街を歩く, 食べ物レポート

いつものランチ 新宿アルタ裏

ポークソテーとコロッケのランチ

新宿アルタ裏にある雑居ビルに、お気に入りの洋食屋と居酒屋がある。ランチは洋食屋、夜の飲みは居酒屋でと使い分けている。ビルの5階というちょっと不便な立地で、おまけに一階はゲーセンなのでエレベーターに行くまでに相当賑やかな空間を突っ切らなければならない。
それでも新宿では貴重な洋食屋で、オムライスを食べたい時は、ほぼこの店一択になる。洋食屋と言いながら、在りし日のデパートの大食堂的なメニューなので、焼き魚定食もあればステーキもあるという賑やかさが嬉しい。
いつもであればオムライスを頼むところだったはずが、たまたま隣の席についた若い女性客がオムライスを注文して、その注文を聞いた従業員がそのまま自分の注文を取りに来てしまった。「じゃあ、こちらもオムライス」と定食屋のノリで注文すればよかったのだが、なぜか若い女性とメニューがかぶるのは・・・などと躊躇ってしまった。普段はあまり頼まないポークソテーを頼むことにした。コロッケをセットにしたのは気まぐれだ。ランチのセットなのでライスにスープがついてくる。お値段もリーズナブルだった。
注文したものを食べて予想外だったのは、コロッケが手作りらしいカレー味だったことだ。ランチにセットでついてくるコロッケだから、業務用冷凍品に決まっていると決めつけていた。その先入観が見事に裏切られた。
これが出るのであれば、コロッケ定食を頼んでも良いかもと思ったほどだ。付け合わせについているマカロニサラダも好みなので、次はコロッケとマカロニサラダをどちらも単品で頼んでみようと思ったほどだ。
ポークソテーはデミグラスソースで仕上げている本格的なものだ。洋食屋のポークソテー、チキンソテーはどの店もソースに工夫を凝らしているので、その店の味が楽しみなメニューだが、こちらはオーソドックスな味付けで十分に満足した。
ただ、これもランチセットではなく、単品で注文すればよかったなと後悔した。単品だと、肉が二枚になる。セットでは一枚だけなので、食べ終わるとなぜか中途半端なところでお預けを食らったような寂しさが残ってしまう。どうもオムライスから浮気をしたバチが当たったようだ。それでも新宿の真ん中にあるレストランで食べるランチは満足度が高い。

靖国通りを挟んで歌舞伎町を見る

今ではすっかり定着した、おひとり様用カウンターは靖国通りに面した窓際なので、目の前は歌舞伎町のさまざまなビルが見える。ちょっと前までは外国人観光客で溢れていたドンキ前も、今ではすっかりおとなしくなっている。
そのドンキの先に高層ビルがニョキニョキと生えてきて、今では竣工寸前だ。コロナですっかり静かになったてしまった歌舞伎町も、密かに新陳代謝が進んでいるようだ。ゴジラ・ヘッドのホテルビルと並んで、新宿ツインタワーなどと呼ばれるのではと思いつつ、洋食ランチを楽しんだのでありました。

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いただきもの 高知県おもてなし課(元)

