旅をする

水攻めのあとは田んぼだった

秀吉が毛利攻略戦の中で行った有名な水攻めの跡地に行ってみた。当たり前だが、負けた方の城は跡形もない。あたりは田んぼと住宅が広がっているだけだった。自分の中で全く地理的な把握ができていなかったのだが、岡山市西部にある低い山の際にあったようだ。

城の周りを堤防で囲いそこに水を溜めて城を孤立させて降伏を迫る。金と手間はかかるが、人死には起きない。味方には優しい戦争方法だ。課題は、毛利本国から救援部隊が来ると自陣の前後から逆包囲されるということだが、そこは秀吉軍が毛利軍行軍の要所を押さえて対峙したといいうことらしい。

その高松城水攻めの資料館があり、歴史的経緯などを含めお勉強ができる。特にジオラマ的な立体模型で地勢を見ることができるのが素晴らしい。現在であれば、ドローンを使った空撮という手もあるが、所詮は地面の上で平面移動しかできない戦国時代の軍勢には想像し難い見取り図だろう。まあ、同じような光景を近くの山の上から見たはずではあるが。

この高松城の一戦の後、本能寺の変が起こり有名な大返しを行う秀吉軍だが、もし水攻めではなく、通常の攻城戦を行なってたとしたら兵員の損傷もあり、大返しは成立しなかっらだろう。本能寺に秀吉が関与していたという陰謀論が出てくる原因らしい。歴史のIFは、妄想を弄ぶには楽しい。もし、毛利軍が秀吉軍の背後をつくことができたら、築堤は遅れていたはずだ。あるいは、築堤が完了した後で破壊工作が行われて水が漏れたら、これまた秀吉軍の膠着を招いたはずだ。秀吉軍の足止めについて、毛利と明智の連携がうまく行っていたら………などなど、妄想を巡らせるには最適の場所だった。

資料館の前にあるため池のようなものは、冬なので水が枯れていたようだが、梅雨の時期であればたっぷりと水があり、城を囲んだ水面が想像できるのだろうか。なんだか、公園の釣り堀くらいしか思い起こせない気もするのだが。
一度も戦うことなく今でも在りし日の姿が残っている名城と、城攻めに負けて跡形もなくなっている城跡、どちらがより感じるものがあるか。城巡りをしていると、廃城跡の方にロマンを感じるようになる。それは立派な城オタク、戦国オタク誕生の瞬間なのであります。

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