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カツオの町であれやこれやを思う

いつものカツオの町で、いつもの魚屋さん直営昼飯屋で切り立ての刺身で丼飯を食らうことになった。この店の注文システムは簡単で、まず魚売り場で食べたい魚、刺身を選ぶ。当然お目当ての一品は、その日の朝セリにかかった新鮮なカツオだ。その日の気分で叩きにするか、刺身にするかを選ぶ。カツオ以外にも、その日のおすすめ魚が刺身になっている。我が好物のウツボのたたきも並んでいる。
あとは、丼飯と味噌汁のセットを頼み食券(魚の番号)をもらう。名前を呼ばれたら、魚屋向かいの食堂に入り席につき、ご飯券と魚券を渡す。丼飯が来たら、ガツガツと食べる。満腹になり大満足する。以上だ。

この刺身売り場の横に、カツオの刺身製造における副産物、ちちこ(心臓)とはらんぼ(下腹部下の皮身)も売られている。どちらも焼いて食べると美味い。普通の魚屋には流通しないものだが、大量に鰹を捌いている店だけに、ちちこもハランボ新鮮なまま手にはいる。焼いて食べると美味い。間違いなく珍味だ。多分、この魚屋食堂の常連になれば、頼めば焼いてくれると思う。ただ、この量を一人二人で食べるのはなかなかしんどいだろうなあ。

今回のカツオは刺身だった。ちなみに魚を選んでくれたのは地元の友人で、刺身のコンビネーションは全くのおまかせだ。魚の名前も聞いたが、覚えきれない。地元の魚であることは確かだ。この店でアジとか鯖といった、一般的な魚の刺身を食べた記憶はないのだが、あえて友人がそういう普通の魚を選んでいないのかもしれない。この辺り、おまかせきりで怠慢の極みだと反省している。
食堂の待ち時間の間に魚を見ていたらオナガダイが並んでいたことがあった。次回はそれがあるか聞いてみよう。オナガダイはとても美味い魚だと、和歌山の漁師と知り合いになった時に教えてもらった。一、二度食べた記憶はあるのだが、味をさっぱり覚えていない。

次の日、朝イチのセリに連れて行ってもらった。魚のプロたちが十人くらい集まってカツオの前でゴニョゴニョ言っている。よくテレビで見かける威勢の良い大声での値付けがあるのかと思っていたから、なんとも拍子抜けしてしまった。
大きいカツオは一匹単位でせりをするらしい。10kgのカツオから、刺身は5kgくらい取れる。高知のカツオ刺身一人前は100-120gらしい。だからこの1匹がおよそ40-50人前になるようだ。

小ぶりのものは一匹ではなく箱売りになる。同重量のものが5-10匹程度カゴに入った状態でセリになる。この日はセリ値が高いとのことで、友人は入札しなかった。確かに値札がついているわけではないので、その日の参加者がどう考えているか、思惑で値段が決まる。

魚市場の裏に停めてあるカツオ船の横に行き、船の様子を説明してもらった。友人はカツオ船で一本釣りをしていた元・漁師でカツオのプロだから説明が細かく丁寧だ。話を聞けば聞くほど、別世界の感じがする。ただ、今では早朝に船を出して、早ければ夜には帰ってくる近海漁業に徹しているので、それだから釣りたてのカツオがセリに出るのだそうだ。
美味い鰹を食べるには、やはりこのカツオの町、中土佐町久礼に来るしかないのだなあと改めて思い知った。

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日本で一番愛されている神様

高知の話が続いている。

高知県で「おきゃく」とは宴会を意味するらしい。毎年、春になると「土佐のおきゃく」と呼ばれる大イベントが行われ、街の中心部がそのまま大宴会場になる。高知一の繁華街でも路上になぜか畳とこたつが持ち出されて、ここで勝手に酒を飲むのが許されているらしい。

