小売外食業の理論

コロナの後の居酒屋戦線考察

具の見当たらないソース焼きそばが酒の肴には向いている

コロナの第七波などとメディアが騒いでいた夏が、おそらく外食の復活期だった。半年近く経ち振り返ってみると、ああそうだったなあとわかる。メディアも視聴率が取れないせいか、コロナ報道は下火になっていた。オリンピックが終わり一年が経ってみれば、予想通りというか当たり前というか、汚職の摘発が始まり大手広告代理店がまな板の上で処分を待っている。おまけに談合疑惑も発生し、公取が出動する事態にまで発展した。市民感覚的にはオリンピックの熱狂もすっかり冷め、一年も経てば、「悪い奴」退治のニュースをネタにオリンピックを小馬鹿にする風があっても不思議ではない。まさに、居酒屋のオヤジネタにぴったりだ。居酒屋復活を祝うが如き、オリンピック汚職ネタで大いに盛り上がったことだろう。
オヤジ族と言えば、ひっそりと昼飲みに移行していたジジイ層を含め、居酒屋が昼営業を縮小し通常モードに移行すると、当たり前のように夜活動に戻ってきた。あの周りを無視したような大声というか喚き声も復活した。やはりオヤジ族には学習能力がない。孤食だの黙食だのという言葉は記憶にさっぱり残らなかったようだ。
ただ、コロナが終わって(?)、行動変容しないオヤジたちを置き去りにして、居酒屋は様々な変化をしている。生存戦略と言っても良いのだろう。基本的に「値上げ」を行い、省力化を進めている。意外なことにオヤジ対応の低価格居酒屋である「一軒目酒場」が、その変化の先頭を走っている。そこで見つけた重要な変化を二点あげてみたい。
一点目が、「具なし焼きそば」推しにあらわれる、低単価維持を見せかけるメニュー再構築だ。値上げごまかしのフェイクメニューというと言い過ぎかもしれないが、目眩し作戦であることに間違いはない。酒類の大半が1-2割の単純値上げをしている。その値上げ感を和らげるのが、定番商品の価格維持と新商品として肉系商品(ただし少量化している)の導入だ。揚げ物を中心に、値上げはしていない定番品もある。値上げの主力は、冷製の肉料理、つまり手間要らずですぐ出せるものを、高価格帯400-500円台で提供し始めた。
そして、腹を膨らませる膨張剤としてのつまみが、焼きそばやマカロニサラダといった炭水化物系の食べ物になる。これを壁面の「メニュー札」を使って推しメニューにそている。マカロニサラダに至っては価格を上げずに増量したようだ。
濃い味付けにした炭水化物系のメニューを価格上げずに増量するというのが、値上げ感を和らげる基本戦略となっているようだ。これは他の居酒屋でも同じようだし、ファミレスの昼飲み用サイドメニューも同じような傾向がみられる。まあ、オヤジ対策に考えることは皆同じということだ。

豚のタンの冷製 なかなかうまいが、お値段はそれなり

二つ目の転換点は、メニューに「人間」が登場してきたこと。低価格居酒屋が値上げをしたくなると最初にすることが、素材の品質を訴えかけ価格価値を上げようとすることだ。要するに「高くても、美味しい」路線に変更するという宣言なのだが、大方これは失敗する。低価格居酒屋に集まる客のニーズに、高くてもうまいものはない。安くてうまいものが望ましいが、それも難しいのは客も理解している。だから、安くてそれなりな味のもので十分だと思っている。高くて、それなりのものは論外としてしまう価格圧力だ。
では、素材訴求が失敗すると何をするか。次は「人」の宣伝をする。料理長を登場させてレシピーのユニークさを語ったり、有名シェフとのコラボを自慢したりする。最近のコンビニ弁当も同じ手法をとっている。要するに、誰かの権威に寄りかかる「ちゃっかり値上げ戦略」だ。これが意外と効き目がある。特に、ヘビーユーザー、つまりその店の常連客には評判が良くなる。
金があればもっと高い店に行くのにな、とは思っていないのがヘビーユーザーだ。この店は、安くて適当にうまいと思う「俺のお気に入り」「自分の店」意識があるからだ。だから、その常連客にターゲットを絞れば、「人間商標」は意味がある。看板に使われる「ヒト」が、自分達の代表に思えてくる。著名人や有名人に同化できる。あるいは、自分たちが飲み食べしているものの「正統性」が担保される(気がする……)からだろう。
ただ、この店はオヤジたちに心情的に寄り添ったふりをしながら、注文のデジタル化を進めている。それも全席にタブレットを設置するかわりに、個人所有のスマホからQRコードでアクセスさせる。タブレットというデジタルギアを置くことで、デジタル拒否層を刺激しないようにした。オヤジの心証をよく汲み取ったものだ。
しかし、デジタル許容層にはスマホで注文させるという進化は取り入れた。店内にはデジタル感を出現させない「あざとさ」だ。スマホが使えず、デジタル注文に抵抗があるジジイ層には、従来通り従業員が注文を受ける。このあたりの匙加減が絶妙だろう。この店を安い酒場として使っている20代から40代の層にとっては、スマホ注文が主流になっている。
結果として、店内に「すいませーん」と従業員を呼ぶ声は少なくなった。残ったのはジジイとデジタル非対応オヤジの声だけになった。今や居酒屋も体感的には半分くらい静かになった。

紙製のグランドメニューもしっかりテーブル各席に置いてある。コロナ前のメニューは商品写真もなく「字面」だけしかない、素っ気のないものだった。カードケースに入っていて、裏表をひっくり返して見ればそれが全てというシンプルさだった。メニューの中身もほとんど変化なしで、日替わりメニューが別添で置かれているくらいだから、オヤジでも注文に苦労することはなかった。
それをファミリーレストランのような商品写真入りの「面倒臭いもの」に変えた代わりに、同世代のおっちゃん写真が登場している。共感を強める手法と考えれば、これはなかなか革新的な変化だ。ファミレスが変化の方向を見失いのたうち回っているのと比べると、アフターコロナの居酒屋は、なかなか強かなのだ。

小売外食業の理論, 旅をする

もう一つのうまいものin金沢

金沢駅の正面に立つと、一際目立つ華麗な門に出会う。日本の駅で一番美しいと感ずる金沢駅の入り口だ。同じような観光都市であっても、新幹線を降り立った場所は実にがっかりすることが多い。その典型が京都駅で、南北どちらの入口も「らしさ」などかけらもない。
東京駅は、オフィスビルこそ首都の景観だと言い張れば、なんとなく説得ができそうだ。特に丸の内は、丸ビルなどの風景こそ首都のあり方であり、お江戸風情など全く昔語りのノスタルジーと切り捨てている。そう思えば良いことだ。改装後の東京駅丸の内側は、その首都のあり方を伝えている「名所」だろう。たった150年前の建物すら保存しようとしない、近代日本の潔さだ。
逆に中途半端なのが、新大阪や新横浜、新神戸などの「新」がつく駅で、これはいわばどうでも良い駅の象徴だ。昭和中期の文化とは、こういうものだったという反面教師なのかもしれない。東北新幹線の駅は、どこの駅も同じ見栄えだし、九州新幹線では駅舎が街から浮いている気がする。
だから、やはり、金沢駅はすごい。

