
旅先で観光地を示す看板を見ると、オッと思ってしまう。特に昔の城下町では街の道が碁盤の目になっていることはほとんどないから、まち歩きをしていると道を迷いがちだ。そんな時には、この手の看板が大変ありがたい。
生まれ育った街が京都を模した北の街だったので、東西南北に整然と道は続いているものだという刷り込みがある。そのせいで、わざと攻めてきた敵軍の進路を塞ぐような形で行き止まりやクランクを作っている城下町は、歩きにくいなあと思う。
都市計画がなっていないと言いたいが、それは現代人的解釈でしかない。城下町は城塞都市としては実によく計画されている。城の周りに家臣団の住宅を配置する。これは小規模な砦を想定している。その周りに町人の住宅を配置する。これはいざという時、放火をしてでも防衛施設にするつもりがあったようだ。現代であれば都市攻防戦に当たる。これが一番手間のかかる戦闘現場になる。応仁の乱で京が焼け野原になったのは、この都市攻防戦が展開されたからだ。
この街も堅固な防衛拠点として、川を利用した城が築かれている。平地に築かれた平城だが、防御能力は高く戦国時代末期の築城思想がよく現れている。が、その城の周りに広がったせいで街の中の道はぐちゃぐちゃだ。

第一の防衛線だった川にかかる橋は、今でこそ小ぶりな部類に入るが、当時はこの川幅があれば渡河作戦に難儀する厄介な場所だったはずだ。当時の鉄砲の有効射程距離、およそ100mを考えると、川を渡ってくる敵兵の撃退ポイントとして絶好な場所になる。街の中を歩くときに、こんな物騒なことを考えるのは「城オタ」の習性みたいなものだろう。

川を渡り観光名所である眉山の麓まで歩くと、この街を代表する繁華街がある。それなりに賑やかだし人通りも多い。面白いのは夕方から夜にかけて人が集まってくるのだが、かなりの人が駅前から歩いてくることだ。とりあえず現地集合するには徒歩移動らしい。
魚を食べようと海鮮系の居酒屋を探してみた。「すし酒場」というのは、なかなか面白いネーミングだ。

地元の魚というと何が出てくるのか、お勉強が足りず想像がつかない。頭の中で地図を思い浮かべると、大阪湾に面している場所だから、魚は大阪と同じものになるはずだ。それに加えて、鳴門の渦潮でもまれた鯛を思い出した。これまで瀬戸内海に面した地域のあちこちに旅をした。そこでは地魚がよく出てくるが、その場合に魚の名前は全く知らないものが多い。だから、瀬戸内の魚はいつもびっくり箱みたいな物で楽しみだ。おまけに、この街では隣県高知からカツオも入ってくるようで、確かに魚種はバラバラだったが、どれも美味い。

本日のおすすめの中に、地元のナマコがあったので注文した。よく考えたこともなかったが、ナマコの名産地とはどこなのだろうか。確か干しナマコは中国向けの輸出商品として高価に取引されるのだと記憶しているが。生産地がどこであるか、全く記憶にない。そもそも、ナマコは日本中どこにでもいそうな気がする。
このこりころとした感触が好物だが、初めてナマコを食べた人間は、これが食べられるものだと思っていたのだろうか。海にいる姿は、どうみても怪しいのに………
徳島の美味いものがなんだかよくわからないまま、美味しい魚を堪能した。