高知県で農産物を仕入れたことから、ご縁が続いている高知県観光振興部観光政策課おもてなし室から送られてきたお茶とコーヒーのサンプルが4種類。見た目はおしゃれでシックなものだった。
以前はおもてなし課だったが、おもてなし室に降格?されてしまったのがちょっとさみしい。「おもてなし課」は映画化もされていた高知ブランドの一つだけになあ、と残念に思う。
それはさておき、お茶はブレンド茶で、ハーブティーの親戚みたいなものだった。あまり知られていないようだが高知県はお茶の大産地で、静岡にも輸出?され静岡ブレンドのキーパーツになっていると聞いたことがある。
できれば、静岡で加工用に使われるのではなく、高知ブランドで売りたいのだと、高知県山間の町で農業に関わる人に聞いたことだ。
来年の某国営放送朝番組で高知県が扱われるそうだ。その牧野先生に関連してのお茶なのだろう。個人的には(普段はあまりお茶を飲まないのだが)、なかなかシャレオツな気分になる素敵なものだと思う。何しろパッケージが相当にシックだ。伊勢丹三越のハロッズの横においても負けない気がする。
一緒に送られてきたコーヒーは、高知となんのゆかりがあるのかはよくわからないが、パッケージの裏にある「コーヒーの淹れ方」を読むと、高知人的センスが読み取れる。曰く、コーヒー粉末にお湯を注ぎ10−20秒蒸す間は、遠く高知の風景などを思い起こすと良い、とすすめている。
高知の街をぶらぶら歩くと、あちこちに気の利いたセリフが書かれた看板や広告を見つける。センスの良い街だと思う。そんな高知気質みたいなのが、コーヒーのパッケージにも現れているようだ。
日曜市の猥雑な賑わいや、ひろめ市場の昼飲み天国状態を見るにつけ、この町はラテンな人たちが住んでいるのだなあと思っていた。優れもののデザインが溢れていることも考え合わせると、高知は日本で一番イタリアンな場所なのかもしれない。それも南部のとびっきり明るい街、ナポリに似ているような気がする。
ナポリであったマリオみたいなおっさんを高知のカツオ名人たちに合わせてみたいな、などと高知ブレンドコーヒーを飲みながら考えておりました。

食べ物レポート

赤い牛丼

なか卯の和風牛丼

ネットで紅生姜を山盛りにした牛丼を見て、アーッとショックを受けた。赤いビジュアルもなかなか劇的だったが、ショックを受けたのはそこではない。こんなに紅生姜使っても良いんだという、なんとも脱力する気づきだった。
牛丼を食べる時の楽しみは、牛肉の味というより、紅生姜と絡まって生まれる酸っぱさ、塩味のハーモニーだと思っている。牛丼非存在圏であった北海道で育ち、お江戸に出てきて初めて食べた牛丼の衝撃のせいだ。牛丼特有の油臭さというか牛臭さを生姜で紛らわせて食べるという食体験は、子供のうちに済ませておくべきだ。大人になってから学ぶ「異文化」は、なかなかしんどいものがある。
牛丼初体験時にうけた異様さの比較対象としては適切ではないかもしれないが、台湾で食べた臭豆腐を食べた時に近いものがある。現地の人は旨そうに食べているが、どうも自分は馴染めないという異邦人感覚だ。
そんな初期牛丼体験から、いつの間にか週3牛丼フリークになったのは、紅生姜による味変が可能だったからだと思っている。
ただ、本音ではもっと大量に紅生姜を乗せたいのに、建前として「これは付け合わせだからとって良い適量というものがある」だろうなと、遠慮しつつ紅生姜を乗せていた。
おまけにテイクアウトでついてくる紅生姜小袋をみると、これが一回分の適量というものだろうかと悲しんでいた。個人的には、あの小袋入り紅生姜は牛丼一杯に対して3−4個ほど使いたいと思っていた。それでも、「紅生姜追加でお願いします」という勇気がなかった。一袋分の生姜で泣く泣く我慢していた。
が、ネット記事の牛丼を見ると、どうやら紅生姜は使い放題のようだ。これまで耐えてきた日々は全く無駄だったということだ。汁だくブームの時に気がつくべきだった。これぞ、宗教的な回心に近い気づきだった。食の神様が降りてきたような気がする。
そこで、夢の紅生姜牛丼を実現してみた。自分でかけたいだけ紅生姜をかけてみた。ビジュアル的には全く別物の料理になっている。恐る恐る食べた。これは法悦だった。これまで食べてきた牛丼の時間を全て返して欲しいと思った。残りの人生で、あと何杯牛丼を食べるかはわからないが、少なくとも「赤い牛丼」しか食べないだろうということは確信している。
もっと早く知っていればなあ、と後悔することが年々増えてきているが、この赤い牛丼事案は、その中でも最大の衝撃だと思う。我が人生、数多の曇りありだ。やはりラオウにはなれない。

