街を歩く

渋谷散歩 奥渋で看板探し

JR渋谷駅の駅名は看板位埋もれてしまった

年に何回か所用で朝早くに渋谷に行く。商業都市渋谷は朝の目覚めが遅いのか、8時前では歩く人も少ない。渋谷駅の看板を写真に撮るには絶好の時間だ。日本で屈指の歩行者数の多い場所だけに、駅ビルや駅舎に貼られている巨大広告はその時期特有の「世のあり方」を映しているような気がする。一年前の広告物はオリンピックのカウントダウンだった。時代を映し出す醜い鑑と思うこともある。
配信型動画サービスが拡大し続けているのは、現在のテレビが機能不全に陥っているからで、有料動画配信サービスはその機能不全のテレビのエンタメ機能が置き換わったものだ。オリンピック前はコロナ批判を繰り返し社会に恐怖を煽り、オリンピックが始まれば手のひら返しで全局あげてのオリンピック礼賛に呆れ果てた。
だったらエンタメだけやっていて報道など偉そうな物言いはやめれば良いのだ。そもそも親会社の新聞社がオールドメディアで、機能不全どころか中立的な報道機能が崩壊しつつある。政府支持か反政府かに分かれたファンクラブの会報みたいなものでしかないだろう。だから、オールドメディアの子会社であるテレビ放送局は劣化バージョンの扇動しかできない。偉そうに人様に意見を垂れるより、視聴率稼ぎの芸能スポーツに特化して、沈黙すれば良いのだと思う。
出来の悪いエンタメ番組を垂れ流すテレビより、有料配信の質の良いエンタメに流れていく人が多いのは当然だ。ラジオがテレビに負けたように、テレビはネット配信に負ける。勝てるはずがない。要はまたもやメディアの世代交代の時期が訪れたということだろう。
在京局ではテレ朝やフジテレビがいくら頑張っても、所詮は日本ローカルだ。ディズニーという世界資本のエンタメ企業には勝てるはずもない。世界企業に対抗できるのは、国民から強制的に課金徴収している某公営放送だけだ。その某公営放送がある渋谷駅の広告がこれなのだから笑ってしまう。

渋谷のランドマーク、ハチ公が立つ駅前広場に面した東急百貨店も、ついに取り壊しが始まった。何年かすれば、高層ビルに置き換わるのだろう。渋谷は谷底の街で、その1番の底がJR渋谷駅だが、駅の周りの東西南北全方位で高層ビルが取り囲むようになる。だったら高層ビルの屋上を使って屋根でもかけて、渋谷の街全部を全天候型都市に変えて仕舞えば良いのに。空が見えない街は、渋谷ににあっているような気がする。

渋谷駅から北側に5分ほど歩き東急百貨店本店を超えたあたりが、渋谷という街の外れになるのだろう。その先は某公営放送の本局があるので、渋谷というより代々木になる。この渋谷の北側の端っこが、どうやら「奥渋」というらしい。街頭に奥渋と書かれた旗というか不思議な垂れ幕がたくさん下がっている。渋谷中心部はすでにほとんどビル化されているが、奥渋は低層階のビルが立ち並ぶ程度で、中には二階建ての住居も残っている。渋谷の辺境とでもいうべきだろうか。

そんなおとなしい雰囲気の町にかわるあたりにレストランビルができていた。各階ごとに特徴あるレストランが入っている。なんだかバブルの頃を思い出す、レストラン専門ビルだった。想像するに、これもビルが出来上がった頃にコロナの影響で用途が変わったというか、テナントが集まらなかった、みたいないわく因縁がありそうな感じだった。

壁面いっぱいを使った看板は、なんだか沖縄風で異国感がある。渋谷の街中のゴミゴミした感じとは、ちょっと色合いというかテイストが違う。センスあるというべきなのか。早朝だからイメージが湧かないが、夕方の薄暗くなったあたりに来ると、なんだか全然違う印象になるだろう。奥渋は朝しか訪れたことがないので、今度は夜にぶらぶら歩きしてみるのもよいかな。

