
鳥取城跡は公園になっていた。全国に残るほとんどの城跡は公園になっている。地方自治体が管理し、市民の共有財産として開放すると必然的に公園になるしかない。それは理解できる。一部の都市では城跡が広大なこともあり、その中に県庁や博物館、高校や中学を置くこともある。
その点から見ると鳥取城は、実に簡素というか公園として上手に使われている。復元天守閣などを作り観光資源とする手もあるが、それも費用対効果を考えると簡単には踏み切れないだろう。
見物目的の復元城など全国各地にゴマンとある。最近の城郭見学者にインバウンドが急増しているを考えると、復元天守も現存天守もあまり大きな差はないだろうし。インバウンドによる観光立国など考えない方が良い。現在、観光業が抱える最大の問題は、客数減による需要低下ではなく、人手不足による供給現象だろう。この先、人口が増えることはかんがえられないので、人手不足はほぼ永遠に続く。ビジネスを考えるときに、重要な視点を失っているの観光業界の経営者だけではなく、それくらいしか外貨獲得手段がなくなった、ボンクラ政府のビジネス感のない官僚ではないか。
だとすると、鳥取城くらいの残し方が程よいバランスという気がする。

鳥取市だが、どうもお江戸界隈で暮らしていると西国、特に日本海側の地域はとてつもなく遠い気がしてしまう。新幹線が通っていないのが遠く感じる一番の理由だろうか。その分、空港の密度は高い。鳥取県には鳥取と米子に空港がある。島根県には米子空港のすぐ隣なのに出雲空港があり(軍事用の空港であれば同一拠点扱いされる近さだろう)石見空港がある。なぜか石見空港は隣県山口と共同利用されているのか、正式名称は萩・石見空港だ。島根県にあるのに萩が頭につく不思議さだ。
おそらく空港誘致の時に、山口選出議員が頑張ったのだろうなあ。山口・島根、どちらも首相を出した選挙区だし、保守政党も強いし、どんなことが起きたかは簡単に想像がつく。
では空港がたくさん必要なほど人流があるかというと、これはまた別の問題だ。この日本海側の地域を自動車で走ってみるとよくわかるのだが、建設途上の高速道路がまだらに開通していて、おまけに暫定的に無料区間が多い。おそらく全通まではまだ何十年?もかかるのだろうが、人口の多い場所周辺についてはかなり整備が終わっている。鳥取島根の幹線である国道9号は、それなりに整備が終わっているのでスムースな流れだった。そして何より山陰地方から山陽地方へ続く高速道路はほぼ整備が終わっている。中国山地の中は移動が思った以上に簡単だった。
たまたま見かけた道路標識で気がついたのだが、鳥取から姫路までは約100km、1時間強の移動距離でしかない。思っていたよりはるかに近いではないか。おやまあ、だった。
鳥取城といえば秀吉により攻め落とされた(包囲網による飢餓攻め)だったが、同じ頃に有名な備中高松城の水責めも行われていた。高松城は岡山市の外れにある。姫路に本拠を置いていた秀吉から見れば、鳥取も岡山も同じ程度の距離感だったのだと改めて気がついた。
1日の行軍スピードを20kmとして考えれば姫路鳥取間は5日の工程だし、30km行軍であれば3日半だ。時速4kmで8時間の移動と考えると、(軍事行動だし)十分可能だろう。例の有名な秀吉の大返しも、この距離感を理解した上で考えてみればそれなりに納得できる。(1日30kmは移動できるとして、それを5日も続けるのはちょっと無理そうだが)
現代では車移動で1時間-2時間が当時の軍事的行動半径だったのかと、姫路鳥取の距離標識を見て思った。となると、鳥取は意外と近いところなのだった。