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喫茶店とカフェ

北海道庁近くに相当昔からあり、たまに使っている喫茶店がこの店だ。ビルの地下にあり昼でも薄暗い、昔ながらの喫茶店スタイルだ。この店のナポリタンが好きでたまに来ていたのだが、コロナの間は休業していることが多く、久しぶりに店先を覗きに来たら、なんだか賑やかな看板が出ていた。
知らないうちにずいぶんデザート推しの店になっている。自分の記憶では、「純喫茶」というのは飲み物しか出さない、フードなしの店だったと思うのだが、どうやら今では違うものになっているらしい。
別にそこに文句があるわけではない。美味いナポリタンを食べた後、チョコパフェを食べるというのは財布に余裕ができた大人の特権だ。ソーダフロートを飲んだ後、渋くコーヒーで締めるというのもやはり大人の特権だ。まして、追加でプリンを頼めばプチ王様気分になれる。喫茶店はそういう使い方ができるのが嬉しい、オヤジ好みのコンセプトではないか。
などと看板の前で妄想してしまった。確かに、純喫茶はオヤジの楽園になりつつある。アフターコロナ時代の良い落とし物かもしれない。

その古い大人の楽園から徒歩5分もかからないところに、今の大人のおしゃれスポットがある。北海道庁正門前に広がる広場を眺めながら、優雅にお茶ならぬ「おアイス」を楽しめるカフェだ。全国的にはこのブランドの飲食スペースは減少しているはずだが、札幌では実にゆったりとした空間がある、そして昼でも夜でも比較的混み合っていない理想のカフェ的存在だ。

ミント味のチョコレートがブームの後に定着して嬉しい

そのおしゃれな場所で街行く人を眺めながら、洋風かき氷(としか形容しがたいのだが、要はフラペチーノもどき)ミントチョコ味を楽しんだ。普段はあまり甘いものを飲み食いする習慣はない。だから時々無性にソフトクリームとかフラペチーノやキャラメルマキアート的な「甘甘甘」な物が欲しくなる。
ラムレーズン味かミント味があれば尚更良い。昼に飲む酒が背徳的な旨さだとしたら、オヤジが一人で楽しむ「甘い呑みもの」は悪魔的な旨さだろう。
ただ、それを若い女性に囲まれて楽しむ余裕がオヤジ族にはない。だから、札幌のこのカフェは貴重だ。一年に一度か2度しか使わないダメ客だが、是非この場所でこの店を営業続けてください。東京には、こういう「オヤジに優しい」空間が存在していないのです。

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東京五十番で酢豚

札幌中心部 南3条通り沿いにある町中華

「札幌町中華の本」というムックが発売されている。ネット記事で見つけてAmazonで買ったが、ふと気になって都内の書店で探しても見つからなかった。令和の時代はこういう買い物の仕方になるのだと思った。本屋でぶらぶらと書棚の間を遊び回り、気になった本を手に取りペラペラパージをめくる。そんな本を買い方、楽しみ方は、既に過去のものらしい。ネットリテラシーが低いと、おちおち読書も楽しめない困った時代だ。
その札幌町中華紹介本の中には見当たらないが個人的お気に入りが「五十番」だ。学生時代からお世話になっていた旧店が、ビルの建て替えで閉店した。残念に思っていた。それが、ある日突然転居して営業再開といううれしいことになっていた。以前の店よりちょっと広くなったような気がする。メニューは普通の中華料理屋にあるメニューは揃っているという感じで、特別尖ったものはない。当たり前の中華といえばその通りだ。

この店で注文するのは決まって酢豚だ。マイ定番と言って良い。この酢豚も気を衒ったところは全くない。生姜味の豚肉唐揚げに玉ねぎとピーマンで仕上がっている。きくらげやパイナップルやきゅうりといった変化球は一切入っていない。最近食べたマンゴー入り酢豚(中国人シェフの店)などという令和進化系とは全く異なる。
期待通りのものを期待通りの味で食べさせてくれるのは、町中華の必須条件だろうと思うし、そこがブレないことが町中華の信頼度につながる。八角や茴香といった中華系スパイスが強くないことも大事だ。あとは、街中華でシャンツァイ(パクチー)にお目にかかることはない。あくまで日本人向けの中華料理だからだろう。
札幌にはザンギで有名な愛すべき町中華もあるが、普通においしいという安定性と信頼性で、この店を愛用している。
飛び抜けて美味いとか、珍しいものを食べたいというのであればホテルの中華料理屋に行く手はある。ただ、札幌のホテル中華は意外と保守的なので斬新な何かを求めるのであれば、お江戸あたりまで出向いた方が良いと思う。(マンゴーの酢豚みたいなやつだ)
ただ、東京往復の交通費を考えれば、この店で20回くらい美味しいものを食べられるので、その方がより良い人生の過ごし方ではと愚考いたします。

