街を歩く

3年ぶりにOB会? 鍋パーティー

味噌ちゃんこでたっぷりうどん入りという珍しい?タイプ

ちゃんこ鍋を食べることになった。4人での小規模新年会みたいなものだが、この当たり前の世界が復活したことに気がつくと、なんだかあれこれと考えてしまう。
少なくとも店内にコロナ対策の名残は存在する。入り口の消毒スプレーは設置されたままだ。これは個人的にコロナ対策とは別に、残った方が良いと思う。コロナ期間中に食中毒が減っていたのは事実だ。客数、飲食回数が減っていた以上に、店舗側の衛生意識が向上したことが原因だろう。その衛生意識改善の戒めとして、消毒スプレーは残しておいた方が良い。
ただ、全く意味がなかったアクリル仕切り版はもう撤去しても良いだろう。飛沫感染ではなくエアロゾル感染(空気感染の言い換えみたいなものか)がコロナ感染拡大経路に認定されているのだから、壁を作るよりも換気に主眼が置かれた対策が必要だ。まだ官はそこに踏み込もうとしないのが、官の官たるところだろう。
コロナの時代に多人数の飲食を制限していたが、あれも科学的根拠はどうだったのだろうか。10人20人という大人数であっても、4人テーブルに分散すれば大丈夫だみたいな「政治屋の屁理屈」もずいぶん聞かされた。所詮、科学は迷信やおまじないやクズな政治屋の言い訳には勝てないのだ。
付け加えると、最近流行りの政治屋的言い訳は、ワクチンの接種率が上がったので高齢者の死亡率が減ったということらしい。確か最初の頃は、ワクチンを打てば流行が抑えられると言っていたはずだ。が、今ではワクチンは流行を抑える力はないが、重症者を減らす効果はあるに変わっている。
要するにジイさんバアさんが死ななくなれば問題解決したと言いたいらしい。さすがにそれをはっきり言う政治屋はいないが。だから、コロナ終息宣言を出さない。実にこの国らしい「解決策」なのだが、それでも人はその胡散臭い匂いをかぎ分ける。どうやら、コロナは終わったらしいよと。だから、鍋料理の新年会が復活できたということだろう。
飲食店にとっては、はっきりとした「コロナ終わり宣言」は必要ない。人々が暗黙のうちに、そろそろ大丈夫みたいだねと思ってくれれば良い。逆に、マスメディアが馬鹿馬鹿しいコロナ報道で視聴率稼ぎをしなくなれば、客は戻ってくると考えているだろう。それもまた世間知というものだ。
今では、コロナ報道の代わりにインフレ報道で社会を煽っているが、放送局社員が高級取りだということも知られているので、このインブレ報道は今ひとつ正義として機能しない感じもする。円高に振れれば、必ず輸入還元セールを始めるのが流通業の習いだから、インフレも一息つくことになると思う。そうしたらメディアは一体何を次の生贄にしようとするのか。
ちゃんこ鍋を食べながら、そんなことをぼんやりと考えていた。ちゃんこにたどり着く前にあれこれ頼んでいたので腹が膨れていたせいもあり、久しぶりに会った友人たちとの会話が楽しかったことに加えて、ちょっと飲みすぎた酔が合わさり、あれこれ妄想したことだ。
ちゃんこ鍋を食べるのは、実にささやかな幸せだが無くすにはあまりにも貴重な幸せでもあるとも思っていた。
この3年間は、こんなささやかな幸せが全国で抑えられていたのだ。やはりコロナは静かな戦争だったと思うべきなのだろうか。10年も経てばその手の社会分析がされるのだろうが、現在進行形で生きているうちは、ささやかな幸せをまた手に入れたことを素直に喜ぶべきだろう。そして二度と手放してはいけないのだ。来週はどんな鍋にしようか。

街を歩く

アフターコロナの我が街では

この方は、自宅近くの地元出身だということは知っていた。実家が地元の街にある芸人さんはもう一人いるが、どちらの実家も徒歩10分程度の近くにある。お笑い芸人の街だとは思わないが、テレビでローカル案内番組が放映されるときはよく登場する。しかし、この街に観光する場所があるのかと長年不思議に思っていた。
市役所の横にある航空公園は、なかなか快適で広大な空間だが、元は帝国陸軍航空基地で戦後米軍に接収された。まだ一部が米軍通信基地(レーダー基地)になっているので、野党議員を中心に基地変換運動が生き残っている。航空自衛隊の基地は隣町の入間にある。、東京都のハズレ横田基地に空自の本社(?)もあるから、この周りは首都圏の航空基地群と言って良いが、観光名物かといえるか。集まるのはミリオタばかりのような気がする。
それ以外の名所は、トトロの森(のアイデア原型)くらいか。狭山茶の畑はあちこちにあるが、あれは純粋に農地であり、能登の棚田のようま観光地ではないだろう。
最近では角川の複合施設が街の東側に出来上がり、なんとか観光地化した気配がある。鉄道スタンプラリーの目的地になったりもする。首都圏にある都市としては、観光地として認識されつつあるのかもしれない。それでも千葉にありながら東京を名乗る巨大リゾートには敵わないが。

