
弁当の研究をし始めてスーパーであれこれ物色している。基本的にコンビニやスーパーで売っている弁当は上蓋が透明で中の具材が目で確認できる。ある意味わかりやすい。が、その分ありがたみが薄いというか、即物的というか、風情が足りない。だから、価格対比を強く意識してしまう。
持ち帰り弁当屋もいつの間にか容器がコンビニ型というか、上蓋が透明になってしまい、これまたいつの間にか弁当にかける包装紙も無くなった。コスト低減はわかるが、風情がなくなりなんだかなあという気分がする。
最近、スーパーの弁当売り場で中身が見えない弁当が復活しているのは、そんな風情を出すためだと思っていたが、どうやらもっと経済的で合理的な意味があるようだ。
中身が見えない弁当容器として一番最初に思い浮かぶのは吉野家の牛丼テイクアウトだ。ただ、あれは最初から中身が予想できるというか、想像通りなので中が見える必要はなかった。最近では吉野家のメニューも、あれこれと変化した牛丼や牛丼もどきが増えたので、中身が見える容器になる日も近いだろう。
その丼ものテイクアウトの延長線上に、蓋で中が見えない弁当がある。つまり平たい丼とでも言うべき、白飯の上におかずを乗せた単品型弁当だ。
牛丼は丼で提供される。その形状に近いの牛丼テイクアウトの容器だ。ただ、他の丼飯も牛丼と同じ丼型容器を使っている。が、鰻重のように米が平らにうすく盛られる浅く広い容器で提供されるとしたらどうなるか。
焼肉弁当や生姜焼き弁当では鰻重の変形が簡単にできそうだ。あるいは古典的な「のり弁」をトッピング増量タイプに変化させるかだろう。販売価格を上げるためにトッピングモリモリにするためには、丼型容器より鰻重型容器の方が良さそうだ。容器は深さがあるもの変えればなお良い。あるいは、米のメガ盛りなどでも深さのある容器が使える。
中身が見えない分は包装紙で説明をすることにして、おかずを変えても容器は一種類を使い回すと効率が良い。白身魚のフライをチキン南蛮に変えるようなバリエーション変化だ。と言うような思惑があれこれ見て取れる。コロナの時期に生まれた、本日の日替わり弁当でこの手法が使われ始めたようだ。その実物を実食してみた。

確かにオーバーな盛り付けで立派に見える。ただ、これはニューヨークのフードトラックで販売されて一躍有名になったチキンオーバーライスの流れを汲んでいるのではないか。のり弁の進化系と言うより、洋風丼の換骨奪胎の気配がプンプンする。
その辺りはもう少し追求してみたいのだが、米飯給食で育った児童たちがすでに30-40代になっている今の日本では、パンよりも米が人気者になっていると思う。1970年代に始まった日本の外食産業は基本的に洋物メニューで成長してきた。洋風が主導して和風がひっそり混じるという感じだった。だから、現在70代になる団塊世代はパン文化にすっかり洗脳されている。ところが、今の中堅世代は、パンにありがたみを感じない。たくさんある主食の中の少数派的なとらえ方だろう。
だから、その米飯大好き世代(親と子を合わせて)狙いに行くとすると、洋風丼がヒーローになりそうな気がする。弁当の研究を始めた理由だ。
ちなみに、こののり弁だが、容器をよく見るとうなぎのイラストが描いてある。本来は鰻重の容器だったらしい。とすると、去年の夏に使い残した土用の丑の日対策鰻重の売れ残り容器流用疑惑もある。うーん。これは根が深いそ。