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波上宮で 古を思う

沖縄一宮「波上宮」は沖縄県庁から歩いて15分ほどの海沿いにある。観光案内を見るとバスで近くまで行けと書いてあったが、バスの案内所で聞くと「まず、バスの便数が少ないので、歩いて行ったほうが早い」と言われた。おすすめに従ってグーグル先生のマップガイド通り進んでみたら、なんと神社の裏側に連れて行かれた。これは秩父や関東の札所巡りをした時にも頻発した。神社は鳥居の前、寺は山門の前に案内して欲しいものだが、異教の国に本社があるせいか日本の寺社仏閣あんなにには冷たいままだ。

波上宮の成り立ちの説明があったが、どうもこれは素直に納得し難い。少なくとも明治の初期に国際問題の揺らぎから日本に併合されるまで琉球は歴とした独立王国だったはずだ。日本の一部であった薩摩藩が武力侵攻した江戸初期からは、清朝と薩摩(つまり江戸幕府の統治する地方政権)に両属しながらも独自の王権を持った支配体制が確立していた。
その独立国が日本の神道に帰依していたかというと、極めて怪しい。どちらかというと独自の宗教があったと考えるのがよほど自然だろうし、文化的には日本より大陸帝国との繋がりが強かったのだから、道教や大陸仏教の影響下にあったと考えるべきだろう。
まあ、武力侵攻は時として宗教的な共生を伴う。大航海時代以降ヨーロッパ諸国の行った蛮行はいつも「砂漠の唯一神を奉ずる宗教」と一体化していた。宗教の普及活動は形を変えた文化侵略だと思っている。

戊辰戦争後の明治政府は、当然ながら江戸期の全否定で成り立っていたから、琉球の文化を守るなどかけらも考えていなかっただろうし、国家神道の統制下におくには当然ながら官弊社を置く必要があった。などと、歴史のあれこれを憶測していた。
この日の参詣者は日本語を話さない人ばかりで、これまた不思議な国際情勢のなせる技だと笑ってしまった。八百万の神を矯正された土地に、八百万の神などかけらも関心のない民族が位押し寄せている。まさに歴史の滑稽な姿だ。おまけに御朱印をもらっている外国人観光客もいるのだから、すでに御朱印は観光記念スタンプと認識されているらしい。

薩摩に侵略され併合された歴史がありながら萬民泰平を掲げるのは、どういう気持ちになるのかなと不思議に思った。おまけに国家鎮護とは、まさに悲しいフレーズではないか。琉球王国が復活することは2度とないだろうに。
実に皮肉なことばかり考えさせられた。北方の植民地である蝦夷地には京都から勧進されてきて神社がある。今考えれば、あれも同じようなものなのだな。まあ、古代ヤマト朝は西から東へ延々と侵略を繰り返してできた国家だから、その矛先が南北に向かっただけのこどた。

お参りしながら歴史に思いを馳せるのはいつものことだが、今回はだいぶ苦い思いになった、救われたのは、神社の裏側にあっけらかんとした明るいビーチがあり、若者たちが楽しんでいる場所だったことだ。宗教的なあれこれを思い悩むより、ビーチで楽しい時間を過ごすのが正しい生き方のような気もする。

タコス屋のフードトラックもあり、良い意味で異文化の混じり合うビーチは平和の象徴みたいなものだ。

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