確か何年か前のビジネス雑誌で首都圏郊外のベッドタウンが縮小しているという記事があり、立川、八王子、所沢、船橋、松戸あたりで人口減少始まった、この先どうなるみたいな内容だった。どの街も人口30万人以上あり、他県であれば県庁所在地クラスの中核都市にあたる。子供世代は通勤の楽な都内に引っ越して高齢化が進み深刻な社会インフラの問題が………みたいな話だった。
そうか、人口減少都市なのだなと思っていたが、なんと昨年末では人口が増えている。男は減ってているが女は増えている。年末の数値なので、引っ越しなど季節要因での変化は少ないはずだ。
高齢者はあまり引っ越さないから、若い世代が増えたのか。角川の社員が引っ越してきたか?などと馬鹿な想像をしてしまったが、この街に新しく大企業が移ってきたという話も聞かない。東京都の人口は減少したという記事も出ていた。コロナのせいで大都会脱出が進んだということらしい。
女性が増えたということは、やはり子供を産む世代が増え、結果的に出生数が増えたという意味だろう。ただ、赤ちゃんが女ばかり生まれるはずもないので、高齢者の死亡数で男性が多いということが推測できる。赤ちゃんがたくさん生まれてジジイが死んでいく街になってきたということか。ふむふむ。なんとなく納得した。これは、街という巨大な生き物にとっては良い兆候だ。
街を車で走っていても、軽自動車の比率が随分と増えたような気がする。大型のワンボックスより多い感じだ。元気な女性の街になっていくのであれば、うるさいジジイは早めに消えていくのもありかもなと、我が身を振り返りながらしみじみと思ってしまった。
統計から読み取れることは多いなあ。(勝手読みですが)

市役所の中も、ステイホームだ三密だワクチンだと言った、コロナに関する恐怖を煽り恫喝するあれこれは消えていた。それと合わせたように、市内にあるレストランのテイクアウト促進コーナーもひっそりと隅に追いやられていた。
代わりに、地域振興なのかスポーツ選手の応援看板?(タイアップ看板)が並んでいた。コロナで脅す街からスポーツイベント都市へイメージチェンジを図るつもりらしい。まあ、この方が健全だよねとは思う。
官庁のやり方もアフターコロナで色々あるのだなあ。

街を歩く

復活 The 立ち飲み

渋谷にある立ち飲みの店によく通っていた。なんとなくしばらく行っていないうちにひっそりと閉店していた。街の再開発の影響だったようだ。まだ禁煙規制が緩かった時代、地下にある店の入り口を潜るとタバコで店内が煙っていた。(という印象がある)古き良き昭和の世界で、天井近くに置いてあるテレビでは野球中継が流れていた。家に帰ると野球中継が終わっているから、なじみの居酒屋でテレビを見て帰るなどということが当たり前だった時代だ。
立ち飲みの店で長居はしないという暗黙のルールは、この店では全く成立していなかったような気がする。自分のためにひとり時間を過ごすのが立ち飲みの店のはずだが、スポーツ・バー的な共感の場という役割を果たしていたのかもしれない。

その店が、去年の年末近くに再建されたと聞き、恐る恐る出かけてみた。前の店はビルの地下だったが(だから初見で入る人はいなかったはずだ)、新店舗は通りからちょっと引っ込んだではいるが一階にあり入りやすい。夏になれば扉を開けて表で酒を飲む人も多いだろう。ただ、今の東京ではエアコンなしの屋外で立ち飲みすると命の危険がありそうだ。
看板もオシャレというかひっそりとしていて、渋めのスタンド割烹みたいな感じがする。これだけみると昭和の香りはかけらもない。

店内は、さすがに新店だけあって綺麗なものだ。タバコの煙もないから、店内が煤けて風格が出ていくのにも時間がかかるだろう。あちこちの店で消えていたテーブル上のあれこれ(箸立てや調味料など)もすっかり置かれるようになった。
壁にブラさがっているメニューが描かれた黒板は昔と同じスタイルだ。

カウンターの前には、白い紙に印刷されたメニューが丸めてコップの中に入っていた。おもむろに取り出してあれこれ注文の品定めをする。The 居酒屋定番というメニューが並ぶ中、オヤっと思う新しめな名前もある。クリームチーズやらアーリオオーリオやらキャラメリーゼやら、カタカナが混ざるメニューになっているのは令和の証だろうか。お値段も昭和価格から令和価格(最新版)になっているのは仕方がない。
赤丸付きがおすすめのはずだが、よくよくみるとこれこそ居酒屋メニューと言いたい定番品だった。

