小売外食業の理論

養老乃瀧本店?ビルで

池袋に所用があり、そのついでにお勉強がてら「養老乃瀧」本店(本社ビル)にある、一軒め酒場に行ってみた。本社ビルだけあり、グループ内の別ブランド数店舗が同居している。韓国料理のレストラン(居酒屋?)があるのも初めて知った。後でネットでメニューを調べてみたが、何やら面白そうなコンセプトだったので、次回は「韓国飯」を挑戦してみよう。
これも初めて知ったのだが、この一軒目酒場は本店である?せいなのか、朝8時から営業となっている。ここに朝から酒を飲みにくるのは一体どういう職種の人なのか。深夜営業を終えた飲食店の従業員みたいな方たちだろうか。三交代勤務で稼働する工場の近くには、こうした朝から営業する飲み屋が存在しているようだ。都内で言えば王子や赤羽などで見かける。しかし、西池袋に24時間創業の大工場があったかどうか、全く記憶にない。おそらくだが、単純に朝から酒を飲むオヤジが多いだけかもしれない・・・

一軒め酒場は一号店からずっと観察してきた。自分の中では外食産業のいくつかある「ブランドの定点観測点」の一つで、平成不況が生み出した居酒屋第4世代みたいなものとして認識していた。チェーン店でせんべろ(1000円でベロベロに酔う?)を目指した面白い業態だと思っていた。
祖業である「養老乃瀧」がファミレス化というか、メニューの激増で一体何屋なのだと言いたくなるほど居酒屋から業態離れして行ったので、それを軌道修正したシンプルコンセプトという見立てをしていた。あとは平成の大トレンドである安い、早い、うまいという某牛丼チェーンみたいな三つのテーマを実践しているという理解だった。
平成期前半から中盤にかけて外食業界のトレンドは、「昭和レトロ」というテーマ性は重要ではなかった。バブルが崩壊した後の、この先何を目指せば良いのかという試行錯誤の時代だった。そもそも時代を象徴するようなテーマがないのが、平成前期の特徴だろう。
だから、一軒め酒場も最初のうちは「せんべろ」推しではあったが、「昭和ノスタルジー」的な部分はきわめて薄かったように思う。

ただ、このコロナの3年間は若干軌道修正した感があり、店頭に大きな暖簾がかかったり店内を改装して「昭和ムード」を強調している。本店には初めて入ったのだが、なぜか提灯が大量にぶら下がりお祭り的イメージがある。カウンターの前には大型テレビがかかっていて、確かにスポーツバーというより昭和の街頭テレビとまでは言わないが、大衆食堂でプロ野球中継を見るような昭和感がある。
この日は何も考えずに入ったのだが、まさに世界野球の決勝戦、それも最終回の攻防という一大イベントのタイミングだった。店内は野球観戦ジジイで、満席だったのには思わず笑ってしまった。なぜ、家で見ないのかと不思議だが、酒飲みながら観戦したいということなのだろう。
最後のバッターの時には「今からしばらく野球を見るのに忙しいので、注文受けません(笑)」みたいなノリの良い従業員さんだった。
しみじみ昭和の居酒屋感があったのだが、それは狙っているものでもないだろうという気もした。

日替わりメニューは紙に書かれたものだが、定番品はスマホからの注文になる。ただ、カウンターに座っていた野球観戦組(全員高齢者)に対しては口頭注文で対応していた。この辺りがアフターコロナの過渡期対応だろう。場所にもよるが、平成のせんべろコンセプトで捕まえていたシニア世代(?)も完全リタイア組になり、客層としては減少していく。そこに新しく取り込むべき客層として団塊ジュニアから平成生まれまでの世代が想定される。団塊ジュニアはデジタル世代の先駆けであり、平成生まれに至ってはデジタルネイティブなので、メニューの電子化、決済のスマホ対応などなんなく適応する。
時には情弱と呼ばれるデジタル・マイノリティは少ないはずで、特別な配慮も必要ないだろう。ただ、その新ターゲットに対しては「せんべろ」コンセプトに変わる新しいテーマが必要なる。それが「昭和のテーマ化」であり、これまではメニューの一部に過ぎなかった昭和感が、店内外装にまではみ出してきたというところだろうか。
メニューは少量安価が基本だから、酒のつまみ、それも一人飲みに向けた仕立てとなっているのは明らかだ。

梅味好き、冷麺好きとしてはうれしい一品

前々からちょっと不思議だなと思っていた締めのメニュー、冷麺を頼んでみた。昭和レトロ的なメニューとしては随分唐突だなと思ったのだが、この店が入っているビル(本社ビル)の前に立って看板を見てようやくわかった。新コンセプトである韓国レストラン・居酒屋とのメニュー・原材料を共有するという文脈で理解できる。つまり、一軒目酒場向けの昭和テイストメニューではなく、会社全体として懐ろの事情が重要ということだろう。
どちらにしても平成から令和にかけて、客層の変化を柔軟に対応していこうという意図はよく見えてくる。やはり、この店はしばらく定点観測対象としていこうと思う。居酒屋業界大手が、変質と迷走を続けている今、小回りのきく次世代チェーンから新たなトレンドが生み出されるのではないかと思う。
居酒屋冬の時代がテーマレストランの芽吹きになるのかもしれない。