そのすごい(と想う)駅の近くにあるホテルで会食をする機会があった。レストランの入り口には、ドーンと大皿が飾られている。この皿には実用的価値はない(と思う)。美術品として作られたものだ、この皿の上に料理を乗せたりしないはずだと思うのだが………
それにしても、この状態をなんといえば良いのだろうか、言葉を選ぶのに困る。皿を陳列している、では正しい意味にはならない。飾るというのとも違う気がする。訪れた客に美しいものをお見せする、ということだろう。押し付けがましさはない。美しいものは、隠してしまうのではなく、見せるものだという意識だろうか。
やはり、古都というものが作り出す文化は、たかが100年程度では仕上がらないということがわかる。お江戸でも江戸文化が完成するまで200年余りかかった。そのお江戸を継承していない文化強奪都市「東京」は、強奪後150年経ったいまでも古都を名乗る貫禄はない。

ビルの中隔に庭園を作ろうとする試みは、文化強奪都市東京でも見かけることはある。ただ、規模で見ると箱庭程度の貧相さだ。京都の町家改造レストランで見かける小ぶりのものがよほど立派にみえるものだ。設計思想の根底に、あざとい経済効率が入り込むから東京の箱庭は貧しく見える。それなら盆栽でも並べておけば良いのにと思う「なんちゃって箱庭もどき」がほとんどだ。
この金沢のホテルでは、レストラン面積の1/3程度が空中庭園になっていた。席効率だの回転率だのという、レストラン経営の公式からすると、無駄の極みというしかない。その不経済な代物が平然と存在することが、古都の古都たる所以なのかと思いしらされる。

おいしく懐石料理をいただき、ゆったりとした時間を過ごした。おそらく、贅沢というものは、こういうことを言うのかと思う。レストラン、飲食店、外食産業、いろいろな言い方はあるが、食べ物を提供することを生業とする者にとって、味という無形のもの、雰囲気という無形のもの、過ごした時間の満足度合いという計量できないものをどうしつらえるのか。その一つの答えが、ここにあるなあとぼんやり感じていた。

味の嗜好は個人差がある。万人がうまいというものは無い。それでも、見た目や盛り付けや器で楽しませることができる。料理は舌で味わう前にも目で楽しむものだ、というのは人類にとって不変の事実だ(と勝手に思っている)。
それは日本料理だけのものでも無いので、日本料理文化礼賛論者とは一線を画しておきたい。なんでも日本が一番という文化的狂信者はどうにも好きになれない。
どこの国の料理にしても、器と料理のバランスこそが、美味しさの秘密であることは確かで、家庭料理とプロの料理の一番の差は味付けではなく「豊富な器」が可能にする美なのだと思う。

最後に出てきたいちごのシャーベットの器に一番驚かされた。シャーベットの出来栄えは素晴らしい。甘さ控えめなのが、和食の締めとして調和している。ただ、この華麗な皿が伝えてくるものが、金沢のご飯を「目で楽しんで」いただけましたか、と言うメッセージのような気がした。すごいな金沢。
金沢発のファストフードチェーンができれば、なんだか日本食文化の革新になりそうな気がしている今日この頃。金沢カレーが進化すると、何か革命的なことになりそうなのだけれど。

街を歩く, 小売外食業の理論

ファストフードDXと古典的手法

所用があり朝早くから渋谷に出かけた。用事が済んで軽く朝食でもとろうと、久しぶりに和風ファストフードに入った。ツルッとうどんでも食べようと思った。券売機で食券を買ったあと席についてみたら、あれあれ?と気がついたことがある。
マクドナルドではモバイルオーダーアプリを使うことで、テイクアウト注文をするとカウンターに並ばず座席まで注文した商品を持ってきてもらう(店内配達というべきか)仕組みがある。コロナ流行の初期に開発完了して実用化されていたが、実際に使ったことはない。それが、この和風ファストフード店でも導入されているのに気がついた。
確かに、これは客にとっても従業員にとっても便利だろう。客の立場からすると席に座ってゆっくり考えて注文できる。券売機での注文は商品を選んでいる時に、後ろに次の客が並ぶと、無言のプレッシャーがかかるという致命的な弱点があるからだ。後ろの客を気にして慌てて注文を決めると、追加注文の機会が消える。店側からすると買い上げ点数増加、単価アップの機会が失われるマイナス要因になる。
従業員の手間を考えると、スマホアプリ注文では現金管理がいらなくなる。釣り銭の確保や現金の残高チェックなど雑用が消える。客とは非接触になるので注文時のトラブルも減る(少なくともスマホアプリの不具合は従業員のせいではない)。
客がどこの席についたかもわかるので、無駄に「いらっしゃいませー」などと言いながら客席管理をする必要もない。そもそも、日本語を喋らなくても商品提供が完結する。これは都心部の店舗で究極の救いだろう。

素うどんではなく、ハイカラうどんを頼んだ。いつも思うことだが、なぜあげ玉の入ったうどんが「ハイカラ」と呼ばれるのだろう。確か京都あたりでの呼び方だと思ったが。関西圏というか近畿というか、あの周辺の言語感覚は東国とは随分と異なる。東京を中心とした東国文化が優れているとは言わないが、近畿圏、西国の言語や食文化は、東国から見る時には異文化として捉えないと、無用な差別意識や優越意識を呼び込む。差別の発端は宗教や思想などではなく、食べ物や見た目で始まるものだろう。プロ野球やサッカーの贔屓チームの違いですら喧嘩が起きるこの国で、食べ物の嗜好が違うと文化差を言い連ねるバカたちがどれだけいることか。
ハイカラうどんと、たぬきうどんの違いを考ているうちに、東西異文化と差別意識に思いが至った。朝から高尚な知的活動をしてしまった。

異文化ついでに、おそらくほとんどの人はこんなことをしないだろうなと思う、「文化の果て」的行動をしてみた。牛丼に乗せる紅生姜をうどんの上に乗せてみた。紅生姜好きの衝動的行動だったが、あれれと思うほどうまい。牛丼文化とうどん文化の奇跡的合体だ、麺と丼飯のマリアージュだと、文化論考察の第二弾をしてしまったほどだ。
ちなみに大阪府南部では、紅生姜の天ぷらというものが標準で存在しているが、大阪北部になると見かけることが少ない。大阪の南北ですら食文化が異なるようだ。人と人が仲良く暮らしていくためには、異文化探索は重要だなと改めて思う(笑)