今回は一つだけ注文してみた。昔食べていた記憶があるメンチだが、何やらとてつもなくすごい料理に進化していた。酒の肴というより、ビストロで出てきそうな風情がある。定番のメンチでこの変わりぶりなのだから、やはり端から順番に食べてみたいものだ。全部試し終わるまでには週一で通ってもずいぶん時間がかかってしまう。燗酒は熱めだった。昔ながらの燗付け機が使われているのだろうか。

一番変わったのが最新型と言えるスマホQRオーダーシステムの導入で、なるほどこのあたりは居酒屋DXだなと思っていたが、お店の方に最初から口頭オーダーでOKと言われたので、それじゃあと普通に注文してしまった。
これからの立ち飲みする客層を考えると、スマホオーダーが主流になるのは間違いない。が、いまだに生存しているヘビーユーザーの大半はオヤジ族+高齢者のはずだから、スマホオーダー制一択にはなりきれないのだろうなあ、などと燗酒を飲みながら考えていた。
飲み物も燗酒などという衰退した酒はそのうちに消えてしまい、ハイボールとサワー中心になるのも間違いなさそうだ。それでも、ホッピーと焼酎という東京居酒屋の王道はしっかり残っていたから、新世代のハイブリッド立ち飲み屋としてなんとか生き残ってほしい。
次に行けるのはいつになるか、それとも全ての予定を渋谷経由に変えるか。あれこれ悩ましい。

街を歩く

コロナが明けた世界の匂い

北国に住んでいると、まだあたりは一面の雪景色なのに、なぜか突然季節の変わり目が来たと思う瞬間がある。大抵はよく晴れた日で、気温が少し緩くなり、空気の匂いがなんとも変わった気がする。これを「春の匂いがする」と自分勝手に呼んでいた。
去年の終わり頃に、それと同じような感覚がした。今は、コロナの季節が明けたのだなあ、と街を歩きながら思う。世界の匂いが変わったのだ。テレビではまだ第8波などと騒いでいるけれど………

まるでバブルの時代を思わせる、電飾感満載の店を渋谷のハズレで見つけた。ぱっと見では店名が今ひとつよくわからないが、何軒かの居酒屋が入った飲食ビルだろう。普段はほとんど歩かない渋谷の南にある通り沿いにあり、いつ開いたのかはわからないが、コロナの時期に開いた店なのかもしれない。そういえば飲食店の明かりを消して、人を呼び寄せないようにせよなどというおバカな知事の発言を思い出した。あれは、いつ解除になったのだったか。それとも、まだ生きているのかな?
コロナの時期には色々と学んだが、その中でも最大の事実は大体の地方自治体首長はおバカだということで、その筆頭が日本最大の地方自治体にいた。首都に暮らすということは、人生の何年間をおバカな首長の行政で無駄にすることだと諦めるしかない。
ただ、首都の隣県でも事情はあまり変わりはしない。賢人と言える首長を見つけるのは宝くじを当てるより難しい。

渋谷と同じく街行く人に若者が多い街、高田馬場でも老舗居酒屋がリニューアルしていた。こちらも明るい看板にかわり、入り口から見える店内は明るくなった。若者向け対応のようにも感じるが店内は相変わらず熟年サラリーマン?と高齢者の集団疎開場所の雰囲気がある。若者は100mほど先にある昭和の大衆居酒屋風な店に吸い込まれて行っている感じだ。
社会全体的には、コロナの間で飲酒忌避の習慣がすっかり出来上がったようあり、それは特に若者世代で顕著らしい。居酒屋に郷愁を持っているオヤジ世代が戻ってきてはいるが、その次の世代はすっかり居酒屋を見限っているのかもしれないなあ、などと感じている。
ブームに乗って一気に増えて一気になくなってしまう飲食店は多い。最近でいえばタピオカドリンクの店だろう。一昔前はどこの街にもあった博多ラーメン店もすっかり数が減った。コロナの影響で、居酒屋がまさに滅びゆく業種になりつつある。
そんな時期にあえて逆張りというか生き残りをかけて頑張る居酒屋業界にささやかながら応援していきたいぞ。

街を歩く

秩父の街歩き

街歩きをするときにはカメラが必需品だった。カメラ機能付きの携帯電話などという便利なものが出現する前は、いつも外出用のカバンの中にコンパクトカメラが入っていた。APSという小型フィルムの規格ができ、コンパクトカメラがずいぶん小さくなった時には素直に嬉しかった。が、それとほぼ同時期に携帯電話にカメラ機能がつき始め、デジカメが一般化してきた。デジカメは画質が悪く記録用としては全く使い物にならないと思っていたが、毎年進化を続け今では旧式化してしまったフィルムカメラを使うことも無くなった。
それ以上に、携帯電話カメラが進化して、スマホ搭載カメラの性能も驚くほど高機能化したため、街歩きにカメラを持たなくなって10年近い。今では一眼レフカメラを持って歩くのは、自分にとってほぼ儀式になってしまった。今日は写真を撮るぞという意気込みでしかない。ただ、スマホのレンズはかなり極端な写真になるので、昔風の端正な写真を撮りたいときには、やはり一眼レフが必要だと思っている。ただ、新機種に買い換えるほどの熱意は無くなってしまった。