誰かが使ったことが明らかで、安心してしまう

高知市で中央公園と言えば誰でも分かる街のど真ん中にある場所がイベントスペースになっている。お祭りのように出店が出ているが、その大部分が酒とつまみを販売している。飲料メーカーの直営店もある。街を上げての全開宴会モードだった。市民バンドが続々登場して、幅広いジャンルの音楽演奏が行われる。なんか、すごい……………

どうやら二週間にわたって週末イベントが行われるらしい。ステージの内容も盛りだくさんというか、バラエティー・ショー的な賑やかさだった。

この「土佐のおきゃく」を司る大明神がいる。明神様だから悪者を追い払い、弱気を助ける正義の味方のはずだ。つまり、酒飲みの正義?を守る守護神らしい。日本には八百万の神様がいる。その中には酒の神もいる。酒造りの神もいる。だから、800万柱の神様の中には、酒飲みのための神様がいても不思議ではない。それを発見した高知人は、なんとも素晴らしい嗅覚を持っている、と感嘆するしかない。

で、その神様のありがたいお姿がこれだ。下半身に出っ歯ているコブは、どう解釈すれば良いか意味深だが……………
取り合えず、全身が桃色になる程、たっぷりと飲まれているらしいお姿だ。おまけに目も回っているようだし。まさに、酒神の極みと言って良い。

ありがたい酒神の縁起についてきっちりと説明があった。ちなみに、この会場内には「べろべろの神様」のおみくじを引ける場所が設置されている。そこで、おみくじを引くと(購入すると)、これまたありがたいお神酒ががいただけるのだが、そのお神酒が例の下半身のコブから出てくる。これはちょっと誤解を招くというか、お下品なとSNSで叩かれそうな怪しさだ。まあ、酒の神様だからね。あまり細かいことは気にせずに。

会場の真ん中にドカンと桟敷がしつらえられていた。ここはステージの真ん前で、酒を飲みながら演奏を楽しめる特等席だが、どうも客の大半は演奏も気ずかずに飲んでいるだけのようにも見える。いや、決してそんなことはないはずだと思うが。
おまけに、なぜか酒席であるはずなのに子供がたくさんいる。これも高知流な英才教育の一環なのだと理解することにした。
ベロベロ大明神を崇め奉まつる高知人育成プランとしては、極めて正しいと同意する。子供に酒を飲ませろという意味ではない。酒を飲むと、人はどう変化するのか、それを幼い時から学びとることは、のちに大人になってから正しい人の道を歩むための導となるであろう、と大明神様がおっしゃっているのだな。

いやー、高知良いとこ一度はおいでだが、どうもそれは3月が良さそうだ。

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豊後国 で八幡様

八幡様を祀る神社が一番多いそうだ。ただ、そもそもの八幡様は古事記などには載っていないようで、九州における地方神だったらしい。ヤマト朝は侵略した地域の地方神を吸収合併していった征服王朝なので、八幡様もその吸収された神々の一族、それも最古のものだったようだ。
その八幡様の本拠地が宇佐八幡宮だが、九州各地に分祀された八幡様の一つがここ柞原八幡宮になる。山の上にあるので昔の人はお参りするのも一苦労だったのではないか。

拝殿に至る山道はかなりの急勾配な坂道だった。ただ、山の上に駐車場があり、この坂道を登らなくてもお参りできるようになっていた。ありがたいことだが、参拝者が高齢化しているのだなとも思った。

拝殿は渡り廊下の先にあった。一度靴を脱ぎ、拝殿までの廊下を歩いていくのが新鮮だ。

神へ祈るまでの道を心落ち着けながら歩く、みたいな意味があるのだろうか。たまたまお祓いを受けている方がいたので祝詞が聞こえてくる。ありがたやありがたやな気分になった。

