
島原のアーケード商店街は、夜6時を過ぎると誰も歩いていない。地方都市では当たり前の光景かもしれないが、夜6時を過ぎたら皆さん家に引き篭もるか、飲み屋に居座っているらしい。いや、そもそも地方都市は車社会だから街中の商店街ではなく郊外のショッピングモールに出掛けているのかもしれない。
その人の気配がないアーケードの中を、晩飯の場所を探して歩いていた。紹介された料理店は予約で満杯、二件目も同じく満席。どうやら、たまたま商店街の休業日に当たってしまったらしく、ほとんどの飲食店が休みだったせいらしい。夕食難民が確定してしまった。
アーケードは人が歩いていないが、灯りは結構明るい。どこかにラーメン屋でも開いていないかとキョロキョロとしながらアーケードの端から端まで歩いてしまった。アーケードの終わりくらいの場所に、なぜか龍馬のスタンドがあった。なんだなんだ、島原にも熱烈龍馬ファンがいるのかと近いてみると、なんと歴史的な背景が説明されているではないか。

龍馬が土佐藩脱藩浪士を率いて長崎で商売をしていたのは知っていたが、当時長崎に行く途中で島原を通過していたそうだ。高知から四国山地を越えて伊予(愛媛)に出て、そこから船で大分に渡る。大分から日田を抜け久留米・熊本方面に向かうのが当時の九州幹線路だった。どうやら熊本から海路で島原に渡り、長崎を目指したようだ。
徒歩の旅では山越えをできるだけ避けるのが標準的な道筋になるから、遠回りでも平坦な道と海路の選択になる。現代では山にはトンネル、谷には高架橋を渡し、どんどん直線で進むから想像し難い遠回りな工程に見えるが、江戸期以前は曲がりくねった街道が当たり前だったということだ。熊本から直行で長崎まで船便があれば船にしたのだろうが、やはり当時はそんな長距離ルートは就航していなかったのだろう。
にしても、龍馬と島原で会うとは、なんとも不思議な気分だなあ。