街を歩く

団地の花見

長屋の花見という古典落語の演題がある。これはなかなか楽しい話で、この季節であれば寄席で聴く機会もありそうだ。ただ、最近の寄席はコロナのせいで客席での飲食が禁止となり、それがちょっと寂しい気がする。ただ、客席の飲食も、演者が一生懸命話している時に、煎餅の袋を開けるガサガサとした音がすると興醒めするので、やはり飲食禁止で良いのかもしれない。
個人的には平日の午後、のんびりとした演目とのんびりとした客がまばらにいる寄席で、いなり寿司を食べながらビールを飲むみたいなのが好きだったのだが。まあ、そんな時は演者ものんびりしていたというか、明らかに手を抜いているとわかることもあるのだが。そこが寄席のよいところで、演者と客の距離が近いからできることだった。最近は、どうなっているのだろうか。

近くの団地、昔で言えば公団住宅、いまはテレビのCMで盛んに宣伝しているURの敷地に、見事な桜の木がたくさんある。コロナの間は誰が集まることもなくひっそりとしていたが、今年は久しぶりにお花見大会?が開催されるというのでノコノコと出かけてみた。週末は気温が上がり、一気に満開どころか花が散り始めていた。

いわゆるお祭りの出店が出ていた。町内会主催の焼きそば(地元名物を目指している醤油焼きそば)や酒の販売もあり、そこそこお祭りムードがあり、祭りの屋台も何軒か出ていた。チョコバナナとかリンゴ飴の屋台などココ何年も見ていなかった。お祭り感が出るのは、やはり屋台のポイントが高い。綿菓子の袋が一つ600円になっていたのは、高いのか安いのかよく理解できないが、とりあえず子供が買っている気配はなく、ちょっと残念だった。
地元の学生のブラスバンドなど、出し物もたくさんあるようで、なかなかの盛況ぶりだった。主催者が町内会ということで、ほんわかとした手作り感もあるのだが、町内会の行事は夏祭りに強制ボランティア(年ごとの持ち回り)に呼び出されている経験があり、あれはなかなか大変なんだよなと、焼きそばを焼いているおっちゃんたちに同情してしまった。
地元で商売をしている方達には、まさに地元の商店街を上げてのお祭りになるのだが、団地に住むサラリーマンオヤジにとっては何年かに一度回ってくる強制労働みたいな感じもあり、そのアウト感が焼きそばを焼く慣れない手つきに現れている。哀愁をそそる、団地の花見なのであります。
それとちょっと気がついたのだが、祭りにつきものの子どもの姿より、圧倒的にジジババが目立つのも、現代日本の縮図であるようだ。高齢者への慰撫としての祭りとは、ゾッとしない光景ではあるなあ。

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