最後に、とてつもなく気になった看板というか店舗がこの「ガガナラーメン」で、あたまのなかで???が爆発してしまった。ガガナとはなんなのか。そもそも日本語なのか。看板を見るとGaGana Ramen 極 とあるからには、どこかに普通のがガナラーメンを売っている店があり、そこと比べて極上品質だから、極ということなのだよね、それでどこが極みな訳?と聞きたくなる。謎だ。謎が謎を読んでいる。そして、奥渋にはこんな謎の店がゴチャマンとある。街自体が謎な存在だとも言えるか。やはり夜の奥渋ぶらり散歩は決行しなければいけないなあ。
渋谷は南側の桜ヶ丘あたりも謎が多いので、2回ほど夜遊びに来ることにしようか。

街を歩く

二の酉に行ってきた

靖国通り側は出口専用だった。

新宿花園神社の酉の市は、毎年とは言わないが、比較的頻繁に参加していた。参加していたというのは「商売繁盛」を願い熊手を頂戴しに行っていたからだ。ゲン担ぎでしかないと、当時は社内の誰かれに言われていたらしい。確かに、ゲンを担ぎたくなるような状況だったが、それでも年末のお祭り気分が楽しくて、よく通ったものだ。熊手を頂戴すると、拍子木を叩いて「応援」してくれるのが楽しみだった。

そんな商売繁盛のお祭りがコロナに負けて昨年は中止。今年はどうなるかなと思ったら、縁日的な屋台はないが、お参りと熊手販売は行っているとのことで、二の酉に出かけた。日曜の夕方だが、コロナの後だしたいして混みはしないだろうと、たかを括っていたら大外れで、とてつもない大行列にハマってしまった。

大量の提灯と熊手に圧倒されるが、どうも聞こえてくる拍子木の音がまばらで、不安になる。お参りの行列は長いが、人声はあまりしない。神社の参詣客は、それほど大騒ぎしたりしないとは思うが、人の数の割にはおとなしい気がする。これがコロナにどっぷり浸かった令和スタイルだとしたら、お祭りの形もすっかり変わってしまいそうだ。
縁日のないお祭りは寂しいものだと思いながら帰りかけたら、出口の周りにだけ昔懐かしの屋台が出ていた。イカ焼き、焼きそば、景品クジ引きなど定番屋台がそろってあるが、客引きの声もなく静かなままだった。
なんだかなあと思いつつ、来年はもっと賑やかになるだろうと期待して、熊手をふりふり帰ってきた。

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半額の威力 思い知ったなあ

バーガーキングが時々やっている「ワッパージュニア半額セール」は面白い仕掛けで、午後2時からスタートする。ランチには購入できないという時間限定の仕組みだ。ネットのニュースでキャンペンーんのことは読んでいたが、すっかり忘れていた。たまたま近場のバーガーキングの前を通りかかったら、店頭にポスターが一枚掲示されていたのをみて思い出した。時間は午後3時半過ぎ、対象時間になっていた。一度は通り過ぎたのだが、思い直してポスターを確認した上で店内に入った。

朝から晩までかかっているバナーやポスターには半額セールのことは触れられていない。そもそもバーガーキングの大ファンでもない限り、ネットニュースで乗る小さな記事にどれだけ客が反応するものかと思っていた。店内に入ると5−6人が商品待ちをしていた。昼のピークを過ぎた午後にしてはずいぶん人数が多い。従業員の数が足りていないのかなどと思っていたが、待ち客の商品を手渡すときに、商品と数量の確認をするのが聞こえてきた。なんと全員がワッパー待ちだった。自分が注文した後も連続して客が入ってきた。カウンター前の隅っこで待っていたので、注文が全部聞こえてくる。5人全員がワッパーだった。
ワッパージュニアを一個だけ注文した客が3人、ワッパージュニアだけ2個が一人、ワッパージュニア4個とサイドアイテムで900円くらいの注文が一人。5人の客単価は300円程度だから、通常の半分以下だろう。これでは売るだけ損するレベルだと思った。
しかし、何よりも驚いたのが半額のバーガーを一個だけ注文できる客のメンタルの強さだ。鋼のメンタルという言葉がうかんできた。すごいことだと感心した。それ以上に、ワッパージュニアの連続コールに負けず、厨房ではたらく製造担当者の精神力に同情してしまう。結局、コロナの後の外食市場の惨状は、こうした極端なディスカウント策を生み出すのだろう。
そして、その策に乗るのはバーゲンハンターと言われる、普段は利用しない人たちが中心になる。次回の定価販売でのリピートを期待して広告宣伝費と割り切れれば、半額セールスもありかもしれない。ただ、大多数の客は半額以外の時は近づきもしないはずだ。洋物ファストフードはコロナの自粛時期も、それなりに健闘してきたはずだが、客寄せパンダは半額セールしかないのかとちょっと寂しい気もする。
それでも看板商品のフルサイズ・ワッパーはディスカウントの対象にしないのは偉いなと思っていたら、どうやらワッパー2個で1000円というハイエンドのバリュー策をやるとのこと。なんだかなあと思いつつ、バーがキングは好きなので、頑張って欲しい。