食べ物レポート, 小売外食業の理論

回転寿司 値上げ対策考察

回転寿司の対策あれこれを考えてみた。まず最初は、寿司の皿が回っていないので、回転レーンの回っていくベルトしか目に入らない。これは食欲をそそるものではない。目の前をマグロやエビやウニが回っているから、あれこれ食欲が湧いてくる。追加でもう一皿食べようかなどと思う。黒いプラスチックの板を見ていると、実は相当に食べる気が失せる。
そこで、一生懸命考えました的な「ボード」が回っていた。題して「背徳の三重奏」なのだそうだが……… 広告をあれこれ表現する時に、駅前マンションの広告のようなポエムと形容することがある。中身の感じられない、具体性のない、形容詞がずらずらと並んでいるのが特徴だ。最近では新聞を購入する人も減っているので、もはや廃れた芸だと思っていたが、媒体が折込チラシからネット広告に変わっただけで、「ポエムなコピー(広告表現)」は健在だった。
そして、そのポエムがついに寿司業界まで進出してきたかと、感心した。というより、苦笑してしまった。なるほど、それほど困っているのだね、という感覚がする。食べ物の表現で具体性のない形容詞、あるいは食べ物に使われない形容詞を使って、一世を風靡した「食べ物レポーター」は確かに存在する。ただ、その表現は、言ってみれば「芸風」なのであり、広告には向いていない。
うまさを感じさせ食欲をそそらなければ、広告コピーとしては失格だし、ポエムというしかない。もし自分が広告の発注者だったら、このコピーには相当難しい判断をすることになるだろう。それが苦笑の理由だ。
ちなみに三重奏とはサーモン、チーズ、炙り(これは素材ではなく技法だが)のことらしい。この複雑な内容を。回転レーンに乗ってまわっていく広告で読み取るのは、かなり高度なテクニックが必要だ。少なくとも動体視力が優れていなければ無理だな。

その次に気がついたのが、一皿二貫ではあるがネタは2種類、つまり一貫付けになっているメニューが激増したことだ。この皿は赤貝とつぶ貝の二種盛りで、これ以外に相当な種類の二種盛りがメニュー上にはある。さて、こうした理由はなんだろうかと考えてみると、ネタの数を減らしてしまいメニューが寂しくなった。その対策として二種盛り皿を作ると、数学的にネタの順列組み合わせになるので、メニュー数は爆発的に増える。ただし、客の立場からするとお気に入りの組み合わせを見つける作業はとてつもなく面倒だ。タッチパネルの注文法を変えて、好きなネタを好きな数だけ、ただし注文は2個単位になるというようなロジックを組み入れるべきだろう。
単純に言えば、たくさんメニューがあるように見せかけたい「なんちゃってメニュー改変」だと思う。システム改造にかける予算がないのか、やる気がないのか、どちらとも言えないが………

三つ目に気がついたこと。イカの耳をメニューとして提供するのは、なかなか珍しい。ゲソはたまに見かける。ただ、食材ロスを減らすという意味で、これはグッドジョブだろう。魚は歩留まりが悪い原料なので(通常仕入れ重量の半分くらいが生ゴミ化する)、これまで捨てていた部分を加工して食べ物化するのは大賛成だ。

四つ目として気になったのが海鮮ユッケというか魚の切り身をミックスしてネタにしたものだ。これも食材ロスを減らす意味がある。また、いろいろな魚がミックスされることで生まれるうまさというか「新しい味覚」というメリットが生まれる(かもしれない)。
すでに軍艦巻きの世界は、ウニやイクラという大物ネタではなく、カニカマを使ったマヨサラダ、ツナサラダ、炙りベーコンやチャーシュー、牛カルビなどなんでもありな「食の無法地帯」だし、そのチャレンジが楽しいという面もある。寿司ネタは魚でなければいけないという固定観念を捨て去り、「スシ」とは一口サイズのコメの上に、なんらかの具材を載せたものという設定で考え直せば、新しい世界は生まれる。(ちょっと大袈裟だが)
ラーメンの世界でも醤油が主体の時代に、客の冗談から生まれた味噌ラーメンが今では大定番に変わっている。ハンバーガーの世界でも、照り焼き味はレギュラーバーガーより人気がある。回転寿司の次の突破口は、寿司の常識を超えた新しい味の発見にあるのではないかと思っているのだが。
ただ、そのためには真面目にうまい寿司の再定義をしなければならないはずで、それができるかどうかだなあ。

小売外食業の理論

回転寿司に行ってみた 2

大変世間を賑わせた回転寿司チェーンの店に行ってきた。あの後は何か変わったのだろうかという単純な興味だった。肝心の鮨はずいぶん値上がりしていたので、この業態はもう一波乱起きそうな気がする。単純値上げを受け入れてもらえるほど、客が満足しているかどうかがチェーン間の勝負になるのだろう。
さて、まず入り口付近で「交換できますよ」と書いてある。やはり気になる人はいるだろうから、当然の話かなとも思うが、そもそも「気になる人」は店に来ないのではないか、自分の中ではセルフボケツッコミ的なテーマになってしまった。多分、こないよなあ。

お店の中での禁止事項で、明らかに今回の一件で追加されたと思うのが、イラストの右側2コマだただ、これも事件前にはあったのかもしれない。なかったかどうかは記憶にない。禁止事項のあれこれに関して説明文があるが、文章の表現が「お断りします」と「禁止します」など揺れがあるので、いかにも急いで対応した感があるが、どうも文言のこなれが悪いかなあと感ずる。「付け焼き刃」的な感が否定できない。

回らない回転寿司が本格化すると、先行している他チェーン店が有利になるのか?