古代日本で広まった八幡信仰は九州が端緒らしい。寺院の守護神として寺と併立されることも多かったようで、仏教に多くいるヒンドゥー系神族だとずっと思っていたが、どうもルーツは異なるようで、大陸渡来系神族ではあるが半島からの移民がもたらした半島系氏族の神のようだ。古代ヤマト朝では、主力メンバーに半島系氏族は多数いたので不思議なことではない。そもそも大陸諸国と比べて後進国であった古代ヤマトがなぜ半島に出兵するほどの肩入れをしたか。鉄利権の確保というより、半島から移住してきた氏族の要請、つまり故地の回復であったり、親族への支援であったりに負けたせいと考える方が自然だろう。

そして八幡様が全国に広がった経緯も考えてみれば面白い。宗教というものは、普及するとともに必ず構成神族がインフレーションを起こすようだ。仏教ではヒンドゥー神族をブッダの周りに配置して複層なブッダ・システム世界を作り上げた。その行き着いた先が曼荼羅絵になる。おまけに精神世界と物理世界の二重構造に仕立てるという入念さだ。
ユダヤ教から派生、展開したキリスト教でも、唯一神を崇めるのが宗旨なのに、なぜか神界において主神周りには複数序列をつけた天使族を配置している。天使は神の眷属とも、準神族とも言える超絶能力と権能の持ち主だ。日本でも同じようなことが起きている。
古代ヤマト朝が征服部族の神々を取り込み、その先にはなんと仏教の神族まで取り込んだ上で自分たちの神族と合体させる。融通無碍というよりも出鱈目な神世界を作り上げている。それをなんとか整合させようとしたのが古事記だったのだろう。
大陸で初めての統一王朝が出来上がり、文化面で文字の統一もなされて500年以上が経ち、大陸から遠く離れた後進国でもようやく文明の精華である漢字の読み書きが流暢にできるようになった。そんな片田舎の小国が、なんとか大陸の文明国に肩を並べたと言い張るために頑張ってしまったのが、「古事記」「日本書紀」という大編纂事業だった。それが当時の政権にとりどれだけ経済的負担が大きかったかということは、正式に続編が作られなかったことからも分かる。歴代の大陸王朝が滅びた(滅ぼした)前王朝の歴史を国家事業として記録していた。それの真似をしてみたが、あまりに大変なので一回で懲りてしまった。それが古代日本の限界だったのだろう。
それでも、宗教は政治と支配に使われることが多い。その時、必ず起こるのが「便利化」だ。なんでも神様のせいにして暴政を正当化する道具になる。
宗教とは人類が神を発明して以来変わることなく一貫して支配の道具だった。だから、きっと八幡様が日本中に広まったのは、権力者の道具として一番使い勝手が良かったからなのだろうなあ。天皇とその周辺が握っていた政治を、成り上がりの武家が奪ったあたりから八幡様は全国に広がっていったようだ。静かにお参りを済ませた後でそんなことを思っていた。

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豊後国で味噌ラーメン?

随分前に大分駅に来た時は駅全体が工事中だった。今回来てびっくりしたのは、実に大きな駅に生まれ変わっていたことだ。個人的に思うことだが、JR東日本は駅を作るのが下手くそだ。正確にいえば、見栄えの良い駅が作れない。駅の風格というかデザインがダサダサすぎる。
評価できるのは東京駅、それも丸の内駅舎くらいだろう。明治時代の雰囲気で再現したのは素晴らしい。その目の前にある中央郵便局も立て直しの時に、時の総務大臣が元の雰囲気を残せと息巻いたおかげで、シックなものに仕上がった。同じ丸の内サイドで丸ビルを筆頭に高層ビルが立ち並ぶ光景は、皇居の周辺にあるから席のたいせの空襲を生き延びた、明治以降のビルを踏み潰して作られたものだ。そこをかろうじて踏みとどまった東京駅も、天皇行幸の際の乗り込み駅であるから原型を保たれたにすぎない。(勝手な推測です)
八重洲側の東京駅を見れば、そのセンスの無さははっきりとしている。東北新幹線の各駅は、まるで同じ設計図で作ったような見栄えの悪さだし、首都圏大都市駅も実にセンスが悪い。大宮駅、宇都宮駅、福島駅、仙台駅と新幹線主要駅を並べてみるとはっきりわかる。中央線で言えば八王子駅と立川駅、おまけに吉祥寺駅。みんな同じ顔ではないか。横浜駅に至っては、日本のサグラダファミリアだ。美しい建築という意味ではなく、いつまで経っても工事が終わらないということが共通点だ。この先100年は工事が続きそうだ。
それと比べてみればJR九州はなかなかセンスが良い。これまでいったことのある駅で、ナンバーワンは金沢駅、ナンバー2は高知駅だが、大分駅はナンバー3と認定しておこう。現代建築でありながら、鹿児島中央駅や長崎駅の終端感はなかなか良い。

