大強国を下したことで完成したようだ。だが、最終的に奈良盆地を手に入れ、西国を平定したときに決定的な要因となったのが濃尾平野の豪族であったらしい。
奈良盆地を挟んで東西に広がる諸勢力とのバランスをとる古代ヤマト朝は、建国当時に政治的綱渡を随分と強いられたはずだが、その名残は熱田神宮に見られると思う。伊勢神宮と海を隔てた東国侵攻への最大拠点が、熱田神宮だったはずで、熱田神宮の扱いが吉備津神社などとは別格であることからも窺える。この話はまた別の機会に。


西国最強国の一つであったはずの吉備国、そしてその主神を祀る吉備津神社を訪れても、いまではそのかけらも感じられない。平和な雰囲気だ。江戸時代に今の拝殿が作られたようだが、この建築様式は独特だ。なぜ吉備津神社だけが特異な建築様式であり、その兄弟ともいうべき吉備津彦神社とは異なっているのか、この辺りも少し研究してみたいものだ。

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ひろめ市場のカオス

高知駅前から伸びる路面電車は、はりまや橋の手前に停車場で止まる。そこから高知一番の繁華街であるショッピングアーケードが始まる。テレビ番組の街頭ロケでインタビューを受ける高知県民はだいたいこの通りの通行人だ。
アーケードを脇に逸れると飲屋街が広がる。高知の飲屋街は、高知市の人口を考えると桁違いに広いような気がする。酒にかける使命感が他県民とは違うようだ。県民性というものだろうか。
入り口で気がついた「婚礼ふとん」というのは、初めて見てなんのことかと目を疑ったが、確かに意味はわかる。結婚したら新しいふとん(ベッド)は用意するものだろう。ただ、それを宣伝する店というのは、初見だったというだけだ。

そのアーケード街をあるいて反対側のはずれに、高知市民、いや高知県民が誇るであろう名物スポットがある。全国あちこちに屋台村や〇〇横丁という名のつけられた人口的な屋台団地みたいなものはある。小ぶりな店がぎっしりと詰まっているのはなかなか楽しいものだ。
しかし、この市場は、そのような全国に散在する屋台村とは一線を画す「独自」なものだ。あちこちに旅をしてきたが、このひろめ市場はワン・アンド・オンリーな存在だ。他に類を見ない。強いて言えば、沖縄にある公設市場の2階が、多少なりとも似ているくらいだろう。公設市場2階はたくさんの食堂が集まっている場所で、食堂でありながら昼から宴会をしている人も多い。観光客にも人気のスポットだ。しかし、そこはまだ沖縄風ではあるが日本である。
この高知の市場は、ほとんど日本を超越した雰囲気があり、まるで台湾の夜市や、シンガポールのホーカーのようなアジア的カオス感がジ充満してる。店の組み合わせもあれこれ言いたくなる無軌道なすごさがあるのだが、そこのあちこちに客席が無造作に並べられている。
いわばフードコート、いやフードホールのようなものなのだが、飲食店だけでなく弁当屋や鰹のタタキ実演の店が区画割などないままにあちこちに存在する。物販の横が居酒屋でその隣がかまぼこ屋だったりする。ともかくカオスだ。
おまけに通路のあいているところにかたっぱしからテーブルや椅子を置いたので、そこで物を食べていると通行客が背中を擦っていくという、ほぼ路上飲食に近い状態だ。だが、誰もそれを気にしない。
コロナのドタバタが終わり外国人観光客が戻ってきたこともあり、市場内のカオス度はもっと高まっている。周りを飛び交う会話が日本語であっても難解な高知弁、その上を押さえ込むようにチャイニーズの甲高い響き、その隙を縫って英語やフランス語が聞こえてくる。何度も繰り返すが、カオスなのだ。混沌としているとしか言いようがない。そして、誰もが幸せそうな顔をして飲食に励んでいる。

一番混雑している大スペースを抜けだし、小ぶりな席がいくつかある場所でようやく席を確保した。目の前にあるのは、空港の到着ロビーで宣伝していた居酒屋だが、この店もタイミングが悪いとたっぷり行列している。
おまけに、高知県民であるらしいおばちゃんがネイティブな速度で高知弁会話を繰り出してくる。こうなると言語の理解速度が外国語会話並みに遅くなる。試練だ。

それでもなんとか、青のりのかき揚げと鯨の串カツという高知ローカルな食べ物を注文できた。めでたし。どちらもうまい。が、よく考えると揚げ物2種ではないか。

座っている隣の店はチキン料理屋だった。反対側には屋台餃子の店がある。注文する物は多種多様に存在する。なのに、揚げ物2種とは、とほほという感じもするが。まあ、カオスな場所だし、次来た時はもう少しバランスとか彩りとか考えようと諦めた。頭の中までカオスになっていたらしい。

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足して2で割ったらこうなった?