ただ、ネットに写真をアップすることを考えると、スマホの方が記録向け機器としてはるかに優秀だ。
街歩きのメモがわりに写真を撮り、メモアプリでコメントを入れておけば、自前の記憶再生能力の衰えを補う有力外部記憶装置になる。年をとって物忘れが激しくなったのであれば、そこは機械で補えば良いと楽観的に考えることにしているし実践している。
なので、秩父の街中を散歩するときには(あるいは旅先の街や、散歩途中の商店街で)パチパチ写真を撮り、後からPCの大画面(27インチ)で目一杯に拡大してみる。やはり、あれこれものを考えるときのヒントとして、写真は実に役立つツールだ。
この秩父歩きの時も、ふと見た看板に書かれている「秩父めし」に興味が惹かれた。最初は店の名前かと思ったのだが、この看板の下に入り口がないことに気がつき、それではと店の周りを一巡りしてみた。

どうやら、これが店名らしい。駅前にありながら喫煙化の表示があるあたり、微妙なローカル感がある。新宿や池袋、渋谷あたりの大繁華街ではすっかり見かけることが減った「喫煙可」サインだが、あちこち旅に出ると比較的目につく。
30代40代男性に関して言えば喫煙率は5割近いので、その年代の男性(オヤジ族)がまだ元気に飲んでいる街・地域では飲み屋の喫煙需要は多いはずだ。逆に大都会では若年層の喫煙率の低下とともに、禁煙店舗が実質的標準仕様になっている。最近では、喫煙室設置に関しても煙漏れに対するクレームのためなのが、設置している店が減少気味のような感じだ。
コロナで息の根が止められそうになっている居酒屋業態でも、オヤジ族中心の店は喫煙、禁煙の選択が悩ましいだろう。普通の食堂やレストランより、もっと大変だろうなと同情してしまう。
そのささやかな抵抗のサインが、この喫煙可に現れているようだ。ただ、個人的には、このサインが出ていると入店するのに躊躇いが出る。しかし、秩父めしも気になるので、開店と同時に店に入りさっさと食べてしまうという作戦を考えている。

その秩父めしを提供する店の横に、普通であれば立ち食いそば店がありそな場所だが、渋い蕎麦屋が一軒あった。この店も妙に気になり店内を覗ってみると、どうやらうまそうな雰囲気が漂っている。秩父には美味い蕎麦屋が多いが駅から遠い場所ばかりで、車がないと行くのが面倒なのだ。この店はくるみのそばつゆも置いてあるようなので、この店も次回に挑戦パート2だな。

街歩きの途中、とある花屋さんの店頭で見つけたこんもりとした茂み?というか屋外フラワーアレンジの一種なのか。趣味が良いなと思ってみたら、なんと小さな看板がかかっていた。これはお店の看板なのだ。
お店の入り口、ファサードの作りには、店主の感性というかセンスが現れる。プラスチックのプランターに入った花を出して良いのは、住宅地の路地裏ぐらいだろう。お店をやるつもりなら、入り口から客を楽しませるエンタテイメントを考えるべきだと思う。秩父の街に限らず、洒落た店はそこがわかっているのだ。
そのお洒落感を当たり前にしている店が多いほど街に人は集まる。オシャレ感ある店頭作りがあるかなしかで、商店街の集合知性が判断できる。シャッター街になってしまった地方の商店街は、その集合地性が働いていない、ということであり、商売の知恵が欠落している。まちおこしをしたいのであれば、まず「見た目」からというのが、長年の街歩きで思うようになったことだ。

もう一軒の楽しそうな店を見つけた。秩父駅から少し離れたところにある、ランプ屋という不思議な専門店だ。焚き火の道具も売っているようなので、最近流行りのキャンプ関連グッズ販売ということだろう。
ただ、ランプと焚き火という、実に趣味性の高い道具に目をつけていることが素晴らしい。これがもう少し尖った方面に進むと、ナイフの店とかガスバーナーの店になりそうだが、それでは守備範囲が狭すぎる。オイル・ランタンのような照明としては時代遅れで不便だが、揺らぐ炎が安らぎをもたらす道具としては効能抜群という、まさに趣味の道具であることが大切だろう。
ファサードからして、うちの店はこういう店だとわからせる強い主張がある。道ゆく誰もが関心を持つとは言わないが、それなりの数の通行人がついふらふらと入ってしまう店ではないだろうか。裏原宿とか奥渋とかいうあたりは、こんな感じの店が集まっている。下北沢では町中がこんな店で溢れているイメージがある。
文化はいつも裏路地から生まれるというのが、我が街歩き観察から引き出した持論なのだが、秩父も街全体で、そういう怪しいテイストを振り撒いているような気がする。まあ、その街で暮らす人にはありふれた光景になっているのかもしれないが。
アニメの聖地として秩父を訪れた若い方達が(年寄りもいるかもしれない?)、こういう店を面白がって秩父に集まってくれば、おざなりのイベント型町おこしよりよほど面白いことになると思うのですがねえ……………