朝のハイカラうどんを食べたあと、渋谷駅に向かって歩いていて見つけた立ち食い蕎麦屋の店頭ポスターにまたまたびっくりさせられた。左側のつけ汁そばは「酢辛」だから、これはラー油そばの進化系だろう。「酸辣湯麺」の応用なのかもしれない。豚肉とニラというパンチのある組み合わせだから、明らかに「みなとや」インスパイア系を上回る進化だ。
ところが、それよりもびっくりなのが「時価の松茸そば」だった。時価って何と言いたくなる。鮨屋のマグロでもあるまいし…… この二枚のポスターでわかるのは、立ち食い蕎麦は異形な方向へ進化しているようだということだ。
原材料高による値上げの欲求と高級化路線は相性が良い。松茸蕎麦は、その現実的な対応ではあるが、一体どれくらいの注文があるのだろうか。逆に左の新つけそば、一杯五百円というのはなかなか巧妙な作戦で、盛りそば380円や天ぷら蕎麦450円?(きちんと値段を確認してはいないが)を、500円に引き上げる効果は明らかにある。
なんだか、古典的なマーケティング・テクニックだが、意外とこれが効き目がありそうで、うどんファストフードのデジタル対応と比べて、あれこれ考えさせられてしまった。
早朝の渋谷は、なんとストリートで学ぶ、発見と考察の研究機関みたいなところだった。

小売外食業の理論

居酒屋DX 予想以上に高度化

平成生まれのオヤジ向け低価格酒場、大衆酒場の元祖というべきこの居酒屋が10年ぶりくらいで店頭イメージの改装を行なった。あまりの変わりぶりに、最初は店が潰れてしまい、後釜が入ったのかと思ったほどだが、よくよく見ると店名は同じだった。
そもそも昭和の大居酒屋チェーンが、平成不況の真っ只中で代替わりというか時代に合わせて変化対応した業態だった。それがコロナの大暴風の中で、令和バーションに進化したようだ。
コロナ期には、流石にこの店もメイン顧客のオヤジたちですら自宅待機やら早期帰宅やらで利用が減っていたはずだ。
おそらく家庭内圧力もあり、帰りに一杯というオヤジ行動は制限されていたはずだ。コロナ時代の「狂気」は過ぎ去ってみれば笑い事だ。が、社会全体が牙を剥いたような魔女狩りをしていたことをエアすれてはいけない。その魔女狩りで滅びつつある業種は多々ある。パチンコ屋などはその典型だろう。夜の商売も元通りに復活するのは無理ではないか。演劇などのエンタメ系ビジネスでは、脱落した演技者やスタッフが業界復帰できるのだろうか。
当時は大多数のオヤジたちが所属する家庭でも、魔女狩りのような行動制限が続いていたことは間違いない。居酒屋はとんだとばっちりを食らった。そして3割が消滅した。

改装された入口周りのイメージチェンジは理解できる。商品のわかりやすさを全面に押し出している昭和や平成ノスタルジーを感じさせるメニューばかりだ。開業当初のコンセプトである「安い」は表面上消えたようだ。安い居酒屋からノスタルジー・郷愁メニューへ転換はマーケティング的には大きな意味がある。「安い」を支えていた若者には期待しないという対象顧客絞り込みの表れとも見える。オヤジ専科として生きていく決意表明みたいな気もする。
店内に入ると、いきなりQRコードを渡され、これでスマホから注文できるという。ただ、「もしよかったら………」という追加ワードがあり、なるほどオヤジの中にはスマホ非対応というかガラケー依存者もいるからなあ、その辺りの微妙な対応が何やら情け深いのか、こちらをデジタル・ダメオヤジと見下されたのか、あれこれ悩ましい。周りを見渡すと、やはり口頭注文も多いから、仕方がないか。
気を取り直して、QRから画面を読み出してみた。なかなか使い勝手は良い。某回転寿司屋や多くの居酒屋に置いてある、注文のしにくいタブレットから比べると数段上のレベルだった。画面遷移もわかりやすい。
蛇足だが、注文用タブレットの開発者(発注企業内担当者だけではなく製造側IT企業を含む)は、本当に店で注文したことがあるのかと言いたいくらい、バカロジック、ダメダメシークエンスの塊が多い。きっと低予算、低開発能力でやっつけてしまうせいなのだろうな。

新メニューとしては揚げ物が増加していた。それと、定番メニューを含め値付けは1割ほどあげたように見える。新製品は旧製品との入れ替えを含めメニューの半分以上になっていた。定番メニューは値上げをしたまま残している。売上点数の低い定番はカットしたので、値上げを目立たせないうまいやり方だ。値上げしても注文したくなる定番を残し、値上げを目立たせないように新商品群を大量投入して新しいプライスラインを作る。上手だなあと感心した。

定番商品については細かく手を入れている。例を上げると定番マカロニメニューは1割以上値上げしながら、見た目で5割くらい増量している。勝手な想像をしてみると、メニューを改定するにあたり、単純に値段を上げたのではない。これまでの販売実績から、一人当たりの摂取重量であるとか注文数や注文の組み合わせなどを分析したのではないだろうか。いわゆるトランズアクション分析だ。大衆居酒屋がそこまでやるか? 考え過ぎかもしれないがと思いつつ、量が増えたメニューもあれば減っているメニューもあり、原価だけで調整したようにも思えない。大規模データ分析は、今後の外食企業における主要分析技術になる……………はずなのだがなあ。メニューのABC分析程度でお茶を濁して生き残れる時代ではないだろう。

新価格コンセプト(と勝手に命名してみた)で、おそらくこれが導入目的の一つ「原価の調整用新メニュー」だと思ったニラ料理だ。目的は、「低価格」「低原価」「高粗利」の実現であるはずだ。
ニラをぶつ切りにして辛いソースをかけるだけ。オペレーション・フレンドリーでもあり、今回の新製品投入では、メニュー体系の見直し、商品のイン&アウトを検討したような気がする。

そして、なぜか店内メニュー札を含め「推しメニュー」になっていた焼きそばの存在だ。これも明らかに低価格・低原価・高粗利商品に見える。焼きそばながら具材はほぼない。キャベツすら存在しない。お祭りの縁日で売られる屋台の焼きそばより簡素だ。これ以上はシンプルにできない究極の「素・焼きそば」だろう。青のりとマヨネーズで食べる「素・焼きそば」は、ほとんど「酒のつまみ」と化している。量も食事というには少ないが、これをつまみに酎ハイを飲むとすれば逆に、多すぎる量かもしれない。
スマホ注文だけがDXではないのだ、としみじみ感心した。メニュー、それも量と価格の再検討をした上で、注文画面のメニュー配列も検討したはずだ。
オヤジ向けの大衆居酒屋で起きている進化こそ、苦境に喘いでいる外食産業各社が学ぶべきことだろうなあ、と焼きそばをつまみながら真剣に考えた。ちなみに日本最大のファミレスチェーンは自社のDXをあれこれ喧伝しているが、実は単純値上げしかしていない。業界的には周回遅れランナーに近いような気もするのであります。配達用猫ロボも役に立っているのかな。