岡山駅の周辺は不思議な場所で、駅から東寄りにアーケード街があるのだが、そこが現在進行形で高層ビルに建て替え中のエリアらしく、ビルの一階にテナントとして入っている居酒屋と、昔ながらの路面店が共存しているエリアだ。
新旧、大小が入り乱れている。カオスといえばカオスだが、その中の一角にベトナムの食材を売る店がある。岡山にはそんなにベトナム人就業者が多いのだろうか。
その色々なものが混交したエリアに、比較的大型の居酒屋があった。店名を見る限り、海鮮居酒屋だと思ったのだが……………

何とメニューが、これまたカオスでありまして。某全国チェーン居酒「串カツ〇〇」と「磯◯水産」が合体したような店だった。串揚げと磯焼き(目の前のガスグリルで魚などを炙るスタイル)を楽しめる。
店内の雰囲気は〇〇水産なのだが、推しメニューは串揚げらしい。とりあえず、串揚げげ屋の絶対定番である「紅生姜」を頼んでみた。何だか串が……………小さいような気もする。聞くになるだけだから、某チェーン店でもこんな大きさだったのかもしれないが。

岡山名物は何かないかと探してみたら、当たり前だがままかりがあった。とりあえず頼んでみたが、味はいつものままかり酢漬けなので文句もない。普通に美味い。ただ、何だろう、この居心地の悪さは。
居酒屋業態は、基本的にヒットメーカーの二番煎じ出店は当たり前だ。古くはつぼ八のコピー店が山のように出現した。そのコピー店の有象無象の中から、次の時代を代表する成長企業「わ◯み」が生まれた。そして、「わたみ」のコピーが生まれたりもした。つぼ八一族は、コピーと進化を繰り返しているとも言える。
つぼ八創業者は、その後、新型のつぼ八というか後継業態を生み出したが、これは東京都下で広がったところで出店が止まってしまった。創業者の高齢化のためだったらしい。弟子たちはその事業を引き継がなかったのだなあ。残園なことだ。

岡山という街に全国チェーンのヒットコンセプトが新店を開ける前に、そのコピー店が出現すればしばらくは商売繁盛できるはずで、それを咎めるつもりはないのだ。それどころか、ニコイチというか二つのコンセプトを抱き合わせるて一つにするというのには、いやいやこれはすごいぞ、素晴らしいと感服した。
個人的には、串揚げと海鮮をメニューとして合わせるのじゃ難しいと思う。が、店内にはおっちゃん達がそこそこ集まっていたので、やはりこういう演歌が似合いそうな薄暗い居酒屋は、手堅い需要があるのだなと改めて思い知らされた。岡山駅前は結構ディープな場所らしい。お見それしました。

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ミュンヘンな冬市場

北の街では11月から冬モードになり、雪は降らないまでも気温は急低下する。その時期になると、大通公園の東側で屋外イベントが毎年行われていた。コロナの間は、休止されていたがようやくフルスケールで再開された。
毎年出かけていたが、いつ行っても「なぜ、この寒いときに外で遊ぶ?」と言いたくなる。雪まつりもそうだが、雪が降ったから屋内に篭りがちなので、みんなで外遊びをしようというような趣旨で始まったはずだ。
ただ、現在の街の状態を考えると地下街は広がり、交通の便も良くなり、おまけに毎年ものすごい金をかけて除雪事業を行っている。家にこもっているとすれば、外出ができないのではなく、好きでやっていることだと思う。まあ、屋外イベント実施にはそれで観光客を呼び込もうという商売目当てなのは透けて見えるし、個人的な勢いで始まった「よさこいソーラン」が初夏の目玉商品になった二番煎じを狙っていると考えれば、なるほど納得できる。

それにしても、西欧で行われるクリスマス市を日本に持ってくるというのは、いささか無理があるような気がしないでもない。日本ではすでにクリスマスは宗教的行事ではなく年末のラブ・イベントとして認識されている。おそらく市民でもクリスマス市の意味合いはわかっていないだろうから、観光客目当ての雪まつり先行イベント、客寄せパンダ的な話題作りという理解ではないか。まあ、カジノ建設目当ての某万博よりはよほど健全なのは確かだが。

会場内には立ち食いフードコートが設営されている。昼でも寒いが、夜であれば耐えがたい気温になる。それでも巨大飲食用テントが設置されないのは、コロナの時期の学びというか、閉鎖空間への恐怖なのかもしれない。
ただ、客の大半を占める外国人観光客はそんなことを気にはしないと思うけれど。お江戸と比べてみると、明らかに市内の繁華街でマスクを使用する人間が多い。やはり、マスクを外すことの忌避感は地方都市ほど強いようだ。特に、北海道は人口比での感染率の高さから感染危険地域扱いまでされていたことを思い出すと、このマスク依存症は2-3年は続くに違いない。

たまたまこの時期は雪が少なかったせいで、路面が見えている。ところが一旦雪が降ると、この広場がスケートリンクのような凍結地面になる。地元民でも歩行に困難が生じる。観光客にとっては罠のような場所だ。それでも、屋外で実施するというのは、なんという商売根性だろう。

毎年実行するのだとしたら、せめてこの会場内だけでもロードヒーティングを施すくらいの「観光支援」業務は行わないのだろうか。実に不思議だ。だが、市当局は人の金を当てにしたオリンピックを呼び込むにためには予算を突っ込むが、自前の観光立地保全に対する金は使う気がないらしい。
そもそも、オリンピックを誘致したのは、老朽化した市の施設を国費で再建するという、ほとんど詐欺じみた狙いがあったようだ。誘致断念の前後に、この手の情報が漏れ出してきたのは、やはり官と民、特にメディアがグルになっていた「汚染な構造」があるせいだろう。
西の街でも万博が終わった後には東京オリンピック並みの悪徳が暴露されるのは間違いないだろうから、この街がオリンピックを諦めたのは犯罪防止の観点からしても正しい。

などとあれこれブー垂れながら、それでも毎年のようにこのミュンヘン市を訪れてしまうのは、イアー・マグが欲しいからなのだが、今年のマグはちょっと可愛い系によったデザインだった。残念なことに値段は昔の倍近くに値上がりしている。平成と令和の最大の違いは「お値段」だとしみじみ思う。おまけに、お値段以上の体験は……………保証の限りではないのが令和という時代だな。