
岡山には何度も行ったことがあるのだが、幹線道路沿いにある店舗を見に行ったり、ショッピングセンターを視察したりで、街中を歩いたことがないままだった。お城に関心もなく、名所である公園にも興味がないのだから、お城周りに行く場所はない。
しかし、岡山城を一度も見ていないままでは後悔すると一念発起して、お城見学に行くことにした。ネットでマップを見ると駅前からはなんとか徒歩圏らしいが、近くまで路面電車も走っているので、お城近くまでは電車移動にした。
路面電車はのんびりと走るので(法定速度がかなり低いらしい)、街を覗き見るにはちょうど良い。岡山の城下町らしき繁華街で電車を降りて、そこから10分ほど歩いた。広いお堀を巡らせた立派な城だった。

石垣の積まれ方で、概ね築城された時期がわかる。戦国中期に始まった石垣の上に守備構造物を乗せる形は、戦国が終わった後の江戸初期に新規築城が止められるまで、時代と共に進化して至った。当然、最新兵器の鉄砲に対抗する設計も加えられ水堀、石垣、多層構造の防御拠点(三の丸、二の丸、本丸)による縦深防御などの築城基軸が生まれた。
岡山城は瀬戸内海に広がる高速海上街道の東部拠点であり、また日本海側との陸路の結節点でもあったため、立派な城が建てられた。関ヶ原敗軍である西国諸侯に対する防衛拠点でもある。江戸幕府、西国方面の主力防衛要塞だ。





いつものようにお堀の周辺で攻城作戦を練ってみるのだが、この城も力攻めが難しい戦国末期の傑作城らしい。そもそも山城ではなく平城で防衛拠点には向いていない。それを、人工的に仕立て上げた要塞だ。後背地は川で正面は深い堀になっている。
信州上田城と同じ構造で自然の障害を上手く活用した好立地だし、包囲戦を仕掛けようにも川が邪魔だ。おまけに飲み水も潤沢なので包囲戦を仕掛けた方が、山側から逆包囲も考えられる。守りに優れた名城なのだ。

黒一色の姿はなかなか武ばった感じがする。漆黒の城は精悍な印象を受ける。ただ、事前に全く研究していなかったので、城の中に入ってから初めて知ったのだが、この城は復元城だった。先の大戦で空襲を受けて焼かれてしまったそうだ。
日本の城の大半は、戊辰戦争後に頭の悪い西国革命政府により廃城になり、生き残ったものも大戦の空襲で焼けてしまった。たかが70年ほどの時間で歴史的建造物のほとんどが消えた。負けた大戦の責任を取ろうとしない明治政府の後継者も含め、近代日本失政の象徴とも言える。





城の中は博物館になっていて岡山城の歴史を学ぶことができるが、一番感動したのは城の礎石を復元したものだ。
名古屋城を完全に木造で復元するプロジェクトもあると聞いたが、今では城を再建するほどの国産木材、特に巨木は手に入らないだろう。山奥に入って樹齢100年を超える大木を探しまくれば可能かもしれないが、そんな木を切ることは環境団体が反対するに決まっている。
そもそも、古代から中世にかけて首都が東遷したのは、首都造営に伴い周辺の大木を伐採し尽くしたからだ。すでに本州東部はおろか北海道まで、巨大建築に向く大木は斬り尽くしているはずだ。
だから、礎石の復元で我慢して、あとは想像力を駆使して巨大な城のバーチャルな姿を思い浮かべれば良いと思う。木造大箱建築物が好きな首相がいなくなって良かったと思っていたら、もっとおバカな万博大好き知事が、これまた木材の無駄遣いの極みを趣味しているのだ。
西国の権力者達は上古の昔から本当にどうしようもないおバカな性分らしい。復元岡山城を見ながら、そんな歴史の過ちを考えておりました。