回転レーンの上から寿司の皿は消えていた。注文すると流れてくるのだが、他チェーンにある特急レーンのような造り込みにはなっていないので、物理的に事故再発を防ぐ(他人の注文した皿に悪さをするのを物理的に防ぐ)仕組みにはまだなっていないようだ。
間仕切りのアクリル板が設置されていて、自分の前の空間が狭くなっているから、皿にいたずらをしにくくわなっている。とりあえず対策してみました感を醸し出す。
これまでは客の善意に頼ってきたから仕方がないとはいえ、再発予防という点ではまだまだ発展途上というレベルだ。法的措置による「脅し効果」で再発防止が図れるというのなら、まさにこの世に警察はいらないという古典的な皮肉が帰ってきそうだ。
従業員の悪質投稿に対しては勤務時間中のスマホを取り上げる?(事務所に保管させるなど)で、業務的に対応ができた。しかし、客(を装っている犯罪者)に対しては、有効な対抗策は現時点で見つけられていないということだろう。

調味料は従来通り卓上に置かれているが、入り口の文言を信じれば、希望するとこれを全取り換えしてくれるということだ。醤油を舐めたやつもいるし、箸を舐めた、生姜を直喰いしたなどありとあらゆる悪戯、悪さが動画で上がっているから、それに対応するとしたら全部を取替えするしかない。
客席内の従業員数は、それに対応できるほどの人数配置ではないから、全客に対して対応は難しいというのは見ればわかる。この辺りも、見る人から見ると「なんちゃって対応」という感じがするのではと思う。

ガリもお茶も昔の通りで、個包装などの対応もしていないようだ。ただ、全店対応が遅れているだけで、順番に新しい仕組みを導入しているのかもしれない。たまたまなのか、この店では他チェーンで見たような変化は感じられなかった。
一番変わったなと思うのは、皿の色で価格が変わっていることだ。120円、180円、360円になっていた。これは昔の回転寿司スタイル(全皿均一価格ではない)に戻った訳で、「全皿100円均一」が持っていた、強いそキュ力はかけらもない。業態のコア・コンピタンスを捨てたということた。この値付けだったりプライスラインの持ち方が今後の回転寿司チェーンの差別化、マーケティングでの騒乱要因になる。均一価格に変わる戦闘力をどこに求めるかだが、普通であれば味の高品質化、つまりもっとおいしくなりましたにある。しかし、このチェーンは昨年、公取の指導を受ける「おとり販売」で信用力を低下させているのだから、味の強化作戦は取りにくい。どうするのだろうか。

一貫、180円というのは冷静に考えると、均一価格時代の約4倍に値上がりしたことになる


悪意ある犯罪者(客とは言えない営業妨害者)により、店内オペレーションの転換を迫られるチェーン本部としては物理的な改装も必要で、ある意味無駄な?設備投資になりかねない。ただ、悪意ある犯罪者、無自覚な犯罪者が撲滅されるはずもないから、普通の客に対する「安全安心」の担保は必要で、それに加えて値上げをするというのは、難度Cを超える離れ業と同情する。

数ヶ月ぶりに行ってみたが、原材料値上がりを転嫁する値上げ策はうまく行っているのだろうか。それに伴うオペレーションの変化、メニュー改変、マーチャンダイジングの変化などは、もう少し時間をかけて観察してみようかなと思った。現時点では、まだ現場がこなれていない、混乱状態が継続しているような感触がある。
コロナの覇者になるはずだった回転寿司業界が、予想外の事態にジタバタしているのを見ると「盛者必衰」とか「諸行無常」という言葉が思い浮かぶ。たかが回転寿司の話ですが、あれこれ考えさせらるものなのであります。

小売外食業の理論

昼夜 1・5毛作居酒屋

昭和レトロのレストラン、居酒屋についての考察の続き、二番目のお話になる。この「大ホール」という看板から分かる通り、新業態は「大衆食堂」と言う決め事、コンセプトで始めたようなのだ。では、大衆食堂という言葉のイメージはなんだろう。最近ではよく使われる「町中華」という言葉にも同じようなニュアンスがあると思う。
自分なりの考察だが、一つ目は昼夜通しで開いているのが原則、長い営業時間であることだ。夜に一本勝負をかける居酒屋とはそこが違う。二つ目は定食主体の食事メニューで、白飯と味噌汁がセットになっているのがメニューの基本構成だ。変化球として、飯と白飯が一体化した丼もある。丼の変形として、カレーライスなどのかけご飯系も準定番としてある。要するに主役は「白飯」にあり、つけ合わせとして軽めに一品追加できる小皿も豊富なことが多い。冷奴やきんぴらごぼうといった、簡便な副菜が中心となる。
大衆食堂では、その白飯のおかずや追加の一品を頼み、酒を飲むことも可能になっている。飯屋が簡易居酒屋に変わるという感じだろう。昔は駅前には必ずそういう店が一軒はあったものだ。多用途に対応した街の便利な食堂という点で、専門チェーンが全国に展開する前は繁盛している商売だった。
これに対応する形で、町の中華料理屋が意識的に居酒屋方向にメニューを広げて行ったのは昭和中期以降のことだったと記憶している。

結果的に、町中華と大衆食堂のメニューは重なり合ってしまう。チャーハンとラーメンとカレーライスが、どちらの店にも標準装備品となる。カツ丼や餃子も共通品になる。日本人の食生活が広がったと考えるべきだろうし、大衆価格で提供する商品は専門店化・高級店化しない「一般大衆のもの」的として広がっていく。大衆食堂と町中華は、同じ方向に収斂して行ったはずだ。
この「てんぐ大ホール」は、その昭和の飲食業で起きた収斂進化を、令和の時代にアレンジしようとしているように見える。つまり、昭和レトロ感は「町中華と大衆食堂」が併せ持った、なんでもありな、それでいて普段食べたことがあるものばかりに、メニューを収束させるのが狙いだろう。
世の中に溢れる様々な専門店、鮨や蕎麦のような和食系、ステーキや焼き肉のような肉主体レストラン、あるいはエスニック系などのとんがったコンセプトとは一線を画す。なんでもありで、どれもこれも安心感がある、食に冒険を求めない平成生まれのスタンダードを狙っているのだと思う。決して昭和オヤジのノスタルジー向けのコンセプトや商品ではない。 
結果的に、昼夜ともに定食があり、酒も飲める二毛作ならぬ1.5毛作(定食+軽飲み需要)に仕上がっている。

