ソロキャンあれこれ, 街を歩く

ソロキャンプ 何をする?

ソロキャンプの何が楽しみかというと、誰にも気を使わずに自分のしたい事をする。それに尽きる。それが料理であれ、昼寝であれ、誰にも何も強制されないことが重要だ。ファミリーキャンプとの違いは、あるいは友人とのキャンプと異なるのは、その「一人でわがまま」できることにある。
そして、自分がしたい事と言えば一択で「焚き火」になる。火遊びといっても良い。3時間でも4時間でもただただ薪を燃やし続ける。それだけだ。
ただ、陽が落ちて暗くなってくると、焚き火の灯りしかない暗闇の中で、ヒト族が原始の時代に刷り込まれた「火の記憶」が戻ってくる気がする。ひ弱だったヒト族が強靭な捕食動物から逃れる術、「火」を手に入れた。そんな時代の記憶がDNAに刷り込まれているのではないか、などと焚き火をしながら考えている。

その焚き火の脇に置くか細い照明がオイルランプだ。現在のキャンプギアであれば、もっと明るい照明はたくさんある。LEDライトなどは簡便でかつ明るい。ただ、照度の足りないオイルランプの、揺らぐ灯りが焚き火によくあう。生理的に心地良い。このあたりはソロキャンプ達人の受け売りに近いが、楽しみ方は達人から学ぶのが一番効率良い。遠慮なく真似をさせてもらう。

シンプルなキャンプギアしか持っていかない

カセットコンロはキャンプギアとしては邪道のような気もするが、防災用にやたらと買い込んだカセットボンベが余っているので、スタイルなど拘らずに使っている。登山用のプロ仕様ギアに憧れたこともあり、コンパクトなガスストーブも道具としては持っているのだが、あまり使う気にならない。徒歩でキャンプに行くのであれば、ガスストーブも小型化を考えるのだが、車で行くお気楽キャンプしかしないので、最近は埃をかぶっている。
あとは、焚き火台とガス照明がキャンプギアの全て。簡素というか怠慢というか、道具にこだわりがないというか。

100均ショップで買った簡易型のボール(鍋ではないと商品説明には書いてある)で湯を沸かし、カップ酒を温める。ソロキャンプを楽しむのには、これだけあれば十分だ。こった料理をする気もしない。この日は、小型のスキレットで作ったコンビーフのアヒージョと、魚肉ソーセージをケチャップで炒めたものでおしまい。翌日の朝は、その残りをパンに挟んでホットサンドにした。コーヒーもドリッパーなど持っていかない。瓶入りインスタントコーヒーで十分と思うようになった。

もう少し幅が広ければ、80年代SFの傑作、リングワールドに見えるかもしれない。

サイトの上に荒川を渡る歩行者専用の橋がかかっていた。橋を下から見上げていると、「荒川アンダーザブリッジ」を思い出した。あの物語に出てくる、元気なホームレス住人になったような気がしてきた。確かにキャンプをしているつもりではあるが、周りから見るとホームレスぐらしとほとんど同じことをしているような気もする。
このキャンプ場も荒川沿いにあるから、「荒川」アンダーザブリッジという意味では同じだ。キャンプ場があるのは、荒川でも相当な上流に当たるが、荒川を流れ流れていけば東京と埼玉の境目くらいで、あの物語の場所にたどり着く。「荒川上流アンダーtheブリッジ」と「荒川下流アンダーtheブリッジ」みたいな違いしかないなと笑ってしまった。

日が暮れると、たかが歩道橋なのに、なにやら切ない景色に見えてくる。写真には写っていないが、背景には綺麗な星空が広がっている。そして、反対側の川岸には秩父鉄道が通っているので、列車が通過する音が聞こえてくる。都会であれば騒音にしか聞こえない通過音が、妙に心地よく聞こえてきたりするのが不思議だ。

キャンプ場の受付はハロウィーンの飾り付けでお出迎えだった。いつの間にかすっかり定着したハロウィーンだが、キャンプ場にお化けが出るとは思わなかったなあ。

ハロウィーンの後は、一気に冬キャンプになるのだが、この日からライトアップが始まったようだった。自分のサイトで焚き火の準備をしていた時に、工事の人たちがトラックでやってきてなにやら作業をしていた。木の伐採でもしているのかと思っていたが、ライトを設置していたらしい。