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新宿のくら寿司で一人飯

くら寿司、スシローがコロナ後を見据えた都心部の侵攻を進めている。都心部ではコロナによる閉店が相次ぎ、その跡地への出店が中心なのだが、一階にこだわらない立地政策は「自社ブランド」への強いプライドなのかもしれない。大手ファストフードチェーンでは二の足を踏む二階や地下への出店は当たり前で、3階以上の高層階へも出ていく出店意欲の強さが現れている。最盛期の居酒屋チェーンより強気かもしれない。

回転寿司に入って最初に注文するものは何かと尋ねられるとすれば、答えはほとんどの時にはタコとイアということになる。普通の注文の仕方とは違うのかもしれない。これは自分の好みでもあるし、寿司は味の薄いものから濃いものへ順番に頼むという定説にもあっているはずだ。ただし、個人的にはスシを食べる順番なんていうものにルールなんかないと思う。寿司を食べる順番なんてものは、高い鮨ををありがたがってたべるときに、客に対して暴君のように振る舞う店主が、おのれの権威づけのために流布したものだくらいに考えている。
そもそも握り鮨とは屋台で町の不良たち?が空きっ腹を満たすために立ち食いしたようなものがルーツなのだから、出自を誇れるほどの食べものではないだろうに。好きなものを好きな順番で腹一杯になるまで食べる、これが鮨を食う時の唯一のルールではないか。
などと力説しても、最初に注文したのはオニオンリングだった。これはさすがにルール違反とまでは言わないまでも、ちょっとお行儀が悪い気もする。このオニオンリングに醤油をかけて、ハイボールのつまみにした。この食べ方で行くと、気分的にはインターナショナルな回転寿司屋になる。ロスアンゼルスのリトル東京で回転寿司屋に入ったことがある。アメリカでスシブームが一気に広がる最初の頃だった。そこでカリフォルニアロールを食べた時に感じた、違和感と日本と違うスシの楽しさみたいなものかもしれない。

次の皿は、あっさりあじでコリコリ食感のツブにした。貝類では鮑の次にこれが好きだ。残念ながら回転寿司で出てくる鮑は、鮑の一族ではあるが、アワビではないものが多いので注文するのに慎重になる。もっとも、このツブも世界のどこからやってきたツブなのかは知らない。つぶの一族ではあると思うが・・・。

いつもの定番タコとイカに、ウニ風味のツブが乗った軍艦巻きを注文した。最近の回転寿司の創作ものといえば、変わり軍艦巻きが定番だ。カルビやハンバーグから始まったネタの変化と進化は、最近暴走気味だとは思う。、ああ。それも今の時代の回転寿司の楽しみ方だ。
だいたいこの辺りで胃袋の余裕がなくなってくる。胃袋のキャパを考えれば、魚のスシを頼むには、相当シビアな選択がいる。光物を注文するとしても二皿は難しい。サバとアジを頼むとコハダは諦めなければ・・・的なやりくりの話だ。締めの海苔巻きの余裕を残しておきたい。などとあれこれ考え始めてしまう。最近では職人が握るおまかせコースでも似たようなことになり、あと何貫出ますか?などと間抜けな質問をしてしまう。
この日も予定通りというか、この後二皿追加で終了したのだが、くら寿司の非接触型カウンターは女性に大人気で、15人近くがすわれるカウンター席のほとんどが女性だった。両隣にいたかなりお若い女性も快調にくら寿司名物のルーレットゲーム音をさせていた。一回のゲームは5皿が必要なので、少なくとも10枚、多分15枚は注文していることになる。若い女性にも健啖家は多いのだなあと思いつつ、昔に流行していた肉食系という言葉が脳裏をかすめた。回転寿司の大食い女子のことはなんと表現するのだろう。多皿系とでもいうのだろうか。令和の時代の多皿系女子、頼もしい限りだな。

