
埼玉が誇る町中華チェーンの日高屋には、姉妹店というべき「焼き鳥 日高」が隣町に存在する。この店は軽居酒屋としてなかなか完成度の高い秀逸なコンセプトだと思う。プロトタイプの店が大宮に開店した時、視察に行って感心したのを覚えている。その普及版が、埼玉県の古都と言うべき隣町にコロナ手前に開店していた。コロナの荒波もなんとか乗り切ったようで、今では夕方になると賑やかな店になっている。
特に、タブレット注文が一般的になる前に導入された、タッチペン式の注文票がなかなかユニークだ。ただし、使い方にはちょっとコツがいる。通な客でなければ一度説明されたくらいではよくわからない。
ただ、街の居酒屋としては常連中心の営業だろうし、これはこれで常連客が一見の客に優越感を感じさせる(俺は、簡単に注文できるのになあ的な)、良い道具かもしれない。ちなみに隣に座っていたおっさんは、全て口頭注文で通そうとしていた。大常連らしい。店のお兄ちゃんが全て代行入力していたようだ。
そして、この店ではホッピーを頼むに限る。いかにも首都圏で酒を飲んでいる気がする。初めてお江戸に出てきた時に感じた、お江戸の居酒屋で感じた違和感の根元が、このホッピーという飲み物だった。
お江戸の居酒屋では、上京してきた時の初心忘れるべからずと、よくホッピーを注文する。上京早々にお江戸で暮らしていけるか不安になった原因であるホッピーを、今では普通に愛飲できるようになった。人間、何にでも慣れるものらしい。

焼き鳥が店名に入っているはずだが、焼き鳥だけではなく、いわゆるもつ焼きも頼める。カシラという串もお江戸に来て初めて食べたような気がする。生まれ育った街では「豚精肉」と呼んでいた豚肉の串焼きは、バラ肉の薄切りだった。このようなゴロッとした肉塊ではなかった。
これがまさにお江戸の洗礼、ホッピーと合わせてトラウマになっている「もつ焼き」という代物だ。焼き鳥屋と思い込んで入ったもつ焼き屋の店主に「うちはもつ焼き屋で、焼き鳥はない」と叱られた挙句に、おずおずと注文したのがカシラだった。今ではその言葉(カシラ)の意味を理解できるが、当時は壁際にかかっている品書きの意味がわからなかった。全く馴染みのない言葉が並んでいた。(今でもわからない特殊用語もあるから、もつ焼き屋は奥が深い)
カシラは辛味噌をつけて食べる埼玉(東松山)スタイルにすっかり慣れてしまった。シロと合わせて好みの串焼きの一つだ。改めて、人間、何にでも慣れるものだ。

最近ではほとんど注文したことのない鶏皮を久しぶりに頼んでみた。それもタレにしてみたのだが、これは失敗だった。鶏皮は塩で注文して、皮のカリカリ具合を楽しまなければと反省。人間、たまには冒険も必要だが、たいていは失敗する。

ガツ刺しも半年ぶりくらいで食べた。このコリコリとした食感は意外とクセになる。ただし家庭料理では、ほぼほぼ食べられない居酒屋珍味の一つだ。月刺しはポン酢で食べることが多いような気もするが、この店では辛味噌スタイルらしい。

そこそこ腹は膨れているのだが、気になるメニューがあり、つい注文してしまった。モツ系の肉だけ食べておしまいというのも、なんだかバランスが悪いと思ったからだ。
ニラ玉と書いてある壁の品書きを見て、あれこれ想像してしまった。予想したのはニラを炒めてからの卵とじだったが、出てきたのはニラ入り卵焼きで、思わず品書きを見直してしまった。確かに、これがニラ玉と言われても文句のつけようはない。ニラと卵で出来上がっている。
この手の、品名から想像するものと実物との差というか勘違いは、典型的な居酒屋あるあるだが、それにしてもだいぶ予想が外れた。
あれこれ考えていないで食べることにしたら、これまたびっくり仰天というか、自分の好みにジャストミートの卵焼きだった。感覚的には、極上のお好み焼きを食べているようなふわふわ感があり、噛み締めるとニラの旨みがジュワッと出てくる。
試しに、卓上にあったソースをかけてみた。おお、まさしく極上お好み焼きではないか。これなら自宅でも似たようなものが作れそうだと思ったが、その時は卵をケチらずにたっぷりと使うのがコツだろう。溶いた卵には出汁を多めに混ぜて、砂糖なしのみりん少々で仕上げるのが良さそうだ。
次からは焼き鳥の注文なしで、このニラ玉だけを何度も飽きるまで繰り返し注文してみるのはどうだろうか。食べたいものだけを食べたいだけ食べて帰ると言う、究極の贅沢として良さそうな気がしてきた。おまけに安上がりで済みそうだ。
まさに、大発見というか、目から鱗というか。おそらく、数ある居酒屋メニューの中には、これと同じように勝手に思い込んでいるだけで、全く自分の想像と違うメニューが存在することのだろう。まずは自分の常識を疑うところから、人生の発見は生まれるのだと、埼玉の古都で学びました。