これはこれで綺麗なものだが、夜でも明るいキャンプ場というのは不思議な気がする。アウトドアは自然のままの暗闇を楽しむものだと思っていたが、どうやら最近のアウトドアは外で「明るい文明」を楽しむようだ。それも時代の変わり目に立ち会っていると思えば、一緒に楽しむべきだろう。おそらくクリスマスや大晦日も、ここは結構賑わうのだなと気がついた。

秩父には、今風のファッショナブルで楽しいキャン場もあれば、昭和中期で時間が止まったようなワイルドキャンプ場もあるようなので、次回はワイルド路線を楽しんでみようか。ワイルド路線は得意のつもりだが、課題はトイレだろうなあ……………

街を歩く, 旅をする

敢國神社 忍びの里で神さま

伊賀国と言えば忍者だろうと思っていたら、神社に着いて地元の人もそう言っているのだと笑ってしまった。忍びの里、伊賀甲賀と看板に書かれている。そもそも甲賀は三重県ではなく滋賀県ではないか。県境を越えた観光政策というのも珍しい。ただ、それに文句があるわけではない。ただ、一宮ですら「忍者」を持ち出しているのが不思議だなと思った。八百万の神様の中には、武ばった髪も多い。筆頭は須佐之男命だろうし、タケミカヅチ命も超絶武神だ。だが、忍者の元祖の守り神がいたとは聞いたことがない。ひょっとすると大国主系列でアンチ大和な神様がいて、その方が「忍者」元祖だったかもしれない。神様の本拠地である伊勢国の北方を抑えているとすれば、忍者守護神はなかなか戦略眼をお持ちのようだ。
おまけに忍者のカシラ(頭領)である服部一族とも関わりがあると書いてある。うーん、伊賀親分ハットリ氏を甲賀忍軍は認めるのだろうか、神社の中立性みたいなものは大丈夫なのか、などと考えてしまう。一宮では期待できない「妄想」の種をお参りする前に見つけてしまった。

おまけにこのボードは「例の」顔抜き写真の場所になっていた。気分は「ニンニン」のハットリくんということだろう。神社の前で、この手の写真を撮る場所があるのは初めてみた。明治神宮や靖国神社のようなところで、この撮影用窓あき看板を出したら、さぞかし「ライトな方々」からクレームが出そうな気がする。
しかし、八百万も神様がいるのだ。中には、アニメの神様もいるだろうし、ゆるキャラ担当の神様だって新しく任命されていそうな気がする。と、妄想が加速した。
元祖キャラとして考えれば、日光東照宮の眠り猫だって建立時に創造されたキャラだろう。奈良東大寺の鹿だって神様のお使い集団だから、NRA48でも結成して奈良を盛り上げる史上初のアニマル・ライブキャラと考えられないか。個人的には、奈良のあの物凄く濃いキャラ「せんとくん」より、鹿キャラ48の方が人気出そうな気もするのだが。神社とキャラは案外相性が良いのかもしれない。

などと、またまたあれこれ妄想を爆発させながらお参りしてきた。敢国神社は静かなお社で、その日は参詣者が誰もいないひっそりとしたものだった。個人的には、この静けさこそが神社には似合いだと思うのだが、古の服部一族も詣でた神社で心を鎮めてきた。
しかし、伊賀国は本当に山深いどころだな。

街を歩く, 小売外食業の理論

ファストフードDXと古典的手法

所用があり朝早くから渋谷に出かけた。用事が済んで軽く朝食でもとろうと、久しぶりに和風ファストフードに入った。ツルッとうどんでも食べようと思った。券売機で食券を買ったあと席についてみたら、あれあれ?と気がついたことがある。
マクドナルドではモバイルオーダーアプリを使うことで、テイクアウト注文をするとカウンターに並ばず座席まで注文した商品を持ってきてもらう(店内配達というべきか)仕組みがある。コロナ流行の初期に開発完了して実用化されていたが、実際に使ったことはない。それが、この和風ファストフード店でも導入されているのに気がついた。
確かに、これは客にとっても従業員にとっても便利だろう。客の立場からすると席に座ってゆっくり考えて注文できる。券売機での注文は商品を選んでいる時に、後ろに次の客が並ぶと、無言のプレッシャーがかかるという致命的な弱点があるからだ。後ろの客を気にして慌てて注文を決めると、追加注文の機会が消える。店側からすると買い上げ点数増加、単価アップの機会が失われるマイナス要因になる。
従業員の手間を考えると、スマホアプリ注文では現金管理がいらなくなる。釣り銭の確保や現金の残高チェックなど雑用が消える。客とは非接触になるので注文時のトラブルも減る(少なくともスマホアプリの不具合は従業員のせいではない)。
客がどこの席についたかもわかるので、無駄に「いらっしゃいませー」などと言いながら客席管理をする必要もない。そもそも、日本語を喋らなくても商品提供が完結する。これは都心部の店舗で究極の救いだろう。

