
いかにもすごい名前ではないかと思う。鬼の城とは、桃太郎伝説に出てくる鬼ヶ島と何か関係があるのか。岡山の温羅(うら)に関わる伝承との繋がりはどうだ? などと考えてしまう。が、ここは古代ヤマト朝が半島国家の百済支援に出兵して大敗したあと、中華帝国の侵略を恐れて築城した古代要塞群の中の一つであるようだ。
確か、対中華帝国防衛線は九州北部海岸沿い、そして熊本の阿蘇近くにも作られていたはずだが、中国地方にも防衛拠点が作られていたとは驚きだ。なかなかの縦深防御線であるが、本拠地である奈良まで攻め寄せられることを想定した、戦略的な施設であった。というか、それほどにビビっていたのだろう。だったら、百済まで出兵などしなければよかったのにと思うのだが。
ある歴史書によると、古代日本は全くの低開発国で、対半島国家との貿易は完全な輸入超過であり、貿易決済のために差し出せるものは「人」しかなかった。具体的に言えば、奴隷の輸出と傭兵の派遣だったそうだ。
だから、中華帝国というアジア世界の中心国家と事を構える羽目になる。おそらく、中華帝国が辺境の争いに本気で出動するはずがないとタカを括っていたのだろう。その能天気な民族性は、1500年近く経っても変わっていない。
古代アジア世界で起きた、世界の端っこの小競り合いだったが、その結果は当然のように小国は負けてビビりまくる。大国と戦争して勝てると思い込む。負けたら、徹底して引きこもり震えるだけ。国家戦略というものがないのだ。
ただ、それと同じことを、またやってしまった。今度は太平洋の反対側にある大国に戦争を仕掛け、それだけではなく、世界中を敵に回して戦争をする。挙げ句の果てにまたもや大敗する。千年経っても何も学んでいない。古代ヤマト朝の末裔とは、とても頭の悪い民族なのだろうか。

そんな哲学的なことを考えさせられる場所なのだが、この場所に辿り着くには車がすれ違うことも難しい細い山道を5kmほど走らなければならない。ハイキングコースの一つらしいのだが、少なくとももうちょっと道路整備はして欲しいものだと岡山県には言いたい。

この鬼の城の入り口から徒歩で10分ほど山に登ると、いわゆる城の構内に入れるようだ。だが、すでにこの時にはすっかり山登りが嫌になっていた。ありがたいことに、駐車場脇には鬼の城を解説する資料館があり、そこには城のジオラマ模型があった。おー、これぞ神の視点ではないかと感動した。
全国にある山城の麓には、ぜひこれと同様の解説施設を作って欲しいものだ。しかし、古代ヤマト朝廷は戦争技術が低かったのではないかという疑いが拭いきれない。防衛施設としてこの場所が有効だったのだろうか。
当時、ヤマト国家の人口は1000万人程度だったらしいので、そもそもあちこちに要塞を建築できるほどの経済力があったとも思えない。瀬戸内全体を縦深の取れた防衛陣地として構築できたようでもない。
属国だった吉備国に負担を押し付けたとも考えられる。まあ、いつの時代も政治屋のやることに変わりはないようだ。

山上まで上がると古代様式の城壁造りが見られるようなのだが、城周りを一周すると、完全にハイキングになるようだ。若い方向けのお城だろうなあ。

桃太郎と対峙した鬼の一族がここにこもっていたという話であれば、なんともファンタジーな世界になるのだが、現実は古代にも存在した無能な権力者のおバカさを思い知るという、苦い体験になるのでありますよ。