ただ残念なことに、大分駅の駅名が小さい。デザイン重視なのだろうと推測はできるが、このサイズは小さすぎだろう。

その大分駅前にある繁華街で面白い看板を見つけた。九州味噌ラーメンなる言葉は聞いたことがない。九州のどこかで味噌ラーメンが名物だった地域があったかなと、九州の北から南まで県別に記憶サーチしてみた。結果は、「ない」だ。
いや、どこかに存在しているのかもしれないが、自分の記憶にないだけの不勉強モードかもしれない。
ただ、この字体、看板を見るとなんとなく千葉発祥の味噌ラーメン集団のものに似ている。おそらく、千葉の味噌ラーメン集団で修行して地元大分に帰ってきたというようなことではないか。

そこで味噌ラーメン(野菜増量)を注文してみた。なんとなくみたようなルックスだ。食べてみると安心の味噌味だ。つまり食べたことがある味なのだ。どうやら推測は当たっているらしい………
九州ラーメンは豚骨ベースが多いはずだが、今では日本のラーメン屋のほとんどが豚骨ベースを使用しているし、千葉発祥だろうが長野発祥だろうが、所詮、美味い味噌ラーメンはある一定の味に収束していく。
すぐれた味の味噌ラーメンが全国で多発的に並行進化したとも思えないので、いわゆるインスパイアー系としてコピー商品が広がるか、あるいは暖簾分けで本店の味が全国の地方都市へ伝播していく。それは決して悪いことではないし、味の良し悪しは客が決めることだ。
なんとなく入った「九州味噌ラーメン」の店で、あまり九州らしさは感じ取れなかったが、普通に美味しく食べられたのでなんの問題もない。それよりも、味の均一化、ナショナル化、グローバル化みたいなことに考えが広がって、ちょっとワクワクしてしまった。ニューヨークで売られている一杯3000円のラーメンも、やはり同じような味なのだろうか。などと、考えてしまった。
大分は学びの街だな。

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食の爆発 食べると消える美術品

3月上旬に訪れた高知市内の繁華街で、高知伝統である皿鉢のデモンストレーションが行われていた。展示会というより、もっと圧を感じるデモンストレーション、食のデモだった。

たまに目にする刺身の舟盛りなど軽く超越している皿鉢料理だが、特にこのイベントに合わせて気合いの入りまくったおっちゃんたち(多分)が、鼻息荒く?作り上げた大作がドーンと並んでいた。いったい何時間かけて、これだけのものを作ったのかと思う。

確か、高知の皿鉢料理の基本は、一皿の上に全部乗せて、食事の始まりから終わりまでを完結させる。要は男も女も一緒に飲むため、料理の支度は事前に完了させるということだったと記憶している。おせち料理がお重に入らず大皿に盛り付けられるといえば良いのだろう。
だから、皿の上は色彩の爆発になる。大皿の上にこれでもかと料理を乗せるから、懐石料理などで感じる「隙間の美」など発揮できるはずもない。ただ、そこが良いのだ。これでもかと押し寄せる色彩の乱舞は暴力的であり魅了満タンだ。

だから、皿鉢の上に乗っている料理を一つずつ見て、ああだこうだ言っても仕方がない。それに、食べ始めればあっという間にこの形式美は崩れてしまう。存在自体が儚い料理とも言えるか。
一口食べただけで崩れる「美」は、食べる前にその存在を証明し終わっている。