素うどんではなく、ハイカラうどんを頼んだ。いつも思うことだが、なぜあげ玉の入ったうどんが「ハイカラ」と呼ばれるのだろう。確か京都あたりでの呼び方だと思ったが。関西圏というか近畿というか、あの周辺の言語感覚は東国とは随分と異なる。東京を中心とした東国文化が優れているとは言わないが、近畿圏、西国の言語や食文化は、東国から見る時には異文化として捉えないと、無用な差別意識や優越意識を呼び込む。差別の発端は宗教や思想などではなく、食べ物や見た目で始まるものだろう。プロ野球やサッカーの贔屓チームの違いですら喧嘩が起きるこの国で、食べ物の嗜好が違うと文化差を言い連ねるバカたちがどれだけいることか。
ハイカラうどんと、たぬきうどんの違いを考ているうちに、東西異文化と差別意識に思いが至った。朝から高尚な知的活動をしてしまった。

異文化ついでに、おそらくほとんどの人はこんなことをしないだろうなと思う、「文化の果て」的行動をしてみた。牛丼に乗せる紅生姜をうどんの上に乗せてみた。紅生姜好きの衝動的行動だったが、あれれと思うほどうまい。牛丼文化とうどん文化の奇跡的合体だ、麺と丼飯のマリアージュだと、文化論考察の第二弾をしてしまったほどだ。
ちなみに大阪府南部では、紅生姜の天ぷらというものが標準で存在しているが、大阪北部になると見かけることが少ない。大阪の南北ですら食文化が異なるようだ。人と人が仲良く暮らしていくためには、異文化探索は重要だなと改めて思う(笑)

朝のハイカラうどんを食べたあと、渋谷駅に向かって歩いていて見つけた立ち食い蕎麦屋の店頭ポスターにまたまたびっくりさせられた。左側のつけ汁そばは「酢辛」だから、これはラー油そばの進化系だろう。「酸辣湯麺」の応用なのかもしれない。豚肉とニラというパンチのある組み合わせだから、明らかに「みなとや」インスパイア系を上回る進化だ。
ところが、それよりもびっくりなのが「時価の松茸そば」だった。時価って何と言いたくなる。鮨屋のマグロでもあるまいし…… この二枚のポスターでわかるのは、立ち食い蕎麦は異形な方向へ進化しているようだということだ。
原材料高による値上げの欲求と高級化路線は相性が良い。松茸蕎麦は、その現実的な対応ではあるが、一体どれくらいの注文があるのだろうか。逆に左の新つけそば、一杯五百円というのはなかなか巧妙な作戦で、盛りそば380円や天ぷら蕎麦450円?(きちんと値段を確認してはいないが)を、500円に引き上げる効果は明らかにある。
なんだか、古典的なマーケティング・テクニックだが、意外とこれが効き目がありそうで、うどんファストフードのデジタル対応と比べて、あれこれ考えさせられてしまった。
早朝の渋谷は、なんとストリートで学ぶ、発見と考察の研究機関みたいなところだった。

街を歩く, 食べ物レポート

老舗居酒屋で池波正太郎を気取ってみた

東京のシンボルタワーというより、東京東部、下町地区の象徴という気がするスカイツリーだ。東京駅から東側を歩いていると、アレっと思うようなところからスカイツリーの姿が見える。
鶯谷の駅から歩き始めてふと見上げた先にスカイツリーがあった。スカイツリーが完成してから随分と時間が経った。おやまあ、というか、また会いましたね的な親しみも感じるようになった。街の光景に馴染んできたという感じがする。

