元々、長編小説が好きだった。中学生の頃から読み始めたSFで、最初に好きになったのはバロウズ作「火星のジョンカーターシリーズ」全部で15巻(?)だった。それ以降、シリーズものが大好物になり、SFでなくてもシリーズ巻数が多いというだけで買うことが多くなった。
歴史小説も巻数が多いのがお気に入りで、全10巻みたいなものをよく読んだ。司馬遼太郎作品では巻数が多いものはほとんど読んだが、この著者の場合5巻を超える大作だと「ど下手」になると気がついて読まなくなった。
新聞連載小説の悪癖というべきか。つまらん挿話が延々と続くようになる。碩学というより雑談の独り言という感じすらする。
逆に10巻を超えるあたりからシリーズとして小説世界が深みを増し、面白さが最大化されるのが池波正太郎だった。「剣客商売」「鬼平犯科帳」など一気に全巻読破したものだ。
だから半村良が構想した「ムー大陸物語」80巻には飛びついたが、結局20巻で終わってしまい実に残念だったという記憶がある。それをおちょくるように、私は100巻の物語を書くと宣言した栗本薫の「グインシリーズ」は彼女が絶筆する最期まで付き合い120巻余を読み切った。(ただし、この超大作も70-90巻あたりは実にダレた凡庸な展開で読むのに苦労した)
翻訳SFで今でも発行が続いているペリーローダンシリーズは350巻までは付き合った。というか読了したのは290巻くらいまでで残りは積読のままになったが。今では500巻を超えているようだ。再開する気にはならないが。
ともかく長くて終わりがない話が好きなので、ラノベの選択基準は最低10巻は発行されているものだった。
最近の一気読みはこちらで13巻まで読んで、続きが10巻貯まるのを待っている

ラノベは10代後半から30代くらいまでが購読対象で、売れている本(このデジタル社会で出版物なのだからすごい)を読むとこの世代の価値観が見えてくる気がする。特に売れているお話の特徴を挙げると、悪役がわかりやすいクズ女神・人として性格破綻した王女などこれまではヒロインとして扱われていたものが「ダメ」なやつになる。ダメな勇者を多く登場し、人類のためなどと無駄な正義感を主張するが、やることは自己満足と承認欲求の解決。その逆で、これまでのステロタイプ悪役である魔王が統治者として優秀だったり、悪どい人類から弱い魔族を守るため頑張っているせいで、人族からは悪者扱いされる。
そんな、勧善懲悪ものを裏返しにしたような設定が人気になっている。まあ、現実世界では小物な悪党、小狡く低脳な政治屋が蔓延っているのをみると、こんな話でうさを晴らすのだろうなあ。あとは、ブラック企業で酷使されパワハラで悩み、異世界に転生して実力発揮できる環境になったことで充実した人生を送るようになるという、現代のお伽話も典型パターンだ。ただ、これは「浦島太郎」と同系統の願望充足小説とも言えるから、物語の形としてはラノベもおとぎ噺も同じかもしれない。
残念ながら最近めっきり活字を読む速度が遅くなり、そろそろ本を読むのが辛い時期になってしまったようだ。新しい長編シリーズに挑むのは無謀ということになる。それがちょっと寂しいなあ。