旅をする

竹田城のふもと

雲海に浮かぶので天空の城と呼ばれる竹田城は、ぜひ一度行ってみたい念願の場所だった。竹田城の下には当然ながら城下町がある。そして、JR播但線の竹田駅が街の中心のようだ。
古代から中世にかけて日本海と瀬戸内海を結ぶ陸路は、主力幹線だったから山間の盆地のあちこちが中継地点として、そして領国支配の拠点として開かれている。竹田城下もその一つだ。
ちなみに、中世までの東国は生産性の低い未開発地だったので(冷害も多く)、経済と文化は西国偏重だった。
鎌倉に幕府が置かれたのは西国、そして京都から政治的独立性を高めたかったからだが、それは東国の経済力が低く西国と対抗するには地理的距離が必要だったという意味もあった。

竹田駅のすぐそばに、造り酒屋を改造した施設がある。竹田城の資料館であり、宿泊施設でもある。実におしゃれな空間だが、あまり観光客はいない。冷静に考えると竹田城に登る観光客の大部分は、朝一番の雲海がお目当てだろうから、日中に歩いているはずがない。

とはいえ、観光施設に誰もいないのも寂しいものだ。昔の蔵を活用したお店もあるのだが、人影がない。雲海の出やすいのは気温差のある秋とか冬とからしいので、真夏日どころか猛暑日の続いた夏場には人気がないのだろう。

資料館に行くとジオラマがあり、これは見るだけで良い場所だなという気がしてくる。城攻めをする立場に我が身を置き換えると、実に嫌な城だ。前面は聳り立つような急斜面で、後背地はいささか斜度が緩いようだが回り込むのは、道無き道を突き進む覚悟が必要になる。とても大軍を率いて攻め寄せるルートがあるとも思えない。

観光案内所への案内板が、なんとも味わいのあるものだった。手作り観光地という言葉が頭に浮かんだ。しかし、竹田駅に辿り着くには播但線という難度の高いローカル線を使う必要がある。秘境駅とまでは言わないが、青春18きっぷの旅でもなければなかなか訪れることのないところだ。
この駅に立つとずいぶん遠いところに来たのだなという感覚がする。長野や岐阜の山の中では感じたことがない、アウェイ感があるのは何故なのだろうか。やはり、案内所や駅で聞いた「声」のせいだろうか。西国の言葉は、日本語の源流のはずなのだが、何故か異国の言葉のように感じてしまう。旅先で起きる「感傷」に違いない。

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