
福山城に着いたのは夕刻だった。城が夕日にさらされる頃で、自然のライトアップとでも言いたいくらいに夕日に染まる城壁は美しい。ちょっと感動してしまった。
城を見る時に一番気になるのは石垣で、それが野面積みという凸凹感がはっきりしたものほどワクワクしてくる。
戦国後期以降の、綺麗に石を整形して真っ平にされた石壁は、それはそれで美しいのだが、なんとなくちょっと残念な気分にもなる。城が要塞としての実用美を誇っていた時代から、権威の象徴として様式美を追求するようになる。そんな切り替わりがわかってしまうからだろう。

再建されたコンクリート製の城も、現代的な様式美の現れで、それは美しいフォルムだが、建築当時からの天守が残っているものと比べると、やはりちょっと残念な気分になる。
そういう意味では、戦国終了後の最終形態である千代田城(江戸城)が復元されないのは良いことだと思う。現実問題として、皇居を一時移転しなければ江戸城復元は難しいから、そんなことを発案できる自◯党政権は、まあ、ないだろうなあ。

福山城は平城なのだが、お城の基盤はかなり盛り上がっているので、城下町から仰ぎ見るお城になっている。江戸から明治にかけて町が平面的だった時代は、さぞかし豪壮な光景で領主の権威を高めたに違いない。
天守を取り巻く石垣とその階段は当時のままのようだが、城が要塞であった時代の実用性みたいなモノが感じられる。この高さが不揃いの石段こそ、まさに戦時施設であることの証明だ。などと思っているが、ひょっとすると後代に改造されたものかもしれない。お勉強不足だ。

今ではすっかり公園になっているが、築城当時は木など一本も生えていなかっただろう。敵兵が侵攻してくる時に、防御に利用されるものなど残しておく意味がない。そもそも城壁から鉄砲や弓矢で攻撃するのだから、敵兵が利用できる遮蔽物など残してはいけないだろう。

お城の中を散策していると、お城デートをする何組かのカップルとすれ違った。こちらは城の石垣を見て、この出っ張りの上には櫓があったはずだとか、落石用の壁はこの辺りに作ったら効果的だななどと、危ないことを考えているのだが、そぞろ歩く男女はそんな怪しいことを思うはずもない。
漏れ聞こえる会話も、平和で微笑ましい話題だった。400年以上も前、この城を建てた軍事技術者たちは、戦闘効率に頭を悩ませ、今、この城を歩く人たちは今日の晩飯に頭を悩ませる。城の役目がデートの場所になったのは、きっと人類にとって素晴らしい進化なのだ。夕日に染まるお城はそんな、ちょっと感傷的な感想を抱かせてくれるのでありました。