街を歩く

秩父でパンを買った訳は

西武秩父駅から5分ほど歩くと秩父神社の正面に出る。その道が神社の参道にあたるのだが、参道沿いに小体な商店が立ち並でいる。ナショナルチェーン店が見当たらない、まさにThe 商店街なのだが、その中には明治大正に建てられた古い洋館や店舗が散在している。最近では小ぶりな旅館・プチホテルに改装されたところもあり、なかなか元気がある商店街として生き残っている。
その商店街の一番神社寄りの場所にあるベーカリーというかパン屋さんがずっと気になっていた。

信号待ちで店の前に立ち止まった時、何気なく入り口を眺めていたらなんだかすごいことが書いてあった。「昭和レトロ 元気の出る味。」とは、いったいいかなることなのかだ。
お店を見ても、昭和レトロと言うにはちょっと新しい。最近流行りのブーランジェリーという感じではないが、ごくごく普通の店の作りではないか。となると、お店がレトロではなく、パンの味がレトロということか。
横須賀の駅前にあるコッペパン屋みたいな、見た目も商品も昭和前期的レトロ感が全開の店も世の中には確かに存在する。だが、この店の醸し出す「普通感」と言えば、東京の下町商店街あたりでは当たり前にありそうだ。わざわざ「レトロ」をいうほどではないだろう。やはり、パンがレトロなのか。
そうすると現代日本の生きる化石パンである「コッペパン」推しか、それともメロンパン推しか。
どうにも気になってしまい、恐る恐る店内に入った。

色々と美味しそうなパンは並んでいるが、どうも普通のパンばかりに見える。パンについているPOPにも「元気の出るパン」は見当たらない。いや、ひょっとしたらすでに売り切れているのかもしれない。などなど考え、諦めきれずにようやく見つけたのが「くるみデニッシュ」だった。(名前を正確には覚えていないので、うろおぼえ記憶モードです)

家に持ち帰り食べてみて初めてわかったのだが、四角いパンの上に胡桃の入ったビスケット生地(たぶん)をメロンパンのように被せたものだ。胡桃の味が強いアクセントになっている。試しにと思って上面のくるみの入った生地を剥がして食べてみた。甘くて美味いが、ここだけ食べるとソフトなクッキーのような感じで、パンというよりお菓子だ。
わかりやすく言えば、四角いメロンパンのようなものだが、これはなかなか気に入った。好みの味だと思うのだが、これを食べて元気が出るかと言われるとちょっと微妙なところがある。くるみを使っているのが秩父らしいと言われると、まあ、そうかなとは思う。
やはり、ここは素直にもう一度お店に行って「元気の出る味」について店主に伺うことにすべきか、迷っている。それと、人気があるパン屋の特徴で、昼前に行かないとお目当ての人気パンは売り切れているというパン屋アルアルが起こっている可能性もあり、元気のある味を確かめるには、開店から午前10時までに訪れるべきだろう。ただ、その早朝訪店ツアーを冬にやるのは個人的に厳しいし、寒すぎてちょっと辛い。なので、もう少し暖かくなった頃に計画してみたい。

街を歩く

家の近くで洋食ランチ

駅前のURマンションとけやき並木

自宅近くの駅前は昭和の中期に開発された公団アパートが広がっている。そのアパート群も老朽化により平成には建て替えが進み、いまではURの賃貸マンションとして生まれ変わっている。旧公団アパートとしては珍しく駅前にひろがる交通至便な場所で、お家賃もそれなりに高いのだがいつも空き部屋待ちになっている人気物件らしい。
敷地内に公園もあり付近の道幅も広い。小学校も徒歩5分圏内なので、お子様がいるファミリーには人気があるようだ。それでも、小学生の数は減っている。日本の少子高齢化に抵抗している街なのだが、通りを歩く人の半数は高齢者なので、やはり今ではジジババ・タウンなのだ。

