
鳥取県は東西で因幡国と伯耆国に分かれる。あまりこの辺りの国区分に詳しいわけではないが、国と国の境目は大体が大きな川や山で区切られている。関東で言えば、武蔵国と相模国、あるいは武蔵国と下総国の境は大きな川だ。
ところが因幡と伯耆の境目を探すと地図上ではなんとなく微妙な感じがある。日本海沿岸の西部地域は中国山地が海にまでせまっている。その海岸のあちこちにひらけた小さな平野が散在している。国府が置かれたのはそんな平野部だが、その平野部と平野部を山が遮っている格好だから、交通路は陸路と海路があった。海路の中心地と国府の場所が一致していないのもなかなか面白い。
鳥取県では鳥取市と倉吉市がそれぞれ平野部の中心地で、因幡、伯耆を管轄していた、という理解をしていたのだが、これも地図を見ただけはなく車を走らせて移動してみると、ちょっと違う感じになる。
一ノ宮の多くは山の中にある。それでも旧国府の近くにおかれるので、古代から中世にかけて日本各地の中心地は山の中だったのだとわかる。おそらく航海術の問題もあり、海岸に大都市、商業中心ができにくかったのだろう。商業の中心は港に注ぐ大河の上流、山の中に作られた。海陸の中間点であり交差点に国府や一ノ宮が置かれたということらしい。
ただ、現在の交通網や都市をみると、一ノ宮のある場所はすでに要所としては役目を終え、すっかり鄙びた場所になっている。伯耆国ではその感が一段と強く感じた。隣の国の出雲大社と比べると、やはり格段の差がある。

この神社は小高い山上にある。山のふもとには小ぶりな湖があり、おそらくはその湖のどこかに港がおかれ、古代・中世では海上輸送の重要ポイントだったのではないか。港を見下ろす要所に神社があるというのは、もっともな話だ。しかし、実際に神社まで向かう途中、この道を進んでいって本当に大丈夫かと言いたくなる細い道だった。
鳥居の前に到着すると小ぶりな駐車場があり、そこでようやく方向転換できる。そこまでは対向車が来たらすれ違うことさえ難しい細さなので、運転していても実に心細い。これまであちこちいった一ノ宮では、ここが一番細い道だった。つまり、だいぶ取り残されてしまった神社ということになる。これに匹敵するところと言えば伊勢志摩の古宮だろうか。あちらは車も通れず徒歩で山道30分だったなあ。


それでも流石に伯耆国一ノ宮だけあり、境内は広々として、かつすっきりとしている。行き届いた手入れをされているのだ。

この境内にお札の並べ方を説明する立札があった。これは初めてみたが、なるほど、こういう作法なのかとありがたく学ばせていただいた。しかし、これはなんのために置かれているのだろうと思う。伯耆国の民は神棚に複数のお札を並べる習慣があるのだろうか。
ちょっと勘繰ってみると、お伊勢様とは高天原神族である天照大神のことだろう。氏神様とはこの地域の神様のことで、おそらく高天原系神族として吸収されてしまった出雲神族の系統に違いない。左の崇敬する神様となれば、これは間違いなく古代出雲王朝の主神となる。
よくはわからないが、氏神様を大切にという意味には、侵略者の神と自分対tの神の併存を願う意志があるのではないか。あえて言えば、隠れキリシタン的に自国の神様を忘れないみたいなことだと思う。よくこれが、明治時代の過激な皇国史観と激突しないで生き延びたものだ。
勉強になった。