今の若い世代の好物やサーモンとネギトロだと思っている。どちらも脂分の多い魚料理だが、骨がないのが最大の特徴だろう。そして食感はねっとりとしている。この食感が重要なポイントで、脂分の補給はマヨネーズが重要な役割を果たす。宮崎のローカル料理だったチキン南蛮が全国国なる最大要因は、あのタルタルソースにあると確信しているが、魚料理にもマヨネーズは必須アイテムだ。おにぎりのツナマヨにそだてられて平成生まれ世代は、醤油と味噌で生きているわけではない。体の中身はマヨネーズとチーズでできていると断言する(個人的な見解で何の物性データもありません 笑)
だから、一目見て品質の見極めがつくマグロの切り身なので主力商品として推す訳がない。みんな大好きマグロの増強品を小皿に盛り上げて提供する。それを海苔で巻いて食べてくれ、ということなのだが、海苔は2枚だ。ということは、このネギトロを二口で食べるということになる。
こんなメニューが昭和の時代にあったかと言われるとかなり微妙で、確かにどこかの居酒屋でネギトロなどを海苔で巻いて食べるスタイルはあった。うにであればあちこちで見かけたこともある。しかし、このネギトロは味が調整された「マグロ製品」だ。やはり、平成の新種メニューと考えるべきだろう。

定食屋の絶対定番メニューの一つである生姜焼きも面白い変化をしていた。個人的なイメージだが、豚肉の生姜焼きとは甘辛い醤油味で生姜がたっぷりと効いているというものだ。ところが、この生姜焼きは塩味(いわゆる塩だれを使っているもの)で、おまけに生姜は後乗せだった。横にキャベツの千切りがついているのは、つけ合わせとしてスタンダードかもしれないが、マヨが横に置いてあるのはキャベツ用なのか肉用なのか微妙な感じだが、おそらく肉用だと思う。
このような平成時代に起きたアレンジが、昭和レトロのカバーの中でしっかり形作られている。思いつきで作られたコンセプトとは思えない。強かな計算があるような気がする。冷静に考えれば「ノスタルジーマーケティング」の対象者は、少なくともしっかりとした市場規模、マーケットサイズが必要だから、完全引退した団塊世代はもとより、現在進行形で引退しつつある昭和世代は対象外にすべきだろう。
このてんぐ大ホールのメニューの大半は、既存のコンセプトである居酒屋天狗からの流用品だが、ネーミングや提供サイズを変え、値段を組み替えることで新しい価値を生み出している。旧居酒屋を換骨奪胎して、客層としては昭和世代を放棄し、酒を飲まなくなった平成世代を惹きつけるコンセプト・リメイクとして考えると理解しやすいと思う。
自分の勝手読みなのかもしれないが、急速な店舗数拡大を見ると間違ってもいないような気がする。平成の勝ち組負け組の延長線上で、令和の勝ち組負け組は決まらない。外食大手各社の動向を見ると、マネージメントでも世代交代が急速に進んでいる気がする。
この店のメニューを深読みするのは、なかなか楽しいぞ。

小売外食業の理論

回転寿司の対応を見に行ってきた

すしテロとか、ぺろぺろ事件とか言われている、SNSで発信された危ない映像の対応を確認してみようかと、被害にあった大手回転寿司に行ってみた。ニュースでは事件の後、売り上げが低下したと報道されていたが、店内はほぼ満員だった。気にする人は来ないし、気にしない人には関係ないということだろう。どうやら高齢者を中心に回転寿司忌避は起きているようだが、確かに周りの席に座っているのは高校生から30代くらいまでだった。昔よく見かけた高齢者カップルは1組だけだった。
郊外型の店であれば、もう少し年齢層の偏りがあり影響も大きそうだが。
具体的な店舗での対応を見ると、非常に簡単だった。寿司は回っていない。注文したものだけが上段の高速レーンで運ばれてくる。つまり完全なバイ・オーダー、注文が入ってから作る方式になっていた。ぐるぐる回る寿司の前提は、商品(皿)にイタズラされないという客と店の性善説関係によっているので、その信頼がなくなった以上、回る寿司はありえない選択ということだ。
他のファストフードでも類似事件が起きている、卓上の無料調味料やガリ、紅生姜、漬物などをどう対応するかが重要改善ポイントの一つだが、この店では「客の選択」に委ねることにしたようだ。
封印された小袋で、わさびなどが置かれている。昔は容器に入ってベルトの上を回っていたがテーブルごとの設置に変わったようだ。そして、ガリも小袋化されていた。
お茶も上部の小さい穴から粉茶を取り出す方式になった。容器に入ってる粉茶を小さじで取り出す方式はやめたようだ。

ただし、ガリ容器も残っていて、これは大量にガリを食べる客向けの対応だろう。たまに見かける、皿にガリを山盛りにしている客は(特に外国人観光客らしき人たちは)、小袋を大量に開けるのが面倒くさいと思うだろうということなのか。少なくともコスト面からの考えではないと推測する。