小売外食業の理論

ワークマンとユニクロ SPAの考察 #3 ユニクロが産んだ後継者

失われた30年というのが平成日本の評価だが、その30年に日本はSPAという技術を磨き込み、世界ブランドが日本侵略を諦めるほどの「内的攻勢」をしていた、とも理解できる。
海外有力アパレルブランドが日本市場で苦戦した、あるいは撤退した大きな要因として、カジュアル衣料市場のでユニクロが果たした役割が大きい。グローバル企業が描いた基本戦略、つまり世界規模の調達力を使って価格メリットを出すというものが、ユニクロによって妨害されたというのが本筋かもしれない。
アウトドアメーカーの巨人たちが投入していた1着1万円のフリースジャケットを、1500円というとんでもない価格で粉砕したのがその最初だ。その後も、1着3万円はするはずのダウンジャケットを5000円程度で発売し、高級ダウンジャケットというマーケットを破壊し尽くした。

カジュアルなアウトドア、と言う目新しさだが、作業靴の進化系とも見做せる

ただ、そのユニクロも30年近くたち、価格戦闘力の低下は否めない。一度、ブランドとして力をつけると、そのブランドにより値上げが可能になる。本来、ユニクロは低価格高品質を求めることを習性として築き上げたブランドであったはずだ。それが苦しくなると値上げをするのが、第二の習性になれば、コアな客層から離反が始まる。
最近のユニクロってさ・・・とヘビーユーザーが言うようになる。第二創業期などと言われるブランドの成長痛が生まれる時期だ。
企業が成長に伴うブレを修正し、創業拡大時の理念に戻れば、強い老舗になる可能性はある。あるいは値上げを含め、より新しいブランドを作り上げれば、ブランド転換が成功する。しかし、大方の企業はその二方向とも正解に辿り着けない。
大方の終着点は「高くて低品質でコスパが悪い、昔のブランド」と言う評判だ。特にアパレルメーカーは、この手のブランドの低落、陳腐化の先例には困らない。流通業でも、退場していった大企業は、ほとんどこの「値上げの罠」に陥って倒産・破綻していった。おまけに一度落ちたブランドは、いろいろなファンドも含めた再建屋が乗り出しても再生できた例は少ない。

本格的な山歩きに使えるかは問題ではないだろう。ヘビーギアのタウンユースとして考えるべきだ。

ユニクロが一山当てたのは「フリース」で、その次の山は「ヒートテック」「エアリズム」というインナーの新素材による高機能化だった。その後は、ブランドに寄りかかったファッション化と値上げが基本戦略になる。画期的な新素材や新技術と言う「ヒット」は、一部の女性用アンダーウエアを除くと、ほぼ見当たらない。
すでに新素材のノウハウは流出しまくっている。低価格帯ブランドでは「しまむら」が、大手流通業ではイオン・IYが同様な手法でストアブランドを展開している。正しく言えば流通業界において、ファッション衣料全般がユニクロのデッドコピー化したと見るべきだろう。
それに対するユニクロの反攻はといえば、有名タレントを使ったCMの増量くらいだろうか。そして成長の基盤を海外展開の求めた。ただし、これはすでに没落したアメリカアパレルブランドが行った戦略とほぼ似通ったもので(完全コピーというべきか)、その成功モデルは少ない。というより、アメリカの先例に学ぶと必ず失敗する戦略、と言うことがわかっている。ユニクロは反面教師に学ぶことができるかどうかなのだが・・・。

ソール(底面)の厚さは、重要な技術だろう。厚くて(クッション性が強くて)歩きやすいかどうかがポイントになる

その隙間をついたかのように、ワークマン製のアウトドア衣料、アウトドアグッズが連続でヒットしている。コロナ化でのキャンプ・アウトドアブームという追い風はある。ただし、ヒットの基本はそこではない。
ワークマンは作業服という実用性一点張りだった商品群にファッション的な要素を持ち込んだことで、「プロ」ユースの差別化を図ってきた。かといって、デザインだけで売っているわけではない。あくまで機能重視で、作業着という専門性の高い製品群の差別化要因が付け加えたファッション性だった。また、大量生産を軸に低価格化を推し進めてきたブランドでもある。
その「高機能」「低価格」なプロ仕様製品を、対象顧客の方向を変えたのがアウトドア商品群だと言えるだろう。アウトドア市場は、極めて限定された「プロ仕様」が牽引している。つまり危険な高山登山用品であるとか、ジャングルでの生存製を高めるサバイバルグッズのような狭いマーケットだ。
お気楽な野外遊びのためには、そこまでの生存性は求められていない。所詮、1泊2日程度の平地での遊び道具だ。そこにプロ仕様で高額の製品を購入しなければならないとすると、顧客基盤の拡大には不向きだろう。
逆に、そこまで高機能ではない「中機能」「低価格」製品を準プロ仕様で開発し、市場投入することで差別化することができる。その時の準プロ仕様が、ガテン系作業服の延長にあったということだろう。ファッション化を目指したユニクロには到達できない世界だった。
そして、この世界(アウトドア製品)は、機能性の改善、新素材の投入で爆発的な成長を達成することができる。例えば、防水靴(長靴)の延長でマリンシューズが生まれたり、その進化改変として川遊び用の靴が生まれる。
LLビーンのヒット作、ハンティング用防水靴は画期的なアウトドア製品だったが(今でも人気はある)、素材としてのゴムが進化すると革+ゴムではなく、オールゴムの靴が出来上がる。ワークマンのサファリシューズ(もどき)は、オールゴム製品として進化した典型だろう。
最近では、虫が寄って来なくなる(忌避性素材を使った)Tシャツや、焚き火で飛んでくる火の粉に強い(対燃性)など、アウトドアでしか必要とならない機能での新製品が投入されている。この手の製品については、素材の改良で毎年新製品を投入できる。市場が拡大することで量産効果を発揮し、価格の定着ができれば、ヘビーユーザーが毎年のように買い換えるドル箱商品になる。
この手法はまさしくユニクロの成長戦略だったはずだ。それが、全く畑違いの(ファッションアパレルではないブランド)ワークマンに受け継がれ、より永続性の高い売り方に変化した。さらにワークマンは、「ワークマン・プラス」「ワークマン女子」などサブブランドによるブランド展開も上手にしている。まさに、サブブランド「G.U.」の拡大に苦労したユニクロに学んでいるかのようだ。ユニクロの後継者が産まれかかっているかのように見える。

ちなみに今後のワークマンの進化を予想するとこんな形になりそうだ。
作業着ブランド
→軽アウトドアグッズ・衣料拡大(現在)
→タウンユースアウトドアでファッション化開始
→アウトドア風ファッション(5年後)で、機能性・プロ仕様を薄めつつカジュアル・ファッションブランドに転生

