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海賊の美術館

ベストセラー小説のモデルになった石油商人が作った美術館が門司港にある。アメリカでは事業に成功すると財団を作りさまざまな支援事業に乗り出すのが、一種の社会的債務とされているようで、貪欲の商売をし悪辣に金稼ぎをしたとしてもそれを還元することで許される。そんなふうな社会らしい。
この国ではその辺が上手にできない。やりたくても、下から足を引っ張るものが多いせいもある。やっかみから悪口まで、ありとあらゆる負の感情の投擲が行われる。まあ、品性が人として欠けている、あるいは永遠に発展途上にある人がやたら多いということだけかもしれない。
効果と言われる芸術作品を購入するには莫大な金がいる。ただ、その金は芸術家の生業を助け、また次の作品を生み出す元になる。誰かが高い値段で買ってくれなければ、芸術作品は簡単に生まれないのだ。制作に一年かけたとして、それが100万円でしか売れなければ、制作部材を揃えることなどの費用を考えると、その作家の年収は100万円を切ることになる。
いくら好きな道とは言え年間100万円以下で暮らしていけるものか?だから、美術品、あるいは芸術家の育成にはパトロンが必要だ。良いねで買ってくれるお客さんが必要だ。
それを社会的成功者が務めるのは、極めて当然なことだと思うのだが。なぜか一億円の壺を買う金があるなら、交通遺児にその金を渡せなどと主張をする自称正義派が出現する。それでは壺を買うのをやめて、交通維持ではなく母子家庭の支援に金を寄付しようとすると、「母子家庭支援団体ではなく、俺の応援する(俺が運営する)交通遺児支援団体に金を寄越せ」となる。もはや、ゆすりりたかりでしかない。
誰がどこに金を使おうと、その人なりの社会還元で良いはずだし、使い道は勝手に決めるべきだ。

出光美術館は芸術品に造詣が深かった創業者が集めた収蔵品を一般公開するようになったそうだが、これも素晴らしい社会貢献だろう。

世の中で金の使い道を明らかにしないでぼったくることが認められているのは、政府及びその手下の地方自治体だけだ。これほど横暴で凶暴な組織はない。反社会勢力と言われる暴力団が、この悪行を小規模にしてまねてみると、たちまち組織自体が壊滅するほどの刑罰と組織封鎖を受ける。
だから、社会貢献活動とは、官に対する民の示威行動、俺たちが成し遂げた成功の成果を見てみろ、というのが正解のような気もする。お前たちは権威と暴力で金を巻き上げる。俺たちは、商品とサービスという満足度で金を巻き上げる。どっちが偉いかは、ひとめみればわかるだろう、へん?  という感じだろうか。

出光創業者が空の彼方からそんなことを聞かせてくれた、と勝手に思い込んでしまった。良い反省の場所だった。

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