もう一つ気がついたのだが、全ての容器が綺麗に並べられている。割れたガラス理論ではないが、テーブルの上に乱雑に置かれていると、適当なことをしてもあまり気にならないという客側の心理を考えているのだろうか。このブランドは素早く対応している。良いお手本だ。
もはや性善説の維持は難しい。となると、客との心理戦にどう有利な位置を取るか、そこが具体的な対応策になるはずだ。ファミレスのドリンクバーの運営や、調味料のセルフサービス、食べ放題の料理陳列システムなど外食企業で類似の改良が必要な設備は多い。業界内で色々な試行錯誤が続く上で、最上な解答が生み出されると思う。
ただ、やはり今回の一連の事件は、運営側の怠慢でしかないと厳しく反省するべきだと思う。こんなことをする客はいないだろう」という思い込みで、「改善すべき仕組み」に金をかけてこなかったツケなのだ。被害者である回転寿司ブランドに同情的な意見もあるようだが、自分は全くそれには与しない。
失敗の原因は自分たちにある。それにどう早く対応できるかが企業力だ。自分たちの怠慢、無知を他人のせいにするようでは、飲食業、サービス業が存続する意味がない。迷惑行為をした者を法的に制裁するというのは、その次の作業だろう。
客の中の一定数は悪意を持っているという前提で、システムやオペレーションを組み立てる努力をせず、自分たちの怠慢を法的制裁で牽制するとしか見えないのだ。

自分がそういう悪意ある客ではないことを証明するため、写真を撮りにきただけではなく、寿司もちゃんと食べるのだということで、好みの寿司6皿をしっかりいただいて帰りました。茶碗蒸しとメンチも追加で頼んだことを付け加えておきます。

小売外食業の理論

福袋のハズレ通知は大手の策謀

もう古い話になる?が、マクドナルドの新年福袋に外れたと言う通知が来た。福袋応募抽選には、ここ数年毎年応募している。残念ながら当たったのは一回だけだ。そこに文句があるわけではないが、ハズレ通知の中に来年は当選確率が2倍になると書いてある。
これは微妙な表現だなと思う。来年も応募する気が満々(自分もそうなりそう……なのだが)な人間には、やる気を起こさせる。ただ、それほど気合の入っていない応募者の中には、「ヘン、うるせーよ」と言いたくなるものもいるだろう。
マクドナルドをはじめとする外食チェーン店の福袋は、大体が商品券で構成されているので売上という視点から見ると「需要の先食い」でしかない。しかし、顧客の確保、流出防止、利用頻度促進など「ヘビーユーザ対策」として考えると、これはなかなか興味深い集客戦術ということになる。最近では、応募・抽選・当選・連絡などもネット・アプリで完結するから、こうした「来年もまた応募してね」という長時間スパンの提案(販促)もできる。
ネット商売が勃興機の時代(もはや随分昔のような気もするが)には、ライフタイムバリューだのロングテールだの、あれこれカタカナ・マーケティング用語が噴出したが、結局のところ、常連客の囲い込みということでしかなかった。ただ、その手の細かい顧客対応が苦手だった大手チェーンが、ネット・アプリ環境が進化しネット販促が普及したことで、中小店よりきめ細やかな対応が可能になった。
というより、大手の得意技に仕立て上げたということだろう。ネット・アプリを使った販促は中小規模店には投入資金、運営技術共にハードルが高すぎる。
一時は万能兵器のようにもてはやされたSNSも、今では販促ツールとしては常用品となり、ツールとして差別化されてもいないし、目新しくもない。もはや古びた常備品というところだろう。
すでにSNSの販促効果はグッと低減している。アプリ制作などの導入費用や運営維持費を考えると、なかなか悩ましいツールだろう。SNSの次のツールが求められている、まさに、ネット販促戦国時代なのだ。そうした中で、マクドナルドは一人我が道を往くという感じで、強者の論理を実現している。(ような気がする)

決してハズレたから文句を言うつもりはないが、ハズレたおかげでネット販促のあれこれ、特に大企業に有利に働く市場環境などを考える機会になった。転んでもタダでは立ち上がらない、せめて石ころの一つも拾ってやるという貧者の論理を実践できた。(つもりだ)
でも、来年は当たるといいなあと、すでに応募する気になっているのだから、まんまとマクドナルドの策にハマっているのだ。

小売外食業の理論

コンビニのPB観察 その1   クリームパン

アフターコロナの時代は、値上げの時代になった。コロナの落とし子はいろいろあるが、その中で食料品を含む物価上昇は、デフレなき平成時代の名残を吹き飛ばしてしまった。今では、食品の値上げは「当たり前」のことになり、その波が外食にも押し寄せている。
値上げした食品価格が、少なくともその企業で働く従業員の給料に反映にされるのであれば良いのだが、どうも賃上げは抑え込みながら商品の値段を上げる経営者が多いらしい。そういう時代感のない経営をすると、手ひどいしっぺ返しがくるのが世の中の常だ。賃上げをケチる会社という風評で、会社の経営が揺らぐ。川下産業である食品販売業や飲食業の特徴だと思うのだが。
今はみんなが値上げするからうちの会社も値上げしようという便乗型企業は多い。このご時世に値上げの正当化は説明が簡単だからだ。みんなで渡れば赤信号も怖くない日本社会の典型だ。ただ、半年もすればその中から低価格を売り物にする「逆張り商売」が注目を浴びるようになるはずだから(歴史は繰り返す)、今のうちに値上げ商品と価格についてあれこれ調べておこうと思う。
値上げした企業・商品が競争に負けて値下げする時に、昔と今を比べてやろうという、意地悪い気分もある。どうせ値下げする時には、消費者還元とか社会貢献とかいい加減な理屈をこねくり回すのはわかっているから(これも歴史は繰り返すだ)、嘘つき企業として、犯人探しをしておいて証拠を残して見ようとも思う。
まあ、社会が実力主義偏重になりサラリーマン経営者が多くなると、短期的なビジョンしか持てないから、あれこれ面白いことが起きるものだ……………というのが今回の趣旨だ。