JR鶯谷から歩いて10分もかからない、表通りから引っ込んだ住宅街の一角にある老舗の居酒屋で、友人と待ち合わせをした。住所は根岸なので、実に下町界隈に出没した感じがする。そもそも鶯谷の駅で降りたのは、これが初めてかもしれない。浅草からぶらぶら歩いて入谷を過ぎ日暮里まで歩いた記憶はあるが、鶯谷周辺には近付いていなかった。東京にぽっかり空いた未踏地区の冒険に出たような気がする。
山手線の内側を湯島から日暮里まで歩いたこともあるから、やはり鶯谷駅周辺だけ足を踏み入れたことないまま、謎の空白地帯になっていたようだ。

今風の無国籍な料理が並ぶチェーン居酒屋とは全く趣が異なる、シンプルなメニューだった。かまぼことかたたみ鰯とか、時代劇に出てきそうな食べ物が並ぶ。まさに池波正太郎的グルメ世界なのだ。というよりストイックな美食空間とでも呼びたい。
池波正太郎が今でも生きていたら、江戸風物の古典料理以外にエスニック料理や昆虫食まで手を広げていたとは思う。知性の高いグルメ探求者は、知的探訪というか興味本位で悪食になるはずだからだ。オムライスを楽しんだ翌日には、タイ飯でグリーンチリとココナッツミルクにした図済みを打つような暮らしは悪くない。池波正太郎氏にはナンプラーとニョクニャムの違いを熱く語ってもらいたいものだ。
ただ、そうした現代版拡張グルメを楽しんだ後は、やはりこの店のような古典的居酒屋で休憩するのではないかと思う。新と旧を取り混ぜ、伝統と新進気鋭を気ままに楽しむのが、正しい食い道楽のお作法であるとも思う。

最初に出てきたのはお通しというより突き出しという感がある、シンプルな「煮豆」だ。ちょうど10粒あるなと思ったが、これはひょっとするときっちり数を揃えて出しているのだろうか。そうかもしれない。ありそうな話だ、と豆をつまみながら思った。味付けはほんのりというかほとんど味がしない。ただ豆を食べたという充足感がする。

鳥もつ焼は、一人一本ずつに分けて出してくれた。一皿に盛り付けて勝手にシェアしてねという一般的な居酒屋とは一味違う心遣いなのだが、それを堪能するのは客側にもそれなりの素養というか、理解度の高さが必要だ。
ここしばらくの我が生活を振り返ってみると、コロナで在宅時間が伸び、テレビ視聴時間が増えたせいで、旅番組(過去放送したもの)と酒番組には詳しくなった。その影響で熱燗を飲むようになったのだが、確かに燗酒には冷酒とは違う旨さがあるなと感じるようになった。どうやら基礎代謝量が減ったせいで、色々と味覚にも変化が起きているようだ。まあ、普通はこれを老化と呼ぶ。ジジイ好みの味に傾いてきたというだけの話だ。だから伝統的な居酒屋、ほとんど会話が聞こえてこないような静かな店がありがたい。居心地が良い。
白鷹の熱燗で湯豆腐を食う的な池波正太郎世界が目の前に広がっているなあ。ちなみに、都内で白鷹を飲める店は本当に少ないのだよね。池波正太郎の世界で、日本酒の銘柄に言及していたかは全く思い出せないのだけれど。

街を歩く

福井城 地味にすごい

県庁所在地にお城があるとき、そこには公共施設が設置されていることが多い。あとは神社もよく勧進されている。明治政府の蛮行、廃仏毀釈の影響が大きいようだ。富山のように市民が散歩できる無料の公園になっていることもあれば、名古屋城や彦根城のように入場料を取るところもある。それぞれの自治体の考え方だから文句をつけるつもりはない。整備にも金がかかるし、文化財の保護を税金でやると文句をつける市民も多いだろう。
福井県福井市にある福井城は、お城の真ん中に県庁と県警本部がある。これは……………相当にすごいことだ。お城は堀で囲まれているので、入り口の橋が落ちたら県庁へはどうやっていけば良いのだろう、などと馬鹿なことを考えてしまった。
そして、その県庁の入り口に大きな垂れ幕がかかっていて、これはなんと感想をいえば良いのだろうと悩んでしまう、不思議な標語というかスローガンだ。今風に言えば、エモいスローガンみたいなことを狙ったのかな。

福井城は悲運の名将、結城秀康が築いたものらしい。徳川一族は、あちこちの防衛拠点に派遣され幕府の守りを担ったのだが、この家康の息子はかなり大変な人生を送った一人だ。本来であれば、二代目将軍になるはずだった……………
福井城は典型的な平城なので、堀が広い。防衛拠点というより、地域支配の象徴という観点で建てられたような気がする。

