街を歩く

飯田橋界隈 恋愛の神社らしい

東京大神宮

九段下から飯田橋界隈は、駅からすぐ近くの場所ばかり行っていたので街歩きをしたことがない。東京の街は地下鉄、JRともに駅間距離がさほどでもないから、一駅二駅くらいは歩いての移動が可能だ。逆に歩いてみないと、地理感覚が身につかないようにも思う。
東京都心西部地域、目黒から池袋にかけては折々歩いているので、そこそこ土地勘もできた。大地震の後、どうやって自宅まで帰るかが問題らしいが、少なくとも東京都内西部域からであれば、何通りでも帰り道の検討はつく。しかし、皇居周辺を含む東部域であれは、かなり怪しい記憶しかない。だから、秋葉原から神田、九段下、麹町、飯田橋、四谷から新宿にいたるまで、中央線沿線の繋がりで東京都心部の東西横断はしておくべきだ思う。
そんなことを考えつき、九段下近くから飯田橋、市ヶ谷と歩いてみた。そのついでに、今まで行ったことのなかった東京大神宮に立ち寄ってお参りした。どうも恋愛成就の神様らしいが、今更お世話になることもなさそうなので、見当違いを承知で商売繁盛をお願いしてきた。それでもバチは当たらないだろう。

街歩きをする時の楽しみの一つは、飲食店を含む面白看板を探すことだ。麻辣湯という文字は池袋で見た。酸辣湯麺は好物でよく食べるが、その「酸」がない麺料理のことかと想像してみる。すごく辛そうだ。水が大量に必要になるに違いない。でも食べてみたい、誘惑に駆られてしまう。
隣の「あらごし団」は、なんとなく意味はわかるが、何があらごしなのかなと疑問が湧く。普通は「あらごし果汁」みたいなつぶつぶ感のある液体を指す言葉なのではと思うが、「あら+ごし」という九州の言葉の合成?を疑ってみたり・・・。そもそも「あら」とか「ごし」という単語の記憶があるわけでもない当てずっぽうだ。

歩いているといきなり広場が出現した。この規模であれば普通は公園にするような気もするが、何かの理由があって「広場」で放置されているのだろう。都が地上げをして、この先は周辺も回収して何かにするのかもしれない。青山の児童館建設で地域住民が揉めていたことを思えば、収容した土地を広場として放置するという策もあるだろう。地域住民が高齢化して消滅するまで処分を決めないでおく「住民と揉めない長期戦略」なのかもしれない。義務を果たさず権利を追求すのは、都市住民だけでない。もはや国民的運動とでも言いたいぐらいだ。土地問題は利権が絡んでいるから「専門家」が砂糖にたかるアリのように集まってくるせいもあるだろうし。「専門家」ホイホイが必要な時代だろう。

JR飯田橋西口に出る途中に青森県のアンテナショップがある。たまに青森産の日本酒を調達す流のに立ち寄っているが、銀座周辺のアンテナショップ密集地帯を離れてポツンと一軒あるのが不思議といえば不思議だ。原宿にも新潟県のアンテナショップが単独でポツンある。銀座は家賃が高いから不採算なお店が多いと聞くが、青森県や新潟県の場所選びの理由は知りたいと思う。
この後、法政大学キャンパスと靖国神社の裏を抜けて市ヶ谷まで歩いた。頭の中で、駅と駅、点と点で結ばれていた九段下から飯田橋界隈がようやく道で繋がった。歩くというのは重要だなと再認識する。次は市ヶ谷から四谷経由で新宿あたりまで。あとは四谷で分岐して北側を攻めてみることにしようか。北ルートのゴールは多分高田馬場だな。東京歩き旅?も面白いものだ。