たまに食べたくなる小ぶりなクリームパン 薄皮まんじゅう的な優れものだ

さて、ちょっと長い前置きになる。今では当たり前になったコンビニのPB商品も、実は物価上昇の時代に始められたものだ。今となれば懐かしいダイエーが、メーカーに対抗して価格破壊の一環として大々的に始めたのが最初期のPBだった。当初は「価格は安いが品質はねえ」という感じだったが、だんだんに品質が向上しNB品と変わらなくなっていった。
ただ、コンビニはスーパーとは異なりPBの導入が遅れた。コンビニはもともとNBの定価販売が基本だったからだ。仕入れで規模の経済を生かして、個店経営より安い仕入れ価格を実現し粗利を増やす。その増えた粗利を本部と加盟店が分け合う、みたいなビジネス構造だったはずだ。コンビニの基本ビジネスモデルとは、卸業者(本部)が個店(加盟店)における販売ノウハウを提供し、取引先(加盟店)の囲い込みを図る、中間流通業者の経営改革と理解するべきだろう。
それがコンビニ各社が利益改善を図る中で、いつの間にかPB商品投入が当たり前の手法になってしまった。販売量の多いコンビニにメーカーがすり寄ってきたという方が正しいかもしれない。
この値上げの時代に、スーパーより強い購買力をもつに至ったコンビニ本部がどういう価格対応をするか、業界一位のセブンと二位・三位企業がどう対抗するのか、興味津々だ。
ちなみに、業界一位のセブンは問答無用で自分の理屈にあわせて値上げをしていると思う。ものによってはNB品より高いぼったくり商品と言いたくなるものもある。まさに強者の論理の実現だ。だから、基本的にセブン商品に対しての評価は辛口になるということを最初にお断りしておく。盛者必衰は歴史からの学びだが……セブン帝国は我が道をいくらしい。


今回の元ネタはネットニュースだった。大手パンメーカーの定番品が値上がりする。それと似たようなコピー商品はどうなるのか、というような話だった。NB品の値上がりを待ってコンビニPBと比較して見ようと思った。それぞれを買ってきて比べてみた。

左 PB  右 NB 
写真ではわかりにくいが、実際に見るとNBが一回り以上大きく見える

包装袋には重量情報が載っていなかったので、自分で計測した。NB品は38g(平均)に対してPB品は27g。内容量はNBが4個入りに対してPBは5個入りなので、総重量はNB152g、PB135gになる。重量比にするとNBはPBに対して126%と多い。そして価格比は144%。となるとお買い得なのはコンビニPBになる。味の好みは個人的なものだから、上手いまずいをコメントするつもりはない。試食した感想で言うと味に大差はないように思う。
製造元はどちらも山崎パンなので、製造ラインが別だが、製造ノウハウは共有されているのではないだろうか。パンの焼き色やクリームの違いはあるので、NB品をコンビニ向けに改造した(スペックダウンした?)ものであることはわかる。別物というより、二卵性双生児みたいなものか。若干、クリームの濃厚さが違う気もするが、それも好みの差の範囲だろう。
一包装で中身の個数が違うから、小さくてたくさん入っている方が良い人はコンビニで、一つの大きさや食べ応えが重要な人はNBをスーパーで買うのが良さそうだ。価格だけで決めるのならば、コンビニPBの方が安い分だけ価値があるかもしれない。ただし、コンビニは納入数が少ないので売り切れることも多い。その辺りが評価の差になりそうだ。自分の意見では、どちらでも良いのでは………と言うところだ。
クリームパンの他にあんぱんもあるので、そちらはもう少し中身の「あんこ」の味について、好みの差がでそうな気もする。
この調査の目的?は、NB・PBの優劣差をつけるというより、半年一年先に起こるであろう値下げの言い訳を楽しむ頼めの証拠・記録なので、しばらくあれこれ比較してみたい。

食べ物レポート, 小売外食業の理論

一人中華三昧を楽しむ

辛い肉野菜炒めとでも言えば良いのか 「爆弾炒め」は野菜たっぷり

中華料理屋に行って一人飯を食べようとすると、基本的な一品に小皿がついたセットを注文することになる。麺や丼は当然一人前だが、あれは食事としての完成度が低いというか簡素すぎるのが寂しい。そう感じる時には、定食・セットのお世話になるしかない。回鍋肉セットとか、酢豚セットとか、エビチリ定食みたいなものだ。サラリーマンのランチで考えれば全然リーズナブルで当たり前だろう。高級中華料理店であれば、小皿が2・3品ついてきて相当にゴージャスなものも選べる。町中華であれば餃子定食とかレバニラ?定食とか「がつん系絶対定番」も存在する。
ただ、色々な料理をちまちま食べたいという中華の食べ方となると、これは一人飯では難しい。絶望的に難しい。だから、中華をしっかり食べる時には5ー6人のパーティーが必要になる。それが世の常識というものだとは理解している。それでも、一人で「中華ちまちま喰い」をした時はある。そんな時には、日高屋に行く。居酒屋使いする夜パターンを、すこし変形して使ってみるのが良いと思う。
まずはメインの一品を決めてそれを頼む。それに追加するのは全て「小皿」シリーズにする。日高屋の優しいところは、餃子も3個で頼めることだ。今回は頼んでいないが、サイドで餃子を選ぶのは一人中華のお決まりと言える。

日高屋の小皿メニューは中華というより居酒屋のつまみに近い。が、そこはちょっと妥協して、イカゲソ唐揚げと焼き鳥(という名の鶏肉甘辛煮?)にした。これにラー油をかけたり、酢と胡椒で味変したりすると、気分はそれなりに中華感が出る。そして白飯の代わりに半チャーハンを頼む。よくあるラーメンを頼むと半チャーハンセットにできるという限定しばりメニューではなく、単独で半チャーハンが頼める。これも日高屋は偉いなあと思うところだ。ちなみに、半ラーメンも単独メニューとして存在するから、半チャー半ラーメンという掟破りな組み合わせも注文できる。日高屋、偉いぞと本気で褒めてしまう。

