旅をする

震電 J7W1

ここは生まれて初めてきた場所で、おそらくもう2度とくることもないだろう場所だ。福岡の南方、久留米の近くにある小さな町だが、ここに帝国陸軍の飛行場があった。九州は戦場に近い場所(大陸や東南アジア)であり航空基地が大量に配置されていた。当然、戦争末期には真っ先に空襲される場所であり、この町も基地を合わせて大きな被害を受けた。その基地跡が平和記念館として利用されている。

終戦間近になり防空戦隊がおかれたのは愛媛県松山近くで、当時最新鋭の「紫電改」部隊が配備された。帝国海軍の局地戦闘機(基地防衛用など近距離向け戦闘機)には「雷電」「紫電」など「電」の字が使われた。
空母に乗せられた戦闘機(制空戦闘機)で一番有名なのは零式艦上戦闘機だが、これは「無名」だった。その後継機は「烈風」というネームド戦闘機になった。
日中戦争が泥沼化する中、軍事技術の急速な進歩に伴い各種航空機が開発され、新鋭機を番号呼びでは区別がつかなくなったためだろう。

この大刀洗基地周辺では最新鋭局地戦闘機の開発が行われていた。その名は「震電」。旧帝国陸海軍が生み出した多種多様な航空機の中でも異彩を放つ造形だ。ただ、実戦投入される前に終戦となったため実績がない。それ故に、仮想戦記ではかなりの頻度で登場し活躍する。B29をバタバタ落としてしまう「新・三種の神器」の一角を占める。

その震電をクラウドファンディングで再建しようという知らせをネットで見つけたのは随分と前のことだった。うっかりと応募を忘れて締め切りが過ぎてしまった。再建されたら是非見に1行こうと思っていたのだが、なんとそのクラウドファンディングは再建した震電実物大模型を移送するための費用だったようだ。
そして、その震電模型を作成したのが、あの巨大怪獣「G」の新作映画だった。映画を観てなるほどと思った。確かに敗戦後、稼働する軍用機は自発的に燃やされたか、米軍に接収されたかして、日本には戦闘機の残機はゼロになっていた。
製造途中の震電が隠されていたとすれば、それは九州のどこかでしかないはずだが。終戦直前に、機体を安全に首都まで輸送する手段があったとは思えない。映画の中では対G戦闘が銀座付近で行われているから、戦闘可能な航続距離を考えると関東一円のどこかで改修されていたはずだ。どうやって九州から運んだのかなあ。などと空想を弄び考えこんでいた。

実際に復元モデルを見ると映画の中で観たより遥かにリアルな造形だった。実際にあちこちで保管されている零式艦上戦闘機と比較しても差がないと思える。実にリアルだった。震電復元にかけた方達の情熱は、確かにすごいものだ。

戦争などない方が良いという強い思いが伝わる平和記念館だったが、とてつもなく貴重な兵器博物館でもあった。展示物の精度は呉にある大和ミュージアムに匹敵する。おそらく「記念」というより「祈念」なのだろうなと感じてしまった。

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