
晴れた日にはお気に入りの喫茶店で、公園を見下ろしながらのんびりとコーヒーを楽しむ。午前中、それも遅めの時間が客もまばらで良い具合だ。グループ客がいなければ会話の声も聞こえてこない。窓際のカウンター席に座り、パソコンを開いてあれこれ書き込んでみる。
一昔前はネタ帳に濃い鉛筆であれこれ書き込んでいたものだが、今ではすっかりキーボード愛好派になってしまった。ノートパソコンも軽くはなったが、それでも1kgは超える重量だから、タブレットに外付けキーボードという軽量な組み合わせもよく使う。デジタルフリークというつもりもないが、「情弱」などと言われるほどのキーボードアレルギーとは無縁だ。
ちなみに、この喫茶店では札幌市のFreeWiFiが使える。ただし、電波強度が弱すぎるのでかなりイライラすることにもなる。観光都市のくせにデジタル対応の予算をケチっているなあ、と内心ではバカにしているが、首都圏でもオリンピックが終わった後、あちこちでWiFiサービスが打ち切られている。中央政府に取り繕いこびへつらう日本の地方行政としては、この手の「言われた通りやってますよ、とりあえず」的なやり方が手慣れた技と言うべきだろう。

濃いめのブレンドをゆっくりと楽しむには、ダメダメ行政の悪口を考えるに限る。他人様の悪口を考えていると、こちらの心も貧しくなるが(悪い考えには悪く染まってしまうからなあ)、クズな行政を頭の中でいたぶっていると気分は水戸黄門的な正義感に満たされてくる。健全とは言えないが、お手軽な娯楽だ。少なくとも自分が正義の味方に思えるのはささやかながらの快感だろう。
眼下に見える公園がオリンピックマラソンの会場だったことを思い出し始まった、行政批判の連想ゲームだった。去年まで放置されていた施設が撤去されていたから思い出した、オリンピックのドタバタ騒ぎに対するお役所仕事への嘲笑というところだろうか。
おそらく脳内麻薬(倫理高い、社会意識高い系な微少物質)が溢れてきて、俺が正義だと思い込み独善的な自己陶酔に浸ってしまう。正義の味方的境地になってしまうと、どこかにすけさん・かくさんはいないのかと思い始める。世直し願望が大きくなっているのだろう。あぶない、すっかりあぶない人モードだ。
ただこの日の妄想はもう少し膨らんだ。この脳内麻薬依存症、正義の味方症候群になると、そこからテロに至るまでは、かなり距離が短いのではと思ってしまった。テロリストの頭の中は、きっと自分勝手な正義感と倫理観が溢れていて、それが宗教的な法悦に近いものになっているのではと想像してしまう。自分が感じたものの数倍、数十倍の脳内麻薬に酔いしれているのではないだろうか。脳内麻薬は基本的に自給できる?薬物だから、依存度がどんどん増していくだろう。あぶない人から危険な輩になるまでは、案外簡単なのかもしれない。のんびりとした朝のコーヒーがテロ思考に結び付いてはいけないぞと反省し妄想を止めるため店を出ることにした。
ただそこで、ちょっとだけテロリスト的な思いに駆られてしまった。原因は伝票に書かれていたコーヒーの値段だ。たった半年で、3割近く値上がりしていた(記憶モードです)。令和はインフレの時代なのだと改めて感じた。
政府はインフレの責任を取れと言いたくなった。あと一歩インフレが進めば、コーヒー一杯が50円値上がりしたら、俺は革命軍に入ってやる、と脳内の過激派がけしかけてくる。村上龍著作のタイトルを思い浮かぶ。今や日本の人口の1/3が高齢者だから、ジジイがテロリストになる時代なのかもしれない。令和は革命の時代になるかもしれない……………
インフレ時代のあぶない妄想です。