その時には、ユニクロが諦めたロードサイド店舗を中心に店舗拡大ができるか。衰退した都市部を諦め、全国の地方都市郊外で生存可能な形態に進化できるか。そこがユニクロを超える境界線のような気がする。

小売外食業の理論

ワークマンとユニクロ SPAの考察#2 価格破壊と品質

SPAの特徴とは、製造・流通過程での中間マージンをけずった徹底的な価格破壊にある。そして、直接調達のメリットを活かした「高付加価値」がその推進力になる。機能は一流ブランドと変わらないが、価格が半額というのが典型的な販売戦略になる。
安かろう、悪かろうというディスカウント店の(悪しき)特徴とは異なる、訳合って安いが高品質という「驚きと納得」がブランド強化の基盤だ。
ユニクロが関東進出を図った初期の店が、たまたま隣町にあった。通行量の多い街道筋の路面店で、いわゆる倉庫型店舗だった。最近ではあまり見かけないユニクロ単独店で、建坪500坪という大店法規制が存在した頃の典型的なロードサイド立地店舗だった。
以下は余談になる。大店法は個人商店を守るという趣旨の法律だったはずだが、結果的にはチェーン店による郊外型店舗の加速を促し、街の中心部にある商店街の消滅を早めたという天下の悪法だった。
その後は法改正により規制が緩むと、郊外には中途半端な独立店が立ち並ぶ姿は消え、大型ショッピングモールができた。あるいは一つの敷地の中に複数店が出店する集合型ショッピングセンターが多発した。そのため商店街は街ごと消える事になる。昭和から平成にかけての悪政の見本だ。
アメリカで20年以上前に起きていたダウンタウンの崩壊を全く学ばない経産省官僚の失政だと今でも思っている。先行市場で起きている事態や課題を学ばない(学べないが正しいか)経産省の体質は、日本の中小企業を滅ぼす元凶の一つだろう。

安全靴から進化したカジュアルシューズは低価格

話を戻すと、SPAの「高機能」「低価格」は、宣伝広告や運営費用(人件費や家賃)の低減も必要だ。だから、家賃の高い場所に出店したり、宣伝広告費(テレビ広告など)を使い始めた時が、ブランド変質の転換点だと思って良い。
簡単にいうと、高い家賃を払うためにマージンを増やす。そのためには、宣伝広告で「ぼったくり価格」を成立させることが達成条件になる。ぼったくりと言っても、580円が650円になるとか、780円が980円になる程度の値上げなので、元々低価格だから100円あげるとマージンが2割近く上昇する。これが、SPAの値上げマジック効果になる。
しかし、この値上げマジックは悪魔的魅力があり、一度始めるとやめられない。ユニクロはこのマジックの罠にはまった後、延々と値上げを続けることになる。それも基幹商品であるフリースや機能性インナーでそれを始めてしまった(シェアが高く低価格商品の値上げほど悪魔的波及効果が大きい)ことで、ユニクロは次の段階に進まなければならなくなった。
ファッション性という機能とは別のソフト価値の領域に進まざるをえない。ソフトな価値こそ、いくらで値をつけるのも売り手の勝手という「典型的なアパレル産業」の特徴だからだ。
銀座に出店したあたりから、ユニクロの変質が始まった。それは、決して進化とは言えないブランドの変容というべきだろう。地方都市の衣料品店から始まったとしても「アパレル専業のDNA」から逃れられないということかもしれない。

軽くて、底が厚いのが技術の進歩のようだ

ただ、アパレルでユニクロの後継企業が生まれてこなかったのは明らかだ。ユニクロが行った素材開発から繊維メーカーと共同し、画期的な原料製造を自前で調達する。販売企業が製造の源流まで踏み込むという手法が、もうかると証明されてしまった。その一方、ユニクロ的手法では先行投資が膨大になることも明らかになった。
つまり、中小企業では手を出しにくいパワーゲームになり、その領域に手を出せるのは流通大手、つまりイオンやIYといった巨人企業だけになってしまった。
中小アパレル企業は従来型のデザインと既存素材の変化で、一部のファッション嗜好を捕まえるという伝統芸に縋るしかなかった。だから、マンションメーカーと呼ばれる零細企業からユニクロのようなジャイアントが生まれる確率は限りなくゼロだろう。当然ながら、ユニクロの後継者は違う世界から出現した。
SPAの手法を自前の商品に取り込むことで、一般アパレル市場を侵攻してやるという異業種参入だった。それがワークマンという企業だ。

見ただけではブランドもので5000円超の靴と見分けがつかない

ワークマンは北関東、群馬に本社を置くベイシア・グループの一員だが、本業はガテン系の作業着および安全靴、作業靴に特化した専門店だ。ただ、作業着にファッション性を取り入れた(色使いやデザイン差)サブ・ブランドを作り、ダサい作業着をカッコよく見せるという手法で出店を重ねてきた。
出店立地も街道筋の路面店ばかりで、それも町外れにある「わざわざいく場所」というか、畑の真ん中みたいなところばかりだ。現場に行く途中で立ち寄るにはちょうど良い、業界人には便利な立地を選んでいるようだ。その分、一般人には馴染みのない場所で、ふらっと立ち寄ることもない不思議な店だ。
だから、一部の業界人には有名な専門店という位置付けだったはずだ。ところが、作業着、作業靴という特殊性から、「軽い」「吸湿性」「乾燥性」「丈夫」などの通常衣料とは異なる機能性を追求し、それに特化した商品が出来上がっていた。
ファッションとは違う方向から「高機能」衣料品が出来上がり、ファッション性と無縁な分だけ低価格が実現されていた。それを最初に誰が発掘したのかは明らかではないが、ネット上で情報が急拡散し「ワークマンの〇〇はすごく高機能」という評判ができあがった。
靴の分野ではユニクロと同時期にチヨダやABCマートが製造販売一体型のビジネスモデルを組み上げブランドとして成立させていた。ただ、彼らもほぼほぼ靴専業だ。そこに作業着と作業靴の専門ブランド、ワークマンが機能性と低価格を武器に「衣料品」と「靴」を抱き合わせたブランドとして、一気に一般人向けに解放された。
口コミではなくネットでバズることで急速に広がったブランドとしては、ここ最近では最大の人気者になる。
店舗に一度行けばわかるが、すでに客層が変化している。あきらかにガテン系ではない高齢者カップルが、作業着ではない服を買いに来ている。ユニクロの初期爆発期に起きた客層の拡大と同じだ。若者向けの先端ファッションだったフリースジャケットが、ジジババの普段着、防寒着になった時期のことだ。ワークマンの作業用防寒着が、タウンユースになる。安いからジジババが飛びつく。市場規模が拡大し、新機能や高機能化が進む。業容拡大を促す正の螺旋が生まれていく。
ユニクロの後継者は直系のアパレル業界からではなく、傍系から生まれてきた。