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神田 まつや・・・粋に和む

所用で神田に行った。この街はたまに行きたくなる。老舗の食べ物屋が並んでいるせいもある。神保町から散歩がてらぶらぶらと歩いてこの街にくるのがちょうど良い距離だということもある。神田は東京駅近くのオフィス街だが、下町の風景が点在している。大阪で言えば天満や福島もこんな感じかもしれない。

さて、神田といえば、直感的に思いだすのは蕎麦屋だ。それも江戸時代から続く不良のたむろする怪しい店としての蕎麦屋で、食事処ではない方の蕎麦屋だ。神田で言えば薮とまつやが代表格だと思うが、松屋は表通りに面しているせいかオフィス街の飯屋的な見え方もする。ランチの時は特にそうだ。ただ、ランチが終わった2時くらいから、どこからともなく怪しいオヤジとオバサンが集まってくる。一人か二人でひっそりと酒を飲んでいるのが共通点だ。逆にいうと若い方は普通にそばを食事として食べてさっさと帰っていく。

コロナですっかり昼酒対応が当たり前になったが、ちょっと前までは昼酒は相当難度が高い飲み方だった。居酒屋でも定食を肴に酒を飲むという光景はほぼほぼなしだったはずだ。それが、夜の営業を止められて昼にはみ出してきた昼酒飲みは、店側と客側の阿吽の呼吸という感じで広まっていった。ただ、そのコロナ前の平和な時期でも、例外だったのが蕎麦屋と鮨屋だろう。特に、蕎麦屋は混雑時を避けて昼下がり的な時間であれば、それなりに平気で酒を飲めた。軽くつまみを注文して、その後ささっとざる蕎麦ひとつみたいな感じで帰っていく。お江戸の不良の飲み方だろう。

だから、ビールを頼むのはちょっと野暮かななどと思う。まあ、気分の問題なのだけれど、蕎麦屋で飲む酒はぬる燗の日本酒と決めている。夜であれば、ビールでスタートというのもありかなとは思うが、昼酒はぬる燗一択だ。夜飲みの時はぐい呑みが良い。大振りの器でグビグビ飲みたい。だが、昼酒の時は猪口に限る。小ぶりな猪口に半分くらい酒を注ぎ、ちびりちびり飲むのが昼の蕎麦酒のやり方だと思っている。店内では、たまに他の客の会話が聞こえてくるが、基本的には静かなものだ。昼酒で酔っ払って大声で喚き散らすのは格好が悪いと思う。まあ、そんなダメオヤジも多いことは確かだけれど。蕎麦屋の昼酒は、一人で静かに、スタイリッシュに飲んで欲しいものだ。

さすがの老舗だけあって、席を仕切る板もアクリル板という無粋なものではなかった。店内と調和しているので、まるで昔からこういう仕切り板があるような気がしてくる。記憶に定かではないが、昔はメニューが紙の閉じた帳面のようなものだった気がするが、今はスタンド式になっている。これも非接触対応の一つなのだろうか。まあ、孤食で默食は危険度が低いそうだから、蕎麦屋の昼飲みがもう少しオヤジとジジイの間に広がるかもしれない。ただ、ジジイの大半は命惜しさの臆病者が多いはずだから、あまり家から出てこないかもしれない。コロナが終わっても飲食店の苦闘は続くのだろう。だから昼飲みでお応援だ。

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神田を歩く 薮とまつやの間

神田の裏路地といえば良いのだろうか。靖国通りにある「まつや」の裏手に「藪」があるのだが、その裏路地には趣のある老舗料理店が散らばっている。若い頃には敷居が高すぎ、歳をとってからは忙しすぎて、なかなか利用することができなかった。ようやく暇を見つけて神田の老舗巡りをしようと思っていたら、コロナのせいでとんでもないことになってしまった。どうやらお店も再開したようなので、月に一度くらいのペースであちこち回ってみようかななどと思っている。その下見を兼ねてぶらぶら歩いてみた。