手間をどう考えるかで値段設定は変わるだろうが、世の中の町中華経営者は本気で日高屋的少量・半量メニュー対応を考えるべきだろうと思う。いや、中華に限らず全ての飲食コンセプトに適応できる考え方だ。アフターコロナの時代に、原材料価格上昇と人手不足から値上げやむなしという雰囲気が広がっている。特に大手チェーンは値上げにためらいなしの対応だ。しかし、賃上げが後回しになっている社会構造では、この値上げが受け入れられるとは思えない。すぐに価格競争が再開する。その時に、中小規模の経営者はどう対応するかの回答が、「定番の少量化」ではないかと思っている。
ちなみに、同じ町中華大手の満洲餃子では、日高屋とは別の考え方があるようで、それはまた別の機会に考えてみたい。
昼のピークを過ぎた頃に楽しむ一人中華三昧は、なかなか真面目なビジネsyテーマを考えさせてくれるものなのだ。

小売外食業の理論

コロナの後の居酒屋戦線考察

具の見当たらないソース焼きそばが酒の肴には向いている

コロナの第七波などとメディアが騒いでいた夏が、おそらく外食の復活期だった。半年近く経ち振り返ってみると、ああそうだったなあとわかる。メディアも視聴率が取れないせいか、コロナ報道は下火になっていた。オリンピックが終わり一年が経ってみれば、予想通りというか当たり前というか、汚職の摘発が始まり大手広告代理店がまな板の上で処分を待っている。おまけに談合疑惑も発生し、公取が出動する事態にまで発展した。市民感覚的にはオリンピックの熱狂もすっかり冷め、一年も経てば、「悪い奴」退治のニュースをネタにオリンピックを小馬鹿にする風があっても不思議ではない。まさに、居酒屋のオヤジネタにぴったりだ。居酒屋復活を祝うが如き、オリンピック汚職ネタで大いに盛り上がったことだろう。
オヤジ族と言えば、ひっそりと昼飲みに移行していたジジイ層を含め、居酒屋が昼営業を縮小し通常モードに移行すると、当たり前のように夜活動に戻ってきた。あの周りを無視したような大声というか喚き声も復活した。やはりオヤジ族には学習能力がない。孤食だの黙食だのという言葉は記憶にさっぱり残らなかったようだ。
ただ、コロナが終わって(?)、行動変容しないオヤジたちを置き去りにして、居酒屋は様々な変化をしている。生存戦略と言っても良いのだろう。基本的に「値上げ」を行い、省力化を進めている。意外なことにオヤジ対応の低価格居酒屋である「一軒目酒場」が、その変化の先頭を走っている。そこで見つけた重要な変化を二点あげてみたい。
一点目が、「具なし焼きそば」推しにあらわれる、低単価維持を見せかけるメニュー再構築だ。値上げごまかしのフェイクメニューというと言い過ぎかもしれないが、目眩し作戦であることに間違いはない。酒類の大半が1-2割の単純値上げをしている。その値上げ感を和らげるのが、定番商品の価格維持と新商品として肉系商品(ただし少量化している)の導入だ。揚げ物を中心に、値上げはしていない定番品もある。値上げの主力は、冷製の肉料理、つまり手間要らずですぐ出せるものを、高価格帯400-500円台で提供し始めた。
そして、腹を膨らませる膨張剤としてのつまみが、焼きそばやマカロニサラダといった炭水化物系の食べ物になる。これを壁面の「メニュー札」を使って推しメニューにそている。マカロニサラダに至っては価格を上げずに増量したようだ。
濃い味付けにした炭水化物系のメニューを価格上げずに増量するというのが、値上げ感を和らげる基本戦略となっているようだ。これは他の居酒屋でも同じようだし、ファミレスの昼飲み用サイドメニューも同じような傾向がみられる。まあ、オヤジ対策に考えることは皆同じということだ。

豚のタンの冷製 なかなかうまいが、お値段はそれなり

二つ目の転換点は、メニューに「人間」が登場してきたこと。低価格居酒屋が値上げをしたくなると最初にすることが、素材の品質を訴えかけ価格価値を上げようとすることだ。要するに「高くても、美味しい」路線に変更するという宣言なのだが、大方これは失敗する。低価格居酒屋に集まる客のニーズに、高くてもうまいものはない。安くてうまいものが望ましいが、それも難しいのは客も理解している。だから、安くてそれなりな味のもので十分だと思っている。高くて、それなりのものは論外としてしまう価格圧力だ。
では、素材訴求が失敗すると何をするか。次は「人」の宣伝をする。料理長を登場させてレシピーのユニークさを語ったり、有名シェフとのコラボを自慢したりする。最近のコンビニ弁当も同じ手法をとっている。要するに、誰かの権威に寄りかかる「ちゃっかり値上げ戦略」だ。これが意外と効き目がある。特に、ヘビーユーザー、つまりその店の常連客には評判が良くなる。
金があればもっと高い店に行くのにな、とは思っていないのがヘビーユーザーだ。この店は、安くて適当にうまいと思う「俺のお気に入り」「自分の店」意識があるからだ。だから、その常連客にターゲットを絞れば、「人間商標」は意味がある。看板に使われる「ヒト」が、自分達の代表に思えてくる。著名人や有名人に同化できる。あるいは、自分たちが飲み食べしているものの「正統性」が担保される(気がする……)からだろう。
ただ、この店はオヤジたちに心情的に寄り添ったふりをしながら、注文のデジタル化を進めている。それも全席にタブレットを設置するかわりに、個人所有のスマホからQRコードでアクセスさせる。タブレットというデジタルギアを置くことで、デジタル拒否層を刺激しないようにした。オヤジの心証をよく汲み取ったものだ。
しかし、デジタル許容層にはスマホで注文させるという進化は取り入れた。店内にはデジタル感を出現させない「あざとさ」だ。スマホが使えず、デジタル注文に抵抗があるジジイ層には、従来通り従業員が注文を受ける。このあたりの匙加減が絶妙だろう。この店を安い酒場として使っている20代から40代の層にとっては、スマホ注文が主流になっている。
結果として、店内に「すいませーん」と従業員を呼ぶ声は少なくなった。残ったのはジジイとデジタル非対応オヤジの声だけになった。今や居酒屋も体感的には半分くらい静かになった。

