旅をする

津山城は霧の中

津山城は小高い丘の上に立つ山だった。石垣が平面加工してあるので、築城技術が整った頃、つまり江戸前期くらいに作られたものだろうと推測できる。岡山から鳥取に抜ける中国縦貫道の要所である津山に大きな城があるのは理解できる。
ここと、岡山城で縦深陣地を形成するのは戦略的に意味がある。ここを迂回しようとすると鳥取から豊岡、亀岡と抜ける京都周りの経路になるが、それもまた盆地を順番に下して行く長い戦闘が続く。秀吉の鳥取、岡山攻めに時間がかかったのはこの二正面制覇が問題だったのだ。

城の麓から天守閣後まではかなりの高低差がある。最初から嫌な予感がしていたのだが、これがこの先延々と続く備前、備中、美作国の山登りの始まりだった。

途中経過は省くことにするが、高さの違う石段を延々と上り続ける。石垣も何度か曲がりくねる、防衛拠点特有の構造だから、あとどれくらい登れば頂上に辿り着くのかもよくわからない、希望を持たせない作りだ。
天守閣跡は御殿が広がっていた平地だったが、そこには、よくこの高さを登ってきた、ご苦労、というずいぶん上から語りかける看板もあった。褒められても嬉しくない。

てっぺんで一休みしたあと降り始めたら、予想以上に足に来ていて階段を踏み外しそうになった。

山頂からは津山の町が見えるはずなのだが、思っていた以上に見通しが良くない。霧に霞んでいるせいだ。冬の晴れた日であればもう少しすっきりとした気配になっているのかもしれないが、山の中で曇天、霧雨状態であれば見通しが効かないのも仕方がない。
ものすごく疲れた割に達成感が感じられない。城から降りても町巡りをする気力も湧いてこない。こういう困った日もあるものだと諦めてさっさと退散することにした。

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