
下関には何度か仕事で来たことがある。ただほとんどが通過点での旅だった。まともに飯を食べたのは一回くらいだろうか。フグ屋の社長にご馳走になったのだが、なぜかフグより美味いよと、おこぜの薄造りを勧められた。確かにおこぜはうまかったのだが、なんとなくモヤモヤした気分になったのを覚えている。
その下関がJR西日本の終点かというと、どうやらもう少し先の小倉までのびているようだ。山陽線の目的地表示に駅名ではなく「九州方面」と書いてあるのがなんだか微笑ましい。
下関から小倉に行く電車はほぼ満員だった。大都市である北九州・小倉に遊びに行くのだろうか。中高生が埼玉県の街から東京へ繰り出すみたいなものかもしれない。下関は山口県というより、経済的には北九州市に飲み込まれている感じもする。

その本州西の果て、下関市にある神社は、大阪の住吉大社と同系列らしい。海神を祀る神社は日本に何ヶ所もあるが、福岡、下関、大阪と続く海神ルートは明らかに過去の海上交通の主導線を想起させる。
福岡線は壱岐・対馬とつながる大陸航路の入り口だったはずだし、ここ下関は瀬戸内ルートのスタート地点だ。大阪南部は奈良に通じる公式港だったのも間違いない。神様の縁起を辿るとなんとなく古代史が見えてくるものだ。天照系神族と地方神の関係も面白いが、瀬戸内海岸諸国と天照系神族の配置も面白い。天照系神族は征服と統治のバランスで配属先が決まったのだと思う。現代で言えば、支店を開設するたびに転勤させられる営業部長(優秀)みたいなものだろう。
天照系神族では乱暴者扱いされている素戔嗚は、実は敏腕な営業本部長で、配下に幾多の営業部長(地方担当)を従えていたのではないか。

そんなことを考えながらお参りしてみたのだが、この神社は実に真当というかオーソドックスな佇まいだった。

一宮としては少し小ぶりな気がする。おまけに海神様なのに山の上に立っているのが不思議だが、古代はこの辺りまで海岸線が近づいていたのかもしれない。

本州の西の果ては、そのまま九州への入り口になる。古代から人の行き来は盛んだったはずだが、関門海峡から九州サイドを覗いてみるとあまりに近い。感覚的には利根川の両岸に広がる街みたいな感じすらする。
古代から中世にかけて海運が主流であった社会・時代に、この海峡は文化的な境界としてはなんの意味もなかったのだろうなあ。そう思うくらいの幅しかない。下関と北九州では使う言葉も同じような気がするのだが。違うのだろうか。よくわからないまま、川のような海峡を渡ってみた。