My Best オムライス の一つ

ただ、ジジババ・タウンであっても良いところがある。さすがに喫茶店の数は少なくなったが、町の洋食屋が生き残っている。それも平成の洋食屋ではなく昭和スタイルの洋食屋だ。だから、オムライスはふわふわたまごにデミグラスソースではなく、薄い卵焼きにたっぷりケチャップのスタイルだ。これが芸術的に素晴らしい。新宿の洋食屋とどちらか美味いと言われると、判断が難しいハイレベルだ。銀座の老舗洋食屋と比べるとこちらが好みだ。麻布にある有名な洋食屋のフワトロオムライスと比べたとしても、圧倒的にこちらが好みだ。
まさに一点の曇りなき究極のオムライス(ただし昭和版)だろう。新宿の洋食屋、岩手県花巻市にある大食堂のオムライスと並ぶ、日本三大オムライス(個人認定)であり、えへんえへん、と言いたい。
ちなみに中身は、チキンが入ったケチャップライスだ。自分好みのチキンが多めなもので、味つけも強めになっている。オムライスもチャーハンと同じで、自宅で作った物はプロの作品に及ばない料理の典型だ。やはりチキンライスが炒め物料理として難度が高いせいだろう。ケチャップで味付けしながらご飯を程よくぱらりとさせるのは本当に難しい。家庭で作るとどうしてもご飯がべちゃりとくっつき気味になる。
やはりオムライスはプロの腕を信じて、洋食屋で食べるべき食べ物なのだ。

駅から徒歩1分でとてもリーズナブルなお値段 おすすめは豚天

地元の街には、20世紀の終わり頃に中国残留孤児の帰還支援センターが置かれていたためか、本格的な中華料理屋も多い。最近はやりのガチ中華というものの走りだろう。ただ、そのガチ中華も今では日本生まれの2世が跡を継いだ店も増えているようで、だいぶマイルドになってきた感じもする。
ジジババの街でも老舗洋食屋とガチ中華が楽しめるのだから、人生捨てたものではないなと感じる最近であります。

街を歩く, 食べ物レポート

カツカレーを食べに秩父まで

一年に何度か無性にこの店に来たくなる。中毒性の高い秩父の老舗食堂だ。特に、夏の暑い時期より冬の寒い時期の方が好みだ。夏の秩父は盆地のせいもあり、とてつもなく暑く感じる。以前、札所巡りをした時に、車移動でありながら死にそうに暑いと思って以来、夏の秩父は敬遠ぎみだ。コロナのせいもあり、2年ほど夏には来ていない。
ただ、茹だるような暑さの中、この店でうちわを使いながらクリームソーダを飲んで見たいとは思うのだが。

今回のお目当ては、いつものオムライスではなくカツカレーだ。店に入る前からメニューを決めているというのは、自分としてはありえないくらい珍しいことだが、この日は席につくなり注文完了した。
このドロドロ系のカレーと、カリカリにあげたカツの組み合わせを夢で見てしまった。なぜカツカレーの夢を見たのかはよくわからないが、少なくとも目が覚めて「これから秩父に行ってカツカレーを食べるしかない」と思い込んでしまった。そして、夢にまで見たカツカレーを完食して大満足した。最近では、これほど食事に満足したことはない。
ちなみに、カツカレーのカツは肉薄め、衣も薄めの「カツ」ではなく「カトゥレットゥ」みたいな感じが好みだ。厚切りロースのゴロンとしたカツや柔らかヒレ肉のカツが乗ったカツカレーも食べたが、やはり薄めのカツが良い。若い時分の貧乏経験で植え付けられた、カツカレー=貧乏人のご馳走感がいまだに抜けないからだろう。多分、一生抜けない我が人生で最大の「誤った」刷り込みだ。
福神漬けとカレーの組み合わせも素晴らしい。これが刻んだピクルスやラッキョウがついてくると、いきなり高級度が増すので(個人的な感想です)、自己評価としてはちょっと残念感が出る。
我がパーフェクト・カツカレーとは、カレーのルーにインド的本格感はいらない。ただ、昭和の蕎麦屋風の黄色いカレーではちょっと物足りない。茶色でドロドロしてあまりスパイス感がバリバリ出ない方が良い。まさに、この食堂のカツカレーは理想に近い。

テーブルの上にあるメニューも昭和の食堂感たっぷりなのだが、今回来てみるとファミレス的なメニューブックも置かれていた。中身を見ると、写真入りセットメニューが中心で確かにあれこれ頼みたい客向けには好ましい。
おまけにLINEのアカウントもできていた。友達になるとアイスクリームがサービスになるというので、さっそく友達申請した。普段はほとんど食べないアイスクリームだが、こういう出され方をするとなんだか一段上の食べ物に見えてくる。(美味しくいただきました)

