旅をする

あこがれの神社詣

テレビの旅番組で度々見る「しまなみ海道」は、一度だけ車で走ったことがある。その時は仕事の用事だったので、景色など全く覚えていない。ただただ高速道路を走っただけだった。
ただ、そのしまなみ海道の真ん中、大三島に神社があり、そこには一度行きたいと思っていた。古代日本の歴史の中で、実はこの神社こそが最大のエポックメイキングなポイントだと考えているからだ。
古事記・日本書紀に記載された古代ヤマト朝の伝承は、征服王朝であるヤマトが古代中華帝国の正史に習って書き記したものだから、自己賛美と自政権の正統性を語るのは当たり前だ。だから、日本海側、九州北部にあった有力諸王国を征服併合した後、巧みにそれぞれの国の神をヤマト朝の神話体系に組み込み融和を測った。
出雲王国の神も九州南部の神も(おそらく神の原型はその国を率いた王達であり、最大の抵抗者たち)取り込んだ。それが国譲りだの最高神の兄弟だのと言う形で伝説、神話化されたのだろうと思っている。
その取り込まれた神の一柱が、この大三島の御祭神なのではないか。ずっとそう考えていた。最高神の兄であり、単独でこの神社に祀られている。天照系お付きの神もいない。神格としては最上級だろう。おそらく、出雲よりも強い勢力が瀬戸内の海運を古代日本で牛耳っていた。その一族がここに祀られているのではないか。
ヤマト朝が東進して日本統一を図る上で、瀬戸内の海上交通は現代のハイウェイと同じ高速幹線路だったはずだ。そこをおさめる一族を取り込むために、最高神の兄というほぼ最強の立場を与えたと考えられないか。
そんな古代日本を夢想すると、やはりこの神社には一度行ってみなければならないと思い続けて随分経つ。しかし、この場所は、実に交通の要所から外れている。あまりにも不便だった。しまなみ海道ができて陸続きになったとは言え、交通機関はバスを乗り継ぐしかない。なかなか踏ん切りがつかないまま時間が過ぎてしまった。

ネットでバスの時刻表をいくつも確かめ、松山から高速バスと島内バスをいくつか乗り継ぐと、大三島経由で広島空港に繋ぐことができることがわかった。気分はすっかり某テレビ番組「路線バス旅」になる。
早朝に出発すると夕方の飛行機に乗ることができる。弾丸大三島ツアーが設定できた。

多少のトラブルがあり、松山からではなく今治からしまなみ海道行きバスに乗った

高速バスも島内バスも接続が良いわけでもないので、各所で待ち時間がある。それはそれで、これがバス旅というものだとのんびり楽しむしかない。晴れていて暖かい日だったので良かった。

しまなみ海道を走る高速バスは、各島で停車するため、何度か高速道路から降りてインターチェンジ近くのバスストップ(大型停留所)で止まる。一人二人と乗客が降りていくが、乗ってくる人はあまりいない。
そんなローカル線なのに、外国人観光客は何人か乗っているのが不思議だ。そもそもネット(多分英語版)でバスの時刻表などが乗っているのだろうか。バス停の表示も日本語だけだし。なんだか不思議さたっぷりのバス旅だった。

ようやく訪れた大山祇神社の境内はさほど広いものではなかった。ここに来るまで思い描いていたのは、伊勢神宮より少し小ぶりな程度の大規模造営なお社だった。なんとも拍子抜けしてしまった。

最高神の兄様だというのになあ、もう少しなんとかならんもんかい、というのが素直な感想だった。感覚的には、三番目の弟のお住まい、程度な感じがする。

それでも、これまで日本の古社を随分と回ってきたけいけんからすると、このお社は隅々まで掃き清められ手入れがなされている。一宮とは言え寂れてしまっている神社も多い。それと比べるとしっかりと保持されている。参詣者が多いこともあるのだろうが、神社を支える氏子の方々の努力が伺える。

平日の昼下がり、参拝者はさほど多くないのだが、これまた外国人旅行者が目立つ。境内の中だけを見れば日本人より多い気がする。
日本人観光客がローマに行って、バチカン見物に行くようなものなのだろうか。しかし、この場所に来る手間暇を考えると、実に不思議に感じてしまった。伊勢神宮を筆頭に西国には大社が多い。それなのに、わざわざここに来るとは、相当な神社通ではないか。

あれこれ考えながらお参りをした。1500年以上も昔に、この場所でヤマト朝の親分と瀬戸内海運の統領が会談したのかもしれないと思うと、なんだかむずむずしてくる。うーん、歴史は浪漫だ。

その古代日本に植樹されたという御神木があった。実年齢は不詳だが、確かに神木と言われる風格は備えている。これもまた歴史がある神社でしかお目にかかれない。伊勢神宮はお社内のあちこちに巨木、長命木はごろごろしているが、あれは伊勢神宮限定で、別格というものだ。

樹齢500年を超える樹木は確かに神の領域に近づいている気がする。この大木も1000年以上昔から、瀬戸内の主として人の生き方を見てきたのだろうか。さぞかし愚かしく感じたのではなかったか。

一番行きたかった神社でついにお参りを完了して、とても満足した弾丸ツアーでありました。でも、また行くことはないだろうなあ。

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