旅をする

岸和田城と岸和田ボーイズ

岸和田というと、あの勇壮で賑やかな「だんじり」を思い出す。現地で見たことがあるわけではなく、テレビのニュースで見たくらいだ。あの背の高い山車を、暴走というしかない速度で引き回すのだから、さぞかし岸和田ボーイズは血気あふれる(ちょっとこわい)兄さんたちという勝手なイメージがあった。
駅からお城までタクシーでつれてきてもらったが、その運転手さんが実に柔和な方でお城のいわれなどを説明してくれた。岸和田ボーイズ、優しいぞと自分の認識を改めた。まあ、人の思い込みなどこんなものだ。現地に行って確かめてみなければわからないことばかりだ。
その岸和田城だが、お堀に囲まれた小ぶりな本丸がある。その周りをかなり広い範囲で城郭として形成している。外側のお堀まで含まれた城の中には、現在の市庁舎がすっぽり入っている。

本丸は一段高くなった丘の上にあり、堀も深い。これはなかなか攻めづらい城だ。このあたりは戦国期に大都市だった堺の南側で、海賊が支配していた地域のはずだ。愛読書「村上海賊の娘」では、陽気で明るく残虐な泉州海賊の支配地として描かれていた。
今では大阪府と一括りにされているが、当時は摂津、河内、和泉の三つの国だった。これに大和(奈良県)、山城(京都府の南部)を加えた五国が畿内とされ、いわゆる「天下」だった。
つまり、和泉国、泉州は日本の中心部だったわけだ。その日本中枢部の南端を守る拠点だから、戦略的には要衝ということだろう。和歌山につながる街道も押さえていたそうだ。

石垣は戦国中期くらいの作りで、ごろごろとした石を無造作に積み上げたものだから無骨な感じがする。この時期の城はまさに軍事拠点であり、行政的な使命より戦争時に活躍する建物だった。質実剛健、兵器としての築城だったのがよくわかる。

タクシーの運転手さん曰く、この城の周りは車でぐるっと回れる珍しい作りだそうだ。確かに、大手門の手前まで車で行ける城はたくさんあるが、お堀の周りを車で一周できるのは江戸城を始めとした幾つかの平城しかない。城全体ではなく、天守閣の周りをぐるっととなると、確かにこの城くらいかもしれない。

正面から見ると櫓を含めた2棟式の天守閣が美しい。鏡面対称のように天守閣が2棟並んでいるわけではないのだが、大小の規模感がバランスよく見た目がよろしい。黄金比というやつかもしれない。
これもタクシー運転手さんの受け売りだが、背面から見た天守閣の方が美しい(好み)なのだそうだ。そう言われると確かめないわけにはいかない。幸い、天守の背面に続く遊歩道が整備されていた。

確かに背面から見ると、櫓が隠れて天守が一層聳えて見える。堀の向こうから見るとまた違うのかもしれないが、この仰ぎ見る画角はなかなか勇壮な感じがする。貴重なアドバイスをもらわなければ、正面を見ただけで帰ってしまったはずだ。岸和田ボーイズは、やはり優しいのだ。

背面からぐるっと回ってまた正面に戻ってきたら、こちら側から見た正面の姿もこれまた美しい。復元城とはいえ、これだけ見るアングルによって姿を変える城も珍しい。

しばらく端正な城の美しさを楽しんだ後、ぷらぷらと駅まで歩いて帰ることにした。来る時はタクシーで10分もかからなかったが、歩いてみると城の麓からゆるい坂道を登る感じになり、思っていた以上に時間がかかる。駅前商店街のアーケードにたどり着いた時には、ちょいと疲れてしまった。
アーケード内の商店街は少々くたびれた感じはするが、全面シャッター街になってはいない。あちこちに空き家は目立つが、最近開いたような店もたくさんあり、まだこの街は元気なのだなという感じがした。
泉州海賊の末裔たちは、だんじり祭りの勇壮なイメージとは裏腹に優しい岸和田ボーイズになっているようで、昔読んだ岸和田愚連隊のやんちゃな不良少年たちの印象とは違うみたいだった。

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