旅をする

空の旅で悟りを得るか?

時間はたっぷりあるが、費用は抑えたい人向けのLCCが再開され外国人観光客が大量に戻ってきたらしい成田空港から、国内LCCを利用して旅に出た。成田空港は遠いと単純に思い込んでいたが、冷静にかかる時間を確かめてみると、羽田空港に行くのとでは30分ほどしか変わらない。埼玉県のハズレからは、成田も羽田もどっちも同じように遠いということだった。
あれっ、そんなバカなと思ったが、知らないうちに成田行きの交通機関が整備されていたためだ。特に第3ターミナルから東京駅までの直行バス便は安くて便利だと気がついた。荷物を持った乗り換えを考えると、羽田より成田の方が楽に移動できるかもしれない。

第3ターミナルからの離陸は思っていたよりも短時間だ。滑走部分に至る移動距離が短いのかもしれない。昔よく使っていた第1ターミナルからの発着は、ともかく地上移動時間が長かった記憶がある。これまではずっと通路側の席を予約してきたから、空港内の風景を見ることなどほとんどなかった。窓際の席を取れば、思っていた以上にあれこれ周りの景色が見えてくる。
成田空港開設反対のシンボルだった「砦」みたいなものはすっかり消滅したようだ。あっと思う間に離陸した後は、しばらく関東平野の広がりが見える。千葉の東部は畑と林とゴルフ場で占められているのがよくわかった。しばらく外を見ていたが、予想以上に成田と印旛沼が近いなとか、利根川を境とする茨城県は千葉県と見た目が全然変わらないぞとか、今更ながらに気がつくことが多い。できればずっと地面を見ていたいと思っていたが、高度が上がると雲の上に出てしまい地表は見えなくなった。雲の上に出ると気分はカンダタとお釈迦さまみたいな感じで、自分がお釈迦さまの視点にたてる。不敬にも、即身成仏とはこのことではないかと笑ってしまった。

しばらく飛んだ後、雲の下に出るとそこはもう北の大地だったが、見た目が明らかに関東平野とは違う。ゴルフ場があちこちに見えるのは関東平野と同じだが、あきらかに畑が少ない。ただただ広がる黒い原生林?が見える。その中に明らかに人工物である直線道路が地図に描かれた境界線のように、地面を幾何学的に分断している。
それでも、着陸してみれば空港の風景は同じで、人工的な構造物である空港は世界中どこに行っても同じように見える。違いがあるとすれば、機体に書かれた文字の差くらいだろう。空港の外はローカル、空港の中はグローバルな景色というのが実感できる。
よく考えれば空路の旅とは、ローカルな風景から空港へ移動し、その後は何時間か空の上を飛んでいるだけの、景色の変化がほとんど感じられない旅だ。成田から北の大地に飛ぼうと、南の熱帯雨林の国に飛ぼうと、あるいは東に飛び太平洋を飛び越えた文明地に飛ぼうと、そこに大きな差はない。
降りた土地で最初に感じる匂いが、唯一異郷にきたことを知らせてくれるが、それは北海道であれ、LAであれ、ゴールドコーストであれ、ほんの一瞬のことで、異国の匂いにもすぐに慣れてしまう。やはり空の旅は移動中の体験値が少なすぎるのだろう。いつに無く飛行機の窓の外を眺めながら旅をしてみたが、そんなことしか感じなかった。旅をするなら鉄道だな、などと体の中の鉄分がむずむずし始めた。空の旅とは、何も感じず解脱を目指すこと…………諸行無常みたいなことですかねえ。

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中