街を歩く, 食べ物レポート

セコマのパン

随分前だが、自宅周辺のスーパーで羊羹パンを見つけた。それと同じものを札幌駅の土産物販売店で発見して、ようやく納得した。この羊羹パンはかなりロングライフで普通のスーパーで売っている菓子パンとは違うなと感じていたが、土産物用だったのだ。隣に並んでいるどら焼きと同じ扱いで、「生」な食べ物ではなかった。気になっていた小さな疑問が解決するのは嬉しい。

その羊羹パンみたいなちょっと変わったパンを探そうとすると、セコマに行くのが良い。北海道パンライフのライフハック?だ。セコマの商品開発陣は相当に尖った線を攻めてくる戦闘的チームなので、たまには大ヒット商品を送り出してくるが、凡作というか「アレっ」と思う怪作も多い。まあ、そこが楽しみなのだ。今回の新商品の一つは復活商品らしい。「ごまあんぱん」と言われれば、確かに普通のアンパンではない。串団子に使われるごまだれみたいなものだろうか。

あれこれ考えながら食べてみたが、普通に胡麻の味・香りがするあんぱんだった。なぜこれが一度廃番になり、なぜ今回復活したのか、その辺りのドラマがわかればもっと楽しめそうだなあ、などと考えつつあっという間に完食した。確かに胡麻味の餡はうまいと思う。

怪作というべきなのだろう「カレースパ」の調理パンも同時に発売中だった。焼きそばパンの変形ということは見ただけでわかる。ただ、カレースパ自体がマイナーな存在のような気がするので、なんとも形容しがたいというか・・・。
去年発売されていた味噌ラーメンパンが予想以上に旨かった記憶がある。ひょっとしたらこれもイメージとは違う凄さがあるのかと期待してみた。セコマパンの尖り具合が発揮されていると思った。
結果は、やはり「怪作」だと思う。言葉のイメージ通りの味だが、スパイシー感はほぼない。まあ、セコマだし、こんなこともあるよと笑って済ませれば良い。「怪作」は怪作なりの楽しみ方がある。後悔したりしない。

それにしても4月という特殊な時期のせいか、新商品があれこれ登場していた。セコマ得意の山わさび風味のちくわパンは怪作的な新作だろう。ただ、食べてみれば思っていたほど山ワサビの鼻にツーンとくる感じはしない。ちょっと期待はずれかもしれない。
十種の野菜のカレーパンは、どんな野菜が入っているのだろうと思ったが、食べてみるとあまり野菜感が感じられない。ソースの中に野菜が溶け込んでいるのかと好意的に解釈することにした。これは「凡作」というところか。カレーパ好きには物足りない気がする。
クイニーアマンは、「言ったもの勝ち」という典型的な名前だけパターンで、クイニーアマンに似たようなもの、似せて作ったものとして寛容に受け入れるべきだ。ただ、甘いパンとしての仕上がりは抜群に良い。表面のカリカリしたキャラメラーゼが絶妙だ。また書いたいと思わせる仕上がりだった。だから、これは違うネーミングにすればもっと売れそうな気もする。洋菓子好きには逆効果なネーミングだから、その点が惜しい。
どのパンをまた買ってみたいかと言われれば、このクイニーアマンがダントツだ。

なんといえば良いのか、チープシックという言葉がよく似合うのがセコマのパンなのだが、やはり「怪しい新作」を試して、かつそれを許す度量が要求される。セコマファンは心が広くなければ続けられないようだ。
新作のアイスは抜群の出来だったが、その話はまた別の機会に。