店の外に出て改めて気がついたのだが、窓に貼られていたスプライトの看板が超絶に昭和を思い出させる。今では瓶入りのスプライトなど売っているのか。そもそも最近、スプライトを自販機で売っているのだろうか。ペットボトルのスプライトは見た記憶もないから、買ったこともない。
一度、スーパーかコンビニで確かめてみないと、気になって仕方がない。三ツ矢サイダーはちょっと前に買ったから、スプライトもありそうな気がする。ファンタは去年の夏に飲んだ記憶があるが、昔懐かしのオレンジだったかグレープだったかも覚えていない。
昔はあれほど呑みまくっていた炭酸飲料をほとんど飲まなくなったのは、やはり歳をとったせいなのか。それとも日本が豊かになったせいなのか。若くて貧乏だった頃は、合衆国発の炭酸飲料が贅沢品だった。
ヨーロッパから輸入した水を当たり前のように飲む時代が来るとは思いもしなかった。人工甘味料ではなく砂糖入り飲料が高級品だった時代だ。今では、アスパルテームなどの甘味料使用の方がダイエット飲料、健康志向品として、よほど高級品扱いされる。
スプライトの看板を見ながらそんなことを考えていた。カツカレーとスプライト、今では不健康とまでは言わないが、健康に気を使わないチープ・デイの食べ物として捉えられそうだ。確かに昭和は遠くなった実感がする。

街を歩く, 食べ物レポート

おそらく一人では決して来ない店

渋谷で飲むことになり、お目当ての店が満員だったので、友人のおすすめする居酒屋に連れてこられた。ビルの奥まった場所にあり、自分一人では入ろうと考えもしないような場所だが、中に入ってみるとこれまた「驚き」がたくさんのお店だった。今風の若者向け居酒屋というのは、こんな感じになっているのだねという、おじさんのびっくり体験だった。

入り口前の暖簾は、典型的な居酒屋風だが、店名を見るとニヤッとしてしまう。この店のある場所は渋谷道玄坂下にある。道玄坂の南側と言えば良いのだろうか。通りの向かい、坂道の北側にはヤングカジュアルなファッションビルがある。なるほどな、と思わせる店名だ。

小皿料理はワンサイズ?

料理は小鉢を色々取り揃えている感じで、お値段はどれも低めだった。小皿料理というよりお手軽なつまみがたくさんという感じだ。居酒屋の定番というメニューも多くあるが、ちょっと変わった気になる「アイデア・メニュー」もある。今回気になった変わりメニューは枝豆の燻製で、スモーキーな香りがついた枝豆というのは、Good Jobと言いたくなる。
老舗居酒屋の定番メニューは意外と進化しない。老舗だから伝統を守るという感覚があるのか、あるいは老舗にあぐらをかいてメニュー改良をサボっているのか。少なくともコロナの激動を乗り越えるには、店のあれこれを変化や進化させる必要があると思うのだが。最近開いた新しい店は、当然ながらコロナの暴風に対応して時代の変化にあわせてきているのだし。
この店も7時を回る頃には若い客で満席になっていた。若者の酒飲み離れという言葉はどこの世界のことだと言いたいくらいの賑わいだった。が、大声で騒ぐものは少ない。

揚げたて天ぷら うまし

この店の「推し」は天ぷらだった。出てきた天ぷらに、ちょっと驚いた。この見せ方というか、盛り付けというか、出てきた感じがどうにもすごい。カウンターに座り、揚げたての天ぷらを目の前のアルミトレイに置いていくスタイルの大人気な天ぷら屋がある。その博多にある人気店を、それなりの外食企業が真似をして、それも完全コピーして出店している。が、コピー店はなかなか成功しない。なにか重要な部分がコピーしきれていないからだろう。
そのあげたて天ぷら提供スタイルが、この店でもそのまま使われている感じだが、それにしてもこのバラッとてんぷら置きました感は斬新だ。勘ぐってしまえば、あまり見かけは気にしないということだろうか。見栄えより味で勝負ということかもしれない。
天ぷらは熱々なので、当然ながら美味い。衣は薄めだが、揚げたて天ぷらにはその方が向いている。天ぷらのうまいさと見た目の凄さのギャップが、この違和感の原因だ。だが、そこはオヤジが目を瞑るしかないなということだ。今風の天ぷらや唐揚げは、揚げたて重視と割り切ろう。
おいしい天ぷらが高級料理で無くなるのは、ある意味正しい世の中のありようだ。天ぷらというカテゴリーが、お座敷天ぷらみたいな高級店しか残らないのであれば、食文化としては継続して成立はしない。
お安い天ぷらは全面的に賛成だ。

その安い揚げたて天ぷらを楽しんだ後に、全く別の意味で楽しんだのが、大根の唐揚げだった。おそらくおでんの大根のように、出汁で一度煮込んだものを、衣をつけカリッと揚げたのだと思う。これはこれで、とてもおいしい。素晴らしい料理アイデアだが、それ以上に楽しんだのはこの袋で、とてもとても楽しく笑わせてもらった。
ご丁寧に袋にも、I’m laughin’ it と書いてあるので、これは笑って楽しむのが正しい。パロディーとしてニコニコするのが大人の嗜みだ。
この店をプロデュースした方、なかなかのジョーク好きらしい。あと一つ二つ、この手の楽しい店を作ってもらいたいものだ。