紙製のグランドメニューもしっかりテーブル各席に置いてある。コロナ前のメニューは商品写真もなく「字面」だけしかない、素っ気のないものだった。カードケースに入っていて、裏表をひっくり返して見ればそれが全てというシンプルさだった。メニューの中身もほとんど変化なしで、日替わりメニューが別添で置かれているくらいだから、オヤジでも注文に苦労することはなかった。
それをファミリーレストランのような商品写真入りの「面倒臭いもの」に変えた代わりに、同世代のおっちゃん写真が登場している。共感を強める手法と考えれば、これはなかなか革新的な変化だ。ファミレスが変化の方向を見失いのたうち回っているのと比べると、アフターコロナの居酒屋は、なかなか強かなのだ。

小売外食業の理論, 旅をする

もう一つのうまいものin金沢

金沢駅の正面に立つと、一際目立つ華麗な門に出会う。日本の駅で一番美しいと感ずる金沢駅の入り口だ。同じような観光都市であっても、新幹線を降り立った場所は実にがっかりすることが多い。その典型が京都駅で、南北どちらの入口も「らしさ」などかけらもない。
東京駅は、オフィスビルこそ首都の景観だと言い張れば、なんとなく説得ができそうだ。特に丸の内は、丸ビルなどの風景こそ首都のあり方であり、お江戸風情など全く昔語りのノスタルジーと切り捨てている。そう思えば良いことだ。改装後の東京駅丸の内側は、その首都のあり方を伝えている「名所」だろう。たった150年前の建物すら保存しようとしない、近代日本の潔さだ。
逆に中途半端なのが、新大阪や新横浜、新神戸などの「新」がつく駅で、これはいわばどうでも良い駅の象徴だ。昭和中期の文化とは、こういうものだったという反面教師なのかもしれない。東北新幹線の駅は、どこの駅も同じ見栄えだし、九州新幹線では駅舎が街から浮いている気がする。
だから、やはり、金沢駅はすごい。

そのすごい(と想う)駅の近くにあるホテルで会食をする機会があった。レストランの入り口には、ドーンと大皿が飾られている。この皿には実用的価値はない(と思う)。美術品として作られたものだ、この皿の上に料理を乗せたりしないはずだと思うのだが………
それにしても、この状態をなんといえば良いのだろうか、言葉を選ぶのに困る。皿を陳列している、では正しい意味にはならない。飾るというのとも違う気がする。訪れた客に美しいものをお見せする、ということだろう。押し付けがましさはない。美しいものは、隠してしまうのではなく、見せるものだという意識だろうか。
やはり、古都というものが作り出す文化は、たかが100年程度では仕上がらないということがわかる。お江戸でも江戸文化が完成するまで200年余りかかった。そのお江戸を継承していない文化強奪都市「東京」は、強奪後150年経ったいまでも古都を名乗る貫禄はない。

ビルの中隔に庭園を作ろうとする試みは、文化強奪都市東京でも見かけることはある。ただ、規模で見ると箱庭程度の貧相さだ。京都の町家改造レストランで見かける小ぶりのものがよほど立派にみえるものだ。設計思想の根底に、あざとい経済効率が入り込むから東京の箱庭は貧しく見える。それなら盆栽でも並べておけば良いのにと思う「なんちゃって箱庭もどき」がほとんどだ。
この金沢のホテルでは、レストラン面積の1/3程度が空中庭園になっていた。席効率だの回転率だのという、レストラン経営の公式からすると、無駄の極みというしかない。その不経済な代物が平然と存在することが、古都の古都たる所以なのかと思いしらされる。

おいしく懐石料理をいただき、ゆったりとした時間を過ごした。おそらく、贅沢というものは、こういうことを言うのかと思う。レストラン、飲食店、外食産業、いろいろな言い方はあるが、食べ物を提供することを生業とする者にとって、味という無形のもの、雰囲気という無形のもの、過ごした時間の満足度合いという計量できないものをどうしつらえるのか。その一つの答えが、ここにあるなあとぼんやり感じていた。

味の嗜好は個人差がある。万人がうまいというものは無い。それでも、見た目や盛り付けや器で楽しませることができる。料理は舌で味わう前にも目で楽しむものだ、というのは人類にとって不変の事実だ(と勝手に思っている)。
それは日本料理だけのものでも無いので、日本料理文化礼賛論者とは一線を画しておきたい。なんでも日本が一番という文化的狂信者はどうにも好きになれない。
どこの国の料理にしても、器と料理のバランスこそが、美味しさの秘密であることは確かで、家庭料理とプロの料理の一番の差は味付けではなく「豊富な器」が可能にする美なのだと思う。

最後に出てきたいちごのシャーベットの器に一番驚かされた。シャーベットの出来栄えは素晴らしい。甘さ控えめなのが、和食の締めとして調和している。ただ、この華麗な皿が伝えてくるものが、金沢のご飯を「目で楽しんで」いただけましたか、と言うメッセージのような気がした。すごいな金沢。
金沢発のファストフードチェーンができれば、なんだか日本食文化の革新になりそうな気がしている今日この頃。金沢カレーが進化すると、何か革命的なことになりそうなのだけれど。