あんこう料理専門店 

一番行ってみたいのがあんこう鍋の店で、これはぎりぎり看板の字が読み取れる。「いせ源」というお店だ。浅草のドジョウ屋も似たような雰囲気があるが、やはり鍋を食べるとすれば寒い時期が良い。そろそろ鍋の季節なのだ。だが、同じことを誰もが考えるので、当然ながら予約が難しい時期にもなる。昨今の事情を考えると一人鍋にするか、二人にするか。せいぜい3人までとなれば、同行する相手も慎重に考えなければならない。余計なことに気を使う嫌な世の中だなあ。

店頭にかかる看板がなかなか読み取れなかったが、酒の名前なのだと気がついてほっとした。老舗の看板は、ともかく難読で読解力識字率の課題としては偏差値が高すぎる。漢字検定一級クラスではないか。ちなみに昔のことだが任天堂DSの漢字検定ソフトで二級までは合格判定だったから、一級検定漢字は難題だ。

甘味処

読解力の判定テストみたいな看板はまだまだある。この甘味処「竹むら」だって、もともと名前を知っているから読めるので、道を通りかかった時に目に入ったくらいでは達筆すぎてすぐには読めない。風情がある建物だなとはわかるが、一体何を売っているのだろうと相当に悩むだろう。

こちらの店は甘味処で揚げまんじゅうが有名らしく、当然ながらお汁粉などの和風スイーツが楽しめる。お昼時は混雑するので、夕暮れの手前くらいにふらっと入ると良いのかも知れない。甘味処は、基本的に女性に占拠されていることが多く、男一人でお汁粉を食べるというのは、ほとんど恐怖体験に近い。だから行列ができている時など、怖くて近寄れない。そろそろ酒でも飲もうかなという時間帯に、角打ちで一杯やる代わりに汁粉をかき込む、というくらいがせいぜい勇気の限界だ。

そのすぐ近くに、これは入るのに勇気のかけらも必要ない、オヤジ族の聖地みたいな蕎麦屋がある。ルックス的には間違いなく昭和中期そのまま。朝でも昼でも夜でもふらっと入ってささっと空腹を満たす。立ち食いそばもチェーン店全盛の時代だが、いかにも親父さんが一人でやってますよ的な個人店は貴重だ。懐具合にも優しいから、お試しするのにも敷居が低い。というか敷居がないくらいだ。落語にも出てくるが、屋台の蕎麦の値段は16文だったはずだ。それとくらべて6文という値段はずいぶんお安い。一度店主に店名の由来を聞いてみたいものだ。

東京都心、神田の街でこの値段はまさに超絶価格と言いたい。地元埼玉の立ち食いそばより安い。かけそば250円というのはすごいが、食べるとしたらいかげそ天がよい。ちくわ天も捨てがたいが、変化球を狙うのであればソーセージそばが適切だと思う。やはり、明日は神田に行かなければという気になってきた。ついでに神田明神によって、商売繁盛でもお願いしてこようか。

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神田 薮・・伝統の重み

お江戸の三大藪と言われる老舗蕎麦屋の一つ、神田の藪蕎麦が火事で焼けたのは何年前だったか。神田の藪といえば、大晦日の年越し蕎麦のテレビ中継で有名だった。大晦日には昼から行列ができる。寒空の中で何時間も待って蕎麦を食べるやつの気が知れないなどと若い頃は毒づいていた。だがこの歳になると考えも変わり、実は並ぶ価値があるうまい蕎麦だと思うようになった。ただ、自宅が神田から遠いので、蕎麦を食べた後同じくらい時間をかけて家に戻るのが嫌なだけだ。歩いて行ける場所にあるのであれば、間違い無く並ぶと思う。ちなみに三大藪の残り2軒は浅草と上野にあるはずだ。コロナのせいで飲食店の営業事情が変化しているから、確かめたわけではないが閉店もしていないだろう。

火事で焼けた後に再建された新しい店だが、外観は昔のままのように感じる。周りにあるオフィスビルのようなものに立て替えなかったのは、やはり老舗としての矜持というものなのかと思う。客としていく分には、高層ビルの一階にある店よりも和風の一軒家の方が好ましい。間違いなく風情がある。都心の中の日本家屋は、それだけで存在感がある。
若い人たちであれば多少の圧迫感を感じるかも知れない。それでも、所詮は蕎麦屋だからあまり気を張ることもなく、ふらっと入って、さっと蕎麦を食べ、サラッと帰れば良いのだ。中で待っているのは、日本屈指のうまい蕎麦であることは間違いない。