街を歩く

高田馬場 ぶらり歩きの風景

高田馬場は谷間の底にある町なので夏は暑くてとても歩きづらいが、冬は歩き回っても快適だ。

久しぶりに高田馬場を歩いて見つけたゲーセンの看板が、全然「らしく」ないので笑ってしまった。まるで、なつかしの居酒屋的な看板だ。コロナによる営業規制のため、生き残るだけでも精一杯だったのではないかと心配していた。ゲーセンなどこの何年も入ったことがないが、昔はよく飲んだ後に遊びに行った。レトロというよりも昭和の化石文化ではないか。最近のゲーセンはクレーンゲームが主体だが、昔はモニターに向かってレバーガシャガシャやっていた。もはやマザーボードがダメになると交換機種もないだろうし、そもそもブラウン管のモニターなど作られているのだろうか。
そう考えるとレトロゲームは有形文化財扱いされても良さそうだが。

こちらの卓球場も、コロナの間はお客がいるのを見かけなかった。今では、換気のためか窓を開けて営業中だった。たまたまこの時は客がいなかったが、もう少し遅い時間であれば、なつかしの卓球に興ずる若者たちが集まってくるのだろう。
これも、昭和の化石文化だ。そろそろ新宿区有形文化遺産に認定されても良さそうだが。

その後に、飲食店の跡地に出現した判読不明な看板をあげる不思議店を発見した。簡体字のようなので、大陸系の客向けらしい店だ(たぶん)。東京では新大久保や葛西が外国人の集団居住地域として有名だが、高田馬場もそういう外国コミュニティー地域になってきたということだろう。コロナで母国に帰っていた人たちが、また日本に来ているということらしい。
昔、ニューヨークで見た「カラオケ」というカタカナの看板を思い出した。異国の地で見る母国語は、なかなか吸引力がある。あのニューヨークのびっくり感が高田馬場で再現されているのだろうか。高田馬場を道行く人の中に大陸系の人が多くなっているのは間違いない。この看板を見て(読解して)なんの店であるかはわからない。看板ではわからないが、空いたままの入り口から覗いてみると風俗系ではないようだ。ただ、店の中はかなり雑然としていたのでやはり商売の検討はつかない。

「V○V」はバルタン星人のサインだよねと言いたくなるが、それ系統の店でもないらしい。

しばらく高田馬場を歩いていないせいか、あちこちでお店が新築、改装されていた。オヤジ居酒屋の典型である「蔵元直営店」も、店内がきれいになっていた。おまけに、随分と明るくもなっている。健全な「居酒屋」に変身したようだ。どうも、この通りの先にある一軒目酒場を意識した感じがある。あちらの店はコンビニ並みに明るいので、高田馬場の流行は「店内がまぶしいくらい明るい」ということのようだ。それは、自分にとってもありがたい変化だ。本が読みやすい。

メニューもファミリーレストラン風な立派なものに変わっていた。気になるのは、最近あちこちでサッポロビールの赤星、つまりラガーが復活していることだ。サッポロビールの営業が頑張っているのか、ラガーファンが増えてきたのか。赤星はサッポロ黒生と比べると、若干もたついた感じがするビールだが、そこが良いのかもしれない。アサヒスーパードライやキリン一番搾りで育った世代には、ラガービールはある意味変化球的な存在だし、飲む機会も少なかっただろう。昭和レトロブームのお陰で、おじさんたちはラガービールのお裾分けに預かっているわけだ。

蔵元直営店なので、日本酒のラインナップは立派だしお値段もリーズナブル。一人で飲むには、酒量を調整しながらあれこれ注文できるのが嬉しい。誰かと来る時には、日本酒をパスしてホッピーやハイボールに逃げるのもありだ。

卓上から撤去されていたアレコレも戻ってきた。それでも醤油と唐辛子の最低キットなので、まだコロナ後遺症は残っているのだなあ、とわかってしまう。

以前もメニューにあったような気もするが、食べた記憶のない「カツとじ」を注文してみた。カツ丼のあたまというべき食べ物だろう。味付けがそれなりに濃いので、酒の肴には結構合う。酒を飲む時にトンカツをストレートに食べるのは、あまり向いていないと思う。トンカツ(肉薄め)を、甘めのつゆで卵とじにすると、あれまあ不思議、カツの油っぽさが中和されたせいか、卵の甘さのせいか、酒の肴に大変身だ。カツ丼の頭も好きだが、カツカレーのライス抜きも好きなので、やはりカツは変形調理したものが自分の好みらしい。蕎麦の天抜きもうまいが、このカツとじも好物だ。
全く理屈には合わないが、カツとじは揚げ物料理に対する罪悪感的なものが消えるからだろう。揚げ物が煮物に代わることで綺麗さっぱり返信してしまう。これは心理的な代償規制というべきか、はたまた無意識の言い訳と考えるべきか。
まあ、うまいものはうまいで良いのだと自分に言い聞かせ、次は何を頼もうか考えるのが、居酒屋の楽しみ。高田馬場の街が元気になってきてよかったなあ。