
この店の創設者、おっちゃんの訃報を聞いたのは去年のことだっただろうか。たまに無性に食べたくなる「お好み焼き」だが、北海道にお好み焼き文化をもたらした功労者は、間違いなくこの店のおっちゃんだったと思う。店名に書かれている「北海道のお好み焼き 風月」が全てを語っている。この店のお好み焼きは東京のお好み焼きとも大阪のお好み焼きとも微妙に異なっている。
昔聞いた話では、創設者のおっちゃんが確か関西のどこかから北海道に流れてきて、ふと思いついて始めたのがお好み焼き屋だったそうだ。関西でお好み焼き屋をやっていたわけでもなく、記憶にあるお好み焼きを見よう見まねで売り始めたというような話だった。当時は小体な店で安いお好み焼きを目当てに高校生が集まる濃い店だった。焼きそばも売っていたが、そちらはあまり美味いものだったという記憶がない。ただただ量が多く、腹ペコの時はありがたかった。
お好み焼きもセルフサービスな自分で焼いてねスタイルだったから、上手く焼けていない(生焼け)のお好み焼きもたまに食べてしまった。初めて関西の「鶴橋風月」でお好み焼きを食べた時に、これは別物だと思った。それくらい「北海道独自な」お好み焼きだったのだろう。
そもそも「風月」という店名も相当に……………なものだが、大多数の北海道風月愛好者は、大阪にも風月ってあるんだと思っているはずだ。

このコテを持ったおっちゃんが創業者であることはわかる。ただ、自分たちの相手をしていた頃は、いつも競馬新聞を片手にぼーっとしていた。ぼーっとしていたのではなくラジオの競馬中継を聞いているらしいと聞いたこともある。注文すると、アーともウーともいえない返事をしながら、焼きそばを炒めたりお好み焼きの仕込みをしていた。
ただ、それからしばらくすると街のあちこちに支店が増えて行って、お好み焼きといえば風月となったのだから商才はあったのだろう。おっちゃんが社長になってから、たまにテレビで見かけたりするようになった。

しばらく行っていない間に、店内はおどろくほど情報武装化されていた。お好み焼きの焼き方もタブレットから動画で見ることができる。すごい進化だ。思わず、あのおっちゃんの会社が………と言いたくなる。この3年間の非接触営業推奨に対応したのだろうか。

出てきたお好み焼き(イカ玉)は、相変わらずのルックスだった。確かに創業56周年というのはすごいことだが、記憶の中にあるおっちゃんを思い出すと、やはり笑ってしまう。ちなみに喫茶店でコーヒーを飲むと200円の時代に、イカ玉は確か190円だった。お好み焼き一枚がコーヒーより安いのだから高校生が集まるわけだ。ついでに言えばラーメンが350円くらい、ハンバーガーが200円、瓶に入ったコーラ(200cc)が50円、アルバイトの時給は300-350円程度だったと思う。
豚玉はイカ玉より20円くらい高かったような記憶もあるが、そこは定かではない。えび玉が一番高かったはずだがその値段も思い出せない。全部入ったミックス玉もあったはずだが、高すぎて注文した記憶がない。

この半分焼けたところでひっくり返す時に、バラバラに分解してしまうことが多かった。だから、お好み焼きが丸く固まったまま焼き上がると、食べるのが惜しくなるほど嬉しかった。マヨネーズとソースという万能な味付けを学んだのも風月だった。
結果的には、流れものだったおっちゃんが味の伝道師として、北海道にお好み焼き文化を根付かせたのだから、その功績は(少なくとも)道民栄誉賞くらい差し上げても良い気がする。
今ではお好み焼き(イカ玉)もすっかり高級品になっていて、ラーメン一杯よりは高い。ハンバーガーだと4個は買える値段になっていた。ただ、こちらもすっかりオヤジになっているので、イカ玉とビールなどという大人な注文をして、今は亡きおっちゃんのことを思い出していた。「北海道のイカ玉」うましだ。合掌。