蕎麦は不良の食べ物だったとは何度も書いてきたが、お江戸のそばのスタンダードは、この盛りの薄さだ。食事で食べるそばになれた人には、全く腹立たしいぼったくりに見える量だ。バーコードのようなという表現が全く正しい。濃いめのつゆにそばの下半分だけつけて啜る。そばを全部つゆにつけるのは野暮だよ、などと教えられたが、それはそばつゆがとてつもなく濃いからだ。半分つけたツユで口の中はちょうと良くなる。ちなみに、三大藪の中では浅草の藪のつゆが一番濃いような気がする。お江戸の蕎麦屋以外でツユ半分つけを真似してはいけない。普通の蕎麦屋のツユはそれほど濃くはないので、ドブンとつけて食べる方がうまいと思う。

蕎麦屋で酒を飲む時に、つまみとして出てくるのは基本的に蕎麦のトッピングだ。天ぷらや鴨がメインアイテムだが、茶碗蒸しや卵焼きがでてくるのも、蕎麦用トッピング材料の流用だ。だから当然のように海苔もつまみになる。ただ、老舗の蕎麦屋で出てくる海苔は、木箱の中に収められていて、その木箱の中では小さな炭が空気を温めている。湿気を防ぐためだそうだ。蕎麦屋の海苔をつまみに飲む時、海苔が湿気っていてはいけない。パリパリ感が命だ。

鴨も店によっては提供される。鴨南蛮は冬のご馳走だが、その鴨を炙ったり焼いたりして食べる。蕎麦屋では天ぷらと並ぶ濃厚つまみだが、こちらでは薄切りにしたハムのようでとてつもなくうまい。街の蕎麦屋ではあまり味わえない。お江戸の老舗蕎麦屋のつまみを肴に飲むのはなかなか幸せなことだ。
いつも厚焼きステーキで赤ワインという飲み方ができるはずもない。懐事情もあるが、胃袋の事情の方が最近は優先だ。時々は蕎麦屋であっさり海苔と熱燗でほろ酔いしたい。すでに神田の老舗蕎麦屋では、一杯やるのも気楽なお値段ではなくなっているが、それでもたまには足を向ける価値がある。
歴史に残る偉人の話は教科書でチラ見をするくらいで良いが、歴史が残した文化の精髄、老舗店の料理は、庶民がポケットマネーで楽しめる歴史遺産だ。気取らず、友人との会話を楽しみながら、蕎麦屋で一杯。それもお江戸の神田で憩う。京都で湯豆腐もいいけれど、神田で遊ぶ方が何倍か楽しいと思う今日この頃であります。

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神田みますや 

神田みますやに久しぶりに行った。記憶が正しければ2年ぶりくらいで、前回行ったのはコロナの前の年の秋だった。友人と久しぶりの飲み会で、場所のリクエストがここだった。5時から開店だが、店の前にはいくつかの開店待ち集団がいた。この時期だから良いが、夏や冬は外で待っているのがしんどいなあ、などと思っているうちに5時になり開店、一番乗りだった。しかし、神田の裏通りでよくもこんなに客が来るものだと感心する。

定番のつまみを注文して、ちょいちょいとつまんでいく。食事というより酒のアテという方がシクリくる。老舗の居酒屋というか、東京一古い居酒屋という話も聞くので、店の中の風情は抜群だ。今ではすっかりなくなってしまった入れ込み、小上がりが健在だ。ただ、この畳に直に座る方式がちょっと辛い。せめて掘り炬燵式にしてもらえたらなあ、というのは客としての贅沢な要望だろ。ただ、そうしてしまっては、老舗の様式が変わる。いただけないという客も多いだろう。
味付けが濃いめ、甘めなのもその伝統豊かな居酒屋の現れで、良い意味で味を変えないのが神田で長く続けている店の特徴のような気がする。