小売外食業の理論

ワークマンとユニクロ SPAの考察 #1 臨界点

山口県の地方都市から出発した衣料品店のユニクロが、ある程度知名度を持ったあとも出店速度は地味なものだった。郊外に倉庫型の店舗を立てるというのは地方マーケットでの店舗展開としては、定石というか唯一の選択肢だっただろう。
しかし、首都圏のような人口密度の高く交通網が発達した場所では、ロードサイドの倉庫型店舗は当たり外れが大きすぎた。だから、今でも見た目ではっきりわかる元・ユニクロという店舗や建物があちこちにある。
ユニクロ閉店後の新・住人は、郊外展開で浸透力のあるチェーンが多い。元ユニクロの店舗というのはそれなりに大きな建物なので、後釜に入るには強い販売力が必要だ。が、元ユニクロ店舗の共通項目として駐車場と建坪のバランスが悪いことがある。だから外食には向いていない。後釜企業には中古衣料やリサイクル店など陳列スペースが必要な小売業が多いようだ。

高機能低価格路線のワークマンTシャツ

そのユニクロが爆発的な成長を開始したのには二つの起爆剤があった。一つ目は単品大量製造で培ったSPA ーspecialty store retailer of private label apparelーの基礎技術にある。衣料品をデザインだけではなく原材料の調達にまで手を広げて生まれた「高機能」かつ「低価格」なベーシック衣料がユニクロの強みだった。
契約製造工場も含め自社開発することで中間マージンと過大な廃棄ロスを避けるのがSPAの儲けの原理だが、それを実現し規模の経済に結び付けたのがユニクロだった。GMSで食料品より衣料品が儲かることを証明していたヨーカドーやダイエー、イオンといったグループも似たようなことをおこなっていたのだろうが、ユニクロの規模には遠く及ばない。
第二の拡大起爆剤は新規出店立地を郊外からターミナル駅の商業ビルに変更したことだ。そこそこに知名度が上がった以降は、家賃が高くても圧倒的集客力のある商業施設内の方が衣料品を売るには適していた。郊外型店舗の成功率の低さもあるが、山口の地方都市出身ではなかなか理解できなかった首都圏などの大都市商圏の威力、購買力を遅まきながら悟ったあたりから急速に全国に出店拡大して良いった。
それに伴い、デザインに重点を置いたファッション性の高い商品を開発したり、高機能繊維を使った機能性インナーなどの新カテゴリーも開発した。
ただ、やはりユニクロの戦闘力最大の特徴といえば、「誰も真似のできない高機能と低価格」の調和だった。当然中間マージンも少ないので、低価格でも粗利は大きい。1500円で売ったフリースの原価を聞いたら、腰が抜けそうになる程驚いた。ユニクロの利益率の高さに納得するしかない。
出店数がある規模になり(だいたい全国で300店程度か)、ブランド認知が定着したあたりで、おそらく生産規模も理想的な段階に辿り着く。一つ一つの工場が稼働率の限界に近づ気、輸送のロットも効率化される。成長爆発の臨界点が、原料、生産、輸送、販売拠点、消費者需要の順に達成されていった。
残る経営資源は「人」だけなのだが、ここはどうやら失敗したらしい。天才的なカリスマ経営者の下では、後継者が優秀な経営者であったとしても、二流扱い、ゴミ扱いされてしまうようだ。この辺りは、世界企業であるアップルやマイクロソフトの創業者とその後継のようなバトンタッチがうまく入っていない。それでも、日本を代表する高収益企業が続いていることに間違いはなく、まだ当面は高収益企業として成長を続けるだろう。
繰り返すが、ユニクロに代表されるSPAの特質とは「高機能」と「低価格」の実現にある。ところが、この高機能を維持するのが難しい。結局、ユニクロも高機能製品の開発が止まり、ブランドに寄りかかった値上げがほぼ唯一の成長戦略になってしまった。
その先は「国内市場飽和」を海外進出による再成長に求めるという、これはこれでグローバルな戦略を選ぶことになる。米国発SPAが通った道と同じだ。ただ、ユニクロのユニークさは「安さ」ではなく「原料繊維の優位性」を持っていたことで、これが米国SPAとの差別化要因となるはずだった。アベノミクスの円安基調も海外展開には優位だったはずだ。
しかし、その間に「第二のユニクロ」が国内マーケットでじわりと広がっていた。高機能だけど安いというユニクロに対して、安いけど高機能という微妙な変化をしたアプローチを取ったのがワークマン、作業服の専門店だった。

色違いもあるが、色使いについてはもう少しお勉強が必要らしい

ワークマンの出身は北関東、群馬になる。首都圏に近接しながら、限りなく地方都市の集合体である北関東車社会の覇者、ベイシアグループのメンバー企業だ。山口と群馬の距離の差、衣料品専門店と低価格志向流通業というルーツの差、などユニクロとワークマンのビジネスを同列に見るのは難しいかもしれない。しかし、SPAという勝ち組のルールを、どちらの企業も理解しているだけに、後発のワークマンがカジュアル衣料でユニクロを凌駕する可能性があるのではと思うのだ。
少なくともイオンやIYといった同系統の流通業グループでは、ベイシア・ワークマンには敵わないというか対抗できないと認識している。
イオン・IYの問題点については別の機会に論じるが、簡単にいうとイオンはユニクロの低価格コピーでしかなくユニクロの後を追い続けるしかない。IYは絶対性能差がないにも関わらず何故か高価格に振りたがるという特異な企業DNAが抜けないからだ。どちらもベイシア・ワークマングループをマネする「力量」や「知的資産」が足りないと判断している。