福井は地勢的に京都から日本海沿岸、越中越後にいたる北陸支配の前哨基地にあたる。重要拠点だったのだが、支配者は戦国後期にコロコロ変わった。最後の支配者、徳川政権になって大きな城が造られたのは、戦国期の終わりという意味合いがあったように思う。

北陸新幹線が福井まで延伸する前から福井駅は新幹線対応を進めていた。その気の早いとも思える駅改良工事を見たのは5年前だっただろうか。今では駅前もすっかり整備完了して、あとは新幹線の入線を待つだけと思っていたら、なんと大阪延伸を望んでいる。福井人は気が早いというか、せっかちというか、野望に満ちているというか、ちょっと意外な気がした。
確かな記憶ではないが、JR東日本の新幹線は雪対策で車両が重くて、東海道新幹線は走れないのではなかったか。大阪延伸のためには、東海道新幹線に乗り入れするのが早道だが、そこで直接乗り入れることができるのだろうか。
乗り入れができずに、米原や京都で東海道新幹線に乗り換えるとしたら、つながる意味もなさそうだが。米原で繋がるのであれば、「のぞみ」接続はむりだろうし。京都駅乗り入れだろ、どこにホームを作るかだなあ。在来線の上に立体化したホームを作るか?

このあたりは福井県庁の方にご意見を伺ってみたいものだ。地味にすごい、福井についても、色々と面白い話が聞けそうだし。はやくて、つよい決意を語ってほしいなあ。

街を歩く, 旅をする

金沢で夜の散歩 都会の楽しみ

金沢駅の駅前改良工事が終わっていた。完成後の駅前広場は「都市美」というか「機能美」に溢れている空間に変わっていた。駅に向かう歩行者の散らばり具合が、都市としてちょうど良い。適度に賑やかな感じがする。東京のターミナル駅で見る、レミングの群れが暴走しているような猛々しさはない。
人という生物の生理的感覚として、大都市駅の密度はやはり異常というか、気に入らない空間なのだと思う。三密などというゲスな言葉とは無縁な、近代都市空間とはこういうものだと言っている気がする。

金沢駅西側はすっかりホテルとオフィスビルの街に変わっていた。不思議なことに金沢の人口を考えると、この街の賑わいは他の中規模都市、特に県庁所在地を凌駕している。賑わいだけを見ると、ほとんど政令指定都市のレベルではないだろうか。
いや、人口100万人を切る小型政令指定都市と比べてみても、金沢の方が賑わい度で上のような気がする。やはり、加賀百万石の威光というか名残というか、文化と観光の街として格の違いがある。

その影響を受けて駅ビルのなかも夜遅くまで営業しているお店が増えた。たまたま見つけた閉店時間間近のパン屋で面白そうなメロンパン?を見つけた。バナナと胡麻という組み合わせは見かけた記憶がない。おまけに好物のメロンパンなので、ついつい誘惑に負けて一つお試し買いをすることにした。
味は、バナナが強く胡麻はほんのりな感じだった。メロンパンの味は表面のビスケット生地で決まるものだと思い込んでいたが、この胡麻バナナメロンパンは、中のクリームが味の決め手だった。うーん、実に美味い。

閉店間際でもこれだけ並んでいるのは、売れ残っているのではなく、人気なので売り切ってしまうのだと思う。後で写真を見返していて気がついた。このパンはメロンパンではないのだな。どこにも「メロン」の文字は書いていなかった。見た目での思い込み……………おいしければ良いのだよ。

そのメロンパンもどきを買う時、もう一つ気になってしまったのが「加賀棒ほうじ茶デニッシュ」だった。加賀棒茶というものは、金沢名物として聞いている。お茶に詳しいとはいえないが、金沢で飲ませてもらった棒茶は美味しいものだった記憶もある。
しかし、一番惹かれたのはきな粉がかかっていることだった。揚げパンのきな粉がけは好物だ。シンプルなきな粉の味が好きなのだが、安倍川餅や信玄餅のようなきな粉まみれのお菓子も好んで食べる。

