
吉備国の祭神の近くに、なぜか古代ヤマト朝神族の中で最強の荒ぶる神、素戔嗚(すさのお)を祀る神社がある。これはなかなかに興味深い。
そもそも素戔嗚は第一神である天照大神の弟という設定だが、まさにこれは古代ヤマト朝神話の中で最大のフィクションだろうと思っている。古代ヤマト朝の統一過程で最大の敵国を率いていたのが、素戔嗚王だったのではないか。その「すさのおの国」を下した後、懐柔と反乱抑止のために「亡き王」を第一神の弟という高いポジションに祭り上げた。
だから、素戔嗚は高級神らしからぬ荒事に投入される。出雲国平定にも出動させられ、八岐大蛇と怪獣大決戦を繰り広げた。その荒ぶる神が次に出動したのが吉備国制圧戦争だったのだろう。史書的には吉備国が大乱を起こしたことになっているようだ。
そして、吉備国併合の後は、反乱分子になりかねない地方神「吉備津彦」の押さえとして、この素盞嗚神社が置かれた。だから吉備津神社と素戔嗚神社が近距離に置かれ、どちらも備後国一宮になっている。ヤマト神族の中の冷戦状態、みたいなものだろうか。そんな妄想をしてみた。ただ吉備津神社は一箇所だけではなく他の地(備前)にもある。そこが謎だ。

神社の境内はそれなりに広いが、一ノ宮として考えると少し手狭な気がする。人心掌握よりも反乱防衛拠点として置かれたとすれば、大きさよりも鎮圧時における初動の速さが求められていたと考えられないか。
出雲国の亡国主神である大国主がはるか東、諏訪の地まで移動したことを考えると、この素戔嗚も元は九州あたりにいて(高千穂付近かも)、それが東の吉備国まで転勤させられたと考えても良さそうだ。
古代ヤマト朝は、征服した国の神様をブラックにこき使う厳しい国、パワハラ国家だった。そう思って古事記を読み解くと、なるほどなあと納得できる事件が多い。(笑)

この国は、神代の時代からブラック体質だったのだ。その勤勉なブラック体質(そんな存在自体が嫌だが)である古代ヤマト朝が、堕落してのんびり体質に変わったのが平安期だから、ざっくり言って1000年近くも、古代日本は神ですらこき使うブラック国家だった。そのブラック雇用で一番酷使された神様が素戔嗚さまだったのだね。(個人的感想です。宗教的な意味合いはありません)

荒ぶる神のオヤシロは、朱色に塗られることもなく簡素なもので、それはそれで好感が持てるものだった。古いお社は朱に塗られていない方が良い。朱が薄れたり禿げたりしているのをみると悲しくなるというのもあるが、地元の民に崇敬されているのは、こうした地味な木の色ではないか。

古代ヤマト朝の征服と統一の過程を思えば、東の国は統一最終行程で一気に攻められ併呑されたので、地方神などかけらもなくなっている。西国ではそれより古い時代に征服戦争起きた。統合過程も時間がかかっていたためか、元の姿とは微妙に変形しながら「国神」がのこされているようだ。

1000年以上前にこの地を歩いていた人がいると思えば、神社詣も色々と感ずることがある。素戔嗚と呼ばれた人がここを歩いたとは想像できないが、その子孫の誰かがここにいた可能性はあるのだし。
2000年を経た後世で皇国史観という歴史と神話と伝説を混同したものが猛威をふるい、その信者が国を率い亡国寸前まで暴れ回ることになるとは、さすがの荒ぶる神スサノオ様でも思いはしなかっただろう。
どの時代でも狂信者は生まれ、世界を混乱の中に落とし込み、正義の名の下に不幸を再生産する。そんなに神を崇めるのであれば、自分の命を糧にしてさっさと一人で神の国へ行ってしまえ、周りを巻き込むなと思うのだが。
贄を求める神など堕神であり邪神でしかないだろうに。そんな堕神を崇める宗旨は、崇められる神様自身が「おいおい、俺はそんな酷い神ではないぞ」と迷惑しているだろうと思う。
地の塩、世の光と言ったのは異国の救世主だったが、我が国の荒ぶる神は今何を思っているのだろうか。やはり地には平和を、と願っているのではないか。少なくとも、昭和日本の亡霊に操られているような愚か者は、助けてやる気にもならないということだろうなあ。