街を歩く, 食べ物レポート

札幌駅高架下の名店

札幌駅高架下は細々とした商店が続く裏小路的な空間だ。その西のはずれにあるラーメン屋は、それなりの歴史のある名店だった。ここ最近は伝統的味噌ラーメンが食べたくなると、この店を訪れることが多い。味噌ラーメンといえば三越の向かいにある文具店ビルに店舗を構える「三平」が元祖らしく、そちらの味噌ラーメンも捨てがたいが近くて便利な方に足が向く。
個人的な嗜好であるのは間違いないのだが、豚骨系のコッテリスープは「味噌味」には合わないと思う。昔ながらのあまりコラーゲンの入っていないサラサラ系スープが味噌ラーメンには好ましい気がする。

見た目通りの味噌味のラーメンにホッとする。この店はチャーシューも売りらしいのだが、そこにあまりありがたみは感じない(失礼な客だと反省しつつ)。やはり麺とスープのバランスというか、中太よりやや細めのちぢれ麺がスープによく絡むのが旨さの原点だと思う。これこそが札幌ラーメンだろうと、自己満足的に納得する味だ。

ラーメン屋の品書きとはこうだったはずだと思わせるシンプルさ。味は味噌・醤油・塩の三種。麺の選択なし。茹で加減の選択なし。ただし、この品書きには載っていないがチャーハンがある。品書きの上に貼られた「大人気のチャーハン」と書いてある。どうも、ラーメン屋なのに炒飯の方が人気らしい。隣の客はラーメンと炒飯をセットで注文している。反対隣の客はチャーハンのみだ。
胃袋が二つあればなあ、とたまに思うが、まさにそんな状況で、ラーメンも炒飯も食べたいのだが胃袋の限界は理解している。次回は「チャーハン」にするかと悔し紛れに自己弁護する。でも、次回もまたラーメン頼んでしまうんだろうな。永遠に炒飯とは巡り会えない気がする。うまいラーメン屋特有のエレジーというべきか。

食べ物レポート, 小売外食業の理論

ファストフードなステーキ 

今回で1000回目になった。ほぼほぼ食べ物の話だけで、飽きずに書き連ねたものだ。原因はコロナの流行で在宅時間が増えたということだと思う。まあ、数が多ければすごいというものでもないし。駄文はいくら書いても駄文だと自覚している。この後はぼちぼちという感じで続けていければ良いのかなというのが1000回目の正直な感想だ。

さて、進化するファストフード界のチャレンジャー代表が松屋だと思っている。成功しているブランドほど保守的であることを考えると、松屋のチャレンジぶりは尊敬に値する。
ただ、そもそも論的に言えば、松屋は最初から異端の牛丼屋だった。牛丼屋というより定食屋だとする方が正しいと感じていた。が、最近の動向を見ると定食屋からスタンド形式のファミリーレストランみたいなものまで進化?したように見える。そして、その進化の波は松屋本体から、姉妹チェーンに飛び火してカオスなファストフードを次々と展開している感がする。その松屋シスターズで一番気になるのがステーキ屋松だ。

吉祥寺の百貨店裏という立地は、ファストフード向け立地とはずいぶんと違う気がする。小ぶりなイタリアンとかフレンチ、あるいは洒落者気味の和食店あたりが似合いそうだ。このステーキ屋松という業態はファストフードとしてはアッパーな価格帯だけに、日常使いができるような客層がいる立地を選んだという見方もできる。
駅前に店を開け、300円の牛丼で客席を1日50回転させるような商売とは正反対な業態を確立する。そのための実験店ということもあるだろう。
面白いのが(コロナ対応だと思うが)入店する前に食券を買うことだ。松屋でも入り口を入れば券売機があるが、あえてそれを店外に設置している。
券売機で食券を買うと、ドアを開けて従業員が出てくる。席を案内するためだと思うのだが、店内のお好きなところにどうぞと言われて、いささか拍子抜けした。
この辺りもアフターコロナで対応が変わるとは思うが、松屋本体でも商品渡し口で食券と引き換えに受け取る方式もある。カウンター越しの対面接触を避けるため、新しい提供様式が試行錯誤されている段階と考えるべきだろう。