食べ物レポート, 小売外食業の理論

外食DX考察 サイゼリヤ

サルシッチャを食べようとすると、どこに行けばいい?
高級イタリアンレストランに行っても、所詮イタリアからの冷凍輸入品で保管状態もあやしい

どうやらtwitterで、「サイゼリヤ貧乏人食べ物」説を唱えたおバカさんがいて炎上しているらしい。このサイゼリヤ批判は、なぜか定期的に起こるが、その度にサイゼリヤ弁護人が大量出現して、勘違いしているおバカさん(炎上元)を一気に葬り去るというのがネットの「お約束的」な活動になっているようだ。
サイゼリヤをバカにする思考は、吉野家、マクドナルド、ガストなどの低価格チェーンも同列に批判のまとにする。俺はそんな安物を食べたりしないし、安物には満足していないぞ、エヘンエヘンという、上からマウント的な発言が批判の元なのだが。どうにもやりきれないのは、「俺はお前たちと違う」という見下し思想をネットで公開する浅はかさなのだ。見下したければ勝手にすれば良いのだが、それをわざわざネットで広げる必要もないだろうに。問題になっているのは見下し思想よりも、それを公開する頭の悪い行為なのだと思う。
個人的には、本当に日常的に高いものを食べている「リアル」な人種は、わざわざ低価格品を見下したりしないだろう。そもそも「安い食べ物」を実食していないはずだ。だから、炎上元の大部分は「実際にはそこそこサイゼリヤでも食べているが、それは認めたくないものだ」的な自称アッパー・グループの貧困層なのだろうななどと想像している。
ちなみに、外食産業従事者として言えば、サイゼリヤと同品質のものを提供するためには、販売価格を倍にしなければ利益を出せない企業がほとんどだろう。原材料購入、セントラルキッチン、店内厨房、商品提供用動線、店舗立地など様々な収益構造を支える要素をクリアしなければ、あの値段で利益を出せない。それ位以上に、ダメな店であれば1000軒も出せない。おまけに全国展開するのだから、地方の味の好み、ばらつきなどを超越しなければならない。ローカルチェーンが全国チェーンになれないのは、その地方差を抜き出ることができないせいだ。全国チェーンの作るのは誰でもできる「仕事」ではない。資本力があるからできるという業種でもない。
そもそも、炎上元になっている人たちはサイゼリヤの料理のどこを具体的に難癖をつけているのかと思うのだ。
非常に簡単なことだが、同じ料理をそのままお高い食器に盛り付けされてテーブルに出されたら、一皿2000円でも払ってしまうだろうと思う。サイゼリヤの料理はその程度に完成度は高い。
手作りが料理うまいというのは、プロでなければいつも同じレベルに料理を仕上げるのが難しいという意味だろう。同じ料理を同じように作ることは、技術のない素人には真似できないということだ。
また、家庭料理ではなかなか用意しにくい、ちょっとだけ使う調味料が味の決め手になっている「プロ仕様の味付け、食材調達」もプロとアマチュアの差になる。だから、プロの仕事が大量生産できないかと言われれば「出来る」。手作り=プロの仕事ではない。
それを突破するのがセントラルキッチンという現代技術だし、大量購買による原材料の規格厳守、専用調理機器の使用と長期保管の技術などで、商品のばらつきを防ぐというビジネスモデルが必要だ。
外食業界に置いて、おなじ経営・運営要素を使いながら、倍の値段をとるファミレスの方が多いだけだ。高いもの=うまいものという方程式は無条件に成り立つものではない。
と、プロの目から見て問題指摘を(僭越ながら)させてもらった。まあ、平たく言えば、「プロの食い物屋、なめんなよ」なのだ。

そんなこんなでいささか腹を立てながらサイゼリヤに行ってきた。お目当てはこれまで見逃していた温アスパラのサラダだ。これもお値段300円だが、出てくるものは繁華街の高級レストランであれば、軽く1000円超えする品位だった。(サイゼリヤは単純に食器でずいぶん損をしている気がする)
温めたアスパラの上に、温玉とチーズが乗っている。いわゆる臭みの強いチーズなので、卵と和えると濃厚ソースに変身する。ここがサイゼリヤ的上手さなのだが、味に関して決定的なのは直輸入しているチーズだろう。
スーパーで売っているチーズで真似をしようとしても、それほど簡単にはいかない。とりあえず手近でも手に入るゴルゴンゾーラのような匂いの強いチーズで置き換えることは可能だ。しかし、それを300円で売って儲かるメニューに仕上げろと言われたら、イタリアンの名シェフであっても困惑するはずだ。大きな皿の上にアスパラを2−3本を並べて、その上に申し訳程度のソースがかかったものになるだろう。大量購買なしに美味いものを安く提供することは、基本的にできない。

目玉焼きは乗っていなくても良いのだけれど、やはりルックス重視なのか

あれこれブツブツ考えながら、追加でハンバーグを頼んでみた。これまで知らなかったのだが、ランチセットのハンバーグは合い挽き、単品メニューのハンバーグは牛肉100%なのだという。恥ずかしながら、違いをよくわかっていなかった。
言われてみればランチセットのハンバーグはふわふわ系だったかなあと思うが、かかっているソースがランチ専用の濃い味だったせいか、肉の味までは気が付かなかった。(いつもの通り、普通にうまいと満足していた)
なので、あえてランチセットではなく、単品ハンバーグ、一番何も追加になっていない目玉焼きハンバーグを頼んだ。
頭が理解しているせいもあり、肉質の違い(歯応えがある)はわかった……ような気がする。最初は肉だけで食べたので、肉と油の味も記憶することができた。
個人的にはびっくりドンキーの合い挽きハンバーグが好みだが、サイゼリヤの牛肉100%もうましだった。これも他のステーキレストランで目の前の鉄板で焼かれたりすると、一食2000円取られても満足しそうな気がする。

そんなわけで、いつ行っても大体満足できるコスパレベルの高いサイゼリヤだが、ことDXに関してはお勉強するところがほぼない。コロナの中、注文は口頭ではなく、注文票にメニュー番号を書いて渡すような仕掛けに変わった。直接接触を減らすということだが、ゼロになるわけではない。それよりもすごいと思ったのが、従業員のほとんどが、すでにメニュー番号を記憶していて、番号でメニュー名の復唱をすることだ。人の学習能力の高さを思い知らされた。これだと、タブレット導入を嫌がる経営者の気持ちがわかる。
サイゼリヤはランチ以外時間帯によるメニュー変更がないという運営方針もタブレットが導入されていない要因かもしれない。
会計はクレジットカード・電子マネーが使えるようになったが、マクドナルドのように「なんでもあり」にはなっていない。無人レジも今の所は導入されていないようだ。Wi-Fi導入、電源コンセント設置などの長居対応も見当たらない。いわゆる接客正面部分では、コロナ前と運営方法に大きな違いはない。
ただ、客の方がそれで良いと思っているとしたらどうだろうか。安全安心も含め、運営方法を大きく変更しなくても、顧客満足度が高いとすれば、つまり客離れが起きないとすれば、DXの意味合いが変わる。
元々、サイゼリヤは店内店外の運営方法、経営技術をギリギリまで磨き上げて低価格を実現している稀有な業態だ。そもそもDXなどと騒がれる前から、運営技術は人の手をできるだけかけない方向に進化していた。
サイゼリヤという革新業態には、いまさらDXなど不要だということなのかもしれない。ただ、真似をできる企業は少ないだろうなあ。

