旅をする

城廻りのチートで妄想したこと

お城回りをしていると、城を見ることなくおしまいになることがある。すでに廃城になって久しく痕跡すらうっすらとしているという仕方のない場合もあるが、現在は発掘整備中で立ち入れないとか、山の上に石垣だけ残っているが登山道が山崩れを起こしているとか、様々な理由がある。
そこで登城を諦め、山の上にあるお城の跡地あたりを山の下から眺めて、ああ、この辺に城があったのだなと思っておしまいというケースだ。ちなみに、登山道があっても片道1時間かかるみたいな難コースの場合、個人的に心が折れて諦めることもままある。
毛利家の本城があったところも、山の姿を見て諦めた。麓にある歴史博物館で、山城の造作や配置地図を見てますます諦めてしまった。ただ弁解するが、この城は山を丸々一つ使って尾根沿いに出城をいくつも配置するという重厚な山岳要塞で、おまけにすでに廃城になっている。一部は自然の中に戻っている。視察するにも高度な知識が必要な「超上級城オタク」向けの難度Gレベルだった。(言い訳です)

戦国期 西に異本の大雄であった毛利氏の鎧


山の麓にある博物館から山城跡全体を眺めると、よくもこれだけの城砦を作ったものだと感心する。当時は、城の周りの樹木が伐採されていて城の全容が見えたに違いない。城という建造物は、敵に攻めるのが嫌だなと思わせなければならない。難攻不落という感覚が城を見た瞬間に与えるようでなければ存在価値がないとも言える。だから、森の中に隠されたファンタジー世界の城みたいなものでは「城の異様」が見えないから存在する意味がない。
そもそも、戦国期にまでには西日本の山々がほぼ禿山になっていたはずで、古代から刈り尽くした森林資源は再生不能に近い状態だったはずだ。長く京都から遷都できなかったのは、中世朝廷が貧乏だったこともあるが、それ以上に首府造営をする為の建築資材・大木資源が西日本では枯渇していたせいだという。
だから、戦国の覇者、徳川家康は江戸に首府を移した。まだ東日本、東北の森林資源が残っていたからだ。
先の大戦後、日本は禿山になった全国の山々に必死で植林をした。それが昭和の後期には大きく育ち、今では日本の山は過剰なほどの樹木に覆われているが、これはこの国にとって1000年以上存在しなかった景色らしい。
間伐を含め山地の森林資源メンテナンスがたち遅れているからこそ、あふれんばかりに生い茂る緑の世界が当たり前だと勘違いしているのが現代日本人だ。その結果として正しい知識もないまま樹木の伐採をやたらと嫌うが(不勉強な、あるいは作為的にデマを流す環境保護主義者のせいで)それが森林の健全な新陳代謝を妨げていることに無神経すぎる。そもそも現代日本で自然林などほとんど存在していない。伐採しても運び出せないような山奥ですら、大戦後の人は植林していた。宮崎県と鹿児島県・熊本県の境あたりでも自然林など驚くほど少ない。(だから、僅かに残った自然林は保護されているのだが、大半の都市住人は自然林と人工林の区別がつかない)あの広大な北海道ですら、かなりの割合で自然林が人工林に置き換わっている。

山登りをサボりながらそんなことを考えていた。そういえば、関西に多数ある大規模古墳も建造された頃は木など生えていなかったのだったようだ。古代日本で古墳とは巨大な人工物、建造物であることに意味があり、そこに木が生えていたら自然にある里山小山と変わらない見栄えになる。そんなことをときの権力者達が許すはずがない。
その後、権力者の意識が変わり古墳の整備を怠っていたから、勝手に木が生えているだけなのに。権力者の威容を誇るものは、古墳(土の山)から、大伽藍・寺院(木造巨大建築物)に置き換わったせいだ。
宮内庁は古墳の整備を嫌がっているらしい。予算の少なさもあるのだろうが、数が多すぎて自分たちでは管理ができないということの方が大きな理由なのだと思う。国を歪める官僚主義はいつも怠慢という裏理由がある。それは官僚制の始まり、はるか古代から続いているのだ。森林の再生よりも強い保守的官僚思想(俺の仕事を増やすな)とは、まさにこの国の特質的な文化だろうに。

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