席に着くと数分でステーキが出てきた。その速さにびっくりした。肉が焼ける重々という音がしている。肉の上には紙ナプキンのようなものがかけられていて、油飛びを防いでいるようだ。その髪をとると石板の上でステーキ登場となる。石板は相当に熱く、レア状態で出てきた肉をナイフで切って石板に押しつけ好みに合わせて加熱するという仕組みだ。
極端に言えば生肉状態で提供するわけで、注文から提供までの時間が短いのは納得だ。焼き加減も関係ないので従業員が「焼き」の技術を身につけるのも不要だ。この辺はペッパーランチと同じスタイルでファストフード化するための必須技術だろう。

肉は石板に置いただけでなんの調味もしていない。ますます従業員の技量は必要ない。カウンター席の目の前にある多種のソースから好みのものを選んで、肉につけて食べる方式だ。このソースあれこれは、松屋本体で既に実証済みの仕組みだからお家芸に近い。4種類のソースを全部試してみたが、好みはオニオンソースだ。塩、胡椒、ワサビなども置かれている。これで味のバリエーションは確保した、ということだろうか。シャリアピンステーキのように肉の上からソースをかけるタイプには対応しにくいとは思うが、そこは「肉を生でくらう」的に割り切れば良いことだ。
そもそも、この店のコンセプトを考えるとソース上掛けによる単価アップは、あまり期待できそうももない。単価アップを狙うのであれば、肉増量して割引の方がよど補客層的にすっきりしたものになるだろう。

ご飯は少なめを選択

肉が素早く出てきてしまったので、サラダバーに行くのを忘れてしまった。食後に確認に行ったら、最低限の野菜サラダは食べられる状態だった。郊外型ステーキ店の重厚なサラダバーとは異なるが、ファストフード・ステーキ店としては十分だろう。
150gの赤身肉ステーキは、あっという間に胃袋に消えた。自分でも驚くほどの速さだった。これならばハーフポンド、約250gでもよかった。もう少し腹を減らしていたら1ポンドもいけそうな気がする。
この先、この店がどう進化していくのかが楽しみになった。立ち食いステーキのあれこれを学んで改良されたコンセプトだと思うが、やはり二番手の方が色々と改良されている。次回はテイクアウトも試してみよう。もしテイクアウトがあるレベルを超えていれば、アフターコロナの対応進化型ファストフードとみなすことにしよう。その時には新型ファストフードの定義と理論を整理してみたい。

街を歩く, 食べ物レポート

カレーパン探索日誌 札幌

カレーパンは東京発祥の食べ物で、それが津軽海峡を渡って来たのは何時ごろだろうか。少なくとも昭和中期にカレーパンを食べた記憶はない。うろおぼえだが、TBSラジオの深夜放送でカレーパン論争みたいなものがあり、一度食べてみたいと思ったのが最初のカレーパンにまつわる記憶だった(ような気がする)
キン肉マンに登場していた牛丼と同じく、東京にはあって札幌には存在しないものの代表だった(もはや薄ぼんやりとしたもので・・・)
そのカレーパン不毛の地で、どうやら日本一になったカレーパンがあるらしいと知った。これは実食してみなければなるまい。

札幌の中心地から路面電車で10分程度のところにある、まさに町のパン屋でございます、といった雰囲気のお店だった。札幌市内には何軒か支店があるらしい。その店頭に力強く置かれている「日本一宣言」。まあ、確かにすごいことは期待できる。

カレーパンの包装は紙袋だった。これは大事なポイントで、揚げパンの特性だと思うのだが、ビニール袋だと匂い移りがしやすい。スーパーの荷詰め台に置かれているペラペラの袋に入れると致命的だと思う。
袋を開けると小判型で表面は細かいパン粉がついているタイプだった。見た目が奇抜ということではないようだ。
二つに切って中身を覗くと、おやまあという感じ。空洞がやたら大きい。生地は薄めだからフィリングとの相性は悪くなさそうだが。隙間が多いのが気になる。
実食してみると、なんだかカレーの味がしない。というか、味は濃厚なのだが量が少ないせいだろう。生地が薄めなのでバランスをとっているという見方もある。
しかしだ、カレーの味がしてこない。フィリングも食感が感じられるものではなく、カレー味がするソース的なものだった。名前がカレーパンフォンデュだから、チーズフォンデュのようにカレーソースにつけて食べるものをイメージしているのかもしれない。そういう食べ物だと思うことにした。
カレーパン道を極めるのはなかなか大変なのだと思い知った。