陳列台の上に並ぶ数十の皿鉢料理は、伝統的な和物だけではなく洋風や中華風、オードブル的であり、アフタヌーンティー風まで、煌びやかなバリエーションが生まれていた。なんだか、高知人的なハイテンションで賑やかな感覚が溢れている。まさに眼福と言いたい美しいものだったが、見終えるころにはお腹がなっていた。目には優しく、お腹には厳しいイベントでありました。

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日曜市 in 高知

高知空港に降りて荷物を取りにターンテーブルの前に立っていたら、あれれと思うものが目の前を通り過ぎていった。丸のままの鰹が入った箱だが、いったい誰がこんなものを羽田空港で預けたのだ?
気になって、もう一周してくるのをまち注視してしまった。よくよく見るとフェイク鰹だった。なんとジョークな荷物サンプルということらしい。朝からちょっと和ませてもらった。

その後、高知市内に入り荷物をホテルに預けて日曜市を見にいった。午前中の日曜市は実に活気があって楽しい。狭い通りを挟んで両側に出店があるのだが、その商品のバラエティーがなんともにぎやかなのだ。
いつもの朝市で買う絶対定番、田舎寿司をまずは手に入れた後、地元産の柑橘類、それもハネものを物色して歩いた。朝市のあちこちでスーパーなどでは出回らない小ぶりな完熟ものが手に入る。店によって並んでいるものも値段もバラバラだから、一回りしてから買おうとすると、お目当てのものが売り切れていたりする。一期一会のことばをかみしめ、欲しいと思ったらすかさず買うのが日曜市の正しい楽しみ方だ。

その日曜市のはずれに骨董品店がある。市の日は路上にも商品を並べている。骨董品店によく立ち寄るには理由がある。骨董品好きということではなく、たまにとてつもなく珍しいものが売られているからだ。新品であれば数万円する皿鉢料理用の大皿が1000円で売られていたりする。以前は業務用に大皿をありったけ買い占めたりしたことがある。はすがに皿鉢の大皿は自宅で自分使いするには大きすぎるが、眺めるだけでも楽しい。
その骨董品店で、売り物ではなく「買い物」の広告が目が入った。「刀買います」と書いてあるではないか。足が止まってしまった。口が半開きになりそうだった。今の日本で刀を持っていれば、警察に登録しなければいけないのではなかったか。刀はすでに美術品扱いされているが、実際には実戦使用可能な携帯武器だ。たとえばご先祖さまの刀が蔵の奥に秘蔵されていたとして、それを売ろうとすると何やらとてつもなく面倒な手続きがいるのではないかと思う。

こんなの蔵から出てきましたけど、買ってもらえます?という具合にはいかないだろう。しかしだ、こうして刀買いますと書いてあるということは、実際に刀を売りにくる人がたまにいるのだろう。それを思えば、高知県はすごいところだと改めて感心した。ちなみに横に並んでいる鎧もレプリカではなく実品で、おそらく江戸期のものだろう。土佐は戦国時代終了後、掛川から来た占領軍、山内氏による支配を受けた。その家臣団のものではないか。戦国武具に詳しい方が見れば、そのあたりも楽しめるのだろうが、こちらは博物館のガラスケース内にある鎧兜しか見たことがないのでさっぱりだ。

日曜市を冷やかした後は、これまた定番のひろめ市場に出向いて何か食べようと思ったが、やはり日曜は朝から満員だった。無念に思いながら退散した。
この日、高知市内は春のイベント「土佐のおきゃく」で大賑わいだった。午前中から全開で酒を飲む高知県人で溢れるひろめ市場でも、入り口前に会場が設えられていた。やはり高知県人は基本的にハイテンションな民族なのだ。「おきゃく」の話はまた別稿で。

