街を歩く, 旅をする

路地を歩いて店探し

街歩きが楽しいところは、特徴あるお店が多い。思わず中を覗いて見たくなる雑貨店や、今日の昼ごはんはここにしたいなと思う食堂などが、街の中に適度にばら撒かれている。そんな感じのする街が、散歩というか、ぶらぶら歩き回るのに向いている。
秩父の街中には古い住宅や商店を改造したようなお店があちこちにある。一軒だけポツンとあるのは店主のセンスの良さということになる。ただ、街中のあちこちに洒落た店が見つかるのであれば、それは街の感性が高いということだろう。
人気の観光地は、もともとセンスの良い街並みがあったわけではない。大多数の場所では、昭和中期に個々の店がバラバラと立て直しをしたり、昔の店を潰してビルに変えたりしたので、街並み景観が不揃いになってしまった。その後、店主たちの高齢化などで閉店する店が増えてシャッター街に成り果てる。昼でも暗いゴーストタウンへ一直線だ。
それとは逆に成功した商店街や町は、まず最初に景観、街並みの整備に手をつけている。そこに小江戸とか小京都という形容詞をつけるのは常道手段だが、〇〇の街というキャッチフレーズで新味を出そうというのもよくある。
ただ残念なことに、愛とメルヘンの町だの、綺麗な環境と夢の町だの、やたら抽象的な意味なしフレーズを使うことも多く、それは逆効果でしかないとも思うのだが。
秩父は昔からの観光地なので、下手なキャッチフレーズはいらない。不揃いな街並みを仕立て直していくことは大切だが、一つ一つ光るお店があるのだから、それが増えていくだけで良い。そんな魅力的な店を探して歩くのが楽しい街だ。

いつも日帰り旅なので、秩父の街に泊まることはないのだが、それでも夜の居酒屋、小料理屋などには行ってみたい。このお店、昔の商店を改造したように見える。ここには夕暮れ時に入って見たい。「秩父めし」というだけであれこれ想像してしまう。地酒は秩父錦か武甲正宗か、あるいは秩父のワインや地ウイスキーということもあるだろう。適度に退色した店名垂れ幕が良い味を出している。

わらじかつを酒の肴にするのはボリュームがありすぎてちょっとしんどいが、枚数少なめにしてもらって、カツをちびちび食べるのはアリかもしれない。秩父名物のくるみだれで、太めゴワゴワの田舎そばをつまむ(決して手繰るのではない)のも捨てがたい魅力だ。
できれば季節の山菜天ぷらなどを注文したい。最初は塩で、少し時間が経って衣がシナっとなった後はくるみだれで食べるとうまそうだ。

ぶらぶら街歩きを続けていると、これまたおしゃれなファサードの店を見つけた。ぱっと見では飲食店に見えない。表に提灯がかかっているから食堂なのだろうとあたりをつけて、店の前から覗いて見た。ガラス窓に貼っている写真から、どうやらピザ屋らしい。ただ、おしゃれな外観なのだからガラス窓にはあれこれ貼らない方が、すっきり見えてアッパー感が出ると思うのだが。その代わりに店頭にブラックボードを置いたりして、おしゃれ感増幅すると良いのになというのが勝手な感想だ。
ただし、白い提灯は街のイベントものらしいので、イベントが終わればファサードも変わるのかもしれない。やはりここも、夕暮れ時に再訪すべきだなあ。

入り口脇に掲げられた小さな店名がすごく素敵だ。Wood Fire Pizza は、日本語にすると石窯焼きのピザということだ。石窯は火力安定のためガスにすることが多い。ただ、本物の薪を使うと(つまりWood Fireになる)木の焼ける匂いが生地に移り実にうまい食べ物になる。石窯ピザのうまさは、実は薪の香りが移ることにある。熱効率がとか、遠赤外線がとかいう前に、薪の燃える匂いが移った食べ物が、人類のDNAに刻まれた原始の記憶を呼び戻すのだと思っている。
この店のピザが食べて見たいな、と素直に感じたのだが、あいにくと営業してはいなかった。それは実に残念。

秩父神社の参道に並ぶ商店街も、平日の人影はまばらだと思っていたが、この2月の寒い時期にも関わらず結構な観光客が歩いていた。おまけにジジババの神社参詣ではなく、若いカップルが多い。パワスポブームということだろうか。それとも古い街並みが若者を惹きつけるのか。
秩父のパワースポットといえば、三峯神社と秩父神社のTwo Topは見逃せない。鎌倉時代から続く秩父札所巡りも、一大パワスポイベントだ。
頭の悪い高齢者が騒いでいる「日本の伝統を守れ」云々でいう伝統とは、大体が明治以降の100年程度しかない古来の伝統とは言いがたい軽い伝承や行為が大半だ。500年続く伝統行事なの数えるほどしかない。ましてや家庭内の序列など、江戸後期に出来上がったものでしかない。
おまけに明治の権力者は貧困武士の成り上がり者が多いので、幼少期には伝承行事に参加していないため(参加させてもらえなかったため)、上流階級が行なっていたあれこれに過大な憧れがある。その系譜を継ぐ、戦後生まれの(これまた)成り上がり者の騒音にはうんざりする。頭悪い奴の戯言としか思えない。
お前たちがピーピー騒がなくても、今の若い世代は自分たちの感性で古くからある日本のものを楽しんでいるだろう、とダメ出ししてやりたくなる。愛国だの道徳だのいう連中が、一番不道徳で自己愛が強く、おまけに自己陶酔しているナルちゃんなだけだと思うのだが。
閑話休題。その秩父神社参道の脇道に、これまたうまそうな蕎麦屋があった。路地に入ったところにある店は、それだけで「うまそうな店」「秘密の一軒」的な期待が高まる。この参道は何軒もの蕎麦屋がある蕎麦屋ストリートだが、この店が一番魅力的に見えるのは、やはり路地のマジックなのかもしれない。
民家改造の旅館も新しくできていた。コロナで苦しんだ観光地も、新しい動きが始まっているのだな。

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