お通しの海苔と久しぶりに飲んだ白鷹がピッタリと合っていた。この店でも日本酒の銘柄は日本各地の有名どころが揃っているが、お燗にするにはやはり白鷹が良いと思う。最近では、滅多に見かけない白鷹だから余計にそう思うのかも知れない。白鷹は近所のディスカウント酒屋、スーパーの酒売り場ではお目にかかれない希少ブランドになってしまった。チェーン居酒屋や最近の日本酒専業居酒屋でも、白鷹は置いていない。昔からの付き合いがある店しか売ってもらえないのかも知れない。一時期は幻の酒と言われていた山形の十四代より遭遇率は低い。
素直な味の酒で、これが昔の一流といわれる日本酒だったという理解で良いのだろう。最近の脚光を浴びた蔵元の酒は、どれもうまいし特徴も際立っている。自己主張の強さが最近の銘酒の条件なのだろう。
、量販店で売られている一般酒がある意味特徴がない甘めの酒であり、それが昭和の味だとすれば、平成の酒は蔵ごとに尖った特徴を訴えかける酒ぞろいだとも言える。その昭和と平成の酒にちょっと疲れてしまった時に飲みたいのが、我は流行に関せず、我が道を行くという白鷹だ。だから老舗居酒屋や蕎麦屋でこの酒を発見すると迷いなく注文する。冷で飲むよりもぬる燗が合うような気がしている。

久しぶりのフル営業で店内は賑わっていた。もう少しして落ち着いてきたら、テーブル席の端っこで一人飲みと洒落込むべきか、などと友人たちの話をぼうっと聴きながら思っていた。秋の夜長は白鷹がうまそうだ。

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復活の居酒屋で感じた不都合

お通しはれんこんと白身魚のマリネ

札幌で禁酒令解放の日に居酒屋に行った。どうも状況を甘くみすぎていたのだが、コロナ統制下ではガラ空きだった、とある居酒屋に応援がてら出かけてみたら、予約がないと席がないと言われた。そうなのか、と感心したりびっくりしたり。それでもテーブルとテーブルの間の隙間の席に通された。壁に向かって二人がけで、両サイドは六人がけのテーブルになっている。結果的に、右と左から浴びせかけられる会話を聞かされることになった。
昔の居酒屋であれば、こんなことはしょっちゅうで当たり前のことだった。今のご時世では、これはどうも感染対策不足と言われそうだ。それでも適合マーク付きというのだから、やはり適合マークの信頼度はあまり高くないような気もする。酔いが回るにつれ大声になるというのは仕方がないことだが、それにしても右にいたおっさんグループが酷かった。最後の方は怒鳴り合いに近い音量になっていた。左のグループはそれにめげたのか、さっさと帰って行った。
コロナの時代の居酒屋風景だ。うるさい客がいると他の客が帰ってしまう。客同士が暗黙の了解で静かに飲む、これが今の居酒屋スタイルなのだろう。そのうち、大声で話をする昔スタイルの客は出入り禁止になるような気がする。ヘタをすると警察に通報するとかいう危ない客も出てきそうだ。去年の夏前に流行った自粛警察・マスク警察が形を変えて、居酒屋監視告発組になるような気もする。危ない世界だなあ。

冷奴とイカゴロルイベ

熱燗を頼み、冷奴とイカの肝を凍らせたもの(北海道語的に言えばルイベの一族)を頼む。実に演歌的な飲み方だと自覚はしているが、どうもアヒージョだのカルパッチョだのは注文する気にならない。ひさしぶりの居酒屋フル営業なのだから、やはりここはオヤジ飲みで良いだろう。知人との待ち合わせだったので、ちびりちびりとやっていた。

イカゴロルイベ

最近ではすっかり採れなくなってしまったイカだが、鰹と同じでイカが日本まで回遊する元のところで乱獲する国がある。元でとるから回遊してこないということだろう。イワシやニシン、サバといった青魚は漁獲量が長期的には変動して、ある時から全然取れなくなったりする。原因はよくわかっていないらしい。一時期はイワシが取れなくなって、代わりに鯖が増えた。ここしばらくは鰯の量が戻ってきたら、今度はアジが取れなくなった。近年はサンマの不良が続くが、これは暖流と寒流の力関係が影響しているという話もあるし、日本近海に来るサンマの群がいるオホーツクで一網打尽にサンマを取り尽くす国があるせいだという話もある。
イカは元々日本人くらいしか食べていなかったのが、すし文化も含めた海産物の需要増加で乱獲されているということも原因の一つのようだ。少なくとも北海道沖で採れるイカは、往時は一ぱい100円以下だった。それが今では魚屋に行くと北海道産マイカ500円の時代になってしまった。イカはもはや高級品らしい。
刺身用に買ってきたイカの余り(ワタとゲソ)で塩辛を作っていたものだが、今はそれも高嶺の花になってしまった。イカゴロ(イカのキモ)は、刺身を作った時の余りをひとしお振って水抜きしてラップに包んで冷凍庫に入れるという、本当にお手軽かつリサイクル的つまみとしてたのしんでいたものだった。今は、それをしっかりとお値段を払って注文する羽目になる。時代は変わるものなのだね。