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謎の生物が生息する空港

仮想の宇宙生物らしい。ゆるキャラとは思えない異形の姿だが、某万博のヘンテコキャラより造詣は整っている気がする。しかし、あのキャラ、クールジャパンが泣くぞといいたい。
それと比べれば、この謎の生物が造形美に優れていることは明らかだ。三つの目と三つの足、ということはこの生物の世界ではおそらく三進数なのだろう。多数決では引き分けがない世界かもしれない。
などなど想像が膨らむ「謎の生物」を発見してちょっとほっこりした。

さて、空港の話なのだが、人口が中規模の県では、当然遠距離交通の要は空港になる。新幹線網が全国に伸びている。が、それではせいぜい500km程度の移動にしか使われない。原理的には新幹線だけで、鹿児島から大阪で乗り継ぎ、東京を中継地として北海道函館まで移動することは可能だが。鹿児島大阪間が3時間、大阪東京が2時間半、東京函館が4時間として、半日あれば鹿児島函館の移動は可能だ。が、そんなことをするのはよほどの鉄道好きな「乗り鉄」くらいだろう。
500kmを超える移動では飛行機になる。その場合のハブ、乗り継ぎ拠点はほとんどが東京羽田空港になる。羽田経由であれば、概ね6時間程度で日本国中ほとんどの場所へ移動が可能だろう。

地方空港が存在する場所は、山の中か海沿いになる。ハブ空港である羽田は海沿いだが、成田は山の中だ。自衛隊基地(元の海軍、陸軍航空基地跡地が多い)と共用する場合は比較的街の近くにある便利場場所だ。代表的な基地併設空港は千歳、三沢、百里、小松、岩国、福岡などだ。
海沿いというか海の中にある関西空港は別格として、神戸、米子、高知、徳島などの空港は海岸沿いにある。着陸する時には海側から山に向けて飛んでいくので、なかなかスリリングなのだ。
面白いのは瀬戸内海に面する地域では山の中の空港が多い。岡山、広島などは中国山地の真ん中だ。高松も山の中になる。海沿い空港といえば、松山、山口宇部くらいだろうか。
九州を見ると鹿児島、熊本、佐賀は山の中。長崎、宮崎、そして大分が海に隣接する空港になる。
何が言いたいかというと、海沿いの空港は景色が良いということだ。晴れた日に展望台から見る滑走路と水平線のコントラストは、都市型人工美の最たるものだといつも思う。喧騒に満ちた東京羽田空港ですら、夜になればずいぶんとフォトジェニックな場所になる。

ニラとキャベツの炒め物

そんな空港の景色を眺めながら郷土料理を食べるというのは、これまた空港での隠れた楽しみだろう。新幹線駅に併設される駅ビルの食堂は大部分が全国チェーンの店で、実は旅情が味わいにくい。それと比べると空港のレストランはローカル食を一押しする地域の有名店が運営することが多いから、ちょっとお値段が高いことを我慢すればなかなか味わい深いレストランだ。


しかし、大分名物がキャベツとニラの炒め物とは知らなかった。ビジュアル的にはあまり優れてはいないが、食べてみるとご飯のお供という感じがする。町中華で丼飯を片手にモリモリと食べていくイメージがある。味付けが濃いめなので余計そんな感じがする。

酒の肴には「りゅうきゅう」と「とり天」の二点盛りが嬉しい。これはつまむ程度で十分なのだ。とり天で腹一杯というのはちょっと食べ過ぎな気がする。

昔は締切時間ギリギリに駆け込んでいた空港だが、最近は少し早めに行って空港見物をしている。これもまた、一風変わった旅の楽しみ方なのだと信じております。

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阿波尾鶏を食べるはずが

賑やかで良い居酒屋だった

阿波踊りとかけたネーミングの「阿波尾鶏」は、銘柄鳥としてなかなか有名なものだ。ただ、この全国各地にある銘柄鳥というのが、一口食べたら違いがわかるというほど特殊な味をしているのかというと、これまたちょっと微妙なのだ。
鶏肉好きな我が人生を振り返ってみても、違いのわかる男だった気がしない。ただし、美味いまずいという区別くらいはつく(つもりだ)。ただ、チキンというものは素材の良さよりも調理法で大きく味の差が出るような気もする。それでも、阿波尾鶏をとりあえず試してみたい。良さげな居酒屋を探して実食してみた。

