
岡山といえば桃太郎と思うか、桃と思うか。それは人それぞれだろうが、個人的には岡山と桃太郎の関係性は大人になるまで(大人になっても)ピンとこなかった。桃太郎伝説に関しては、鬼ヶ島とはどこにあるのだろうとか、鬼とはどんな生物だったのだろうとか、子供の頃には考えもしなかったことが大人になってからあれこれ気になる。昔話を大人になって読み返したりすると、さまざまな「不思議」と「不自然さ」に悩まされることが多い。
金太郎は熊と友達になったはずだが、熊が人語を理解すると思えず金太郎学孫を理解できたのだろうか。それともテレパシーで意思疎通ができたのかとか……………
浦島太郎が竜宮城で過ごした「加速された時間」は相対性原理で説明がつく物理現象であるかとか……………
おまけに、これも大人になって気がついたのだが、どんぶりこと流れてきた桃をおばあさんが切る時に、桃太郎はなぜ桃と一緒に切られず、血まみれもならず無事に誕生?できたのだろう。桃太郎はオカルト的に不死身な肉体を持っていたとか、体表を魔法や超科学技術で保護していたのだろうか。あれこれ想像してみるが、やはり理解できない。岡山の人たちは、そういうあれこれが気にならないのだろうかと心配になった。
閑話休題。さて、その岡山に伝わる桃太郎伝説をモチーフにした有名駅弁がある。岡山名物のバラ寿司を駅弁に仕立てたものだ。容器が桃の形をしているが、これにはなんら必然性があるとは思えない。遊びと片付けてしまうにはお申し訳ないが、桃の形に実用性は全く感じられない。ただ、駅弁とは旅情を楽しませる一大要素でもあり、うまさを味わうとともに「旅をしている」という非日常感をもたらすことも重要だ。
となると、自分の家では絶対使わないであろう桃型容器(洗うのも面倒くさい形状)で提供されることの意味はエンタテイメント性しかない。「お楽しみ感」「ワクワク感」が狙いのはずだ。それは理解できる。良いお仕事をしていると思う。ただ、実際に列車の中で食べようとすると、この形は予想以上に持ちにくい。

しかし、蓋を開けた瞬間、うわーといってしまう。彩り豊かで見た目が豪華だ。おかずと白飯が別々に詰められている幕の内弁当系と比べると、やはりこちらの方こそ見た目の豪華さがある。華やかだ。
ご飯の上に具材が乗っている丼系?の駅弁は数々あるが、この弁当はやはり華やかさで群を抜いている。丼系名作を三つほどあげると。山形の牛肉ど真ん中か、鳥取の蟹飯、秋田のとり飯になるが、そのどれも蓋を開けた時には全面同じ色という点で華やかさに欠ける。(味は抜群にうまいのだが)
その点、この桃太郎寿司は、見た目ゴージャス、味もゴージャス。形までゴージャスだから、日本駅弁界の至宝と言える。これに匹敵する名品は横川の釜飯くらいだろうか。
駅弁はコンビニ弁当などと比べるとコスパが悪いと言われる。鉄道オタク(乗り鉄)も鉄道運賃を捻出するため高価な駅弁は食わない派が多いそうだ。個人的には乗り鉄旅をするのであれば、新幹線に乗るのをやめて、その分を駅弁に注ぎ込んでも良いかなと思うのだが。ただ、残念なことに名物駅弁はすでに新幹線駅でしか買えないほどの絶滅危惧種なので、乗り継ぎのバランスを考えてお楽しみください。