街を歩く, 小売外食業の理論

マクドナルドの時間

地元の駅前にひっそりと佇む感がたっぷりもマクドナルドがある。赤と黄色の看板がドカンとあげられている、ここが街の正面だよという風格たっぷりのマクドナルドの店とは違う。まあ、一応マクドナルドなんですけど、よろしければどうぞという控えめな感じだろうか。
景観条例が厳しい古都や旧城下町などでは、こういう渋めの外観に強制されているが、地元の街は西武グループが支配する人工繁華街なので、赤、黄、緑など原色の看板で溢れかえっている。そこに観光都市のような「ハイソ」なルックスのマクドナルドがある。違和感しかないのだが………
そして店内を覗き込むと、もう一つの違和感がより強く感じられる。店内は最新式のレイアウト、注文カウンターがあり、コロナ対策のガードボードもそれなりの高さのものが設置されている。法的基準をはるかに上回る、マクドナルド対応というべき「完璧さ」だ。
違和感の原因は、その最新鋭対応客席にいる客の、半数以上が高齢者だということ。それも大部分が後期高齢者っぽく見える。マクドナルドといえば、高校生大学生がたむろして、ドリンクとポテトを前に喋りまくっていたり、教科書を広げて試験勉強していたりする都市型コミュニティースペースみたいな感覚があった。特に、平日の午後は若者集団に占拠されているものという思い込みがあった。
ところが、なぜか自分よりも年齢が上としか見えない高齢者の集団があふれている。それもほとんどが一人で、ジジ・ババのおしゃべりグループは見当たらない。マクドナルドが日本に一号店を開けてから50年近くが経つ。当時は流行の最先端を追いかけていた二十歳の青年が今では70歳を超えるのだから、マクドナルド一筋50年というツワモノ高齢者がいても不思議ではない。が、そのツワモノがなぜか大量発生している不思議空間だった。スズメ百まで踊りを………ではないだろうが、二十歳で覚えたマクドナルドが忘れられないか?

全国のマクドナルドが高齢者愛好店になっているのかもしれないと思うと背筋がゾクゾクする。確かに、その兆候はあった。郊外型の小型店舗に行くと平日午後なのに駐車場は満車、客席は空席待ちになっていて、店内はジジババが目立っていた。コロナ前のことだった。
近場の大型郊外店でも二階席は半分ほど子供専用に仕切られていて、ファミリー優先だったが、残りの半分のテーブル席が新聞を読むジイさんで占拠されていた。確かに、マクドナルドは朝早くから空いている。昼のピークを除けば、客席には比較的余裕がある。コーヒーを頼めば、セルフ式の喫茶店やカフェなどよりはるかに安い。
おまけに、コロナ拡大の後遺症というべきか、いわゆるキャッシュレス対応を筆頭に、完全禁煙、Wi-Fi設置など店内に長居しやすい環境整備が進んでいる。これは学生やサラリーマンなど、いわゆる現役世代対応だったはずだ。
それにもかかわらず高齢者の愛好場所になったのはなぜだろう。おそらく高齢者天国だった図書館が長時間滞在をさせないようになっていることも原因の一つだろう。昼カラのような高齢者愛好施設が、コロナで使いにくくなったことなどもありそうだ。何より家にこもっていた高齢者が、大量に外にで始めたせいで、その姿が目立つようになった。色々な要因が複合して、マクドナルドの溜まり場化を推し進めているような気がする。
1990年代、アメリカ中西部の都市郊外でマクドナルドに行った時に、似たような光景を見かけたことがある。地元の人間が、マクドナルドは高齢者が飯を食べにくる場所だよと言うのを聞いてショックを受けた。まさに、それが令和の日本で出現している。
マクドナルドを若者に返せなどと言うつもりは全くない。ただ、日本の人口の1/3を占める高齢者が、自然発生的に集まる場所がマクドナルドになるとは、誰も予想していなかっただろう。
行政がこれに気が付けば、社会福祉政策も変わるかもしれないが、おそらくそれに気がつくころには既に高齢者の大量消滅期に入っている気もする。行政より先に、マクドナルドが「そこ」に気がつき、対応を始める方が早いだろう。高齢者向け専用バーガーが出現する日も近いのか。テーマは、歯に負担をかけないとか、喉に詰まりにくいとか、高齢者特有のニーズに対応する頃になるのだろうな。
マクドナルド=デイケア施設と言うのは、ちょっとしたブラックジョークだ。それでも、マクドナルドの看板に「マクドナルド・プラス」とか「マクドナルド・プレミアム」とか、「マクドナルド・シニア」とかいう高齢者専用マークがつくのは、そう遠い未来のことではない……………気がする。

食べ物レポート, 小売外食業の理論

いつものラーメンのルックス

幸楽苑のラーメンは、もう20年以上も愛用している。長年変わらぬ味だから、という老舗ラーメン屋的な理由ではない。逆にチェーン店でありながら、これほど頻繁に味やメニューを変えるところは他にないだろうと確信している。色々な理由をつけて味や値段が頻繁に変わる。そして、その変更が長続きしない。不思議といえば不思議なチェーン理論無視の飲食ブランドだと思うが、それでも愛想もつかさず長い付き合いをしている。
その味変更が大好きチェーンの幸楽苑だが、困ったことがあると復活させるメニューが、この「㐂伝」ラーメンだ。一時期は、別ブランドとして専門店展開も行われていたが、いつの間にか幸楽苑ブランドに一本化されて、しまいにメニューから消されたという曰く付きのものだ。
業績悪化やメニュー全面改定の時に、よく季節限定で登場し、季節を超えて延長されることもあるが、いつの間にかまたいなくなっていることも多い。おそらく社内的に味の点で賛成派と反対派が戦っているのだろうなとか、原価率が他より高いのでコストカット派が強くなると削除されているのだろうなとか、人の会社の中をあれこれ想像して楽しんでいる。
それでも自分の一番好みメニューだ。だから、サイトで「あの伝説のラーメンが復活」と告知されれば、いそいそと食べに行く。
しかし、復活と言いながら味はその度に変わっているのも間違いなさそうだ。その大好物な限定メニューが今回はずいぶんロングラン営業をしていて、そろそろ限定期間が一年近いのではないかと思う。経験的にはそろそろ終売しそうだから、なくなる前に食べ納めしようと出かけてしまった。

ただ、このラーメンは決定的な問題として、ルックスが悪い。味は好きなのだが、見た目が貧相すぎる。上の写真で見て分かる通り、チャーシュー二枚となるとが乗っているが、これはたまたま提供時の状態が良好な例外的な見栄えで、過去の経験値で言うと、2回に1回はチャーシューとなるとがスープの中に埋没している。いわゆる「素ラーメン」状態に見えてしまう。
典型的な『映え』のしない食べ物になっている。茶色一色で色気がない。立体感がない。インスタにアップしたくなるような見栄えではない。(個人的な意見です)
そこで、自分の好物のメンマを追加トッピングで注文した。なかなかの量のメンマが小皿で出てくる。それを惜しげもなく(笑)麺の上に投入すると、アーラ大変身。一気に麺の上の立体感が増して、うまそうに見える。ただ、まだ茶色一色だが。
できれば、これに横浜家系ラーメンで使われる大判海苔を2−3枚乗せられればなと思う。だが、残念ながらこの店には「追加海苔」トッピングがない。海苔は、ペラペラとした薄さの食べ物だが、トッピングとしては色の強烈さと立体感矯正にはとても役だつ。ラーメン屋では必須のトッピングのはずだが、なぜかこの店は頑なに海苔を提供しない。うーん、なんとかならないかなあ、と言うのが長年の要望なのだ。

たかがラーメン、されどラーメン。味も大事だが見た目もね……と言いたい。