加賀棒茶よりもきな粉に引っかかったというのが正直なところだが、このパンの中身に入っているお茶クリームは上品な感じがして気に入った。パンというよりデザートに近い。お茶を使ったクリームは抹茶だけかと思っていたが、ほうじ茶で仕立てるあたりは、やはり金沢の味覚文化なのかもしれない。
夜の街をフラフラと歩き回っていると、こういう美味しい場面に出会うことも多い。適度な都会の賑わいが感じられる金沢は、さぞかし住みやすい街なのだろうなあ。
あの冬の曇り空は好きになれないんだけどね。

街を歩く, 旅をする

秋田の街歩き

年末のニュースなどで見かける「〇〇市民の台所」と言われる市場が好きで、時間があれば立ち寄ることにしている。スーパーに取って代わられて久しい業態だが、地場の魚や野菜が並んでいるのをみて歩くのは楽しい。今回の秋田では、今まで行ったことがなかった市民市場をなんとしても見に行こうと思っていた。
ただ、行く前から恐れていたこと、あちこちの市場で起きていることが、やはりここでも起きていた。お店が歯抜け状態になっている。感覚的には1/3が空き家になっている。県庁がある町でこうなのだから、地方都市で市場がなくなってしまうのは時代の流れと諦めるしかないのだろう。(実際に弘前では小ぶりな市場が消滅していた)

秋田駅から歩いて15分くらいで、夜の繁華街「川反通り」に着く。ここはだいぶ昔に官官接待疑惑で大騒ぎになり、以降「官僚」接待が反社会的な行為扱いされ、全国の県庁所在地で飲み屋が大量に潰れていくきっかけとなったと記憶している。
秋田には何度も来ているのだが、不思議と夜の繁華街に来たことがなかった。新幹線が開通してから、北東北はちょっと無理すれば首都圏から日帰り可能になってしまったこともある。秋田で仕事をした後、青森や盛岡に移動して一泊するパターンが増えたせいもある。

街は名前の通り、川沿いに伸びていた。これはなかなかの風情がある。秋田のお城直下の場所なので、江戸時代から続く賑やかな場所だったのだろうことは簡単に推測できる。まさしく城下町の花形だったはずだ。盛岡はお城から駅が離れているが、秋田は駅が近い。同じ北東北でも西と東では街の作り方がちょっと違っているようだ。

その繁華街のメインストリートではないかと思う通りを歩いて気がついた。両脇に並ぶ店が少ない。廃業してしまったところも多いようだ。おまけに、コロナの後だけに、閉店に追い討ちがかかった感じもする。

通りの両脇を眺めながら一往復してみた。外観が賑やかな感じがしたのは、秋田名物が並ぶ居酒屋ではなく、どかーんと肉を食わせる店のようだった。秋田は日本酒と魚と勝手に思い込んでいたが、今や「肉の時代」だしな………
と改めて納得した。
接待というビジネスツールが過去の風習となる時代だから、夜の飲食店も「自分の金で自分の食いたいものを食う」という当たり前に戻ってきた。そんなことかもしれない。
秋田の老舗料亭というやつを探してみたのだが、事前に調べてもいなかったので全く見つけられなかった。まあ、料亭の時代でもないし。そういえば、東京赤坂あたりの料亭は、今はどうなっているのだろう。学習効果の足りない国会議員だから、またゾロゾロ集まっているのだろうか。

街を歩く, 旅をする

後遺症があちこちで 秋田

秋田で夜の繁華街「川反通り」をぶらついてみた。すずらん通りとゲートに書かれているあたりが、飲み屋街のランドマークだと思うのだが、確信があるわけではない。広い通りから横に入ってくる形なので、そうではないかなと思った。

そのすずらん通りの入り口にひときわ明るい看板の店があった。焼き鳥屋のようで、外から覗いてみると比較的若い客が多い。コンビニ的な明るさだなと感心した。周りの店が実にシックというか、外観が暗いので余計に目立つ。
夜の繁華街はこういう「店外看板」で道が明るくなるものだが、秋田の街は例外のようで道が暗い。秋田スタイルは店外を明るくしないのかと思ったが、街を歩き回ると単純に店が開いていない(休業、休み、閉店)だけのようだった。
県庁所在地の賑わいがない、という気がする。ただ、駅前にホテルが多くあり旅行者向けには駅前周辺の方が使い勝手が良い。おそらく飲食店は駅前周辺に引っ越しているのだ。