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カレーパン探索日誌 小麦の奴隷

くどい話で申し訳ないが、まだ小麦の奴隷の話というか考察をする・・・。

プラごみ削減政策のため怪しい法律が施行され、小売店で買い物をするとレジ袋が有料になった。その規制外に当たる紙袋やバイオマス利用袋は無料だが、今のところ有料で従来型レジ袋を提示する店がほとんどだ。「有料袋が必要ですか」と会計のたびに聞かれるのもすっかり聞き飽きたし、いささかモヤモヤする。お前は環境保護に賛成するかと毎回踏み絵を踏まされる会話だ。新しい「気持ちの悪い」商習慣だ。
だから、なにも聞かれずに紙袋に詰められたパンを渡されると、なにやら感動的なシーンになってしまう。当然、紙袋はプラ・レジ袋よりコスト高であり、これまた当然ながらパンの価格にも反映されているはずだが、「有料」袋を買いますかと念を押され、見識を試される不快感を考えると、このやり方(無料で紙袋)が実に嬉しい。
もともと日本の文化的に、過剰包装を喜ぶ意識があるのは確かで、そこを社会的に変革し簡易包装に切り替えるのは賛成だ。ただ、そのやり方が「店頭での口頭認証」というセンスのない手法であるのが苛立たしく、それを「官」のいうままに、なんの工夫もしない「小売」側にも腹が立つ。
せめて、入口で「袋はありません」宣言をするとか、袋が必要な人は「最初に袋を買ってください」と入場時に強制するとか、なんとかならないものか。
某スーパーではレジ横に大きな表示で、「袋が必要ならここで買え、一枚3円」(表現はもうちょっと優しい)としてある。会計時にレジでは袋に関する会話がない。これでいいのだと思うのだが・・・。対面販売の店では、この袋会話が買い物の最後の気分を台無しにする。

長い前置きになってしまったが、話はカレーパンの話になる。ただし、くどいがまだ袋の話だ。パン屋でパンを買うと薄手のプラスチック袋にパンを放り込む店が多い。パンの種類によっては、トッピングがジャムやクリームであったり、脂分が多かったりするので、個別に袋に入れるのは構わない。ただ、このプラ袋がいけない。スーパーのレジの脇にある荷詰台に置いてあるペラペラのアレだ。
安いペラペラを問題にしているのではなく、パンにプラ臭が移るが嫌なのだ。高い値段のパンを売っている店はこのことに気がついていて、紙袋や匂い移りのしないプラ袋を使う。確かに袋に金をかけてもね・・・という、コスト意識があるだろう。ただ、食品を売っていて、品質劣化(匂い移り)がわかっているのに対策を取らないということが許せない。パン屋の質とは、パン自体ではなく包装・袋との合体で決まるのだと思っている。
ようやく「このカレーパン」の話にたどり着いた。紙袋に個包装されて、その袋もデザインが施された自己主張が見える。これだけで、このパン屋の評価が上がるというものだ。

袋からカレーパンを取り出すと、「おー」と歓声が出てくる(大袈裟か)イガイガというかゴツゴツというか、とにかく目立つ外観だった。大多数のカレーパンは茶色の楕円形物体で見栄えのする食べ物ではないが、このルックスであれば、カレーパン特有の「茶色問題」が解決できている。

ただ、中身を見てみると、うーんちょっと残念感がある。内部の空洞が大きい。上部生地が厚くて底が薄くてバランスが悪そうだ。食べてみると、やはり空洞と生地バランスが気にはなる。ただ、表面のぼこぼこしている部分の食感がたのしい。
カレーの中身は、ちょっとスパイス多めだった。食べているうちにスパイスの効き目でうっすら汗が出る感じだが、辛すぎることはない。見た目、カレーの味、パン生地それぞれのバランスは良くできている気がする。色々と計算され尽くした完成形なのだろうと予想がつく。これはまた買いたくなるだろう。

ザックザクカレーパンというのだね。アートなカレパン」でありました。