
最近、恵比寿での用事が頻発?して何度も通っている。コロナの間にはほとんど出向かなかった夜の恵比寿に久しぶりに出没してしまった。恵比寿の街のあちこちで、昔用通っていた店がなくなっていた。それは仕方のないことだとは思う。店主が年配者どころか後期高齢者みたいな老舗が多かったから、そろそろ代替わりをするか、それとも店をたたむかというタイミングだったのは間違いない。街の新陳代謝と考えるべきだとは思う。閉店して残念だなとは思うが、これまでお疲れ様でしたと感謝したくなるような閉店の仕方でもあった。
しかし、依然として元気に営業中の店もある。その何軒か存在する「元気に営業中」の店にちょい飲みしに行ってみようかと、街をぶらついてみた。結局選んだ一軒は駅前に近い、おそらく恵比寿でも一番の老舗に近い焼き鳥屋だった。生まれて初めて恵比寿に来た頃から、すでにこの店は存在していた。今の恵比寿駅ビル「アトレ」ができる前は、恵比寿とは実に鄙びたまちだった。この街にはまともな本屋がないのかと嘆いていた頃だ。昭和中期のテイストが、その頃からまるっきり変わらない。
というか開店当時は、それなりに現代的な店だったのではないかと思う。昭和中期には、木材を多用した山小屋風の内装とか、お蔵を改造しました的な和風デザインが多かった。共通するのは照明の暗さだ。昭和中期とは、薄暗い店がスタンダードだった時代とも言える。

一人で入ると、たまたま焼き場の前のカウンター席が空いていた。見慣れた店長(多分)の顔を見てホッとしたが、初めて来た頃は若くて元気だった店長も、今ではすっかり落ち着いて店を仕切っている。むかし焼き場にいたおじじは、やはりもう引退したのだろう。
普通に焼き鳥を4本注文し、普通に酒を頼む。飲み食い終わったらさっさと勘定して帰る。一人飲みを始めて身についた習慣だ。昔は、終電間近まで延々と騒いでいたこともあった。それを思えば随分変わったものだと、我ながら感心する。この店本来のスタイルに自分の歳がようやく追いついたということなのか、とカウンターで飲みながら気がついた。

あれこれ考えながらカウンターの上に置かれている調味料を眺めていたら、なんだか色々と注釈がしてある。コロナの間は卓上の調味料類撤去がルールだったから(これも誰が決めたことなのだろう)、営業を元に戻してみたら客が調味料の使い方をわからなくなったのかと笑ってしまった。
コロナで起きた変化が元に戻る、あるいは新しい形にもう一段変わる。今はそんな時期のようで、ふらりと一人で飲み屋に入ってみるとなかなか楽しい発見がある。2-3人の小集団だったグループ客も、最近では5-10人で飲んでいるのをよく見かけるようになった。
そういえば、路上飲みの話もすっかり聞かなくなったし、あれは貧乏人の路上パフォーマンスみたいなものだったのかもしれない。どこで飲んでも酔っ払いとは、世間様に迷惑をかけがちなのだなと思いながら店を出た。