鳥を注文して、それがくるまでの間に簡単おつまみを試してみた。徳島名物であるらしいフィッシュカツだ。食べてみるとハムカツをじゃこ天で作ってみました的な食べ物だった。確かに、魚練り物をアレンジするのであればこういう方法もありそうだ。四国の西、宇和島のじゃこ天とはまた違う。四国の東西で同じような素材を全く違う料理に仕立てるのだから、やはり四国は四つの文化が並びたっている地域なのだと改めて思う。
Google先生の航空写真を見ると、四国は山地で分断されている。長らく四国統一ができなかったわけがよくわかる。ちなみに、徳島県は四国というより大阪文化圏にとり込まれている感じがする。だから、フィッシュカツは大阪的な食べ物の影響を受けている風がある。

メニューにあった骨付鳥をまた注文したので、またもや鶏皮も頼んでみた。骨付鳥元祖のものと比べると、似て非なるものという感じがする。これはこれで独立した別物の料理のようだ。インスパイアー系料理というのは得てしてこういうものだろう。現地で食べたもの、オリジナルな料理を真似して、工夫して、それが三世代くらい変化したらオリジナルとはずいぶん異なるものになるはずだ。だが、名前だけが昔のままで残っているという感じだろうか。

全国に点在するジンギスカンと似たようなものだろう。ジンギスカンといえば北海道のローカルフードのようだが、岩手県や長野県では似たような羊肉焼肉料理がh「本場もの」としてその地域のソウルフードとされている。味はずいぶんと異なる。京都とお江戸の蕎麦の違いも似たようなものだ。
この骨付鳥も、変革料理を開発する天才都市「博多」に流れ着いて「博多骨付鳥」に進化した姿を見てみたい気もする。

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夜の岡山を歩くと

岡山の街に着いたのはすでに夜だった。グーグル先生のマップを頼りに、当てにしていた居酒屋を探し回った。その途中で、なんとも綺麗な川沿いの公園にぶち当たった。まさにぶち当たったというしかない。
あとで気がついたのだが、岡山城を取り巻く川のそばに設置された遊歩道をイルミネーションで盛り上げているのだった。つまりこの辺が、夜の繁華街近くであるという証明のはずだ。が、周りのビルは暗い、ネオンのかけらもないような静かさだった。

10分ほどうろつき周り、ようやく発見したお目当ての居酒屋は、なんとコロナ対応でテイクアウト専門店になっていた。入り口にそう書いてあるのを見て、コロナの爪痕の深さを改めて感じた。しかし、居酒屋メニューのテイクアウトとは、初めて見た。弁当などではない。明らかに酒の肴、つまみのラインナップだった。

仕方がなく街を彷徨き回り、看板目当てに店を探すことにした。ようやく見つけた良さそうな店には「大衆食堂」とある。これは、なんとなく期待できそうだと中に入ってみたら、これまた昭和的な薄暗い照明の店で、昭和演出はバッチリという感じだ。
この手の店によくいる、高齢者おっさん集団が皆無であるのが不思議だが、店内の客層は概ね三十代前後。おまけに女性シングル客もいる。これが新しい居酒屋なのかもしれない。店内は予想以上に静かというかBGMがよく聞こえていた。

岡山といえばママカリと言いたくなるが、実は岡山県西部はシャコの名産地だったはずだ、とメニューを探したらやはりシャコがいた。すかさず注文して出てきたのが、なんと殻付きの勇姿で、これは食べるのになかなか手強い。シャコを食べながら追加注文したのが、なぜか湯豆腐だった。岡山に名物豆腐が存在するとは記憶にないので、ごくごく普通の湯豆腐だろう。いつもであれば冷奴にするのをちょっと遊んでみただけだ。ただしゃこの濃厚な味の後では口直しに豆腐が良い。

