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ピジン英語と日本書紀

日本書紀の写本を見てぼんやりと考えていたことがある。ちなみに漢文に詳しいわけではない。高校時代に学んだ知識くらいしかないのだが、漢字の並び方がおかしいような気がする。
その後、中世に書かれた貴族の日記などの一部を見ると、なおさらおかしな感じがした。かな文字が一般化する前だから、漢字の羅列、一見すると漢文のように見える。が、妙な違和感がある。英語だと思って読み始めたら、ドイツ語文書でおまけにアルファベットの中にも見知らぬ文字が混じっていた。そんな漢字だ。
これは一体なんなのだろうかと悩んでいたが、一冊の歴史書でその謎が解明した。やはり、日本書紀の漢文はおかしいのだそうだ。
つまり、当時の国際公用語である中華帝国の文章様式を正しく扱えなかったらしい。言ってみればカタコト漢文だった。だから大陸政府の公人からすると、なんとなく書いてあることの「意味くらい」はわかるが、あちこちに文法的間違いがある「赤点・落第文書」ということだ。

古代ヤマト朝廷勃興期は、まだ日本固有の文字が存在していなかったから、漢字を使って記録するしかなかった。現代で置き換えてみると、政府の公式文書は日本語ではなく全て英語で書くと決められていて、役人をはじめとして全ての政府関係者は必死で英作文をするが、ネイティブな英文には程遠く、英語文書としては落第点、みたいな感じだろう。
実際、日本人が書く英語の文章は、相当流暢に英語を使う人であっても、独特の癖があるもので見るとすぐわかるらしい。日本語の文章ロジックと英語のロジックの組み立て方が根本的に違うにも関わらず、まず日本語で考えてそれを無理やり英語に置き換えるためのようだ。
当然、古代ヤマト朝の時代には、いくら漢文を学んでも、普通の役人(公式文書を記録する役割を持ったもの)ですらネイティブ文書は作れなかったのだろう。その歪みというか漢文法の不正を抱えたまま、日本書紀や古事記が編纂された。この歴史解説書著者の説明では、日本書紀はとりあえず意味は通じる程度の歪みだが、古事記は相当に日本訛りになっているそうだ。

海外にある強大な覇権国家、漢から始まり唐に至る大陸帝国に影響され続けた古代日本は、さぞかし文書を書けない野蛮な国として馬鹿にされていたのだろう。
その後の世界史を見ても、中世の江戸幕府鎖国時代は例外として、近世に入り大英帝国からアメリカ合衆国という海洋帝国に、文化的に従ったということだ。現代日本に氾濫するカタカナ英語、和製英語を考えれば日本書紀などの「変な漢文文書」は同じようなものだったのだと想像がつく。

日本の文化に多大な影響を与えた中華帝国の言語も、中世から近代にかけて国外勢力の影響を受ける。中国語と英語はロジック構成が似ているらしく、単語を英語に置き換えただけでもそこそこ意味は通じるようで、いわゆるピジン・イングリッシュが自然発生的に生まれた。日本語では生まれない便利さだろう。ピジン・イングリッシュは世界性がある言語とまでは言えないが、共通性は高いらしい。そして、今ではそれが簡易英語として世界語に進化しそうという話も聞いた。
かたやこの国では、カタカナ英語混じりで、助詞しか日本語でない怪しい言語「ピジン・ジャパニーズ」を話す日本人が多いことを思い出す。ピジンイングリッシュもピザインジャパニーズも言語として完成度が高いというつもりはない。が、異なる言語同士が互いに影響を及ぼし変質して何か新しいものが生み出されるというのは理解できる。

古代日本人が書いた漢文と、中世アジア人が生み出したピジンイングリッシュ、どうも似ているようだが、普及度合いでは随分と異なる。変な漢文と変な英語の共通性、この辺りが歴史をあれこれほじくり回す楽しみなのだな。

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