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夕暮れの札幌 二景

おしゃれ感があるサッポロ・ステーション・コンプレックス

札幌駅を正面からみるとツインタワーを結んだ空中回廊という構成がわかる。札幌の繁華街の中心が大通公園付近、それも三越と丸井今井の二大百貨店を結んだゾーンだった時代は、札幌駅付近は鄙びた駅前?だった。そこに古くからあった五番館という百貨店の周りに、東急百貨店、そごうの開店が続き、駅前百貨店戦争がヒートアップしていった。その競争の中でまず五番舘が西武百貨店に変わり、結局今では西武百貨店の取り壊され空き地になったままヨドバシカメラの新館が立つ予定だ。そごうもパンクしてSCに変わった。その札幌駅前崩壊と同時進行で札幌駅の大改築が進み、駅高架下にヨドバシカメラが開店したあたりから札幌の中心地が駅前に移り始めたような気がする。新しい駅ビルの開業とともに大丸が開店して、札幌駅周辺の繁華街が大通り付近に競り勝った。丸井今井が伊勢丹三越グループの吸収されたのがその象徴だろう。

夕日があたるJRタワーを北側から見る

その札幌駅も南側の開発が完了し、次は新幹線開通に合わせて北口の再開発が一気に進むようだ。新幹線の札幌駅は、現在の在来線駅からかなり離れた場所にできる。それでも在来線駅まで徒歩で渡る通路で繋がれるようなので、北口周辺が札幌の玄関口となる可能性もある。新幹線開通後は札幌・東京間が5時間程度になる。現在の札幌駅から千歳空港経由で羽田空港に着いて東京駅まで移動すると、JR千歳線が40分、航空機の空港内待ち時間を最低の20分と見て羽田着までが2時間。それに羽田から浜松町までモノレールを使い、山手線に乗り継いで移動として待ち時間を込みで60分。合計で3時間40分になる。
荷物を持って何度も乗り換えての移動と、一度乗ったら5時間そのままと、どちらが楽かと言えば、ちょっと微妙な感じがする。個人の好みで言えば、新幹線が楽だと思う。飛行機でマイルを集めたいとか、格安航空券で移動したいという動機がなければ、明らかに新幹線が快適だと思うのだが。

明らかにテレビ塔は夜見た方が綺麗だ。ライトアップされた時計台も近い。

テレビ塔がある大通公園周辺は、実は旅行者にはちょっと不便な場所で、ホテルが少ない。大通公園から2−300m離れたあたりにホテルが広がっているので、その距離を歩けば良いだけのことだが、ホテルまでの移動を荷物を引きずりながら徒歩というのは、冬には特に厳しい。かと言って、駅からタクシー移動という距離でもない。近過ぎるのだ。札幌で暮らしている地元民には分からない旅行者限定の面倒臭さだ。
秋から冬にかけて、北海道は日暮れが早い。体感的なものもあるが、東京と比べると30分は早く陽が沈む感じがする。それも一気にドーンと暗くなる。夜になって見知らぬ街を歩くのは、ランドマークがわからなくなりやすく辛いものがある。おまけに地元民にはわかりやすい碁盤の目状の街の区画だが、これも暗くなると東西南北がわかりにくくなる。ちょっとした平面ダンジョンという感じか。

今ならスマホの経路指示を入れっぱなしにして移動するという解決策もあるので、さほど気にならないかもしれない。ただ、冬はビルの管理の違いのせいか、ロードヒーティングがある部分とない部分がマダラに存在するため、夜の札幌都心部は歩道にスリップ罠が仕掛けられたようなものになる。特にすべ入り止めがついていない夏靴できた旅行者は、身をもって罠体験をする事になる。旅行者にとって冬の札幌は危険だと断言する。札幌駅と大通りとススキノの三大繁華街を上手に使いこなすには、いささかの知恵が必要になる厄介な街なのでありますよ。