そんなことを考えながら薄暗い通りを駅前方向に歩いていくと、不思議な惣菜屋があった。どうやら、洋風居酒屋の端っこをテイクアウトコーナーに変えて、惣菜販売をしているらしい。中を覗いてみたら、店内はつながっていた。
なるほど、コロナでのテイクアウト対応をしっかりとやるとこうなるのかと気がついた。秋田では冬の雪を考えると、店頭にテーブルを置いて販売するなどの、なんちゃってテイクアウトでは無理だろうなと思う。しかし、この人通りの少なさで商売は大丈夫だろうかと、他人事ながら心配になる。腹に隙間があれば、何品かは買ってみても良いのだが………満腹だったので、ごめんなさい。

その近くにクレープのテイクアウトの店があった。夜にクレープなのか? ちょっと不思議に思い近づいてみたら、そこはなんと「ステーキ屋」というか「肉レストラン」だった。これも、なんとも不思議な対応だ。最初はテイクアウトで「ステーキ丼」とか「焼き肉弁当」とか売っていたのかな。それが売上の低迷か、店主の好みかはわからないが、全く違うカテゴリーで甘いもの、クレープをテイクアウト商品に選んだのかな。ステーキを焼く技術があればクレープも上手に焼けるのかな。などあれこれと勘ぐってしまった。
これは秋田だけの現象ではなく、おそらく日本全国の中小都市で起きていることだろう。廃業するにも廃業できない苦肉の策。経済学的には採算が合わない業種は潰れて、次の新業態に置き換わった方が良いのだろうが、現実的には潰してなるものかと踏ん張る人たちは多い。こういう光景を見て、行政は何を考えているのだろうか。何も見ていないし、考えてもいないような気がした「秋田の夜」でありますよ。

街を歩く, 旅をする

秋田駅前の朝散歩

何年か前に秋田に来た時は、駅前が大規模工事中だった。秋田駅で降りてみたら、ホテルに行く途中まで通路の上に屋根がかかっていた。駅ビルもできていた。冬にはこの屋根が役立つだろうなと思ってたら、なんと「大屋根通り」と名付けられていたので、これまたびっくりだった。
タウンマネージメントとしてネーミングのセンスは大事だ。昭和から平成にかけて、都市再開発のときにこういうアーケードや広場ができると、語源はどこだと言いたくなるようなカタカナ造語で「ナンチャラ・ストリート」とか「ペケペケ・スクエア」などと呼ばれていた。聞いた次の瞬間に忘れてしまいそうな「感動も何もない」軽薄ネームばかりだった。
しかし、この「大屋根通り」という力強さ、忘れようもないインパクト。好きだなあ。偉いぞ、秋田市民、と感動してしまった。

その大屋根通りを歩いていくとお菓子屋があった。昔からお殿様がいる街には老舗和菓子屋が多い気がする。今では洋菓子、ケーキ、パティシエのいる店に押され気味だが、和スイーツなどと呼んで人気が戻ってきている。
老舗の若旦那、若女将?が商品のリニューアルを含めて、新コンセプトに取り組んでいるからだ。こういう変化は大都市より地方中核都市の方が進んでいる気がする。特に、観光客相手、手土産需要から日常使いへ変化しようという動きが成功しているようだ。

確かに、和菓子の団子や饅頭のような固形分の高いものはテイクアウト向きだが、クリームをあしらったり、汁粉をソースに見立てたり、和洋菓子の合体モードは戦闘力が高そうだ。洋菓子から和へのアプローチより、和菓子から洋菓子にすり寄っていく方が、柔軟な対応になるだろう。
抹茶と団子は、実に巧妙な組み合わせのように思える。東京では赤坂の羊羹屋に行けば、こんな感じで和菓子を楽しめるのだろうか。銀座では無理そうな気がする。そういえば地元の百貨店(もどき)のお茶屋が、抹茶と和菓子でイートインをやっていたな。

今回、朝の散歩途中で見つけた「我が懐かしの」茜屋珈琲店。本店は軽井沢で、日本のあちこちにぽつんと支店があるようだ。地元の街にも一軒あって、たまに美味しいコーヒーを飲みに行っていたが、コロナに負けたらしく閉店していた。
この店のコーヒーが飲みたかったが、今回は日程の都合で行けなかった。着いた日に見つけていれば、夜の締めコーヒーにしたのに、残念。