こうした店に必ずあるはずの「当店自慢のビックリメニュー」を探してみたら、ありました。「石焼ポテトサラダ」なるもので、熱々に焼いた小さな石鍋にポテトサラダを放り込み、ポテトサラダを焼きながら食べるというもの。
ツナも乗っているので、変形のツナマヨと言っても良さそうだ。これが、予想外にうまい。まさにびっくりだった。
岡山の夜は、あれこれと発見が多い取れ高たっぷりの夜になった。

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阿波踊りの街で

旅先で観光地を示す看板を見ると、オッと思ってしまう。特に昔の城下町では街の道が碁盤の目になっていることはほとんどないから、まち歩きをしていると道を迷いがちだ。そんな時には、この手の看板が大変ありがたい。
生まれ育った街が京都を模した北の街だったので、東西南北に整然と道は続いているものだという刷り込みがある。そのせいで、わざと攻めてきた敵軍の進路を塞ぐような形で行き止まりやクランクを作っている城下町は、歩きにくいなあと思う。
都市計画がなっていないと言いたいが、それは現代人的解釈でしかない。城下町は城塞都市としては実によく計画されている。城の周りに家臣団の住宅を配置する。これは小規模な砦を想定している。その周りに町人の住宅を配置する。これはいざという時、放火をしてでも防衛施設にするつもりがあったようだ。現代であれば都市攻防戦に当たる。これが一番手間のかかる戦闘現場になる。応仁の乱で京が焼け野原になったのは、この都市攻防戦が展開されたからだ。
この街も堅固な防衛拠点として、川を利用した城が築かれている。平地に築かれた平城だが、防御能力は高く戦国時代末期の築城思想がよく現れている。が、その城の周りに広がったせいで街の中の道はぐちゃぐちゃだ。

第一の防衛線だった川にかかる橋は、今でこそ小ぶりな部類に入るが、当時はこの川幅があれば渡河作戦に難儀する厄介な場所だったはずだ。当時の鉄砲の有効射程距離、およそ100mを考えると、川を渡ってくる敵兵の撃退ポイントとして絶好な場所になる。街の中を歩くときに、こんな物騒なことを考えるのは「城オタ」の習性みたいなものだろう。

川を渡り観光名所である眉山の麓まで歩くと、この街を代表する繁華街がある。それなりに賑やかだし人通りも多い。面白いのは夕方から夜にかけて人が集まってくるのだが、かなりの人が駅前から歩いてくることだ。とりあえず現地集合するには徒歩移動らしい。
魚を食べようと海鮮系の居酒屋を探してみた。「すし酒場」というのは、なかなか面白いネーミングだ。

地元の魚というと何が出てくるのか、お勉強が足りず想像がつかない。頭の中で地図を思い浮かべると、大阪湾に面している場所だから、魚は大阪と同じものになるはずだ。それに加えて、鳴門の渦潮でもまれた鯛を思い出した。これまで瀬戸内海に面した地域のあちこちに旅をした。そこでは地魚がよく出てくるが、その場合に魚の名前は全く知らないものが多い。だから、瀬戸内の魚はいつもびっくり箱みたいな物で楽しみだ。おまけに、この街では隣県高知からカツオも入ってくるようで、確かに魚種はバラバラだったが、どれも美味い。

本日のおすすめの中に、地元のナマコがあったので注文した。よく考えたこともなかったが、ナマコの名産地とはどこなのだろうか。確か干しナマコは中国向けの輸出商品として高価に取引されるのだと記憶しているが。生産地がどこであるか、全く記憶にない。そもそも、ナマコは日本中どこにでもいそうな気がする。
このこりころとした感触が好物だが、初めてナマコを食べた人間は、これが食べられるものだと思っていたのだろうか。海にいる姿は、どうみても怪しいのに………

徳島の美味いものがなんだかよくわからないまま、美味しい魚を堪能した。