この店も時間があれば行ってみたかった。秋田に着いた日は気温が30度近い暑い日だったので、きりたんぽ鍋を食べよういう発想が全く出てこなかった。アジイと言いながら、冷たいビールを一気に飲み干すような気分だったせいだ。
看板に書かれた商品ラインナップを見れば、オール秋田うまいものが勢揃いしている。駅前にあるし、向かいはホテルだし、観光客向けの店なのは間違いないが、こちらも「真正観光客」なので文句はない。これも次回の宿題かと思いながら、次に秋田へ来るのはいつなのかなあ。
そういえば、銀座に「生きたナマハゲ」の出る秋田料理の店があったが、まだ健在だろうか。そうであれば、もう少し寒くなったときに、ナマハゲに会いに行き「きりたんぽ鍋」を食すというのもありか…………
ちなみに、銀座のナマハゲは、一通り客を脅した後は、仲良く一緒に酒を飲んでくれるフレンドリーなナマハゲだ。

街を歩く, 旅をする

弘前でモーニングコーヒー

珈琲の街と書かれてある。ちょっと意外感があったのだが、文明開化の時代に弘前は津軽の中心地として、ハイカラ文化が花開いたそうだ。太宰治を生み出した冬の雪で埋め尽くされた平野と思い込んでいたが、先進的な農業で経済を活性化させた、つまり金持ちの多い文化都市だったらしい。今でも市内に数多く喫茶店があるようだ。

8時になるとようやく喫茶店が開店し始める。そんなモーニング営業をしている喫茶店を見つけて、散歩の休憩をした。朝のコーヒーは、やはり伝統的な(笑)喫茶店が良い。現代風の立ち飲み珈琲屋は好かない。コンビニコーヒーも、朝向きではない気がする。ただ、弘前城前のスターバックスは建物が昔の官舎を改造したもので、あれは風情がある。数少ない例外だ。

外観は渋い煉瓦造りで、これは最近の壁だけレンガ貼りました的な模造品とは違っている。本物の煉瓦を積んだ外壁だろう。

歴史的建造物として認証されている由緒正しきビルだ。大正から昭和初期にかけて、こうした洋風ビルディンが全国津々浦々で建設されていた。昔懐かしのモノクロ映画でよく登場する。

同じビルの中に、これまたおしゃれなラーメン屋が同居している。ただ、ここにはコロナ前の時期によく通っていた洋風居酒屋があった。居酒屋だったのか食事ができるバーだったのかはちょっと微妙だ。ともかく、シェイカーを振って作るカクテルが飲める店だった。弘前のお気に入りだったのだが、今はラーメン屋になっている。コロナで廃業したのかどうかはわからない。おそらく全国のあちこちにある、馴染みの店も大半が閉店しているのだろう、と思わされる光景だった。
このラーメン屋も一度は行ってみるべきだろうとは思うのだ。ひょっとしたら居酒屋が変身してラーメン屋になってはいるが、相変わらずカクテルが飲める店なのかもしれない。(そんなはずはないか)

喫茶店の中はカウンター席とテーブルがふたつというこじんまりした作りだった。一度来たことがあるような気もするが、記憶には残っていない。タバコの匂いがする、昔懐かしの喫茶店だった。

ブレンドコーヒーを注文すると、砂糖壺とミルクピッチャーが出てきた。これも、今は消滅したような光景だ。喫茶店で砂糖は細長い紙包装ものに変わっている。たまに角砂糖がコーヒーソーサーに乗っている店もあるが、それもすでに発見困難な化石喫茶店だ。
シアトルコーヒーの店は、たいていが使い捨ての砂糖、クリームetcで、あれはやはり喫茶店ではなく別のコンセプト、カフェというものだろう。朝の散歩途中に、こういう魅力ある「喫茶店」に立ち寄れるのは、文化高き街の証明だ。
8時10分もすぎると何人かのお客が入ってきた。皆さん常連のようで、カウンター内の店主と親しげに話を始める。聞くと話に聞いていたら、当たり前だが弘前語(津軽弁の中でも上級らしい)で、聞き取り不能語がだいぶ混じっていた。気分は石川啄木だった。言葉の意味はわからないが、何やら懐かしく聞こえる。北海道の高齢者が使うイントネーションに似ているせいだろうか。

店を出たら目の前にカレーのポスターがあった。ラーメン屋だと思っていたが、テイクアウト用にカレーを作っているようだ。ラーメン屋のテイクアウトでは商売にならなかったのかと気がついた。コロナの時代は、飲み屋だけではなく飯屋も大変だったのだな。